第8章 司書が書き残す未来
あの巻物を解読してから二日が経つ。
王都はまだ火と煙に包まれ、宰相バルドの私兵が街を蹂躙していた。家を失った人々は路地裏や廃墟に集まり、ただ身を寄せ合っている。デモすらも無残な暴力で押しつぶされ、希望を口にする者は表立って姿を見せにくい状態だ。
それでも俺たちは“第二の図書館”にこもり、新たに判明した“真実”をまとめた文書を必死に仕上げていた。国が抱える隣国への賠償と、三百年前の大災厄。王家が犯した重大な罪。それらを隠蔽し続けた結果、今この国はこんな地獄を迎えている――そうはっきり提示するために。
「よし……最終稿、これでOKかな」
俺はランプの明かりの下で、手元の紙を見つめる。クラウスとレミィも、ぐったりしつつ最後のチェックに目を通してくれていた。散らばった資料とインクのしみ。地下の空気は湿っていて息苦しいが、俺たちの内なる熱は冷めていない。
「『王家は三百年前、魔導兵器を暴走させ、隣国をはじめ多くの国に甚大な被害を与えた。その償いとして結ばれた条約は、本来であれば一定期間で賠償を終えるはずだった』……うん、ここまで事実だ。問題は、その“一定期間”が過ぎても王家が隣国に逆らえず、ずるずると賠償を続行しているって部分だよね」
レミィが頷く。巻物には、当初の条約は「五十年間の賠償義務」となっていたと示唆されていた。ところが、それを隠蔽したまま追加条文を結ばされ、実質的に“永続的な服従”を強いられている状況になった――そんな推測が成り立つ。
「なるほど。そのせいで財政が破綻し、国内の税収をいくら上げても足りず、結果、貴族がさらに民を搾取する悪循環を生んできたわけだ」
クラウスが苦い表情で巻物を指さす。王家の権威もどんどん失われ、一部の宰相や貴族が自分の利権だけを肥大化させてきた。まさしく、今のバルドがトップに立っている構図だ。
「これを公表したら、確かに王家は大バッシングを受けるかもしれない。でも……今、宰相バルドがやってる火の海よりはよっぽどマシなはずだ。まずは嘘を暴き、やり直す道を探るしかない」
俺はそう信じて疑わない。過去を隠してきたつけは大きいが、それを正していく道こそが改革――セリナ王女なら必ずそう思うはずだ。ならば俺たちが彼女に届けるしかない。誰が何と言おうと、“真実の書”を王宮へ突きつける。
「問題は、どうやって王宮へ行くかだ。城門は厳戒態勢、セリナ王女への面会なんて許されるわけがない」
レミィの言葉に俺は黙り込む。バルドは完全にこちらを警戒している。もし捕まれば、この文書は破棄され、俺たちは終わりだ。民衆に広めようにも、もう私兵が徹底して取り締まっており、大規模なチラシ作戦はこれ以上難しい。
「……方法は一つだな。危険を承知で“王宮に潜入”する。ディランが衛兵の身分を活かして手を回してくれてるかもしれない。そこを頼りにするしかない」
クラウスが静かに結論を出す。レミィも一瞬息を呑んでから、うっすら笑ってみせる。
「やっぱりそうなるのね。……まあ、ここまで来て安全策なんてないわよ。私たちが抜け道を探すしかない。魔法で兵を眠らせるとか、結界を突破するとか、やれることはやってみる」
「うん。俺も行くよ。セリナ王女がどんな立場にあろうと、この“真実の書”を届けないと意味がない」
覚悟を決めたら行動は早い。俺たちは最低限の荷物と文書をまとめ、夜になるのを待つ。昼間のほうが混乱が激しく、巡回兵の動きが読みづらい。夜なら夜で危険はあるが、視界が悪い分、潜入には向いているかもしれない。
◇◇◇
深夜の城門。
巨大な石壁がそびえ立ち、門の前には灯火を手にした衛兵が数名立っている。以前は王家直属の騎士団が守っていた場所だが、今はバルドの影響下にある兵士が多いらしい。ディランによると、内部にこっそり“改革派”の衛兵も潜んでいるらしいが、表向きは分からない。
「さあ、どうやって通る? 戦闘は避けたいけど、見つかったらアウトよ」
