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窓のない部屋が割れる日



優斗(ゆうと)の左頬は、翌日になると人の拳に殴られた跡がくっきり浮き出た青っぽい色合いになっていた。

家族は皆渋い顔をして優斗を見ていたが、「転んだと言い張らせてほしい」という優斗の意思を尊重し、何も言わずにいてくれた。

ただこのままでは学校にいけない。母親に化粧品でも借りようかと洗面所で悩んでいたとき、それを見ていた母親にちょいちょいと手招きされた。

母親の手には大きなガーゼと、固定テープ。「ベッドから落ちたことにしなさい」というお言葉つき。優斗はそれに素直に従うことにした。

心配そうに見守ってくれる妹の頭を撫でて、優斗は家族に感謝しつつ学校へ向かった。

今日こそめるとと話をするために。



結果から言うと避けられました。

教室で声をかけようとするとパッと逃げられてしまい、ズドンと沈んだ気持ちになった優斗は、どんより重い足取りで席に着いた。

ヤケクソな気持ちで机の用具入れに乱雑に教科書を押し込むと、微かにクシャッという音が聞こえた。

何だろう、と思い教科書を避けてみると、折りたたまれていたであろう一枚の紙が潰れたものが出てきた。


「放課後に外の使われてない方の体育倉庫で。鍵は開けておきます めると」


きれいな字だった。思わずサッと手紙を隠し、めるとの方を見る。

めるとはいつもと変わらず、少しうつむきがちで誰とも話さず、ただじっとしている普通の陰キャをしていた。

そんな彼女から人目につかないところへの秘密のお誘い。

ぶんぶんと優斗は頭を振った。なぜいつもソッチ側の思考が自動的に働こうとするのか。

優斗は下半身の脳が暴れ始める前に「おとなしくしとけよ!」と静かに喝を入れ、学生の本分である勉強に励んだ。



結果から言うと励めませんでした。

もう放課後が気になって気になって、授業はおろそかになるし、弁当を持ってくるのを忘れたことに昼になって気づくしで。

浮足立った優斗は一日中呆けたような状態だった。だがそれも授業が終わるまで。

ホームルームが終わり、放課後に皆が騒がしくなると、優斗は脱兎の勢いで教室から飛び出していった。

そして人目に付きにくいルートを辿って外の体育倉庫に辿り着き、約束通り鍵の開いていた扉を開けて中に入り、そして閉めてからしゃがみ込んで絶望した。


体育倉庫は暗く、明り取りのために天井近くに設けられた窓から日の光が差し込む作りになっていた。

ここでこれから気になってる子と密会。

床に直接置かれた埃をかぶった棒高跳び用の分厚いマットが、ソレを彷彿とさせる気がして直視できなかった。

なんならそこに転がる「棒」すら妄想のタネになってしまって、もう体育用具全部が優斗の下半身の脳の中でイケナイ道具になり果ててしまっていた。

跳び箱がなくてよかった。あれがあったらあの場面----めるとが飛び損ねて跳び箱に跨った形になったときのことを思い出してしまうところだった。

あの時の恥ずかしくて泣きそうなめるとの顔、ついた手、足の開き具合、一瞬しか見なかったけど全部が全部…そこまで思い出してしまってまた優斗は絶望した。

こんな状態で、ここでこれから気になってる子と密会。

死なせてくれ、でもできれば密会が終わってから死なせてくれ。すでに優斗の心の中はピンクの妄想と理性のせめぎあいでぐちゃぐちゃになっていた。


そんなとき、ゴン、と背中に硬い感触。鉄の扉が当たった感触だった。

優斗の精神が一気に冷水を浴びたかのように目覚めていく。背筋が凍る思いがした。

ギギ…と錆びついたかのような動きで首を回し、扉を開けた人物を確認する。


「…?…中、入れてよ…」


わかっている。

入り口に優斗がしゃがみ込んでいるのだから、扉が引っかかって「体育倉庫」の中にめるとが入れないのだ。

わかってる、わかってるけどタイムリー過ぎた。優斗の下半身の脳がお喜びになりやがっていらっしゃる。

優斗は顔が赤くなる前に素早くめるとから視線を外し、必死にうつむいた。下半身のある部分を押さえながら。

背中にゴン、ゴンと連続で扉が当てられる。めるとがしびれを切らしているのだ。


「…?ねえ、入れてってば」


これ以上しゃべらないでくださりやがりませーーーーーー!!!!!

