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手に入れるために捨てるんだ



ろくに使わない優斗(ゆうと)のメッセンジャーアプリが起動した。

ホーム画面で指をスライドさせ、通知を出す。そこには「藍無(あいな)」の文字。

同じ合気道部の部員とすら連絡先を交換していない、そんなボッチ属性なのに、優斗は手に入れてしまったのだ。


藍無 ニトロの連絡先を。



いや、普通にここはめるとだろ?連絡先交換するならめるとだろ?おかしいだろなんで弟なんだよ。

…その弟曰く、めるとには昔から変態の虫が付きやすいのだそうな。

だから防護策としてむやみに男に彼女の連絡先は教えない。だそうだ。

失礼な、誰が変態虫だ。変態は変態でも俺は変態紳士だ。その証拠に妄想だけで手を出したりしてないじゃないか。

とはさすがにツッコめず、心の中だけでめるとに土下座しておいた。


せっかくの人生初、気になる女の子の連絡先ゲットの瞬間を逃したというのは、気分的な損害が大きい。

優斗は萎える気持ちを何とか抑えつつ、メッセンジャーアプリの画面を確認する。


「土曜おけ」


そして変なヤンキーの夜露死苦(よろしく)スタンプ。

長い長いため息を吐き続けながら優斗はベッドにうつぶせた。


先程、優斗の父親が出してきた養護施設の見学の日時をニトロたちに打診したのだ。

帰ってきた返事、「土曜おけ」はこの場合土曜は大丈夫だ、の意味だろう。

体を起こし、優斗は父親に教えられた細かな日時、施設名、移動手段、持ち物などを打ち込んでいく。

しばらく待つと、ピロンと返事が来た。


「おけ」


今度は阿離我妬(ありがと)スタンプ。

優斗は黙ってベッドに撃沈した。

そして心の中でめるとに文章を綴り、送信する。


「拝啓、めると様

弟さんのセンスにボクのハートは無駄に震えさせられています。

やっぱりあなたとのやり取りでワクワクドキドキしたかった人生でした…。 敬具」







ニトロたちの母親にもこのことは一報入れておいてほしい、とも優斗は打診したのだが、「既読もつかん」の一言が返ってきてしまった。

母親は相変わらずのようだ。それならこちらはこちらで好きにやらせてもらうだけだ。

優斗はベッドに仰向けに転がりなおし、行くことが決まった養護施設のホームページを検索する。


あの日、交番に行って全てを懺悔してから、吹っ切れたのか二人はとても積極的に動こうとしてくれていた。

優斗の父の休日に合わせて予定を組み、車を出してもらっていくつか施設巡りも始めていた。

二人の年齢を聞いただけで門前払いだったところ、二人の身だしなみだけで大丈夫だと判断して話も聞いてくれなかったところ、様々だった。

良くない手応えがあるたびに二人は顔色を曇らせたが、優斗の父は運転席でこんなことを言って二人を励ました。


「拾う神はわりといてくれるものだよ。

大事なのは、それに巡り合うまであきらめないことだ。

希望を持ち続けて行動するのは意外にしんどい。

でも君たちは一人じゃない、二人だ。

二人なら、必ず求める幸福に近づくことができる。

自分が信じられないときは、相手を信じるんだ」


児童養護施設は調査判定を受けて児童相談所での会議で決まるものらしい。必ず全て望み通りとはいかない。

でも今、めるととニトロにはそんな現実の話はいらない。二人が前を向けるよう、力添えをしてあげなければならない。

誰よりも不安で、何よりも怖いのは当事者である二人なのだから。

車の後部座席、固く手を繋いで座る二人の姿を、助手席からバックミラー越しに確認した優斗は願った。

二人が笑い合える、素敵な居場所が見つかることを。










「ま~~~、センセ、こないだは素敵なかわいい猫ちゃん、ありがとうございましたぁ~~!!」

「いえ、こちらこそ急な施設見学の日程を組んでいただき、誠にありがとうございます。

保護猫の譲渡の件もありがとうございました。ぜひかわいがってあげてください。

あと、私は先生ではありませんので、どうか洞井(うろい)とお呼びください」

「あらあらセンセ、いいのよぉ~照れなくても!!

