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第3章 王女と司書、改革のはじまり

朝焼けが図書館の窓越しに差し込み、埃の舞う空気を黄金色に染めている。まだ開館準備なんてものは存在しないが、俺とクラウスはすでに文献の山を広げてああでもないこうでもないと目を通している。昨日まとめた“改竄前の法令一覧”をさらにブラッシュアップすべく、新たに見つかった数冊の古書を読み合わせしているところだ。


「なるほど、貴族制度の根幹にはやはり《封建的な領地制度》があったわけか」 「そうだな。もともとこの国では、貴族は王家に仕えてこそ領地を与えられていたはず。それが今じゃ王家そっちのけで勝手に利権を漁っている」 「裏を返せば“王家と条約を結ぶこと”が領主としての資格だったのに、いつの間にか改竄された法律で“貴族=絶対的特権”という図式が定着しているんだよね」


俺は羊皮紙のメモを指先でトントンと叩きながら、浮かんできた疑問点をさらに深掘りする。古文書によると、エルミナ王国では中世の段階で“貴族の自由”と“民の義務”のバランスを取るため、王家主導でいくつもの制限を設けていたらしい。それは圧政を防ぐための“枷”のような役割を果たしていたのだろう。ところが、その「王家による貴族の統制」を外してしまう法改訂が、ある時期から連発していたのだ。


「大規模な改訂が行われたのは……王国暦五百年あたり、と。そこを境に、民衆への負担が急激に増えた形跡がある。まさにそのあたりの文書が破られたり書き換えられたりしているな」 「王家そのものに何かあったのかもしれないな。権力闘争か、あるいは外圧か……」


クラウスが長年の経験を生かして推測する。俺は昨日セリナ王女が言っていた言葉を思い出す。「本来の法令がどこかに存在するはずだ」と。そう考えると、王家の中にも“この歪みはおかしい”と気づいていた人たちがいたはずで、もしかしたらその一部が今のセリナ王女に受け継がれているのかもしれない。


「いやあ、まったく手間のかかる作業だな。だが、正直嫌いじゃないぞ。こんな大変な復元作業は久しぶりだからな」 「ほんとだよ。でも、きついのはここから先じゃない? せっかくまとめたって、公開できなきゃ意味ないし」


俺は苦笑いしながら、昨晩までかかって書き起こした「貴族制度と王家条約の変遷リスト」をクラウスに手渡す。タイトルは仰々しいが、中身はできるだけ一般市民にも分かるような“図解”や短い注釈を入れている。なにせ今の民衆は読み書きができない人も多いらしいから、文字だけに頼らず、多少のイラストや目印があると把握しやすいんじゃないかと思って。


クラウスがページを丁寧にめくりながら目を通し、「ふむ、さすが司書スキル。よくわかりやすくまとめたな」と感心した様子で頷く。


「こういう資料を複数作って、あちこちの市民に回覧してもらえれば効果は高そうだ。問題は、どこかで貴族の目に留まればすぐ回収される可能性があることだな」 「うん。それを防ぐには、公開と同時にある程度の“権威づけ”が必要。例えば、セリナ王女とか、あるいは王族からの支援が表明されるとか、そういう後ろ盾があれば簡単には封じられないと思う」 「だろうな。おや、噂をすれば――」


クラウスの視線が図書館の入り口へ向かう。扉をノックする音が響いて、続けざまに二人ほどの足音が聞こえてきた。扉を開けると、そこにいたのは兵士の軽装を身にまとったディランと、もう一人、小柄な少女だった。ショートカットの髪をツンと跳ねさせ、どこか幼い雰囲気があるが、手には杖を握っている。魔法使いだろうか。


「やあ、レオン! さっそく来たぜ。仕事の合間だが、どうしても協力したくてな」 「ディラン、ほんとにすぐ来てくれたんだな。助かるよ。それで……隣の子は?」 「おお、彼女はレミィ。街の下級魔導師で、孤児院出身なんだが頭脳がめちゃくちゃ切れる。最近は俺の仕事でも“ちょっと特殊な依頼”を手伝ってもらってる。……今回の改革の話、彼女にも参加してほしいと思って連れてきた」 「ま、また厄介ごとに首を突っ込むことになるんじゃないかって、内心ヒヤヒヤしてるんだけど。まあいいわ、ディランとあんたがやるって言うなら、ちょっと協力してあげる」