男子高校生の思春期エロティック妄想に直接打撃を加える言葉をさらに聞けて、優斗はもう肉体の融解点を突破しかけていた。

くっ、殺せ…!ここで死ねれば本望だ!もはや当初の目的を忘れまくっている優斗の脳は、下半身と頭の両方が歓喜に震えていた。


「………どうしよう、ニトロ呼ぼうかな……」

「…すいまっせん!!!今すぐ!今すぐ退きますのでどうかそれだけはご勘弁をっ!!!」

「……あんまり大きい声、出さないで…」

「すっ、すいません………」


何とか鎮めようと、優斗は深呼吸を数回繰り返す。ダメだ、そんなんじゃ収まらない。


「………すいません、僕に三分だけ時間をくれませんか…?」

「…?…いいけど、私も中に入るからね。いつまでもここにいたら誰かに見つかっちゃう」


それもごもっともな意見だった。

仕方なく優斗はしゃがんだまま数歩体育倉庫の奥へ進み、めるとが中に入れるだけの扉の隙間を作る。

めるとは中に入ると、ふぅと一息ついてから優斗の方を振り向く。優斗はしゃがんだまま方向を変えていて、めるとに背を向けていた。


「…体調悪いの?」

「いえっ!!三分、三分だけどうか僕に時間を…!!」

「それはいいけど…調子が悪いとか…私のことが嫌になったとかではないの…?」


優斗は必死で首を左右に振り続ける。心配までしてくれるめるとに、申し訳なさで死にそうだった。

だがそれが効いたようで、一気に体が鎮まっていく。三分はもらわなくても大丈夫そうだ。

優斗は何とか平静を取り戻して立ち上がり、顔の赤さは体育倉庫の暗さでごまかすことにして、めるとの方へ向き直った。


「………ごめん、その、時間をくれてありがとう…遅くなりました……」

「…うん、…大丈夫なら、いいよ…。無理しないでね…?」

「うん、大丈夫…俺が大バカなだけだから…」

「…?」


めるとにはちょうど日の光が差し、顔がはっきり見えている。眉をハの字にして、どこか不安そうだ。

そうだ、まずは安心させないと。優斗はようやく自分の役割を思い出した。


「じゃああの…まずは」

「ごめんなさいっ!」


優斗が話し始めようとすると、それに被せてめるとが勢いよく頭を下げてきた。なぜか謝罪している。


「…藍無(あいな)さん…?」

「…あ、あの…、今朝…話しかけてくれたのに…無視しちゃって…ごめんなさい。

…そ、それと!ニトロが……ニトロが、あなたのこと殴ったって……。

なのに喧嘩で庇って、助けてくれたって…… 私、わたし…」

「ああ、大したことないよ、怪我もこれだけだし」

「…今朝から気になってた…それ…あの子が……」

「誰かさんからははさみを向けられましたよ」

「…!ご、ごめんなさい……」

「冗談だよ、むしろついさっきまで俺の方が許されないことしてたかもだし…」

「…?」

「あっ…、き、気にしないで…!

と、とにかく!怪我は大丈夫だから、ベッドから落ちたってことでみんな納得したみたいだし!」

「…本当にごめんなさい」

「いや、いいんだ!俺の方こそごめんだから…だから…えーっと…。

は、話を進めよう!!俺の父さんと母さんが力になってくれそうなんだ…!」


優斗は父親から聞いた話を、なるべくわかりやすくめるとにも説明する。


「…というわけで、とにかく証拠を集められればと思うんだ。

虐待の証拠…なんて、集めて気分のいいものじゃないのはわかってるけど、他の人にもわかってもらうためには必要なんだ。

どうだろう、ニトロと一緒に…できそうかな?」

「………………」

「…藍無さん?」

「…あ、ごめん…なさい…。その…。

…その、信じて…いいのかなって……。

あ、あなたのことを疑ってるんじゃないの!大人を…世間を……法を…信じて、いいのかなって…。

…私が今まで辛さを訴えた大人たちには、みんなに裏切られてきたから…。

親だけじゃない、学校の先生、交番のおまわりさんとか…児童相談所も頼ったことあるの…でも、みんな口だけで帰って行っちゃって…。

そのあとは、状況はもっとひどくなる一方だったし…。今回は…どうなるのかなって、不安で……」

「…そっか、今までもちゃんと動いてきたことはあったんだね…。

そのたびに裏切られたら、そりゃ不安になるよな…」

「ごめんなさい……」

「ううん、それで当然の反応だと思うよ。

…どうしても不安で、飛び込めない気持ち、俺にも少しだけわかるから…」

「…洞井(うろい)くんが…?」

「…俺んちね、母親は継母で、妹とは片親しか血が繋がってないんだ。

ステップファミリーってやつ?父親とは血が繋がってても、なんかその…「父家族」に遠慮しちゃってさ…。

ろくに話もできなかったんだ。ほんと、つい最近まで。

多分自分から壁を作っちゃってたんだ。悪く思われてるのを目の当たりにするのが…傷つくのが怖かったから」

「………………」

「…あっ、ご、ごめん、いきなりこんな次元の違う話されても困るよね!