そうそう!猫ちゃん、真っ白な毛並みだったから名前はユキヒョウの「ユキ」ちゃんにしたわぁ~!!」



猫に豹とはこれいかに。呼び名はユキちゃんのようだからまぁいいのだろうか。

いかにも井戸端会議が好きそうな、よく言えば人好きそうな感じのおばちゃんが、土曜の朝に洞井藍無(うろいあいな)ご一行を出迎えてくれた。

あまり規模の大きくないこじんまりした施設で、設備もやや古そうではあったが、立地条件はいい方だったのを優斗は思い出す。

藍無姉弟の方を見ると、めるとはきょろきょろと施設や玄関に出てきた子供たちを興味深げに見ていたが、ニトロがまずい。

おばちゃんの第一印象が悪かったのだろう、睨むような目つきで洞井父と彼女のやり取りを見ている。

どうしたものか、と優斗がため息をつくと、話が終わったおばちゃんがやおらニトロの方へ歩き、彼の肩をがっしり掴んだ。


「なっ…なんだよ」

「うん、いいねぇ!細身だけどしっかりした体してる!!いい子じゃない~~」

「…触っただけで何がいい子なんだよ」

「うん、受け答えもしっかりしてるし、お姉さんがしっかり面倒見てくれたのかしらね?

いいじゃないいいじゃない!!」

「…なんなんだよ、うぜぇなオバハン…」

「あら!世間知らずね、世のオバハンはみんなウザいものよ!」

「………………」

「身綺麗にしてるし、痩せすぎてもいない。ちゃんと「生活」を意識して活動してるのね。

服も洗濯されてるし、髪を染める精神的余裕も持ててるのはいいことだわ」

「…これは、…その…万引きで…」

「ちゃんと警察に行ったって聞いたわ。えらいえらい!」

「………そんだけちゃんとできてんなら、保護の必要はないとか言わねぇのかよ」

「あんたね~~、保護の必要なかったらこんなとこわざわざ見学に来ないわよ!!

ここまで来るのにかなり悩んだでしょ?悩むってことは、困ってることは大いにあるってことよ。

私たちは、そんな子たちの味方でいたいの」

「………………」

「見たところ、18歳まであと少しかしら?

法律では年齢制限は撤廃されたとはいえ、まだまだ18歳までの風潮は強いの。

だからあなたたちをお世話できるのも、短い間になってしまうかもしれない。

それでもあなたたちは、「今」を変えたくてここに来たんでしょう?」

「…………ん…」

「いいわね!あなたたちが来てくれたらうちのいい戦力になるわぁ~!!!

掃除洗濯料理に買い物、ちびっこのお世話から施設のDIYまで!!やることは山盛りで暇なんてなくなるわよ!!」

「…保護じゃねーじゃん、それでいいのかよ」

「大事な部分は保護するわよ、法律上のこととか、お役人事とか、書類上のこととかはね。

でも他はもう手が回んなくって!!悪いけど働いてもらうわよ~~?

助け合い大事!!ぜひうちに来てちょーだいっ!!!