レミィが身をかがめながら、低い灌木の陰で囁く。俺も胸がドキドキしている。第二図書館からここまで来る道中、私兵に見つかりそうになったが、どうにか撒くことができた。しかし、ここは王宮の外壁だ。普通の兵士よりも厳重な警戒が敷かれているに決まっている。
「俺がまず合図を送る……。ディランが配置表をくれたから、この時間帯、内部に仲間がいる可能性がある。ちょっと賭けだけどね」
クラウスが懐から取り出した小さな笛をそっと吹く。ほとんど音が聞こえない周波数のようで、あたりは静まり返ったままだ。
数秒後――門の近くで一人の衛兵がぴくりと動いた。こっちを向いて、ちらちらと周囲を見回している。こちらの姿は見えていないはずだけど、明らかに何かの信号を受け取ったかのような反応だ。
「成功した……? あの衛兵がクラウスの昔のコネかも」
小さく息を呑むと、衛兵が近くにいた同僚らしき連中を「門の裏を確認してくる」と言って引き連れ、逆方向へ回っていく。まるでこの場を空けてくれるような動きだ。門の周辺に立っていた兵士の人数がぐっと減る。これは機会だ。
「今がチャンス……! 一気に走るわよ」
レミィが俺の腕を引っ張り、クラウスとともに城門へ向かう。ドキドキが止まらない。万が一バレたら、あっという間に袋叩きだ。それでも走るしかない。影を縫うように門の横をすり抜け、柵の裏にある非常口のような小さな扉へ向かう。そこには小柄な兵士が待っていた。息を殺して扉を少し開いてくれる。
「……早く入って。俺も命がけだ。宰相が知ったら首が飛ぶ」
声が小刻みに震えている。きっと改革派の一人なのだろう。俺たちは「ありがとう……必ずあなたの行為は無駄にしない」と囁き、城壁の中へ滑り込む。兵士がそっと扉を閉める音が、やけに大きく響いた気がした。
◇◇◇
城壁の中は広い庭園があるはずだが、夜の闇に包まれ、さらに警備灯があちこちに点在している。ここをどう突破する? マップすら頭に入っていない。ふと見ると、あの衛兵が駆け寄ってきて、紙切れを差し出してきた。
「これがざっくりした城の配置図です。俺の仲間が夜勤で守っている通路を通れば、奥の宮殿区画へ行ける。あとは王女様がいると思われる“私室棟”だが、あそこは宰相の手下が多い……気をつけて」 「ありがとう、助かる……。あなたはどうするの?」 「俺はここに留まる。仲間を説得して時間を稼ぐが、あんまり長くはもたない。早く行って、王女様を助けてやってくれ」
兵士がうなずく。まるで自分が囮になるような覚悟だ。俺たちも目を見張るばかりだが、この人の勇気を無駄にするわけにはいかない。すぐに礼を言って、配置図を頼りに城内の廊下へ向かう。夜の庭園を駆け抜け、石畳の小路を何度か折れながら、宮殿側へ慎重に足を進める。
運良く敵兵とは鉢合わせにならずにすんだ。配置図によれば、次の角を曲がった先に王女の私室棟へ続く渡り廊下があるらしい。そこにいかにして入るかが問題だ。――そう思った矢先、背後から声が飛んできた。
「そこの影、止まれ。夜間通行は禁止だぞ」 まずい、見つかった――! 振り返ると、二名の騎士風の男たちがこちらを睨んでいる。明らかに容赦なさそうだ。
「くっ……やるしかないか!?」 レミィが杖を構えるが、どこまで通用するか分からない。クラウスも妙に落ち着いた表情で一歩踏み出す。
「すまんが、私は王家付きの古参司書でな。王女殿下に緊急の文書を届けに来た。見逃してくれないか?」 「古参司書……? そんな話は聞いてない。宰相閣下の許可はあるのか?」 騎士が苛立ちを露わにする。予想どおり“宰相の許可”なんて聞かれても、あるわけがない。
「許可が欲しければ明日の朝に出直せ。今は夜間通行禁止だ」 騎士がにじり寄ってくる。俺は思わず引き下がるが、ここで「分かりました」と退散はできない。意を決して口を開こうとしたその瞬間、不意に騎士たちの背後から別の声が響いた。
「やめろ、彼らを通してくれ。――私が許可する」 静かでありながら力強い声音。騎士たちが慌てて振り返る。そこに立っていたのは――セリナ王女本人だった。!