いいんだ、その、忘れて…ください…」

「……洞井くんは、話せるようになったの?ご家族と…」

「…う、うん」

「…よかった?」

「…うん、よかった。

…こう言ったら大げさかもしれないけど、息をするのが、楽になったよ…」

「…いいな。

…私も…、空を見上げても、泣かない生活が…したい…」

「藍無さん…」

「……私、集めるよ、証拠。

そしてニトロと思いきり笑える世界が欲しい。

…だから、あなたを…あなたを取り巻く皆さんを…頼らせてください」

「もちろん…もちろんだよ!

俺も頼ってもらえるように頑張るから、一緒に頑張ろう!!」


メルトは泣きだす寸前のような赤い顔で、眉もハの字に曲げたまま精一杯の微笑みを浮かべた。

しかも胸の下に片腕を通し、真っ直ぐ伸ばしているもう一方の腕を掴む形で佇んでいる。

それをやると自然に胸が強調される形になることを、おそらく彼女は知らない。

とても魅惑的な立ち姿に、優斗の鎮まりかけた欲望が再び頭をもたげるが、それは形になる前に霧散した。

突如めるとの眉根が寄せられ、キッと何かを睨むような顔つきになったからだ。

後ろめたいことが山盛りだった優斗は思いきり心臓を跳ねさせたが、続く言葉に真剣さを取り戻した。


「…人の力を借りて……助けてもらうのなら、

私には清算しなくちゃならないことが…ある…」








めるとの強い希望で、二人は近場の交番を目指した。

何の事件もなさそうな、のどかな田舎の交番に近づくにつれ、二人の顔はどんどん険しくなっていった。


「…私たちの万引きのこと、告白したい」


それがめるとなりのけじめなのだろう。

犯罪歴にならないか、それが付いた場合保護は受けられるのか、優斗にもいろいろ考えるところはあった。

でもそれでも反対はできなかった。めるとの意思を無視して保護しても、それでは何の意味もない。

肉体が保護できても信頼がなかったら、それはめるとの求める「助け」じゃないからだ。

優斗の思い描くようなめるとの笑顔は、きっと信頼の先にある。優斗はめるとのやることを見守ることにした。


交番勤務の警察官の前に、二人並んで立つ。警察官が胡乱げな眼差しを向ける。

優斗はめるとを見つめ、彼女の言葉を待った。だがめるとは小刻みに震えるばかりで一向に言葉を発しない。

警察官の二人を見つめる目が険しくなる。優斗が助け舟を出そうとしたそのとき、声の主は突如現れた。


「俺です!!万引きの犯人は俺なんです!その子じゃないっ!!」


優斗が驚いて振り向くと、そこには金髪を振り乱して荒く息をつくニトロの姿があった。


「俺なんです!近所のスーパーで時々万引きしてたのは俺なんです!!」

「ちがうっ!実行犯は私!!万引きの主犯は私です!!おまわりさん、捕まえるなら私を!!」


ニトロの登場で口の封印が外れためるとは、ニトロに負けじと大きな声で警察官に迫った。

通りの人間の視線が刺さる。いらぬ誤解を生んでも困る、そう考えた優斗は警察官に進言する。


「ここで騒ぎになるのも…中に入れてもらえませんか?」


警察官は頷くと、交番の扉を開けて興奮した二人と優斗を招き入れた。




「俺がっ…!俺だけが悪いんです、なあおっさん、見た目でわかるだろ?!この子は関係ないんだっ!!」

「はいはいわかりましたよ、落ち着いてキミ。じゃあまず、証拠を見せてもらえるかな?」

「………証拠?」


我先にとがっついて警察官と話していたニトロだったが、そう問われて答えに詰まる。

思わず横にいためるとと目を合わせてしまった。


「キミたちが万引きをした証拠だ。

盗んだ商品なんかはどうしてる?スーパーの人の証言などでもいい」

「商品は…消耗品とか食品がほとんどだから…使って捨てちまってる。

スーパーの人の証言は…聞けばわかる、のか?