って言ってもあんたたち自身が行く施設を決められるわけじゃないけどさ!」


おばちゃんは終始ニカッと笑いながら、豪快にニトロの胡乱げな気配を吹っ飛ばした。

呆気に取られて力の抜けたニトロを見て、めるとがくすりと笑う。

それを見て優斗は確信した。ここに決まったら、二人にはきっと笑顔が増える。

微笑むめるとと目線が合う。優斗も微笑んで頷き返した。

ニトロの方を見やる。優斗が見ていることに気付くと、ニトロは気まずそうに視線を逸らしながらボリボリ首筋をかいていた。

悪くない反応だ、短い付き合いだが、ニトロのことはだんだんわかるようになってきた優斗だった。

最後に父親に視線を向け笑んで見せると、父も大きく頷いて微笑み返してくれた。

あとは家庭訪問と相談所会議、申請や手続きなどいろいろあるし、必ずここに決まるわけではない。

でもまずは良い方向への希望が持てた気がしたことが大きい。信じて踏み出さなければ。



誰もが幸せへの強い願いを思い描いたとき、それは鳴った。


ピロン。



めるとがスマホを確認して青ざめる。優斗は悪い胸騒ぎがした。

ニトロが何事かとめるとのスマホを覗き込む。途端顔をしかめて舌打ちした。

洞井親子は二人の発言を待った。やがてニトロが口を開く。


「…母親だ。

「どこ」って一言だけ…」



藍無姉弟の母親、「藍無 杏香(あいな きょうか)」との短い戦いの幕が、このときゆっくりと上がったのだった。
















「…誰?」


指定されたファミレスに着くと、そこには藍無姉弟の母親、杏香と隣に見知らぬ男が当然のように座っていた。

首を傾げて疑問を浮かべた優斗に、めんどくさそうにニトロが答える。


「あいつの男だろ。前のとまた変わってるけど」

「…再婚相手、とかじゃなくて…?」

「やめろよ、あんなチャラそうなのが新しいオトーサンかよ、ゲロキモ」

「…何でいるんだろ」

「だから、あいつの男だからだろ」

「…そういうもんか」

「あっちからしたらお前らの方が「誰?」だと思うぜ。まぁお互い様ってこった」

「…そういうもんか?」

「うるせーな、納得しろよ、話進まねぇ」

「はい…」



ついに藍無家の母親が捉まった。

優斗の父である(とおる)はできる限り方々に連絡したが、当日に突然都合がつく人間は誰もいなかった。

結局藍無家近所のファミレスで、徹、優斗、めると、ニトロ、杏香、杏香の男というメンツで対峙することが決まった。

円形テーブルを囲むようにソファがついている大きな角席に着いていた彼らのもとへ行くと、めると、ニトロは何も言わず席に着いた。

杏香と思しき女性はスマホをいじっていて、一切顔を上げない。男はくちゃくちゃとガムを噛みながら洞井親子を見上げていた。

徹は一つ咳払いをすると、気の重い空気の中口を開いた。


「…初めまして。私、洞井 徹(うろい とおる)と申します。息子の優斗はめるとさんとクラスメイトで…」

「あー、名前だけわかればいいから、まあ座れば?」


男がめんどくさそうに徹の話を切る。徹はぴくりと眉を上げたが、何も言わず席に着いた。優斗もそれに倣う。

一時の沈黙が流れる。杏香は相変わらずスマホから顔を上げない。男が暇そうにあくびをした。


「ねー、杏ちゃん、なんかあるっつうから俺もついてきたんじゃん?

いい加減話したら?ヒマじゃん」

「…もういい、俺から話す」


しびれを切らし、苛ついたニトロが杏香を睨み上げながら話し始めた。


「結論から言う。ババア、俺たちはお前と決別する。

これまで散々世話も放棄し放題の子供のことなんかどうでもいいよな?

じゃあ最後までどうでもいい態度を貫いてくれ。俺たちを児童養護施設に入らせろ」

「はぁ?お前らもうデカいじゃん、養護とか笑えるわ~~」


男がニトロの話に割って入った。ニトロが舌打ちして睨む先を男に変える。


「デカいからバイトしたら殴られて金を巻き上げられたからだ!

とにかくこいつに養育権を手放させなきゃ、俺たちはやっていけねぇんだよ!!」

「つったってホラ、家賃はおかーさん、ちゃんと払ってるでしょーよ。ボロアパートだけど。

それだけじゃねぇ、学校の金だって出してるみてぇだし、お前ら何が文句あんのよ?」

「それだけじゃ暮らしていけねぇことくらいサルでもわかるわ!!

渡される生活費は最低限より少ねぇ、それは何度も何度もババアに伝えた!

俺とめるとはとにかく何もかも切り詰めて、二人で工夫してここまで苦しんでやってきたんだ!!

ちっちぇガキの頃は何もできなくて、臭いガリガリのガキ時代を過ごしてきた。いじめられもした!

大きくなるにつれて少しずつ家事も覚えて、特にめるとが自分を犠牲にして俺の世話をよくしてくれたんだ!

電気や水道、スマホ代も止められないように金はそっちに回して、満足に食えない日も何日も続いた。

そこで俺らが食いつなぐ方法として選んだのが万引きだ!!

最初にやったのは俺だったが、うまくいかなくて結局めるとを巻き込んでやるようになっちまった!

それだけでも死にたいほど恥ずかしかったよ!!

このまま行ったら、俺らに…とくにめるとに将来の望みがねぇ!!女の子なんだぞ!?