レミィと名乗る少女がつんとした顔つきで返事をする。さっきディランが“めちゃくちゃ頭が切れる”と言っていたけど、その自信に満ちた瞳を見る限り、ただの魔法使いではなさそうだ。たぶんかなりの知識量や技術があるんだろう。


「よろしく、俺はレオン。図書館で司書をやってる。……魔法使いってことは、どんな魔法が得意なの?」 「うーん、火や風の攻撃魔法も使えるっちゃ使えるけど、主に解析系の魔導研究をしてる。文献の解呪とか、魔力の流れを調べるとか。だからこういう資料の復元とか、文字の魔力調整とかもできると思う」 「文字の魔力調整……そんなのもあるんだ?」


思わず興味津々になる。文字に魔力が宿るなんて、まさにファンタジー世界だ。実際、古文書の中には魔力封印が施されているものもあって、俺も《司書スキル》で苦労しながら解読した経験がある。レミィが手伝ってくれたら、さらに効率的に情報を引き出せるかもしれない。


「うん、わりと大変だけどね。もし禁書に魔法的なギミックが仕掛けられてるなら、私が力になれると思うわ。で、その研究成果が国民のために役立つなら悪くないってわけ」 レミィは杖を軽く振りながら、ちょっぴり得意げに微笑む。


「いやあ、助かるよ。こうやって仲間が増えるって心強いな」 「それはいいんだけど、具体的にどんなふうにこの国を変えるつもりなの? ディランから『法の書き換えを暴く』って聞いたけど、大丈夫なの? やばい連中に目をつけられたりしそうじゃない?」 「その心配は大いにある。でも、やらないと街はどんどん衰退する一方だと思う」


そう答えたところで、扉がもう一度叩かれる。“こんな朝早くから今日は来客ラッシュだな”と内心驚くが、クラウスが「やれやれ、賑やかで何よりだ」と笑いながら扉を開けに行く。その先に現れたのは――まさかと思いきや、昨日広場で出会ったあの王女、セリナ=ユスティア本人だ。


「おはようございます。……失礼します、図書館にお邪魔しますね」


セリナ王女が入口に立っている光景は、正直なところ場違いにも思える。ボロボロの壁に穴の開いた天井、埃だらけの床。そこへ豪奢なドレスの王女が来ているなんて。もっとも彼女は思った以上にカジュアルな薄い外套を羽織っていて、あまり“お姫様”然とはしていない。護衛が数名ついてきているが、入り口の外で待機させているようだ。


「せ、セリナ王女……!」 思わずディランが姿勢を正す。レミィもギョッとした様子で目を丸くしている。普段は王族なんて滅多にお目にかかれないのだろう。それに比べるとクラウスは慣れたもので、にこやかに会釈してセリナを奥へ案内する。俺も雑多な本をどけてスペースをつくり、なんとか“おもてなし空間”を確保する。


「昨日は広場であんな場面に遭遇したけれど、その後が気になって……それで失礼を承知で来てしまったわ」 セリナが柔らかい笑みを浮かべながら、俺の手元に積まれている資料をちらりと見る。「ああ、これが“もともとの法令”に関する書類なのね?」


彼女はまっすぐ俺を見つめる。その瞳にははっきりと興味と熱意が宿っていて、王族だからっていう“上から目線”のようなものは感じない。むしろ、自分から手を差し伸べようとしている人の姿勢に近いかもしれない。


「そう。まだ完璧じゃないけど、今と昔の法制度を比較した一覧表を作ってる。どこが改竄されているか一目で分かるようにね」 「見せてもらってもいいかしら?」


そう言われ、俺はセリナの手元に資料を差し出す。用紙を一枚めくるたびに彼女が真剣な表情で文字を追う。時々、うなずきながら小さく「そう……こうなっていたのね」とつぶやく姿が印象的だ。王女としてこれまである程度の政務知識を学んできたのだろう。専門的な単語もすらすら理解しているようだ。


「……なるほど。やはり貴族たちが己の都合を最優先にして、民衆を搾取している構図が浮き彫りになるわね。それでいて、この数十年で王家の影響力も大きくそがれている……」 「やっぱり、そうなんですか?」 「ええ。父王――つまり国王や兄たちも政治を進めようとするけれど、実質的な権限をほとんど宰相や貴族会議に握られているのが現状。特に“バルド宰相”の存在が大きいわ。彼は手腕が優秀だからこそ、貴族たちに支持されている。……ただ、その背後には何か大きな陰謀があるように思えてならないの」


