第3話 悪役皇帝ですが8回目のループで仕事が嫌になりました。
不思議な声は幻聴か。
ついにそんなものまで聞こえだしたのかと皮肉に笑いつつ、半ば投げやりにアルヴェリトは言った。
「どうしたいかなんて、とっくに決まっている。もう悪役仕事も人生ループもまっぴらだ……悪役を辞めたい。ループを終わりにしたい」
『それは……無職で自由になる、ってことかニャ?』
「えっ、ニート!? 皇帝を辞める、となると、そうなる、のか……」
よっしゃ! とどこからか声がして、どすんと頭に何かが落ちてきた。
「痛っ……!」
アルヴェリトは勢いよくお辞儀の恰好になり、額を机にガツンと打ち付ける。
「やあ、すまニャい。許してくれたまえニャ」
ガバっと顔を上げ、アルヴェリトは目を丸くした。
机の上に猫がいた。
綺麗な毛並みの黒猫だ。丸い眉毛と手足、キラキラ輝く金の瞳。尻尾の先と手足がペンキを塗ったように白い。おまけに二本足で立っていた。背中には小さな翼まである。
「ね、ね、ネコ!?」
ネコ。
それは勤=アルヴェリトにとって神聖かつ手の届かない存在だった。
まず勤のころは、ネコアレルギーでダメだった。
子供のころから飼いたかったが、親には猛反対された。一人暮らしを始めた大学時代に捨て猫を見つけた時も、抱き上げただけで痒くなった。拾った猫は親友が飼ってくれたので、せめて飼育費用だけはと折半し続けたが……窓の外から眺めるだけでも愛情は伝わったのか、いまだに分からない。
ちなみに最初の検査の時に犬アレルギーも判明しており、犬との親睦も始まる前に終わっている。悲しい記憶だ。
アルヴェリトになってからは、これはもう忙しくてダメだった。断罪処刑の回避に必死な悪役皇帝には、ペットを飼う暇なんてなかった。ネコの存在さえすっかり忘れていた。
そこへ、このネコである。
思わず、まじまじと眺めてしまった。
滑らかな毛並みの黒猫だ。
ピンと尖った耳。金色の目。ピンク色のお鼻。
毛色は黒だが、眉毛のところ、それに手足と尻尾の先だけが塗ったように白い。
首元には洒落たリボンの首輪をしていて、もしかして……背中にはコウモリみたいな翼が生えてる!? 飛べるのか!
とにかく純粋に可愛い。
悪役顔であることも忘れ、アルトは蕩けるようにニヤけてしまった。ネコチャン……。
「初めまして、と言うべきかニャ? ミーはこの世界の……おっと」
最後の言葉には困惑が含まれていた。
アルヴェリトが猫の腹に顔を突っ込み、スー、ハ―、と吸ったのだ。
「ネコさま……憧れの……ネコ吸いをお許しください……!」
「許すもなにも、もう吸っちゃってるニャ。おまえ、その最強悪役顔でよくやるニャ」
呆れた声を気にもせず、アルヴェリトは存分に猫を吸ってから顔を上げた。なんと香ばしく尊い香り。これが憧れのネコ吸い。
尖った鼻の先に猫の毛を付けたまま、満足のため息をつく。
「もう満足です。ネコ吸いまでできたなら、この世に未練はありません。人生の終わりを……」
「人の話聞いてたかニャ!? 仕事を辞めて運命を変える話をしてたニャ!」
「あっ、そうだった……」
「天然ボケの要素あるニャ。ホント、こんな奴がなんで悪役皇帝やれてたのか不思議だニャ」
ハア、とため息をついて黒猫は目を細めた。
「まず誤解のないように言っておくと、ミーは特別な存在ってわけじゃニャ―よ。初心者プレイヤー用のナビペットだニャ。だからこれからは飼い主を『ご主人』と呼ぶニャ」
確かに、プレイを始めたばかりの初心者にはナビゲーター代わりの動物『ナビペット』がついた気がする。飼い主である主人公と情報を共有し、序盤の冒険に必要なクエストや道順を示してくれる役だったはずだ。
「ミーの名前は……どうするニャ?」
「それはもしかして……私が付けてもいいと……」
「飼い主だからニャ。手早く頼むニャ」
ネコの名前を付ける。なんと憧れのイベント!