「……せ、セリナ王女……!」 思わず声を上げてしまう。彼女は薄い外套に身を包み、夜露を浴びた髪を肩に垂らして立っている。さすがに顔色はやや疲弊しているようだが、その瞳には相変わらず強い意志の光が宿っていた。
「第三王女殿下……こんな時間に外に……。それは、宰相閣下の命令に反するかと……」 騎士がしどろもどろになる。しかしセリナは微塵も怯まず、毅然と彼らを見据える。
「王家は宰相の所有物ではありません。私はこの国の王女であり、正当にこの廊下を使う権利があるわ。――あなたたち、何か異論でも?」 「い、いえ……しかし……」 騎士たちが歯がゆそうに視線を揺らす。セリナはそっと目を伏せて、彼らに背を向けるように俺たちのほうへ近づいてきた。
「レオン……無事だったのね!」 その声が震えているのに気づき、俺の胸が熱くなる。必死に堪えてきたんだ。きっと城の中で、バルドの監視を掻い潜り、このタイミングを待っていたのだろう。思わず叫びたい気持ちを抑え、俺は小さく微笑む。
「セリナ……! 本当に無事だったんだな。心配したよ」 「あなたこそ……。街の噂は最悪で、図書館が封鎖されたって聞いてたから……どんな目に遭ってるかと」
お互い多くは語らないけど、その一瞬で“再会”の喜びは十分に伝わる。そう、今は大事な話をする時間だ。王女も分かっているのか、すぐに表情を引き締めて騎士らに声を投げかける。
「今から私が彼らと一緒に私室へ戻ります。これは私の決定事項。宰相が何と言おうと、私の正当な行動よ。――それでも従わないというなら、覚悟して頂戴」 「し、失礼いたします……。しかし宰相閣下には、第三王女殿下を城外に出さないようにと……」 「ならば“出さない”でしょ? 戻るだけ。文句ないはずよ。それでも不服というなら、彼に直接言って。私が別室でお話を聞いてあげるわ」 鋭い口調に、騎士たちは青ざめた顔で一礼し、道を開ける。きっと宰相バルドは王女を厳重に監視しているが、王家としての立場を完全に否定するまでの力はまだ持っていないということだ。
「……さあ、こっちよ。早く」 セリナが合図をくれる。俺たちはそのまま騎士たちを横目に廊下を進み、城内の奥へ足を踏み込む。人気のない静かな石の回廊。窓から差し込む月明かりが、やけに白く冷たい。燃え盛る王都の炎が遠くに見えるのが胸に痛い。
◇◇◇
王女の私室へ通されたのは久しぶり……というか、初めてか。豪華な調度品や大理石の床、観葉植物などが並び、いかにも高貴な雰囲気だが、思ったよりも殺風景な印象を受ける。セリナは部屋の扉を閉め、安堵の息をついた。
「……あなたたちが、こんな形で来るなんて驚いたわ。でも、すごく嬉しい。私もずっと宰相の監視下で、動けなかったの」 「知ってる。外の街は大変なことになってるんだ。宰相バルドが放火や暴力で民を威圧して、あちこち火の海だよ。もうひどい有様で……」 俺が言葉を選びながら伝えると、セリナは険しい顔で唇を噛みしめる。
「そう……やっぱり、あの男はやりたい放題ね。父王もほかの王族たちも、バルドを恐れて何も動こうとしないの。私がいくら訴えても『余計な騒ぎを起こすな』としか言われなくて……」 「そりゃそうだろうな。バルドは王家の弱みをすべて握ってるみたいだから。――だけど、もう変えられるよ。ほら、これを見て」
俺は用意した“真実の書”――旧条約の解析と、三百年前の大災厄の記録をまとめた資料をセリナの前に差し出す。彼女は疑問符を浮かべながらページをめくり……その瞳が驚愕に見開かれる。
「こ、これ……。まさか、本当に……? 魔導兵器の暴走で100万人が……。賠償期間が五十年限定だったなんて……!?」 わずかに手が震えている。この事実を知れば、王家がどれほど大きな罪を隠してきたかを痛感せずにはいられないだろう。セリナは深い息をつきながら、視線を落とす。
「……ずっと薄々気づいてたの。王家の過去に何か重大な秘密があるって。でも、これほどの惨劇だったなんて……。隣国を含む多くの人々を傷つけて、それをひた隠しにしながら“無期限の賠償”に従ってきた……」 「バルドは、この“闇”を知ったうえで権力を握ってる。王家は自分たちの罪が暴かれるのを恐れ、ずっと宰相に主導権を渡してきたんだと思う。結果、宰相が法律をねじ曲げようが、誰も止められなかった」 「でも、私は……このまま黙っていられない。何より、外の民があんなに苦しめられているのに。もう、少しでも早く全部を明らかにしないと……!」
セリナが悲痛な眼差しで決意を口にする。俺はホッと胸を撫で下ろす。やはり彼女は逃げずに受け止める気なんだ。王家が責め立てられるリスクを承知でも、正しい道を選ぶ覚悟がある。