俺らは誰が誰かなんて把握してねぇし…」

「あのね、法律国家の犯罪の立証は、証拠が全てだと言っても過言じゃないんだ。

万引きは主に現行犯逮捕。盗んだところを万引きGメンとかに掴まるアレね。

後日逮捕もありうるけど、それはお店から被害届が出て、監視カメラの確たる映像証拠、商品の管理証拠がなくちゃできない。

ついでに言えば、キミたち自首しに来てるだろ?

万引きは軽微な犯罪としてみられがちだから、微罪処分として警察は不問にしちゃうこともあるの。

…つまりまあ、どこからも訴えられてないし、やったっていうなら…そうだね、厳重注意かな」

「そんな…!そんな軽いもんで済んじまうのかよ…!?」

「厳重注意と言っただろう?軽くはないぞ。

これから親御さんも呼び出して、キミたちをしっかりガミガミ叱らせてもらうからな」


親御さん、と警察官が言った途端、めるととニトロの表情が曇り、二人同時にうつむいた。

それを反省の意ととった警察官が、受付から奥の部屋へ行くよう二人を促し始めた。

優斗もついて行こうとしたところ、奥の部屋から出てきていたもう一人の警察官に止められる。


「お前は?」

「あ…、えと…、保護者?違うな…、その、付き添い、です」

「ああ、なら付き添いはここまでで結構。

これからは当事者と保護者の話し合いになるから、ボウズは帰んな」


優斗はめるととニトロを順に見た。

めるとはこくりと頷いて返し、ニトロは不機嫌そうに視線を逸らした。

確かに、このままここにいても自分の出番はなさそうだ。優斗はおとなしく警察官に従い、交番を出た。

そしてそのまま交番を見張れる位置にあるコンビニに入る。二人が出てくるまで何時間でもねばってやるつもりだった。











いい加減足が痛い。

イートインスペースのないコンビニにこんなに苛立ったのは生まれて初めてかもしれない。

あれから何時間経っただろう。もう立ち読みできるものもなくなってしまった。

最近は立ち読み防止シールが貼られている雑誌がほとんどだから、それほどおもしろい読み物があるわけでもない。

それもあってか、やけに時間の進みが遅く感じる。優斗は溜息を吐いた。

店主の視線もそろそろ痛い。仕方なく優斗は缶コーヒーを一本買ってコンビニを後にした。


向かったのは交番、受付に残る警察官が狙いだ。

優斗は缶コーヒーを警察官に差し出しながら探りを入れる。


「…お疲れ様です」

「…賄賂は受け取れんよ、すまんな、ボウズ」


あえなく撃沈。でもめるととニトロのために時間や力を割いてくれていることへの感謝は事実なので、そのまま警察官の前に缶を置く。


「…受け取らんぞ?」

「気持ちですから置いていきます。では…」

「…まあ待て。ったく、わかったよ…。

ボウズ、これから俺は独り言を呟く。独り言だから何か聞かれても返答はしない。わかったな?」


優斗は警察官に頷いて見せた。

警察官は咳ばらいを一つすると、喉の調子を確かめてから顔をしかめて語りだした。


「…やだねぇ、最近の若いハハオヤは。あの二人から聞いた番号にかけたって一向に出やしねぇ。

留守電もショートメッセージも残してるのに、警察だって言ってもかけ直してこねぇんだぜ?呆れるよな。

…まああの二人から聞いた通りなんだろうな。片親だってのに、親は遊び歩きのネグレクトだ。

それで子供が犯罪に走ったとしても、同情の方が大きくなっちまうねぇ…」


やれやれ、と肩をすくめ、警察官は大きなため息を吐いた。

この独り言のおかげで、優斗が知りたかったことは知れた。だが気になることはもう一つ。


「二人はいつ頃解放されますか?」

「コラ、質問はご法度だって言っただろ」

「このまま二人を勾留していても、母親の来る可能性は低いと俺でも思います。

注意が済んだなら、もう解放してあげてもらえないでしょうか」

「それを決めるのは俺でもお前でもないんだけどなぁ…」


警察官が顎髭を撫でながら奥の部屋への扉を見やった。

すると、奥の部屋からもう一人の警察官の声が聞こえてきた。


「いや、少年の言うとおりだ。

保護者が来ないならもういいだろう。二人も十分反省してくれてるし」

「そうかー?まあお前がそういうなら…」


扉も開いてないのに警察官二人の声はどちらもよく響いた。この交番、壁の作りが薄い。

奥の部屋でなにがしかの言葉が交わされた後、扉が開いた。

