第18話 兄と妹
「管理官には大きな職権が与えられているんです」
切り株に座り、それぞれの自己紹介を終えた後でリンネが言った。
濡れた装備は魔法で換装しており、麻のシャツとハーフパンツというさっぱりした服装に変わっている。長い金髪もポニーテールに結い上げ、可愛らしさよりも活発で明るい印象が強くなっていた。明るくて気さくな女性冒険者と言った感じだ。
話してみれば印象の通りで、ナーシャとアルトの怪我はすべてリンネが治癒魔法で治してくれたし、服も乾かしてくれた。
できればこのヤバめの服も換装してほしかったのだが……さすがにそこまでは図々しいと思ってアルトは言い出せなかった。
「管理局の下にはそれぞれ各部があり、多くの担当官が働いているのですが……私の部署は品質保証を専門としておりまして、『世界の欠陥』対応と、それを利用した違反者の検挙を任務としています。検挙後は顧客対応部の担当なんですけどね」
「なるほど、だから私を連れて行こうとしていたのか」
ちなみに、人数に対して切り株の数が足りず、アルトは地面に正座している。
いや、させられているのだ。
クロとナーシャによれば「浮気への罰」とのこと。
他人に親切にしただけなのに……。
正直、天界の管理官よりこの二人が怖い。
「管理官は地上へ降りる権限はあるんですが、対象者および関係者以外には身分を隠すのが鉄則です。文明や人間集落への過度な干渉、ましてや破壊などはもってのほか」
「それで遺跡を壊した罰を食らったニャ」
クロの言葉にリンネが頷く。
「罰によって当分の間、地上での権力行使は禁じられます。天界への瞬間移動と……あとは生活魔法、低レベル魔法は許可されますね。つまり普通の人間レベルになってしまったわけです」
あーあ、とリンネはため息をつき、アルトを見た。
「地下に遺跡があることを知っていて、私たちを誘い込んだんですか?」
「もちろん。今の私には古代魔術くらいしか強いスキルがないから、それで何とかするしかなかった。と言ってもパグベロスが可愛くて、思わず本気で流されそうだったけど」
思い出しただけでも可愛い。だがそんなアルトをクロがジト目で睨む。
「浮気許さんニャ……詫び撫で撫でを要求するニャ……」
「あ、あとでね!」
慌てて気を取り直したアルトは、とにかく、とリンネに向き直った。
「私たちは世界に逆らう気はなく、ただ、自由にスローライフを送れればそれで満足なんだ。あなたの魔法も使えなくなったことだし、これで引き下がってくれないだろうか」
うーん、と言いながらもリンネは手の上に画面を広げる。
「確かにこうしてみるとアルトさんのジョブ変更処理は正常だし、いまの固有スキルも正常に取得されています。裏ステータスの役割も『自由』で正常処理されている。私が天界で処理機を見た時はエラーが出てたんですけど。おっかしーなー」
何枚かの画面を見ながらリンネは首を傾げた。
「管理局のシステムで正常処理されてるなら、それが正常ニャ! レアジョブかもしれないが、この世界に確かに存在するということニャ」
それに、とクロが悪い顔で笑う。
「……リンネ管理官、ちょっとおっちょこちょいニャ? ちゃんと再確認せずに飛び出してきたんじゃないかニャ?」
「どきっ」
胸を押さえたリンネは、うう、と挙動不審にうめいた。
「やっぱりその可能性はありますよね……この世界のジョブってすごく多くて、裏ジョブとかもありますし。『無職』というジョブも……まあありそうな感じ……」
「そうそう、きっとそうニャ!」
ニンマリと笑ったクロとは対照的に、リンネはため息をついた。
「もう少し、ちゃんと確認してから出てくればよかった……私、おっちょこちょいで、早とちりも凡ミスも多いので上司にも怒られてるんです」
「まあさっきの戦いからもわかるニャ」
「えっ初対面なのに!? 管理官の前に社会人失格だあ……」
えーん、と悲しい顔をしたリンネを、アルトは慌てて慰める。
「でも、本気で仕事に取り組んでいることは伝わるから、きっと上司も分かっていると思うよ」
「あ、アルトさん……優しい……!」
目を潤ませたリンネがアルトを見つめる。
だがその向こうからナーシャがものすんごい目でこっちを見てくる。アルトははにかんだ笑いを返すのが精一杯だった。
「にしてもまたお腹空いちゃったニャア……もう夕暮れ近いし……」
クロの言葉に、アルト、ナーシャ、それにリンネのお腹も寂しい音を立てた。ふたたび全員ハラペコだ。
そうだ、とリンネが立ち上がり、手の平をひらめかせた。
「皆さん、村に移動して食事でもしませんか。上司に先ほどのことを打診して返信を待たないといけないし、それまで皆さんから目を離すわけにもいかないので。……出でよ! ソロキャンセット!」
杖やリュックが出現し、地面の上にどさっと落ちる。なるほど旅好き、キャンプ好きなのか。
「天界に帰らなくていいのニャ?」
「今どきの天使精霊は、ちょっとの用事なら使い魔通信ですよ」
リンネはポケットを探ると、一枚の小さな栞を取り出した。