そういうこと、何にも考えねぇならいらねーだろ?!縁切らせろよババア!!」


だんっ、とニトロが拳をテーブルに振り下ろす。店内が一瞬で静まり返った。

洞井親子に口を挟む隙はなかった。今までの不満を爆発させたニトロの迫力は凄まじかった。

その空気も読めなかったのか、男は吹き出すように笑うと、へらへらした態度で話し始める。


「女の子の将来って…別にだいじょーぶじゃん。

このお年頃だしよ、学校卒業したら体で稼げるじゃんか~。

まあ顔と雰囲気はいまいちだけど、ソッチ系好みの連中にはスゲー受けるぜきっと。

体だけはイ~イ感じだからな~、母親似かぁ?」

「っ…てめぇっ!!」

「それにニトロだったか?お前もよ~、もう少しで成人って年じゃん。

そんな年頃のやつらを今手放すと思うか~?稼ぎ時じゃーん。

このまま飼い殺して金だけ搾取すりゃ、俺らの生活も安泰だしよ~…」


男の言葉がそこで途切れた。女の腕が男の胸倉を掴み上げたからだ。

腕の主は杏香だった。掴み上げた腕を引き寄せ、男の顔を間近で殺意を込めて睨んでいた。


「………わかった、悪かった……」


よほど恐ろしかったのか、男のふざけた雰囲気も消え失せ、真面目な声音で杏香に返答していた。

杏香は返事を聞くとぱっと手を放し、またスマホいじりに戻ってしまった。

どうにも読めない、優斗は杏香に違和感を覚えていた。

さっきの男の発言に対しての怒り、あれはなぜなんだろう。

今まで見聞きした杏香のイメージ通りなら、自分とスマホの世界にしか興味はなさそうだし、そこもスルーで終わるものと思っていた。

ニトロの発言によると、家賃は払っているようだし、学校の費用も納めているようだ。

なのに生活費は払わない。なんだかやっていることがちぐはぐな気がする。

一体何がしたくてこうしているんだろう、優斗は首を傾げた。


「………………多分、私たちを…あなたなりに愛して…いるから……」


優斗の横にいためるとが、ぽつりと語った内容に耳を疑った。

杏香のスマホをいじる手が止まる。顔は上げないが、耳がめるとに向いていた。

他の面々も不思議なことを言い始めためるとに注目する。

めるとは顔をうつむけ、誰とも視線を合わせないまま、ぽつぽつと話しだした。


「………おかあさん、あなたは多分…、愛し方を、知らない……。

でも家族が欲しくて…繋ぎ留めておく方法を考えた末がこれなんじゃないかなって…。

住居と学費はしっかりしてれば、行政がとやかくはあんまり言えないから…。

でもお金が子供たちの手元にあると、あなたから離れてしまうかもしれない。

愛し方も接し方も知らないあなたは逃げ回ってるけど、その最後の絆だけは切りたくなくて…。

ギリギリの生活を強いたのも、あなたを忘れさせないため。憎しみで繋がりを保とうとした。

それがあなたの…愛し方だった…と私は思ってる……。

……でもね、私たちはもう私たちの人生を歩みたい。

あなたなりの歪んだ愛情は、今の私たちの障害でしかない。だから…。

だから、私とニトロは、あなたを忘れます。…ご了承ください」


場に静寂が訪れる。

杏香は顔を上げないが、手は止まっているし確実に話を聞いている。

何もしゃべらない人だが、静止したその姿が如実に答えを語っているように優斗は感じた。


杏香は突然立ち上がり、隣の男を突き飛ばして退かし、誰とも視線を合わせないままファミレスから出ていこうとした。


「お待ちください」


それを徹が立ち上がって制止する。杏香の動きが止まった。


「後日児童相談所から児童福祉司の家庭訪問があります。

あなたがいらっしゃらないならそれはそれで構いませんので、こちらの委任状にサインをお願いします。