「だったら、今こそ大広間で公表したらどう? 民衆も貴族も、みんな混乱してるけど、逆に宰相の圧政に怯えつつある人たちも多い。王女が正面から“真実の罪”を認めて、改めて国を立て直すと宣言すれば……バルドも無視できないはずだ」 「でも、実際に広間まで行けるのかしら。城内も宰相の手下が溢れているし、父や兄たちが邪魔をするかもしれない」 「それなら、私たちが道を切り開くまで。もう腹をくくった以上、力ずくでも行こう。例え少数でも、一気に大広間まで突き進んでしまえば、宰相も逃げ道はない」
強気すぎるかもしれないが、今こそ背水の陣だ。俺たちには大勢の兵がいるわけじゃないけど、セリナ王女の“王族としての正統性”がある。その一瞬のスキをついて、国内外に向けた“宣言”を打ち上げるのが勝機だ。国民に知ってもらわなくては意味がない。
「……やりましょう。父も兄たちも反対するなら、私が王族の名をもって強引にでも広間を押さえます。あなたたちには危険を伴うけど、ついてきてくれる?」 セリナが険しい面持ちで問う。俺は即座に笑みを浮かべる。分かりきった話じゃないか。
「今さら撤退なんてできるわけないでしょ。あなたが国を救う気なら、俺たちは最後まで付き合うよ」
「ありがとう、レオン……! クラウス、レミィ、あなたたちも……」
「決まってるさ。ここまで文書を作り上げてきて、最後に逃げるようじゃ老いぼれの名が廃る」
「この国で魔法を研究する意味を見失いたくないし、何より……こんな暴力がはびこるのは腹立つわ」
レミィの声に迷いはない。こうしてメンバーの意思は一致した。心は決まった。ならやるしかない――あのバルドがどんな陰謀を巡らせていようと、この機を逃すわけにはいかない。
◇◇◇
朝。
早くも城内がざわついている。どうやら宰相バルドが「第三王女の出入りを厳しく監視せよ」と命じたらしいが、セリナは王女として堂々と廊下を歩き始めた。随行するのは俺たち三人プラス、セリナに同調する少数の騎士、そして城内に潜んでいた“改革派”の衛兵だ。多くはないが、バルド派と真っ向からやり合うには十分な布陣かもしれない。
「殿下、広間への道はあちらですが……警備隊が待ち構えていると聞きます。どうしますか?」
先頭の騎士が緊張の面持ちで尋ねる。セリナがきっぱりと宣言する。
「構わないわ。私が彼らと話す。正当な王家の意志を受け、ここで大きな発表をするのだから、邪魔するなら相応の理由が必要よ」
「もし彼らが武力行使に出たら?」
「その時は――私たちも覚悟している。……行くわよ!」
気丈な声に後押しされ、俺たちは厳かな廊下を突き進む。大広間は城の中心に位置し、公的な儀式や会議が行われる場所だ。そこに集まっているのは宰相派の貴族や兵士、そしてバルド本人がいるはず。かち合うことは避けられないが、それでもこれをやらなきゃ変わらない。
歩みを進めるごとに兵士の数が増えていく。宰相派の鎧に身を包んだ者が睨んでくるが、セリナ王女の威厳に阻まれ、いきなり攻撃してくる様子はない。大広間の扉はいつも通り巨大だが、その前に私兵がずらりと並んでいる。明らかに“通すわけにはいかない”という態度をとっているのが分かる。
「王女殿下――宰相閣下の許可なく大広間に入ることはできません。お引き取りを」
私兵の隊長らしき男が冷徹な表情で言い放つ。セリナは一切引かない。俺たちも息を呑んで見守る。ここが勝負所だ。
「私は王国の第三王女、セリナ=ユスティア。ここへは正式な“国民への宣言”を行うために来ました。宰相とやらに許可をもらう理由はありません。……道を開けなさい」
「ふざけるな。王女と言えど、王の許可なく勝手な会議は許されん。いまや宰相が国政を管理している以上、あなたの勝手は――」
「勝手なのはどっちかしら? 私は正当な血筋に基づく行動をしているだけ。宰相が勝手に街を焼き、私兵を放っていることこそが違法よ。――それでも尚、止めるというなら、覚悟を決めて頂戴」
凍るような空気が流れる。私兵たちが武器に手をかけ、こちらの騎士や衛兵も構えを取る。衝突は避けられないか――と思われた瞬間、奥の大広間から声が響いた。
「面白い。ならば入ってみろ。おまえの“宣言”とやら、この目で見てやろうじゃないか」
あの低く響く声、宰相バルドに違いない。扉がゆっくり開き、厳つい甲冑姿の私兵が一斉に退く。彼らを従えるように現れたバルドは、冷たい笑みを浮かべてセリナを見下ろす。
「……バルド、あなたは一体何をしているの? 街を火の海にして、市民を虐げて……これがあなたの言う“秩序”なの?」
セリナが憤りに声を震わせると、バルドはまるで悪趣味な遊びを楽しむかのように肩をすくめる。
「秩序を守るためだ。無能な王家と愚かな民衆が反乱を起こさぬよう、先手を打ったまで。――私が望むのは“選ばれた者が統治する国”だ。弱き者は黙って従えばいい。かつての王家がなした愚行を考えれば、こんな国は我々が好きにして当然だろう」
「愚行……まさか、あなたは三百年前の大災厄のことを知ってるのね」
「ふん、当然だ。王家が負い目を抱えているからこそ、私が好きに権力を握れたのだよ。あの古臭い家系が犯した罪を、今度は私が有効活用する――それだけの話だ」