「出でよ神速の伝言獣ミニーラ!」
栞にはやけに上手なげっ歯類の絵が描かれており、杖を振ると小さな黄金色のハムスターに変化した。可愛らしい仕草でリンネの指先に乗る。
「皆さんが夕食を食べている間に上司への報告書を書いて、このハムに届けさせます」
「それはありがたいけど、私たち実は無一文で……」
任せてください、とリンネは胸を張る。
「管理局でコツコツ稼いだ小金を持参してますから大丈夫! ひとまずへそくりから出しますが、たぶん経費で落ちますからガンガン食べてください!」
「やったニャ!」
大喜びのクロを見て、アルトも安堵の息をつく。ナーシャとクロをお腹いっぱい食べさせられるのはありがたい。
でも……分水機構を壊したまま行く、というのも気にかかる。
悩むアルトの裾を、クロが軽く引っ張った。
「生真面目すぎるご主人、言いたいことは分かるニャ……でも先に夕飯食べたいニャー……」
「分かった、わかったよ。修理はあとにするから」
アルトはあっさり根負けしてクロの頭を撫でた。ウルウルした目の猫には勝てない。どうせ修理のための魔力も枯渇しているし、食後に一人で来ればいい。
「じゃあ、ひとまず村に向かおう」
「さんせーい! 久しぶりの下界ご飯だわ!」
張り切って歩き出したリンネの横でクロがよだれを垂らす。
「ミーは骨付き肉を食べたいニャ! こんがりジューシーなやつ!」
「あ、それ私も大好きなんです! 燻製ソースとかあったら最高だなー! あと白パン!」
二人の後ろをついていきながら、アルトは大きな安堵の息をついた。
自分のスキルや行動がクロやナーシャを護り、結果としてリンネとも知り合いになれた。一仕事終えたような満足感さえ感じる。
悪役皇帝の頃には、この満足感がなかった。
指導者とは名ばかりで、帝国と運命の中に組み込まれた歯車でしかなかった。決められた仕事をして、最善だけれど結果につながらない判断をして、灰色の日々を苦く噛み締めて……。
そこでハッとする。
「そうか……」
今日は、およそ二十一年ぶりに繰り返し(ループ)ではない一日を過ごせたのか。まったく新しい一日を。
知らない明日へ続く夕暮れは、こんなにも嬉しくて、不安で。
「……夕焼けって、こんなに綺麗だったんだな……」
茜金の輝きがやけに眩しく目の奥へ染みるように感じた。
その腕に、そっとナーシャが触れる。
「お兄さま、あの……」
恥じらうような、照れたような、困ったような。そんな複雑な表情でナーシャは口をつぐんでいる。
言いたい気持ちはあるのに、言葉が選べないのだろうか。幼子のような切ない表情がいじらしくて、アルトは微笑んだ。
この子にとっても今日は特別な一日だったはず。再会の喜びもそこそこに、ずいぶんと無理をさせてしまった。
「今日はいろいろと面倒をかけたね……身体は大丈夫? 疲れたかい?」
「ええ、大丈夫です……それよりも、お兄様とこうして一緒にいられるのが、幸せです」
おずおずと手を絡めてくる。その仕草まで可愛らしい。
「あ、そうだ!」
いまやボロボロになった食料の袋をガサゴソと探り、小さな包みを取り出す。よかった、あの大騒ぎの中でも無事だったようだ。
少し曲がっていたリボンを直し、彼女に渡すと、ナーシャは目を丸くしたまま受け取った。
「ナーシャは妹なのに、再会してからは贈り物も、食べ物だって満足にあげられなかった。だから村でこれを見つけて、どうかなって」
「ナーシャに……くださるのですか?」
ナーシャは食い入るように包みを見つめていたが、やがて目を和らげた。
「開けても良いでしょうか」
「いいよ」
リボンを解き、中から耳飾りを取り出して、彼女はため息をつく。
「耳飾り……きれい……」
「ナーシャの目と同じ色なんだ。似合うと思って。つけてあげようか?」
こくんと頷いたナーシャから耳飾りを受け取り、両耳につけてあげる。思った通りとてもよく似合って、彼女の可愛らしさを引き立てていた。
ナーシャは嬉しそうに耳飾りを触ったが、わずかに目を落とす。
「……ナーシャは、お兄様の妹でいいのでしょうか。本物ではありませんのに」
アルトは目を細める。
「大丈夫。どんな経緯であっても関係ない。私にとっては、今ここにいる君が本物だよ」
「お兄様……!」
パッと顔を上げたナーシャの頬は赤く、目は潤んでいた。だがすぐにその目を手の甲でふき取ると、ナーシャはいつもの夢見るような笑顔を浮かべた。
「そう、そうですよね。お兄様、ありがとうございます!」
少し離れ、片足を上げ、つま先だけでくるりと一回りして見せる。
「どうです? 似合いますか?」
「もちろん! 可愛いよ、ナーシャ」
「嬉しい……」
頬を上気させたまま、ナーシャは嬉しそうにアルトの隣でまた歩き始める。
二人を眺めていたクロが、そっとアルトのそばに寄った。
「ご主人、楽しい?」
ああ、とアルトは深く頷き、クロを抱き上げた。
「自由な人生は最高だ!」
足取りも軽く村へ向かう一同を、夕日が優しく染め上げていた。




