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オフィスビルの魔法使いさん

作者: 夏野菜

わたしには気になる人がいる。


わたしは今年の四月から某都市のとあるオフィスビルの中層階に勤めることになった新社会人である。気になる人というのは、わたしが務めるオフィスフロアの二階下に務めていると思われる。


思われるというのは、その人はわたしと朝の通勤時間帯が同じでエレベーター内で見かけることが多いからだ。見立ては30代後半で、短く整えられた黒髪に、グレーのチェックのスーツ。ブラウンの靴に、ブラウンの高そうな鞄。そしてその鞄には小学生のランドセルに突き刺さったリコーダーのように、黒い杖がいつも刺さっていて鞄の端からその身体を堂々とさらけ出していた。


(杖…)


初めてその杖が目に入った時、わたしはそれに釘付けになった。どう見ても全体的なコーディネーターとしては違和感があるのに、まるで当たり前かのようにそこに杖はあった。しかもその杖はおもちゃのようなプラスチックみたいな安っぽい作りではなく、歴史ある大木から掘られたような重厚感ある作りをしていた。


そしてその人を見かけるたびに、わたしは鞄に刺さった杖を確認するようになった。仮にその人を魔法使いさんと呼ぼう。


そんな社会人生活が始まって、数ヶ月が経った頃。


「あれ?」

「先輩、どうしました」

「うち宛じゃない郵便が一通ある」


郵便整理をしていた先輩は茶色の封筒をわたしに見せた。宛先には英語でこう書かれている。


“Maggie Brown Co., Ltd“


外資系の企業だろうか。

差出人の欄には猫のシルエットと共にこう書かれている。


"囲炉裏商店 蔦の館"


なんだかお洒落な名前だ。封筒をまじまじと見ているわたしの横で先輩が住所の欄を見てため息をつく。


「これ二階下の会社宛だよ」


二階下。それは魔法使いさんが勤めている会社があるフロアだ。思いも寄らないところで社名を知ることになったと思いかけて、いやいやと首を振る。一フロアに複数会社がある可能性もあるので、まだ魔法使いさんの会社と決まったわけではない。