バルドの目は狂気の光を帯びている。俺は背筋が冷える思いだが、セリナは一歩も退かない。むしろ、真っ直ぐ彼を睨み返す。その後ろでクラウス、レミィ、そして俺も静かに立ち位置を確保し、広間へ足を進める。何人かの貴族がいるが、彼らもバルドに逆らえないのか黙り込んでいるようだ。
「ならば、ここで正式に“罪”を明らかにするわ。――王家が引き起こした大災厄、そしてその賠償が本来は五十年で終わるはずだったこと。すべてを今ここで公表する。バルド、あなたが握っている秘密を、私が正々堂々と暴くわ!」
セリナが振り返り、俺たちに視線で合図を送る。俺は待ってましたと言わんばかりに“真実の書”を掲げ、その内容を声高らかに読み上げ始める。
「――三百年前、王家は魔導兵器を暴走させ、隣国をはじめとする多くの国に甚大な損害を与えた。その被害者数は実に100万人以上。王家は責任を問われ、当初は五十年の賠償条約を結んだ。だが、隣国との裏契約により、賠償が無期限に延長され……」
広間にいる貴族や兵士がざわつき始める。そんな事実があったのかと動揺する者が多いだろう。バルドは薄い笑みを浮かべながらも、その視線は油断なく俺を見据えている。
「さらに、宰相バルドはこの事実を知りながら王家を脅し、国内の制度を改竄して自身の権力を強化してきた。この街を焼いて民衆を踏みつぶしているのも、その権力維持のため……! もうこれ以上、こんな支配は許されない!」
俺が声を張り上げると、セリナが力強く続きを受け取る。
「そう、許されないの。王家が過去に罪を犯したのは事実。だからこそ、本来の賠償期間を終えた時点で誠実に隣国と和解を結ぶべきだった。それを怠り、ずるずると封印してきた結果、今の悲惨な状況がある。……だから私は“罪”を認め、“今こそ改めて賠償関係を清算”すると宣言するわ!」
鋭い意志をはらんだ声が大広間に響き渡る。貴族たちの一部が「なんという暴挙を……」と怯え、私兵たちが罵声をあげる。でもセリナは動じない。むしろ、その表情には揺るぎない決断が見える。
「おまえ一人で何ができる! そんな宣言、王家の統治を崩壊させるだけだぞ! 王がそれを許すか? 民がついてくると思うのか?」
バルドが唸るように反論するが、セリナは静かに首を振る。
「崩壊が怖くて真実を隠すより、真実を受け止めて新たな道を築くほうが、よほど希望があるわ。民だって、力を与えられれば立ち上がる。それに私の兄たちがどう言おうと、今の王家にはもう迷っている時間はない。私がやるのよ」
「なに……!?」
バルドの目が殺気を帯びる。部下の私兵が剣を抜こうとするが、城内の騎士たち――セリナ寄りの者も即座に剣を構え、緊迫した膠着状態になる。貴族たちは悲鳴をあげて後退りするしかない。
「セリナ……どうする? こいつら、武力でねじ伏せようとしてるぞ」
俺が小声で耳打ちすると、セリナは「大丈夫」と笑みを浮かべる。
「バルド、私に剣を向けるというの? あなたがもし王女を殺せば、さすがに王や貴族たちも黙ってはいない。外国も黙ってはいないわ。あなたの権力基盤どころか、この国そのものが滅ぶかもしれないけど、それでもいいの?」
挑発するような言葉だが、本質を突いている。宰相が王女を殺せば、いくら王家が弱体化しているとはいえ、内外の反発は凄まじいものになる。バルドもそれを十分承知しているはず。せっかく今まで巧妙に権力を握ってきたのに、その一瞬で全てを失いかねない。
「くっ……!」
バルドが硬直する。そのスキを逃さずセリナは広間の中央へ歩みを進め、大声で宣言を始める。
「聞いて――貴族も兵も、ここにいる者たちすべて! 私は今、この国の過去の罪を認め、三百年前の大災厄を公表する。王家はその責任を果たすために新たな条約締結を隣国に求め、賠償を正式に終了させる手続きを進めるわ! そして、国内の歪んだ貴族制度を再編し、民衆が声を上げられる仕組みを作るの! この場で反対する者は、私に“正当な理由”を示しなさい!」
ビシッと通る声。貴族たちは戸惑い、バルドのほうを伺うが、当のバルドは苦々しい表情で拳を握りしめている。もはや計略が通用しない段階に来ているのか、思考が追いついていないようだ。
「バルド宰相……あなたは王家に代わって権力を行使してきたが、もうこれ以上は赦さない。私が正統なる王家の名において命じます。――あなたの私兵を城下から引き上げなさい! 民をこれ以上苦しめるのはやめるのよ!」
沈黙が広間を包む。重苦しい空気が漂う中、バルドが悔しげに口を開いた。
「ふざけるな……。ここで私が退けば、長年築いてきた私の“国”が崩れる。――私の理想は“選ばれた者だけの楽園”だ。王家も民衆も、私にとってはただの道具に過ぎん。おまえごときが……」
「あなたの理想こそが、どれだけの人を傷つけているか分かっていないの? それはもう理想じゃない。ただの独裁よ! 民が従わなければ火を放つなんて、そんな国づくりは二度と許されないわ!」