バルド宰相。聞いたことのある名だ。腐敗の元凶のひとりとされていて、王家以上に実権を振るっているらしい。レミィも「うわさは聞いたことある。黒幕っぽい偉い人だよね」と小声で同意しているのが聞こえる。


「そして今、あなたたちが作ったこうした資料が世間に出回れば、宰相と貴族たちは確実に排除にかかるでしょう。……でも、私はこれを見たら、なおさら協力したくなったわ」 「ありがとうございます。……でも、本当に大丈夫なんですか? 王族がこんな正面から改革に手を貸したら、セリナ王女まで狙われることになるかも……」 「狙われるのは慣れているわ。私自身、王位継承権が低いからといって軽んじられ、むしろ失脚を狙われてきた。それに、何もしないまま国が滅んでいく方が嫌。――だからこそ、こうして直接出向いてきたの」


セリナの目には迷いの色がまったくない。その強さは、俺のような凡人を超えているように思える。でも、彼女が“民を守りたい”と本気で言っている以上、それに応える義務みたいなものを感じてしまう。よし、ここは腹をくくるか。


「なら、俺たちと一緒に“制度改革”の第一歩を踏み出しませんか? やるべきことは山積みですけど、とりあえずこの“改竄前の法令”を公に示して、貴族の違法行為を批判する土台を作りたい。それができれば、次は……」 「『税制度の見直し』よね?」

セリナが言葉を継ぐ。


「そう。税法や流通ルールの矛盾を突いて、それを王家の名のもとに改めたい。もちろん、実際にどこまで力を行使できるかは分からないけど、王女としての発信力があれば、貴族たちも無視はできないはず」 「ええ、やりましょう。……ディラン、レミィ、あなたたちも力を貸してくれるわね?」 セリナが二人に微笑むと、ディランは少し緊張した顔で「もちろんです!」と姿勢を正す。レミィは「ほんとに大事になってきたわね……でも、面白そう」と苦笑いしながら頷く。こうして、奇妙なメンツの改革チームが成立してしまったわけだ。


「で、肝心なのは実行の手段だな。どうやって市民に知ってもらって、貴族側の反発を封じるか」 「それなら……」とディランが口火を切る。 「実は最近、街の若い役人や下級貴族の中に、現状に不満を持つ人たちが増えている。表立っては言わないが、彼らは“古い法令の復活こそが正解”と密かに思ってるらしい。もしうまく連携できれば、市街で資料を一斉配布する際の障害が減るかもしれない」 「なるほど。つまり、味方になりそうな人たちを事前に取り込むわけね」

レミィが目を輝かせる。


「そうそう。それをやれば、街中で“あれは偽文書だ”とか“反逆罪だ”って騒がれても、少なくとも警備兵や役所が片っ端から取り締まることは無くなる。……セリナ王女がバックにいると分かれば、さらに尻込みしてくれるはずだ」 「いいわね。私も、城の中でそれとなく動けるようにしてみる。表向きは『王女が市民の声を聞く』程度の名目でね。それを正式な形に持ち込めれば……」


話が具体的になってきたところで、クラウスがふむ、と小さく唸る。「こりゃあ本腰を入れて取り組まにゃな」と、微笑みながら言葉を続ける。


「ただ、王女様が動くとなると、当然バルド宰相や貴族会議の目は厳しくなる。時期を誤ると、文書配布の前に図書館ごと封鎖されかねんぞ。特に、かの宰相は情報封鎖が得意と聞くからな」 「その点はうまくタイミングを計りましょう。いきなり大々的に配布するのではなく、まずは都市部の要所だけを狙って“小規模に”始めるの。けれど、その動きを何度か拡散して、大きな波にしていく……」


セリナがまるで軍師のような口調で語るのに、ディランもレミィも俺も思わず「なるほど」と唸ってしまう。相手が大規模な弾圧手段を持っているなら、こちらは段階を踏んでじわじわ浸透させる作戦が有効だ。日を追うごとにクチコミで広がっていけば、貴族たちも簡単には掴みきれなくなるだろう。