それとこちらの書類にもサインと判子…なければ拇印でかまいません。朱肉は準備してあります」


徹がてきぱきと書類をテーブルに並べ始めた。

突き飛ばされて尻もちをついていた男が徹の態度に食って掛かったが、杏香はため息を一つ吐くとおとなしく席に座り直した。

何も言わず、誰とも視線を合わせず、書類を読みもしないでただサインと拇印だけをしていく。

全てが終わると、ぽかんと杏香の姿を見ていた男を置いて、さっさとファミレスを後にした。男も慌ててそれについて行く。


「…ごめんちょっとトイレ!」


優斗は立ち上がると、誰の返事も聞かずにトイレとは真逆の出入り口を、杏香たちのあとを追いかけた。

駐車場を突っ切って、ヒールとは思えない速さで歩いていく杏香とついて行く男に声をかける。


「すみません!!」


杏香が止まった。振り返りはしない。男はきょろきょろと杏香と優斗を見ている。


「…お呼び止めしてすみません。でもどうしても言いたくて。

つまらない話かもしれないし、俺が言っていい台詞かもわからないけど、愛に踏み込むって勇気がいります。

でも、踏み込んで得られた愛があれば、逃げないで済むくらい…強くなれる気がするんです。

俺は…これからめるとさんに踏み込んでいくと思います。だから、どうしても言いたかった。

めるとさんと…ニトロも、二人を産んでくれて…ありがとうございます」


優斗は杏香に向かって、深々と頭を下げた。

男は口を開けてぽかーんと優斗を見ていた。あまりに青臭い台詞を聞いて思考が飛んだのだろう。優斗の顔に赤みがさす。

杏香は振り返らなかったが、フフ…とため息のような笑い声を漏らした。

そしてはっきりした美しい声で、一言だけ呟いた。


「…よろしく…」


それが優斗が聞いた藍無 杏香の、最初で最後の言葉だった。






杏香と男が去っていくのを見送ってから、優斗はファミレスに戻った。

席ではニトロがメニューを開きながら興奮していた。めるとも横からメニューを覗き込んで、頬を紅潮させている。

徹はその様子を、書類を鞄にしまいながら微笑んで見つめていた。


「…どうしたの?」

「ああ、優斗おかえり。駐車場の件ここから丸見えだったぞ。何も聞こえはしなかったけどな」


徹の発言に、胸にロンギヌスの槍が突き刺さったかと思うくらい衝撃を受け動揺したが、めるととニトロはそれどころではなさそうだったので、とりあえずホッとする。

余計なことは絶対に言うな、と視線だけで徹に釘を刺し、優斗も席に座り直した。徹の笑んだ顔がムカつく。


「…で、二人はどうしたの」

「どうもこうもねーよ!!お前のとーちゃんが好きなもん頼んでいいって!!

俺ここで飯食うの夢だったんだよ~!ガキの頃から知ってんのに、一回も来れなかったから!!」

「………私も……うれしい……、…ご、ごちそうになります……」

「そっか、何にするか決まった?」

「それなんだよ!!何もかもうまそうで何も決まらねぇ!!!

なあ、おすすめとかないか?!」

「うーん…デミグラスソースのハンバーグはうまい…と思う…。

同じデミソのオムライスもいいと思うし、ここのパフェはどれもデカくてうまい」

『ぱ~~~~~ふぇ~~~~~~~~!!!!!!!』


姉弟二人同時に声を出して、目を輝かせた。優斗もおかしくなって、声を出して笑ってしまった。

きっと暗く沈んだ雰囲気になった二人を元気づけるため、徹がご飯を提案したのだろう。

パフェの種類を選ぶ二人を横目に、徹にGJサインをこっそり送る優斗だった。



挿絵(By みてみん)





















