あるサラリーマンの夜カフェ ②
にゃあん
「………え?…猫?」
遠い家路を重い足取りで進んでいたその時、どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた。
都心からはだいぶ離れたとはいえ、まだ、周りはビル群が見上げる空を狭くしている。そんな場所で猫の声が聞こえるなんて、これまでにほとんど体験したことが無かった。
十数年昔ならともかくとして、最近は野良猫に対する『管理』が行き届いてきたのか、街中で野良猫を見掛けることもなくなってきていたからだ。
にゃあん
耳の迷いか??そう思って歩を進めたら、再び呼び止めるような猫の声が響いた。
「猫……白い、猫?」
気になって視線を彷徨わせると、真っ白な猫の姿がビルの隙間に見えた。闇の中薄っすらと光るその様子に、一瞬、ビニール袋か??と目をこすったが、そうではなく、それはやはり全身真っ白な一匹の猫であった。
ピンと立った耳、大きな青い目、細く長い尻尾。
なかなかに優美な姿の猫だ。
一見して野良猫とも思えない。
迷い猫だろうか?にしては、首輪も付けていないし。
なんとなく気になって数歩近づいてみると、白猫は避けるように身を翻した。そのままビルの隙間の狭い路地へ、尻尾を振りながら歩いていこうとする。
ああ、やっぱ逃げるよな。野良猫だもんな?
諦めて立ち去ろうとしたら、白猫は再び足を止め、にゃあんと鳴いた。
「なんだ?…俺のこと、呼んだのか?」
そんな訳ないと思いながら呟くと、白猫は応えるみたいにこくんと頷いた──ように見えた。い、いや、まさかな??見間違い、だよな??そう疑いつつそっと数歩近付くと、やはり猫は歩いて路地へと入っていく。
そうして今度は、
にゃん!
と俺の方を振り向いて一声鳴き、スタスタと路地の奥へと歩いていった。
まるで俺に『着いてこい』と言わんばかりに。
「……まさかな?」
興味をそそられた俺は、少しだけ白猫に付き合うことにした。
もしかしたら案内された先に、仔猫が居たりするのかも知れない。
死にかけた仔猫を助けてもらおうと、親猫が人間を案内する…なんて動画を、いつかどこで見たことがあった気がするからだ。もちろん、それらが真実の出来事かどうかは解らないけども。
でも、もしも本当に、この猫が困っているなら。
こんな俺でも、なにかしてやれるのなら。
少しでも助けてやりたい──だなんて、気まぐれにも俺はそう考えてしまったのだ。
にゃん!
「おいおい…どこまで行くんだよ…」
俺が着いてくることを確認したのか、白猫は路地を迷うことなく進んでいく。ビルの隙間に出来た路地はまるで迷路だ。正直、5分も進んだ時点で、俺は元の場所へ帰れる自信がなくなってきた。
それに──俺が猫を追って入った路地は最初、それなりに幅があったんだが、なぜか、進むにつれ大人1人がようやく通れるほどに狭くなってきたのだ。
このまま出れなくなるんではなかろうか??なんて、内心恐ろしくもなって来るが、今更もう引き返せない。
なにせ、路地はいよいよ方向転換ですら、できない幅になってしまっていたからだ。もう、こうなったからには前へ前へと進むしかない。
「やめときゃよかった…」
ダイエットしなかったことを、心底後悔し始めた辺りで、やっと道の先に終わりが見えた。
ようやく終着点か??
ギリギリの幅を擦り抜けてなんとか路地から出ると、そこには思いがけないほど大きな空間が広がっていた。
「……………は?」
ビルとビルの隙間に、こんな場所があるなんて??
驚きつつ周りを見渡すと、広場を覆う壁は全て10階以上はあるビル群。しかも、どういう訳だか、どのビルにも広場へ面した窓がない。だからきっとこんな場所がここにあるだなんて、他の誰も知らないんじゃないだろうか??と思えた。
「まるで都会に隠された秘境だな…」
素直な感想を思わず口にすると、どこからかまた猫の声が聞こえてきた。
ここに住処でもあるのか?と振り向いた先へ視線を向けると──
「え……なんだこれ……妖怪屋敷…?」
目の前にはボロボロで今にも崩れ落ちそうな…というか、なにか出てきそうな幽霊屋敷…いや、どちらかというと、妖怪でも住んでそうな風体のボロ屋が、おどろおどろしく鎮座していたのである。