セリナの絶叫に似た声が広間の天井を揺らす。バルドは目を歪め、苛立ちを露わにするが、一方で彼が決定的な一手を出せないのも事実だ。この場で騎士や衛兵を敵に回して戦闘を始めれば、あっという間に国内外の信用を失う。ましてや王女を手にかければ、自分の地位どころか命も危うい。――結局、彼は一言の反論もできず、乱れた息を吐いて沈黙するしかない。
「バルド……あなたはただの人間よ。選ばれた者なんかじゃない。王家もまた、ただの人間。それぞれが過去の罪を認めて、正しい形に戻すしかないの。――あなたが抵抗するなら、ここで私兵と衝突も辞さないわ」
膠着する空間。私兵の中には明らかに不安な面持ちで後ずさる者もいる。バルドが切り札を出さない以上、彼らも下手に手を出すと返り討ちに遭うか、そもそも内乱の責任を問われる可能性があるわけだ。
「くっ……。――ええい、こんな場で語って何になる! 民は私の私兵に従うしかないのだ! 街を焼かれたくなければ……」
バルドが最後の悪あがきで声を荒げる。だが、その瞬間、広間の入り口が騒がしくなり、一人の衛兵が飛び込んできた。
「し、失礼します! 王城の外から多くの市民が集まり始めています! “王女様のもとへ話を聞きたい”と、私兵の暴挙を止めるよう懇願していて……もはや取り締まりが難しい状態に!」 衛兵の報告にバルドが「何だと……!?」と硬直する。セリナが驚いたように目を見開く。
「市民が……? まさか、こんな危険な城に自ら足を向けたの?」 「はい……もともと地下であなたたちが配ってきた“法令チラシ”の情報が少しずつ広まり、火に怯えながらも“本当の制度を取り戻したい”と動き始めたようです。……現在、城門周辺に数百人は集まっており、私兵も迂闊に襲撃できない状況で……」
……! 俺は思わずレミィと顔を見合わせる。やったんだ! あの地道なチラシ配布が無駄じゃなかった。多くはないかもしれないが、それでも命がけで声を上げる市民たちがここまで来てくれた。何より、火を恐れずに動いた人がこんなにもいるなんて。
「バルド、おまえが放火して市民を脅そうとしても、こうやって動く人たちはいるのよ! これが本当の民の声だわ。――もう終わりにしましょう。あなたの独裁は破綻したの!」 セリナが勝ち誇るように言い放つ。バルドは唇を噛み切りそうなほど強く噛み、私兵を見回すが、彼らも目が泳いでいる。街の火事をこれ以上拡大すれば、自分たちにも危険が降りかかる可能性があるし、数百人の市民が押しかけた今、迂闊に斬りかかればさらに大きな反発を招く。
「くそっ……!」
最後は苛立ちを爆発させたようにバルドが杖を振りかざし、古めかしい魔法陣を展開しようとする。彼は高度な政治家であると同時に、相当な魔術の使い手でもあるらしい。――だが、セリナは動じない。
「やめて、あなたが魔法で何をしようとしても、この場にいる騎士や衛兵、そして私たちが阻止するわ。――それでも暴力に訴えるなら、王女への反逆として死刑もありうる。ここで潔く退きなさい」
バルドの魔法陣が半分ほど発動しかけるが、何人かの騎士が一気に間合いを詰め、槍や剣の切っ先を彼の胸元へ突きつける。宰相の私兵もさすがに一歩踏み出す勇気はない。完全に崩壊の一歩手前だ。
「……っ、貴様らあああ……!」
バルドが悔しげにうめき声を上げる。もう勝敗は決した。兵も貴族も、誰もバルドを庇おうとしない。彼がここで最後の一手を打てば、文字どおり自滅しか待っていない。――数秒後、バルドは力なく魔法陣を消し、膝をつくように崩れ落ちた。
「ちっ……王女殿下、その権力を民衆のために使う気か……。おまえも、かつての王家のように破滅するんだぞ……」 「破滅かもしれない。けど、私は逃げずに責任をとりたいのよ。それが本当に救いになるかは分からない。でも、嘘と暴力よりはマシだわ」
そう言い切ったセリナが小さく深呼吸して、宰相バルドを見下ろす。広間には静かな緊張だけが満ちている。私兵たちは武器を下ろし、無言のまま後ろへ下がっていく。クラウスも安堵の吐息を漏らし、レミィは杖を握ったまま肩を震わせる。俺は肩の力が抜けそうになるのをこらえながら、ようやく事が済んだことを実感した。
「これで……少しは落ち着くのかな。火事を止めて、街を……市民を救わなきゃ」
呆然と呟くと、セリナがうなずく。「ええ。今はまだ大変だけど、私たちが先頭に立って復興を進めるわ。隣国ともきちんと話し合って、誠実な合意を築き直さなきゃならないし……やることは山積みね」
そう言いながらも、セリナの目には力強い光が戻っている。バルドが完全に退けられたわけではないが、この場での敗北は彼の政治的信用を根こそぎ奪うだろう。いずれにせよ、王国を牛耳る力は失った。あとはセリナが主導して、王家と民衆が本当の“和解”へ向かう道を探るしかない。
「……セリナ、やっとゴールが見えてきたね」
「いいえ、まだスタート地点に立ったばかりだわ。でも、あなたたちのおかげで大きな扉を開けられた。――ありがとう、レオン」