優斗は出てきためるとたちに向かって声をかけようとしたが、その表情に言葉を失った。

二人とも目元を真っ赤にし、威勢も根暗もなくした泣き出す寸前の子供のような、稚い(いとけない)顔をしていた。

めるともニトロも優斗に気付いたが、気になるものではなかったかのように視線を逸らし、警察官に促されるまま交番を出ていってしまった。


「…ボウズ、許してやりな…。

あの二人、相当いろんなことため込んでたみたいでな…。堰を切ったように話しだして…。

何もかも出し尽くしたらあの表情よ。…今日はゆっくり眠れるといいな…」


優斗が差し入れた缶コーヒーを開けながら、受付に残っていた警察官がしんみりと語る。

警察官に礼を言うと、優斗も交番を出た。

すでに外に二人の姿はなかったが、「真っ直ぐ帰ります」と言っていた、と見送っていた警察官に言われた。

その警察官にも深々と礼をすると、優斗も家路についた。すでに日は暮れ、辺りは闇に覆われていた。

闇が二人に安らかな眠りを与えてくれるといい、優斗は藍無姉弟の安寧を願った。











「そうか…警察に…」


帰りが遅かったせいで心配をかけてしまった家族に出迎えられ、優斗は正直に事の顛末を話した。

父親は顎に手をやり、リビングを速足でうろつく。考え込んでいるようだ。


「…とりあえず、あなたが無事でよかったわ…。

二人も、重荷が降ろせているといいわね…」


母親にそう微笑まれ、優斗は頷き返す。父親の足が止まり、こちらを向いた。


「別件ではあるが、警察に相談したという実績がついたと捉えていいと思う。

なら善は急げだ、このまま保護の相談に我々が乗り出していることも警察に伝えてしまおう。

まずは今日優斗たちが行った交番の警察官から方々に話を通してもらって…。

この間話した民生委員と児童相談所にも連絡を入れたほうがいいな。

おそらく近々藍無家に児童福祉司の家庭訪問があって、調査が行われるだろう。

そのときに証拠が提示できれば少しは有利になるはずだが…。

最終的には児童相談所判断になるだろう。見捨てられないことを祈るしかない…。

そうだ、候補施設の見学も早めよう。母さんがいくつかパンフレットを持ってきてくれたんだ。

こちらが希望する施設に彼らが入るということは原則できないらしいが、何事も下見は大事だし要望を伝えても損はない。

よし、優斗、お前は今できる限りの証拠集めと、二人に施設見学の件を伝えてくれ。

みんな、忙しくなるぞ…!」


パンと手を打ち、それを作戦開始の合図とした父親は、どこか乗り気でスマホを手に取り電話をかけ始めた。


「あなたに関われることがね…うれしいのよ、あの人」


母親がそっと耳打ちしてくれる。優斗はこそばゆい思いを抱えつつも、父親に感謝した。


別室で鳴いていた保護猫のちょび蔵を、妹が抱きかかえながらリビングに戻ってきた。

優斗の隣に立つと、ちょび蔵をあやしながらじっと兄を見上げてくる。


「…どした?」

「ちょび蔵がね、驚いてるよ。お兄ちゃん変わったって」

「ちょびが?」

「うん。ちょび蔵もね、やさぐれもののひとりものだったから、お兄ちゃんと同類感じてたんだって。

でも急に人と関わろうとする人になっちゃったから、ビックリしたんだって。

人と関わるのはいいぞ、おやつがもらえるからな。応援してるぞー!だって~~」


妹が猫の前足を掴み、ちょいちょいと招き猫の仕草をして見せてくれた。

当のちょび蔵は不服そうな顔をしていたが、かわいい応援に心が温まる。


「…ありがとう、ちょび蔵。

それと愛名(まな)もね。ありがとう、がんばるよ」


猫の頭を撫でた後、後ろの猫操師(ねこあやつりし)の頭も忘れずに撫でる。妹は満面の笑みを返してくれた。

両親からの無償の愛を当然のように受け取る妹を、これまでただ遠ざけることで必死に自分が傷つかないようにしてきた自覚はあった。

それなのに、こんなにも妹は自分を自然に見てくれている。認めてくれている。

背筋が伸びる思いがした。


今まで本当に知らなかったんだ。人が誰かを守りたい、笑顔にしたいと思ったとき、生まれる強さがあるなんて ----



優斗はこみ上げるものを胸に感じながら、藍無姉弟への助力を改めて誓った。









挿絵(By みてみん)

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