第三章:『無罪の殺人者』
診療室の窓に、黄昏の光が差し込む。
今日三人目の“患者”が、椅子に座った。
少年。年の頃は十五、六。
髪は明るい栗色で、表情は穏やか。
服装はくたびれた冒険者の皮鎧。剣も魔法も持たず、背負っているのは破れかけの古いぬいぐるみ。
アーサー・クロウは、記録ファイルを開きながら微笑んだ。
アーサー「ようこそ《冒険者カウンセリング》へ。君が“無罪の殺人者”か」
少年「……あんまり、そう呼ばれるの好きじゃないです」
アーサー「そうだろうとも。“無罪”という言葉には、自らの責任すら奪われる感覚がある。君の名前は?」
少年「ライル。ライル・ディルナ」
アーサー「うん、記録通り。殺人件数――三十七。すべて戦場、または任務中の敵対者。“適法な戦闘”と認定され、王都騎士団からも勲章を受けている。にもかかわらず、君はこう言った。“俺は人殺しだ”と」
ライルは黙ってうつむいた。
アーサー「話してくれるかい? どうして“有罪”だと自分を責めるのか」
ライル「……責めてるんじゃないです。認めてるだけです。俺が剣を振るえば、人が死ぬ。それが“正義”って言われても、変わらないでしょ」
アーサー「君の心が“変わらない”と知りながら、周囲は君を英雄扱いしている。それが苦しいんだね」
ライル「……はい」
アーサーは静かに頷き、魂石をライルの前に置いた。
それは赤くも黒くもない、灰色の光を放っていた。
まるで――感情そのものが停止しているように。
アーサー「君は、自分の殺人に意味を持たせたがっている。それは普通だ。罪悪感とは少し違う。もっと――そう、“自分が壊れていること”に納得したいだけだ」
ライル「俺は、壊れてますか?」
アーサー「それは私が決めることではない。君が、“その手で殺した者たち”の目を思い出したとき、君の中の天秤がどちらに傾くかによる」
ライルの指が震えた。
その手が、ぬいぐるみに触れる。
ライル「俺……昔、姉さんを守れなかった。襲ってきた盗賊を殺せなかった。でも今は、誰でも殺せる。笑いながら斬れる。戦場で敵が“人間”に見えたこと、もうないんです」
アーサー「なるほど。“無力”を悔いた少年が、“万能の殺人者”になった。だが、その反動は大きい。“人を殺しても何も感じない”という異常に、君は静かに怯えている」
ライル「どうすればいいのか、わからないんです」
アーサーは立ち上がり、後ろの棚から小さな箱を取り出した。
中には――一本の短剣が収められていた。
アーサー「ライル、君に試してほしいことがある。これは“無抵抗者の疑似魂”が封じられた短剣だ。君の目の前で、殺されるフリをするだけで、“罪”の感覚が起動する。君が“まだ人間”なら、な」
ライルは一瞬躊躇ったが、やがて短剣を受け取った。
ライル「もし、何も感じなかったら?」
アーサー「その時は、私が君を処断する。魂の天秤が完全に壊れたと判断してね」
……数秒の沈黙。
そして、ライルは短剣をアーサーの喉元へ突きつける――
その瞬間、手が止まった。
震えが走る。
呼吸が乱れる。
ライル「……だめだ。……手が、震えてる」
アーサー「お見事。君はまだ“人間”だ」
アーサーは笑みを浮かべ、手帳に記録する。
【第150件:無罪の殺人者。心因:防衛反動と共感喪失。診断完了。処断不要】
アーサー「君は戦場では殺人者で、診療室では少年だ。どちらも、否定しなくていい」
ライル「俺……本当に戻れますか?」
アーサー「君に“殺す意味”がある限り…ね」
少年はぬいぐるみを抱えたまま、静かに部屋を出た。
彼の背はまだ小さい。だが、そこにかすかな希望が残っていた。
そしてアーサーは静かに笑う。
アーサー「人間とは、実に厄介で、美しい生き物だ」