彼女の瞳が潤み、そのままふっと微笑む。俺も思わず微笑み返す。
「司書スキルがこんな形で国を動かすとは思わなかったよ。……でも、最後はやっぱりあなたの覚悟が決め手だったね。あなたが王女で本当によかった」
「ふふ、ありがと。……それと、私はまだ王女“の一人”に過ぎないけど、いつかこの国を正式に統治するとしても、あなたみたいな人の知識と支えが欲しいわ。だって、これから世界がどうなるか分からないもの」
「もちろん、俺は司書だからね。必要な本と知識は、どんな時でも探し出してみせる。今度こそ“第二の図書館”を堂々と使えるようにしようよ」
俺の冗談まじりの言葉に、セリナがクスッと笑い声を立てる。そこには確かな希望が感じられる。この国が暗闇から抜け出すには時間がかかるし、王家への不信も簡単には消えないだろう。隣国との再交渉も、ひと筋縄ではいかないはずだ。でも、もう逃げ隠れはしない。過去の罪を認め、国と民が一緒に立ち直る道を進む――それが、俺たちが選んだ“正しい歴史”の書き直しだ。
◇◇◇
あれから数週間。
火事の被害は大きかったが、市民や騎士団、下級貴族も加わって必死の復興作業が進められている。王家も“封印してきた歴史”を公式に公表し、セリナ王女が中心となって隣国との賠償再協議を始めるらしい。絶対に荒れそうな交渉だが、もはや後戻りはできない。
「ま、賠償金の負担をどう軽減するか、今後は俺の出番かもね。経済法令の基礎資料も“第二の図書館”にあるし、俺の司書スキルで隣国の過去の契約も全部洗い直してやる」
「はは、頼むぞレオン。俺は街の治安を何とか安定させるわ。あれだけ火を放たれたら復興も一苦労だし、私兵の残党がまだ悪さをしそうだしな」
ディランが馬車の荷台に腰掛けながら笑う。空はすっかり青く澄んでいる。灰色の煙が漂っていた頃を思えば、多少はマシになったのだろう。俺たちも焦らず、これからやるべきことを一つ一つこなしていけばいい。
「ねえレオン、王立図書館をどうするか、もう考えたの?」
レミィがふと問いかける。確かに、あそこはまだ封鎖されたままだが、バルドの影響力が弱まっている今、いずれ再開できるかもしれない。
「うん、セリナ王女と相談して決めよう。今度は“民が自由に使える図書館”として生まれ変わらせたいし、そこに“第二の図書館”の研究成果も統合したい。なんなら、あなたの魔法研究室も置いたっていいよ」
「本当? じゃあ思いっきり魔法書を並べて、新しい魔術体系を確立してやるわ。楽しみね!」
レミィが久しぶりに嬉しそうに笑う。俺も思わず微笑み返す。閉鎖されていたあの図書館が、今度こそみんなに開かれた“知の拠点”になる――想像するだけで胸が躍る。
「クラウス、あなたはどうするの? もう歳だし、これから隣国との交渉は相当ハードになるけど……」
「ほっほ、じいさんを甘く見るなよ。私もせっかく息を吹き返した図書館が見られるなら、もうひと仕事ぐらいやれる。――そもそも、王家が抱える“古い文献”はまだ山ほどあるんだ。それを全部整理しないと国の再建どころか、また同じ過ちを繰り返すかもしれん」
「やっぱり頼りになる。俺も頑張るよ」
こうして、俺たち“司書チーム”はこれからも忙しくなりそうだ。もう剣や魔法による戦いだけでは解決しない問題が山積みだが、知識を使って新しい国を作るんだ。そう考えると、不思議とワクワクしてくる。
◇◇◇
夕方。
広場の一角には焼け跡がまだ生々しく残るが、そこに新たなテントが建てられ、避難所として機能し始めている。セリナ王女や支援の人々が毎日訪れ、復興の様子を見守っている。今日も俺たちは彼女と合流する予定だ。
「あ、いたいた。セリナ、こっちこっち」
手を振ると、セリナが護衛騎士とともにやってくる。心なしか顔色は良くなり、前より穏やかな微笑みを浮かべている。
「レオン、ここの状況はどう? パンの配給や医療は足りてる?」 「うん、まだ不足気味だけど、だいぶボランティアが増えてきた。宰相バルドの私兵も壊滅状態で、残党は逃げるか武器を捨てたよ。住民の自衛組織とも連携できれば安心だね」 「よかった……少しずつだけど、混乱は収まってるのね。あとは隣国への折衝が待ってるわ。正直、かなり厳しい交渉になるけど、私がやるしかない」
彼女の言葉には覚悟がにじむ。王族として長年見て見ぬふりをしてきた過去の罪と向き合い、堂々と謝罪と和解の道を探る――その道のりは険しいだろうけど、セリナの目は決して揺るがない。
「もし、隣国が戦を起こすと言ってきたらどうする? こっちはもう疲弊しきってるし……」 「大丈夫。彼らだって今さら焼け野原の国を手に入れたって得はないわ。真摯に賠償の終結と、新しい協定の締結を申し込めば、受け入れてくれるはず。――もちろん、誠実にやらないと無理だけど」 「そうだね。俺たち司書チームも、隣国の歴史資料を探して協力するよ。あっちにどんな事情があるか把握しなきゃ対等な交渉は無理だから」