「その際、レオンの作ったわかりやすい資料を使うわけだな。いいね、これなら目で見て理解できる」 ディランが感心したように資料を手に取り、改めてページをめくる。羊皮紙に描かれた図表や説明文をなぞり、「ふむ、俺みたいな単純バカでも一目でわかるぞ」と苦笑混じりに笑う。


「それなら、私がさらに魔法的な加工を施してあげようか? 風や水に多少さらされても消えにくいインクを使ったり、読んだ人の魔力で文字が浮かび上がったりする仕掛けもあるわよ」

レミィの提案に思わず俺は「おお、それ面白そう」と興奮する。ファンタジー世界ならではの技術を活かせば、情報が破壊されにくくなるし、“この文章に偽りはない”ということをアピールする印にもなるかもしれない。


「いいね。じゃあ資料のコピーを作るときはレミィの魔法を借りよう。……そっちは大丈夫? 結構な作業量になりそうだけど」 「まあ、大量すぎると私の腕がもげそうだけど、ディランや仲間に手伝ってもらえれば何とかなるわ。ついでに、紙やインクの調達も一緒にやらないとね」 「物資調達か……大変そうだけど、やる価値はある。俺も図書館にこもってばかりじゃなくて街に出て動くよ」


話し合いはとんとん拍子に進む。こんなにスムーズでいいのかと不安になるくらいだ。だけど今は“仲間が増えている”という手応えが嬉しい。さらにセリナ王女が実質的なリーダーシップを取ってくれている形になっていて、俺やディランたちはそのサポートに回る感じだ。まさか王族と一緒に行動するなんて、数日前には想像もしていなかったけれど、不思議と違和感はない。


「それと……実はもう一つ、レオンさんにお願いがあるのだけれど」

セリナが控えめに声を落として言う。なんだろう、この空気。少し真剣な面持ちに戻っている。


「お願い、ですか?」 「ええ。貴方の《司書スキル》は、ただ文字を読むだけじゃないんでしょう? 破損した文献を復元したり、真偽を見抜いたりできるって聞いたわ。もしそれが本当なら……ある古文書を解析してほしいの」 「古文書?」 「今は王宮の奥深くに眠っている“封印書”があるわ。昔の王が隣国と結んだ条約らしいのだけど、その内容が一部消されていて、誰も再現できないの。それが、この国の最終的な危機と関係しているかもしれないの。私が密かに持ち出すのは厳しいけど、なんとかしてレオンさんに解読してもらいたい」


セリナの言葉に図書館内の空気がぴんと張る。そういえばクラウスも「隣国との“裏条項”があるはずだ」みたいなことを匂わせていた気がする。王国崩壊寸前の原因として、外部からの圧力があるんじゃないかという噂もある。もし本当にそんな封印書があるのだとしたら、それを解読すれば“貴族問題”どころじゃない大きな秘密に触れられるかもしれない。


「隣国との条約……それが国を滅ぼす原因にもなりうる、と?」 「可能性がある。実際、過去にいくつかの王が病死や暗殺で急死しているし、歴史の裏にはどうも奇妙な記述が多すぎるの。だから私としては、今回の改革のついでに“その大本”を解き明かしたいのよ。そこまで正せば、本当の意味で国を救えると思う」 「わかりました。協力します。……ただし、まずは書物をこちらへ持ち出せる状況を作らないと厳しいですね。宰相や貴族に見張られているなら尚更……」 「そこが難題よね。でも、まずは小さな改革を進めつつ、足場を固めながら、機を見て封印書を持ち出す算段を立てるわ」


まるで大規模な作戦会議だな。頭の中は情報でいっぱいだが、不思議と胸が躍っている。俺は覚悟した。ここまで関わったからには、もう後戻りはない。バルド宰相や貴族連合に睨まれるリスクは高いが、それを承知で飛び込まないと何も変わらないだろう。セリナだって命がけだ。俺が臆病風に吹かれてはいられない。


「ディラン、レミィ、もし怖いなら今のうちに抜けてもいいんだぜ?」 「バカ言うな、むしろ面白いじゃないか。俺だってずっと貴族たちに鬱憤溜まってたんだ。ここで動かなきゃ男がすたる」 「私だって、毎日ただ魔法の研究をしてるだけじゃつまんない。国が崩壊寸前で、しかもそれを打破する機会があるなら乗るしかないわよ」