「……なんか感じんな…。………あの男か…?」


先程まで至福の表情で満腹の腹をさすり、幸せそうにしていたニトロが、レストランを出た途端怪訝な顔で立ち止まった。

同じく至福の顔をしていためるとがそれを聞いて首を傾げる。


「…いつもの?」

「ああ。…見つけた、あんまあっち見んな。

ババアは…一人で歩いて帰ったか。ってことは確定だな」


声を潜めて姉弟二人でひそひそ交わし合う言葉は、優斗には何が何だかさっぱりだった。もちろん徹もである。


「…詳しくは車で。行こうぜ」


険しい顔のニトロに促され、四人は洞井家の車まで歩き、乗り込んだ。

話を聞こうと運転席の徹が口を開こうとすると、それを制してニトロが指示を出し始めた。


「なるべくみんな普段通りで。真っ直ぐ帰るみたいな雰囲気でいてほしい。

おじさん、とりあえず俺たちの家に送るのはやめて、繁華街に向かってくれないかな。唐重町(からしげちょう)の。

何があるのかは向かいながら話すよ。ここに留まってると向こうに怪しまれるから」

「わかった、唐重駅前ロータリーを一旦目指すよ。それでいいかな?」

「ああ、頼…お願いします」


徹はカーナビを起動すると、車を走らせ始めた。


「優斗、ドライブレコーダー、ちゃんと回ってるか?」

「あ、…うん、大丈夫、撮れてる…と思う」

「万が一のために証拠は大事だからな」

「大丈夫だ、ここにめるとがいる限り、向こうが危険なマネをしてくることはないと思う」


洞井親子の会話にニトロが口を挟む。

内容について聞き返そうとした優斗だったが、バックミラーに映るめるとの無表情さに気付いて口を閉ざした。ニトロが話を続ける。


「みんな後ろは見るなよ。前向いて普通にしててくれ。…多分ついてきてるあの赤い車だな。

…えーと、何から話したらいいかな…。

とりあえずついてきてる敵の正体だけど、さっきのババアが連れてきた男だと思う。

優斗、あんたには前に話しただろ?めるとは変態の虫に好かれやすいって」

「…さっきの男に、藍無さんが好かれた…?」

「好かれたっつうより…多分体が目当てなんだろうな。

あいつババアには恥じかかされっぱなしだったし、ほとんど蚊帳の外だったし、うっぷんでもたまったんだろ。

だからめるとが一人になるところでも狙って、さらってヤっちまおうって魂胆なんじゃねえかな…。

…今までもいたんだ、そういう変態は。

だから俺は今まで気づいた奴全部、片っ端から潰してかかってる」


それを聞いた優斗の血の気がザッと下がる。

そういえば、ニトロと初めて言葉を交わしたのは校門前での待ち伏せのときだ。

あのときは確か、最近じっとめるとのこと見てるだろとか因縁をつけられた覚えがある。あれはまさか ----


優斗は頭の中だけだったはずの変態妄想が少しでも外に漏れ出ていたのだろうかと危惧した。

そしてニトロの驚異的な察知能力にも恐れおののいた。

だが今はそれにかまけている場合ではない。めるとの目前に迫る危機なのだ。


「…で、今回はどうするつもりなんだ?繁華街に何かあるのか?」

「ああ、あいつを痛い目にあわせる」


優斗の問いにニトロがにやりと笑いながら答える。

それを咎めたのはこの場の唯一の大人である徹だった。


「子供だけで何をやるつもりなんだ。危険なら警察に…」

「無駄なんだよ、あいつは今は何もしてねぇ。

警察に行ってもこっちの被害妄想で片付けられて相手になんかされねぇんだよ。

それで今までどれだけめるとにピンチがあったかわかりゃしねぇ…。

だから俺とめるとは、これまで知恵を絞ったり暴力使ったり、いろいろやって生きてきたんだ。

今回もそれで切り抜ける。おじさんに迷惑はかけねぇよ」

「迷惑がどうこうの話をしているんじゃない、心配なんだ…」

「…じゃあ、俺もついて行く」


徹とニトロの会話に優斗が声を上げた。徹がため息を吐く。


「…心配が二倍三倍に増えるだけだ」

「父さん、危険があれば俺から連絡を入れるから。信じてくれ」

「俺が出て行って話をつけた方が…」

「多分殴られて終わりだよ、それ」

「かもなぁ…」

「ニトロ、俺も連れて行ってくれるか?力になれるかどうかわからないけど」


徹は折れたものとして優斗は話を進めた。


「…わかった、でも基本何もしないでくれよ。

おじさん、駅のロータリーで三人降ろしてくれ。その後は留まらないで車を発進させてほしい。あくまで帰ったってふうに」

