あるサラリーマンの夜カフェ ⑧
「あれ………?」
「うまいこと利用されてきた事実に、今頃になってようやく気付いたか?この間抜けめ」
店主は呆れたようにそう告げるとフンっと鼻で笑った。
「間抜け…って、上司に利用……えっ、俺は……俺が……??」
俺は不愛想で容赦ない店主とのやり取りのすえ、会社での扱いの矛盾点に気付かされてしまっていた。
まさか、まさか??と疑心暗鬼になりつつも、冷静になって考えてみれば確かにおかしなことばかりだ。
「真に無能なのは誰か、よく考えてみることだ」
「…………ッ」
トドメのような店主の一言に虚を突かれ、俺は冷めてきたカフェラテをじっと見詰める。
もしかして俺は。
もしかすると俺は、俺自身が思っているよりずっと。
俺は、俺が思うよりずっと、仕事のできる人間だったのではないか??
「いや……いやいや、そんなはずないよ……」
店主の言葉に唆され『俺は自分自身の価値を見直すべきなのでは??』と一瞬、ほんのちらりと脳裏で考えたものの、長年、沁み込まされてきた自己肯定感の低さは、そうそう簡単に打破できるはずもなく──
「俺なんか、社会の底辺だもの。まあ、アンタみたいに顔だけでも良ければ、性格悪くても客商売出来たりするんだろうけど…俺程度の容姿じゃそれすら無理だから」
俺は再び落ち込んでハハと力なく笑い、いつものように自らを卑下(ついでに店主を皮肉ってしまったが)して、冷めきったカフェラテを飲もうとした。
──すると、
「ああ言えばこう言う…なんとも面倒臭い男だな」
「は………?」
「……やってしまえ、シロさん」
「にゃっ!!」
「…………え?」
面倒臭げにチッと舌打ちをした店主が、カウンターで寝ていた白猫になにやら指示を出すと、待ってましたとばかりに白猫が起き上がった。そして『え??なんだ??何の話??』と俺が思う暇もなく、白猫はカウンターから華麗なジャンプを決め、
「ぎゃああああ!!??」
俺の頬に強烈な後ろ足猫キックを食らわしてきたのだった。
「うう………ん…んん?」
行き来する大勢の人の気配。聞き慣れた電車の起動音と、駅構内に鳴り響く発車ベル。
「ん………っ?」
喧騒に驚いて目を開けるとそこには、見慣れた駅ホームの光景が広がっていた。
「………へ…?」
白猫のキックで気絶していたんだろう。
気が付くと俺は、電車のホームに座っていたのだ。
周りでは会社帰りのサラリーマン達が、家路を急いで次々と電車へ乗り込んでいる。それはここ数年、残業続きで終電間近まで帰れなかった俺からすると、久しく見ていない懐かしすぎる光景だった。
「………終電も逃していたはず…」
ハッと思い出して駅の時計を見ると、時刻は17時を少し間回った所で。まさか、あれから一晩経ったのか?と手持ちのスマホで曜日を確認してみるが、何故だか日付は変わっていなかった。
は??時間が戻った??というか、全部夢だった??
残業で終電を逃したこと。
おかしな路地に誘い込まれたこと。
妖怪屋敷みたいな猫カフェに入ったこと。
あれらがすべて夢だったというのか??
突然の状況変化に狼狽えながらも俺は、反射的にホームへ滑り込んできた電車へと乗り込んでいた。
「ふう………」
こんな時間に帰れるなんて、いったい何年かぶりかだろう??俺は未だ夢見心地で吊革に捉り、眠りを誘う電車の揺れに身を任せた。そうしながら考えるともなしに、脳裏へ残るおかしな猫カフェの記憶を辿ってみるが。
「うん…やっぱ夢か……」
考えれば考えるほどに、あんな店が存在する訳がない、と思えてきた。
そりゃ、そうだ。夢に決まってる。
第一、あんな辺鄙な場所では、店の営業なんて成り立つわけもないし。
無性におかしくなってきて、全部変な夢だったのだと思い込もうとした、時。
「………ん?」
俺は手に何か紙の塊を握っていたことに気付いて、掌の中のそれをなんとなく広げてみた。
すると、そこには──
カフェラテ代 1500円
猫キック代 5000円
と書かれた1枚のレシートが。
「……………は?」
慌てて鞄から財布を取り出し、中身を確認してみると、確かにそこから6500円分の金が消え失せていた。
「猫キック代、くそ高えな!?」
思わず声に出して叫び、周りの視線に慌てて口を塞いだ。
そして今になって気付いた。
頬に残る肉球の感触に。
「…………はは」
なんだか無性に笑えてきた。自然と口元に笑みが浮かぶ。
あ~あ。えらいぼったくりにあってしまった。散財も良いところだ。
しかし、せっかくだから猫を撫でたかったなぁ。でもまあ良いか。肉球、ふにふにして気持ち良かったし。良く解らないが、なんか色々悩んでたことも、どうでも良く思えてきたし。
不思議なことに、ここ何年も鬱々としていた心が晴れて、重苦しかった身体も軽くなった気がした。
もちろん気のせいかも知れないけれど。
明日には元通りになってしまうかも知れないけれど。
でも、そうじゃなくて今日とは違う明日を送れるなら。
そうしたなら俺の人生も、少しはマシなものになるかも知れない。
「よ~し、帰ったら退職届書かなきゃな……!」
電車を降りて弾んだ足取りで家路を歩きながら俺は、何故だか、さも当然かのように『会社を辞めて転職しよう』などと考えていたのだった。