アルトは歓喜するような気持で真剣に考え、だが呆気なく思いついた。
以前に拾った猫の名前。あの子も黒猫だったっけ。
「クロ、で」
「……了解ニャ」
黒猫の上にポンと『クロ』という名前が浮かんで、すぐに消える。
ステータスに登録されたということなのだろう。
「さて……ご主人はジョブを無職に変えたいと言っていたニャ。それはこの世界の初心者になるに等しいので、ミーが生成されたニャ」
「なるほど」
そういうこともあるのか。アルヴェリトは素直にうなずいた。
でも。
「悪役皇帝ジョブを変えるなんて、できるのだろうか?」
ほとんどのMMORPGにおいて、ジョブを変えられるのは主人公である勇者や冒険者だけ。エリュシオン=サーガも同様で、おまけに悪役皇帝キャラが転職したなんて聞いたことがない。そりゃそうだ、物語が成り立たなくなってしまう。
だがクロと名乗ったネコはキラリと金色の目を向けた。
「可能なら、どうするニャ?」
アルヴェリトは少し考えてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……変えたい。悪役皇帝を辞めて、違う人生を歩んでみたい」
けれど。
「でも……その選択は正しいのだろうか。許されるだろうか」
アルヴェリトは視線を落とした。
「悪役皇帝はラスボスだ。そんな要職を投げ出したら、周囲に迷惑が掛かるのでは? そもそも、ゲームが成り立たなくなってしまうかもしれない」
脳裏をよぎるのは前世の記憶。
勤だった頃も転職しようかさんざん悩んだ。でも周囲に遠慮して、迷った末に実行できず終わってしまった。当時は主任で部下もいたし、業務内容も広くカバーしていたから、自分が抜けたせいで進捗を止めてしまうのが怖かった。
今回の影響範囲はそれ以上だ。
国、世界、物語。
自分の一存で決めるには範囲が大きすぎるのではないだろうか。
クロは大きくため息をついた。
「ミーはご主人の記憶と情報を共有してるニャ。だから不思議なループのことも、ご主人の性格も分かってるんニャが……」
金色の目を細めてアルヴェリトを見る。
「確かに、その心配の半分は善意や責任感かもしれニャい。でも残り半分は、自分が悪く思われたくない、という弱さだニャ。ご主人は、臆病で弱虫なんだニャ!」
「臆病で……弱虫!?」
愕然としたアルヴェリトの前でクロはふわりとジャンプし、こちらのおでこにペチッと猫タッチした。
「人生に、正しい選択なんてないニャ。自分の人生でどんな道を選ぶのも、自由なはず。でも、ご主人がそこで迷うってことは……いままで本当の意味で『仕事や人生を自由に選んだ』ことがないんじゃないかニャ? 少なくとも、大人になってからは」
「なっ……!」
今度こそアルヴェリトは絶句した。
仕事や、人生を、自由に選択してこなかった……?
走馬燈のように、勤やアルヴェリトの人生が頭をよぎっていく。会社で、社会で、帝国で、王宮で。
記憶に浮かび上がるのは自分の意思ではなく、周囲の表情、声、そして視線……。
「周囲に遠慮した? 期待された? 選ばされた? 辞められなかった? 確かにその気持ちは分かるニャ。でも……誰かのために選択して、失敗したとしても、他人は責任を取ってはくれないニャ」
クロはじっと、目の前の主人を見つめている。
「ご主人はそれでいいのかニャ? これが最後のループかもしれないニャ?」
息を詰めるアルヴェリトに、クロはニッと笑いかけた。
「勇気を出して、思い切り自由に決めたらどうニャ? せっかくのチャンスなんニャから……無職になって、ミーと楽しいスローライフを始めるニャ!」
……自分の人生を、自由に決める。
たったそれだけの言葉で、アルヴェリトは目の前が開けたように感じた。終わった人生の先に本当の人生があったような、そんな驚きさえ新鮮だ。
「私は……」
アルトはごとりと拳銃を机に起き、顔を上げる。
だがそこで、部屋の向こうから固い音が響いた。
目を丸くしたアルヴェリトの前で、鍵をかけていたはずの扉が静かに開く。
夜闇の向こうからひっそりと侵入してきたのは、顔を魔術バイザーで隠した一人の少女。
ああ、そうだ。この確定イベントは。
「……クロ、私の背後へ」
アルヴェリトは立ち上がりながら魔術杖を握りしめる。
同時に、少女のバイザーに赤い紋章が浮かび上がった。
「目的発見。……最終目的、皇帝アルヴェリトの暗殺を、遂行します」