「ありがとう、助かるわ。……本当に、あなたがいてくれてよかった。司書スキルがなければ、今頃どうなっていたか……」
セリナがしみじみと俺の目を見つめる。その瞳はとても柔らかく、感謝の色が溢れている。照れくさい気分に胸がざわつくが、ここはさらりと口を開こう。
「俺なんてただの“読書バカ”だよ。結局、最後に決断して行動したのはあなたじゃないか。俺はその手伝いをしただけ」
「ふふ、でもあなたがいなければ、私はきっとバルドに立ち向かえなかったと思う。何より、“本当の歴史”を読む勇気をくれたのはあなた。――ありがとう、レオン」
「い、いや、そんな改まって礼を言われると恥ずかしい……。そ、それより、これからが本番だし。復興や交渉、たくさんの課題が山積みだよ」
「あら、照れてるの? ふふ、まぁいいわ。今後もあなたには助けてもらうもの。それこそ、国中の法を練り直すくらいの覚悟が必要ね」
セリナが楽しそうに笑う。俺も思わず頬が緩む。うん、きっと乗り越えられる。バルド宰相との対決は終わったが、この国を真に再建するには時間がかかる。でも、俺たちには知識があるし、司書スキルがあるし、仲間もいる。さらに王女セリナという大きな存在が、隣国との間に立ってくれるのだ。
――かつて俺は異世界に来たとき、「司書スキルなんて地味」だと思っていた。戦闘力ゼロで、剣士や魔術師ほど派手じゃないし、いざとなったら無力だと思っていた。でも、今ははっきり分かる。“読む力”こそが世界を変える大きな武器になり得るんだ、と。
「さぁ、行こう。みんながあなたを待ってる。俺も司書として手助けするから、王女セリナの改革、成功させよう」
「もちろんよ。――行きましょう、レオン。新しいページを、一緒に書いていくのよ」
彼女がすっと手を差し出してくる。その指先を軽く握り返すと、微かに温かさが伝わってくる。この世界で司書として生きる意味を、今の俺は確かに感じる。誰かが見逃してきた歴史を掘り起こし、未来のための地図を作る。そんな俺の力を必要としてくれる人たちが、ここにはいるのだ。
――空を見上げると、薄雲の向こうから夕日の光が差し込み、灰色の街を少しだけ照らしている。廃墟にはまだ苦しみが残り、復興の道のりは遠い。それでも、人々が動き始めたのは間違いない。王家も民衆も、一つの真実を共有して前に進む。この国は変わる。火と煙の絶望を抜けて、きっと新しい光を迎える。
俺の中にある本の山――記憶の図書館――には、まだ解明されていない資料が山ほど眠っている。第二の図書館の奥にも、さらなる秘密が隠されているかもしれない。俺はそれを読み解き、書き記す仕事を続けていく。セリナが望むなら、この国を豊かにするための知識をどこまでも探し当てたい。
「よし、やるか」
小さくつぶやいて、俺はセリナの後ろをついて歩き出す。希望を失っていた民も、ちらほらとこちらに視線を向けている。
その瞳にもう一度、光を灯すために。司書として、俺は書き残すのだ。過去の罪も、未来の希望も、すべてが詰まった一冊を――。
いつか、この物語が誰かの手に届き、この国の歩みを彩るかもしれない。そんな想像をすると、胸が熱くなるのを抑えられない。
――大丈夫。この街が焼けてしまっても、本当の知識は消えない。記録があれば、何度でも立ち上がれる。オレたちはそれを証明したばかりなんだ。
「私は司書、レオン。三百年前の罪と、宰相の暴政を暴き、王都を救うために本を読んできた。“読むだけの力”なんて侮る奴がいるなら、これからも全力で書き直してやる。――この国の空白のページに、希望を綴っていくんだ」
背筋を伸ばし、煙で黒ずんだ街並みを見据える。
朝日のような夕日が差し込む中で、市民の声が少しずつ活気を取り戻し始めているのを感じる。いつか、ここには新しい王立図書館が再建されるだろう。そのときは、みんなが自由に本を開いて、真実を学び、未来を築く場所になってほしい。
――俺たちが描く新しいページは、今まさに始まったばかりだ。
誰が相手でも関係ない。本があり、仲間がいて、気高い王女がいるなら、この国はきっと変わる。暗い煙の向こうに浮かぶ“今宵の星”が、そんな未来を祝福しているように見えた。
◇◇◇
そして、俺は一冊の日誌を開き、書き始める――
「この記録は、かつて崩壊寸前だったエルミナ王国と、ある司書の物語である。
――大きな火に包まれていた町は、いまようやく灰の中から芽吹こうとしている。――」
王女セリナがちらりとこちらを振り返り、微笑む。その笑顔を見た瞬間、俺もペンを走らせる手を止めない。
――ここから先、俺たちがどんな未来を作るのかは、これからの努力次第。だけど、もう迷わない。司書の力で、歴史を読み解き、新たな物語を紡いでいく。やがては誰もが笑い合える国へ。
たとえ道のりが遠くても、一ページずつ書き記していけばきっと辿り着けるんだ。
そう信じながら、俺は静かにノートへ筆を走らせる。