第七章:『再生の瞳』
ノアの手が動いた。
彼は、真っすぐアーサーにナイフを突きつけてくる。
その目には光がなかった。
そこにあるのは、植え付けられた命令だけだ。
オスカー「さあ、ご覧あれ。“殺人衝動”を。彼はあなたを殺すことで“存在理由”を得る。素晴らしいだろう?」
アーサー「……感情の排除と合理的殺意。まるで私の“原型”のようだな。だが違う。私は“自分の意志”で診断と処断を選んでいる。お前のように、他人の心を“操作”などしない」
ノアのナイフが振り下ろされる。
しかし――アーサーは、避けない。
アーサー「ノア。もし君の中に、“君自身の声”がまだ残っているなら、今叫べ。怒れ。悲しめ。“殺さなきゃいけない”なんて言葉に従うな。自分の意思で叫べ!」
その瞬間――ナイフが止まった。
ノアの腕が震えた。
声にならない声が喉を震わせ、
そして…涙が、零れ落ちた。
ノア「……っ! あんたを殺さなきゃって…でも、それって…ママが望んだことなの…?」
アーサー「違う。君がそう“信じ込まされた”だけだ。君の母親が、君に願っていたのは、そんな呪いじゃない」
アーサーは、彼の腕を優しく包むように抑えた。
アーサー「ノア。君は生きていい。“誰の命令”でもなく、“君の決意”で生きていいんだ」
オスカー「…解除したのか。言葉一つで。“声”に“声”で対抗か…なるほど。面白い。君の治療、実に感情的で、非効率的で――だからこそ強い」
オスカーは一歩下がると、後ろから音もなく現れた影に囁いた。
オスカー「さて。そろそろ君たちの出番のようだ。お行き《黒紡》の死霊たちよ」
扉が破られ“改造されたカウンセラー”たちが入ってくる。顔のない仮面。名前のない魂。思考の全てを“殺人指令”に書き換えられた“診断者のなれの果て”。
アーサー「…なるほど。これが《黒紡》のやり方か。もはや精神治療ではない」
オスカー「理想だよ。“罪を背負わず殺せる者”を、量産する社会こそが異世界の真理。君のやってることは、旧世代の甘えだ。いずれ消える」
アーサーはノアを背に庇いながら、処断の剣を構える。
アーサー「では証明してやる。甘えと信念の違いをな。“声”は刃よりも鋭いと――」
戦闘は一瞬だった。
アーサーはその剣と声で斬った。
改造カウンセラーたちの心を言葉で裂き、正確に急所へ剣を通す。
倒れた仮面の一体から、微かに“本来の人格の声”が漏れた。
仮面の少女「……わたしは……わたし……?」
アーサーは静かに、その目を閉じさせる。
アーサー「許せ。君の魂はもう“君のもの”ではなかった。だが最後に、“君の声”は確かに届いた」
オスカーは、なお笑っていた。
オスカー「やはり君は傑物だな。だがここまでのようだ。次は我が主がお相手しよう。“《黒紡》創始者”…そう。君の“原罪”そのものだ」
アーサー「…奴がまだ生きていたのか」
オスカーは身を翻し、窓から闇に溶けるように去っていった。
残されたノアは膝をつき、震えながら言った。
ノア「…ありがとう。俺…まだ自分が何を望んでるのか、ちゃんとわかってなかったんだ…」
アーサー「…大丈夫だ。わからないままでいい。それでも、自分で決める。それが“生きる”ってことだ」
アーサーは記録に書き込む。
【第152件:人格洗脳被害者。診断:人格回復初期。監察継続】
アーサーは空を見上げた。
そこには、《黒紡》の象徴――黒い糸で縫われた月が、静かに浮かんでいた。
アーサー「さて。“原罪”と再会する時が来たようだな」