頼もしい答えに、思わず笑みがこぼれる。俺は自分の胸をトントンと叩き、セリナ王女へ向き直った。


「じゃあ、正式に“王女と司書の共闘”が始まるってことですね。課題は山ほどあるけど、一緒に頑張りましょう」 「ええ。あなたが司書として培った知識を、私が王族としての立場で活かす。ディランやレミィ、クラウスさん、ほかにも賛同してくれる人がいれば、私たちはきっと勝てる。……絶対、勝ちましょう」


セリナがその言葉を発した瞬間、図書館の中に力強い結束の気配が満ちる。埃まみれの床と崩れた書棚に囲まれた場所なのに、不思議と温かな安心感があるのは、ここに希望が生まれたからだろう。俺は拳を軽く握って胸の前に掲げ、ぎこちない笑みを浮かべながら「よし、やりますか」と呟く。ディランは「おう!」と陽気に返事をし、レミィは「まったくしょうがないわね」と苦笑しながら杖を持ち上げる。クラウスも「ほっほっほ、若いって素晴らしいね」と呑気に笑い声をあげる。


こうして俺たちは、王立図書館を拠点に“改革のはじまり”を宣言する。さすがに外に向かって大声で叫ぶわけにはいかないが、仲間同士の意志は十分固まった。この一歩が、長年の腐敗を打ち崩すきっかけになると信じて。


◇◇◇


その日の午後、セリナは一足先に城へ戻ることになった。表向きの理由は「街の声を視察してきた」と報告するためだが、内心では今回の計画に向けてどこまで根回しできるか探るつもりだという。


「明日か明後日、またこちらに来るわ。それまでに何かあればディランを通じて連絡してくれる?」 「わかりました。こっちも資料の増刷や市民への説明方法を考えておきます」


セリナが図書館の出口で微笑み、「あなたに会えてよかったわ」と最後に囁く。そのまま向きを変え、軽快な足取りで護衛と共に立ち去っていく。あの細い背中にどれだけの覚悟と重責が乗っているのかを想像すると、俺まで背筋が伸びる思いだ。


さて、一方の俺たちは、さっそく“第一回改革作戦会議”のようなものを開くことにした。メンバーはディラン、レミィ、クラウス、それから俺。図書館の片隅に積まれた椅子や木箱をかき集め、小さなテーブルを囲むように座る。


「まず、優先するのは法令の分かりやすいチラシ作りだな。レミィが手伝ってくれるなら、耐久性を高められそうだ」 「そうね、あとは市民が文字を読めない人も多いから、簡単なイラストや図解を加える。大丈夫、私に任せて」


レミィが頼もしく頷く。絵や図式なんて、俺より彼女のほうが上手そうだ。次にディランが紙やインク、複製のための人手など、具体的な物資調達の話をしてくれる。どうやら衛兵仲間の一部や下級役人の協力が得られそうで、そのルートを活用すれば大規模な買い出しも目立たずに進められるらしい。


「とはいえ金がかかる。誰が出すんだ?」

クラウスが大事な問題を突く。全くその通りだ。紙もインクも安くはないし、膨大な部数を刷るなら相応の資金が必要になる。俺はまさか王女に援助を求めるわけにもいかないし、ディランだって平衛兵の給料で賄える額じゃないだろう。


「そこは少々危険だけど、下級貴族の中でも改革派の人に協力してもらう予定だ。彼らだって上の貴族連中に虐げられてる面があって不満を持ってる。多少の資金を出す代わりに、いざ改革が進んだときは“正当な待遇”を受けるよう期待してるんだ」 「そういう取引か……まあ、仕方ないね。こちらも理想論だけで動ける状況じゃない」


ある意味、政治の世界は“利益のすり合わせ”が不可欠だ。王女や俺たちの望む方向と、下級貴族や役人の利益が一致するなら、協力を引き出せる。これは一種のリアルな駆け引きだが、敵を減らして味方を増やすには有効な方法だ。


「よし、じゃあそういう方向で動こう。俺は引き続き、図書館の文献発掘と復元に専念しながら、簡易チラシの原稿をどんどん作る」 「うむ。私も老体に鞭打って、図書館の蔵書をさらに探し回るとするさ。レオン一人じゃ大変だろうからね」 「私たちは表の仕事があるから、合間を見てここへ来るよ。特に警戒が強まったら、すぐ知らせるからな」 「うん、助かる」