「近くで止められる場所を探して待機していてもいいかい?」

「わかった、でも車から降りないで、あんま目立たないようにしてくれよな」

「了解だ。…そろそろ唐重駅に着くぞ」


ウインカーを出して道を左折する。その際優斗はついてきている車をちらりと見ることができた。

確かに赤い車がついてきている。ニトロは何をする気なのか…いざとなれば自分がめるとを守ろう。

優斗は意を決し、ロータリーで二人とともに車を降りた。







唐重町の繁華街を遊び目的でぶらついている風を装って、三人は歩き始めた。

しばらくしてニトロが声を上げる。


「来たぜ」


こいつのセンサーどうなってんだろう…と思わずにいられない優斗だったが、今は必要不可欠なので飲み込んでおいた。

後ろを振り返るわけにはいかないが、おそらくファミレスで会った男がつけてきているのだろう。

土曜の繁華街というだけあって、それなりの人数が行き来している。人の波を間に挟み、男は距離を保っているようだった。


「よし、役者も舞台も整ったな。んじゃ離れるぞ」


ニトロが優斗の腕を掴み、めるとに手を振ってその場を離れようとする。優斗は慌てて抵抗した。


「なっ、何考えてんだよ、藍無さん一人になっちまうじゃ…」

「いーから来いって、ほら怪しまれるぞ」

「洞井くん……大丈夫だから、行って…」


めるとにも促されてしまい、何が何だかわからないまま優斗はニトロと路地裏に入った。

建物の影から二人で様子をうかがう。めるとは一人ゆっくりと歩き出していた。

しばらくすると、見知った男がめるとの跡を真っ直ぐにつけていくのが見えた。優斗はうろたえた。


「どうすんだよ、あの男藍無さんをつけてったぞ…?!このままじゃ危険なんじゃ…」

「俺らがいた方が危険なんだよ。ま、後ろからゆっくり見物しようぜ」


ニトロの謎の余裕に疑問符だらけの優斗だったが、おとなしくめるとを見守りつつニトロについて路地裏を出ることにする。

男はめるとが一人になった途端、好機だと思ったのかずんずん間を詰めていっていた。

ハラハラしながら見守る優斗の前で、男がめるとに手を伸ばす。行き交う人々の一人が男の前を通り過ぎた。

男の動きが止まる。もう少しで触れられるはずだっためるとが消えたからだ。

優斗も目を疑った。正確には行き交う人々の動きに合わせてめるとが移動したのだろうが、傍から見ると消えたようにしか感じられなかった。

男が辺りを見回す。ニトロに引っ張られ、再び路地裏に隠れながら優斗は様子をうかがった。

男はまだ探している。優斗も辺りを探すが、めるとの姿は見つからない。気配を消せるとは前から思っていたが、まさかこんなにきれいに消えることができるとは。

だが男を撒いただけでは解決にはならない。めるとたちの自宅に突撃されかねないからだ。

これからどうするつもりだろう、優斗が考えていると視界の端の方に黒髪少女の後ろ姿が見えた。

男もそれに気づき、今度は荒い足取りでめるとに近づく。また触れる直前で人混みの中にその姿が消えた。

男が探す、めるとの姿が遠くに見つかる、男が近づく、めるとが消える、男が探す。それを四回ほど繰り返したあたりでニトロは物陰に隠れるのをやめた。


「こっち来いよ、もうあいつに見つかる心配ねぇぜ」

「…なあ、藍無さんのあの動き…」

「…めるとは昔からおとなしい子だったんだ。おとなしすぎて存在が消えたかと思うくらい。

とにかく気配を殺し、息をひそめて「いなくなる」のがうまかった。

それは自然とどうすれば目立つのか、どうすれば目立たないのかを理解して極めるほどにまでなったんだ。

俺たちはこれを利用して万引きを成功させていたんだ…。

今あの男相手にやってんのもその応用。目立つと目立たないを繰り返して、男の気を引き誘導してるのさ…」

「…誘導?どこに…」

「それは行ってのお楽しみだ、行くぞ」


言い終わると同時に、ニトロはスマホで極々短い電話をかけた。

優斗がニトロに首を傾げて見せると、唇に人差し指を立てながらニヤッと笑い返してきた。

後にわかる、の合図と受け取った優斗は、まだまだいたちごっこを続けているめるとと男の跡を、ニトロと共に堂々と追っていった。






そこはメインの商店街をすでに抜けて、人通りもまばらになった雰囲気の怪しい裏路地だった。

めるとを追っている男も一人でここに踏み込んだなら、周りの異様さに気付けたかもしれない。

しかし今は、触れようとすれば消える不思議な少女に惑わされて、周りの様子など目に入らないようだ。

躍起になってめるとを追っている。すでに二人のすぐ後ろを歩いていたニトロと優斗にもそれが手に取るようにわかった。

往来の人々が少なくなったのに、めるとは相変わらず男の前からきれいに消える。

男が苛立ちもあらわな様子で辺りを探す。一つの雑居ビルの地下入り口を降りていくめるとの姿が優斗にも見えた。

男は一直線にビルに近づき、駆け足で地下へ降りていく。

それきりだった。


「………………?」

「終わったよ」


ビルの入り口に目を凝らす優斗の後ろから、突然めるとの声がした。


「うわっ!!!」

「おう、おつかれ」


何でもないことのようにニトロがめるとをねぎらった。

めるとも特に普段と変わらない表情で、ニトロとハイタッチをしていた。

一人置いてけぼりの優斗は恐る恐る口を開く。


「……いろいろご説明いただけません?」

「ヤツは裏オプションありの隠れゲイバーに沈んだ」

「…………お悔やみ申し上げたいけどその前に詳しく」


ニトロの衝撃発言にめるとが補足を加える。


「……知っているお店、なの…。

あ、でもお客さんとして知ってるわけじゃないから、安心してね…」

「俺が事前に電話で「プランE」を指定してるから、あの男ただじゃ帰ってこれねぇぜ。

「プランE」はあえて逃げる客を捕まえて、許しを乞うても聞き入れずにメッタメタに虐めぬくドM専門コースだからな。

体改造されて帰ってくるぞ、あいつ」

「ニトロ………言い方……」

「あん?ホントのことだろ?いつもそうだし」

「……洞井くん、いつもっていうのは……こういう、私が付け回されるときだけね……。

いつも誰かを地獄に落としてるわけじゃないから…」


めるとが困り眉でごまかし笑いをするが、青ざめた優斗の顔は元に戻らない。

確かにこれは効果は抜群で、二度と姉弟を襲おうだなんて思わないだろうけど、同じ男としては想像するだけで鳥肌が立つ。

なおもごまかし笑いを続けるめるとの顔を、ニトロが不思議そうにじっと覗き込む。


「…………なに?」

「珍しいなめると、他人に取り繕おうとするなんて。

いつも俺以外の人間になんかどう思われても何ともないって顔してるのに」

「えっ………、それは……その……お、お世話に……なった……」


ニトロに問われためるとがしどろもどろに視線をさまよわす。

さまよった先に優斗を見つけ、視線で助け舟を出すよう要請された。


「…な、なあ、その…「プランE」って、お店のコースなんだよな?

…お高かったりしないの…?大丈夫?」

「あ?大丈夫大丈夫。店のやつらも楽しむわけだしな。

料金請求されたことなんて一回もねーよ。ま、ガキの頃からの馴染みだしな」

「…ガキの頃からそんなお店出入りしてたのかよ…お前」

「あん?別に好きで行ったわけじゃねーけど、結構いい奴らなんだぜ。

いろんなとこ撫でくりまわしてくるけど、ガキの頃から知ってるからかな、手出されたことねーし。

世間からすりゃ日陰者だから苦労してるやつが多いし、話してていろいろ楽しいしよ。

困ったときは助けてくれるし、初めてのバイトもめるとと一緒にあそこでしたんだ。

金はババアに巻き上げられたけど、いい経験ができた。

ただなんか…「あんまり俺らと深く馴染むな。日陰が移るぞ」って言われて、すぐ世間に戻そうとすんだよ。

…俺らの未来を心配してくれてんだな、いい奴らだろ。そうだ、今度お前も連れてって紹介してやるよ」

「気持ちだけもらっとくわ…。ていうか、どんなきっかけがあったらそんな店の人と知り合いになれるんだよ…」

「さ~な~、もう昔のことだし誰に連れて行ってもらったんだっけなぁ…。

ん~~と…………………………あ」


それまで機嫌良さそうにしたり顔で話していたニトロの動きが止まる。

驚いた表情で固まるニトロに、めるとが寂しそうに微笑みながら答えた。


「………………おかあさん、だね………」

「……………………」


ニトロは何も言わず、くしゃりと顔を歪ませた。

二人の胸に何が去来したかはわからない。あの母親の行動の意味も、優斗の想像でしかない。

それでもそれが彼女の精一杯の愛ゆえのことなのだと、この姉弟のために優斗は思いたかった。









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