クラウスが笑みを浮かべ、ディランとレミィもやる気に満ちた表情でうなずく。こうして、ささやかながら体制が整った。名付けて“図書館改革チーム”――まあ仮称だけど、それなりに気に入ってる。俺たちは笑顔を交わし合いながら、それぞれの役割を確認して解散となった。ディランとレミィが帰っていく背中を見送ると、図書館には再び静けさが戻ってくる。


「……ふう、慌ただしかったけど、なんだか昨日までとは別世界だね、クラウス」 「はは、そうかもしれん。だが、これでようやく図書館が“動き出した”気がするよ。私がずっと待っていたのは、まさにこういう流れだったのかもしれない」 「確かに。廃墟同然のこの場所が、国全体を揺るがす発信源になるとはね。人生、何が起こるかわからないよ」


俺は天井の穴から差し込む光を見上げる。埃が舞うこの空間が、どこか神聖な場所にも思えてくる。きっとこの図書館には“記録”という名の力が満ちているんだろう。過去を読み解き、未来を描く手がかり。それが王国を建て直す一手になるなら、本当に司書冥利に尽きる。


「さて、帰るか? 今日はもう夕方が近いし」 「うーん、もう少しだけ調べ物をするよ。あの魔法封印の棚、まだ手つかずだから」 「無理をするなよ。これからが本番なんだから、身体を壊したら元も子もない」 「わかってる。大丈夫、夜になったら宿に戻るって」


クラウスに苦笑いで答え、俺は古ぼけた書棚へ向かう。手を伸ばしてみると、微かな魔力のようなものが指先にピリリと走る。こういうのってレミィがいれば楽に解呪できるんだろうけど、ちょっと自力で試してみたい。もしかしたら《司書スキル》で何とか突破できるかもしれないし。


ページを開けば新しい世界が広がる。文字を読めば知識が体内に流れ込む。この感覚は何度体験しても不思議で心地よい。異世界で手にした“ちょっと地味なチート能力”が、これほどまでに頼もしいとは、転生前の俺には想像もできなかった。もし日本の図書館にいたままだったら、一介の司書で人生を終えていたかもしれない。だが今は、王女と肩を並べ、国を変えようとしている。


――まだ始まったばかりだけど、確かな高揚感がある。

「よし……次のページを開こう」


自分の心にそう言い聞かせて、本を開く。ちらちらと魔力文字が目に焼きつき、頭の中へ流れ込む。正直怖い。大国を敵に回すかもしれないし、国の中枢を牛耳る宰相が立ちはだかるかもしれない。けれど、王女もいる。ディランやレミィのような仲間もいる。クラウスもこの図書館を守ってくれる。ならば俺は、司書として“読むだけ”じゃなくて、その先へ踏み出してもいいはずだ。


埃だらけの書棚の前で、一人静かに決意を固める。

――王女と司書、改革のはじまり。絶対に失敗は許されないが、やるしかない。覚悟を決めたからには、知識を武器に思い切り戦ってみよう。


ページから立ちのぼるインクの匂いは、昨日よりも少しだけ甘く感じる。気のせいかもしれない。それでも、この感覚が俺の背中を押してくれる。文字が未来を照らしている――そんな錯覚すら、今は力になる。


天窓から差す夕暮れの光が、薄いオレンジ色に変わる頃。図書館に満ちる“静寂”は、確かな鼓動を伴って俺を包んでくれる。高く積まれた古書の山を眺めながら、俺は唇の端をそっと持ち上げる。しばらくは休む暇などないだろう。でも、それがこんなに楽しみだなんて、自分でも意外だ。


「……明日も忙しくなるぞ」


小さくつぶやきながら、俺は新たな書物に指をかける。わずかに震える胸の奥には、期待と不安が入り混じった熱が確かに灯っている。かすかな埃の匂いさえ、今の俺にはたまらなく“生きてる実感”につながる。


――こうして俺とセリナの共闘は、本格的に動き始めた。書棚の奥に眠る封印書類、バルド宰相が操る国政の闇、そして隣国との危うい条約の謎……。数多の困難が待っていようとも、“司書”として立ち止まるわけにはいかない。書き換えられた歴史を読み解き、みんなと一緒に新たなページを書いていく。それこそが俺の使命だと信じるから。

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