「郵便局に戻すかー…ってあれ?これ消印ないじゃん」


わたしははっと気付く。この機会をみすみす逃すわけにはいかない。


「あ、あの先輩!それ、わたしが持って行っていいですか?」

「え?むしろ行ってくれるの?」

「はい!」


わたしは元気よく返事をして、その封筒を受け取った。


「では行ってきます」


善は急げで、わたしは封筒を手にエレベーターホールへと向かった。エレベーターに入り、緊張と興奮で少しどきどきしながら二階下のフロアのボタンを押す。


ポーン


小気味いい音がなって、エレベーターが止まる。わたしはエレベーターの外に足を踏み出して、すぐに首を傾げることになった。


「え…?」


このオフィスビルの構造的にエレベーターホールを抜けると、すぐにオフィスの入り口があるはずだ。しかし、このフロアにはオフィスへの入り口がどこにも見当たらない。


「入口が…ない?」


そう、ないのだ。ロの字になっている廊下をぐるりと一周してみたが、扉らしきものは一つもない。そう、壁しかないのだ。


「そんな…」


こんな構造のフロアがあったなんて知らなかった。これでは封筒を届けることさえできない。わたしは静かに項垂れ、とぼとぼとエレベーターホールへと足を向ける。


ポーン


エレベーターホールに足を踏み入れた瞬間、エレベーターのひとつが開いた。そのエレベーターから出てきた人は、わたしを見て不思議そうに首を傾げた。


「ん?」

「魔法使いさん!」


見慣れた姿にわたしは思わずそう口にして、慌てて口を閉じた。魔法使いさんは目を丸くしたあとに、わたしに微笑みかけた。


「…君は、朝よくエレベーターで一緒になる人ですよね」

「あっはい」


覚えられている。テレビのタレントに名前を覚えてもらっていたような感動を覚えつつ、わたしは大きく頷いた。


「どうしたんですか?」

「あ、あの、このフロア宛の郵便がうちに混ざってしまっていて…」

「ああ!確かにこれはうちの会社宛でですね。ここの店長、よく送り先を間違えるんですよ」


わたしは魔法使いさんに封筒を渡す。わたしはそこで心を決めて口を開いた。


「あの…ところで御社は…どこに?」


わたしのその言葉に、魔法使いさんはにこりと笑った。


「ああ、弊社はIC杖を持っていないと入り口が出てこない仕組みになっているんですよ」


ICと杖。その単語が合体することがあるのか。


「見ていてください」


そう言って魔法使いさんは茶色の鞄から杖を取り出した。


「それ」


魔法使いさんが何の変哲もない壁の前で杖を振ると、次に瞬きをした時には目の前に扉ができていた。まるで最初からここにありましたと言わんばかりに。


「え?」


わたしは思わず目を擦る。


「ど、どうやって…」


わたしが扉を指さしながらそう尋ねると、魔法使いさんは涼しげにこう言った。


「君の言う通り、私は魔法使いなので」


そんなまさか。驚きのあまり言葉を失うわたしに、自他ともに認める魔法使いさんは微笑みかけた。


「よかったらオフィスを覗いて行きますか?」

「い、いいんですか?」


好奇心には敵わない。


「郵便を届けてくれた恩人ですので。お茶の一杯くらい」


魔法使いさんが扉を開けると、廊下に風が吹き込んだ。


応接室に案内される短い間に失礼にならないように気をつけつつ、わたしは横目でフロアを見た。フロアのデスクの構成はそんなにわたしの会社とも変わらないように見えた。どの机にもパソコンがあるし、複合機もある。しかし、少しずつわたしの会社と決定的に違うところがある。



書類が時折天井を飛んでいる。

窓から手紙が入ってきて箱の中に収まっていく。

デスクで杖の手入れをしている人がいる。

複合機からパソコンで作ったとおもわれる魔法陣が出力されている。


「課長、一番に外注さんから電話です。魔法陣の構成について質問だそうです」

「来週水魔法使える人、手空いてませんか?俺ひとりじゃちょっと難しそうなんですけど」

「今日の郵便魔法休み?困ったなぁ誰かできる人いたっけ?」

「この前の封印研修の出張旅費について質問が…」


目に飛び込んでくる光景と耳にも入ってくる会話を呆然と受け止めていたらいつの間にか応接室のソファに座っていた。そんなわたしを見て、魔法使いさんはクスリと笑った。



「驚かせちゃいましたね。弊社に所属するのは全員何らかの魔法使いです。それぞれの特性を生かして仕事をしています」


魔法使いさんが杖を振るう。すると、目の前にお茶のセットが現れた。


「こ、こんなすごい人達がいたなんて気づきませんでした…」


魔法使いさんがお茶を入れる様子を見ながら、わたしは小声で呟いた。


「私達は実は魔法使いという種族で、厳密には人間とは異なる生き物なんです」

「えっ」

「人間に見つかるとやっかいなことが多かったので、進化の過程で私達は人間に存在を知られないような生態になっていきました」


その話を聞いてわたしは冷や汗を流す。


「あ、あのわたしが気付いちゃったの…もしかして…結構まずいことなのでは…」


魔法使いさんは音もなくにこりと笑って、入れたばかりのお茶をわたしに差し出した。


「こちらのお茶を飲めばここで聞いたことと見たことは全て忘れます」

「えっ」


お茶を見る。どう見てもただの緑茶に見えるが。


「……………いただきます」


せっかく見た光景を忘れるなんてもったいないと思ったが、魔法使いさんがそうしようとするなら仕方ないと思ってわたしはお茶を手にした。魔法使いさんたちの立場をなにか危うくさせてしまうようなことはしたくなかった。


ごくり。


「…!」

「どうですか?」


口に広がる爽やかな緑茶の香りと、ほのかな甘み。


「とても美味しいです!」

「よかった。それは弊社のお得意様が作っているお茶なんです」


魔法使いさんは笑って片目を閉じた。


「……ちなみに、いつ頃忘れるんですか?」

「ああ、さっきのは冗談です」

「えっ」


さらりと言われた一言に思わず湯呑を取りこぼしそうになる。


「君のような存在を明かす前に気付く人は、そういう魔法の効果があまりないんです。なので、これは口止め料ということで」

「口止め料ですか……」


物騒な言葉を使うが、魔法使いさんの対応はやたら優しいような気がした。


「それに君ももしかしたら魔法使いの血を引いてるのかもしれないんで」

「え?」

「魔法使いは気付かれにくい生態なので、魔法使いと気付かれることもなく愛する人間と添い遂げる者も多くいます。そうして生まれた子供も自身が魔法使いの血を継ぐと気付くこともなく一生を終えることもある」


魔法使いさんがお茶をすする。


「なのであなたの祖先にも魔法使いがいた可能性がある」

「な、なるほど…」


わたしは自分の両手を眺める。


「先程届けてくれた封筒のお店、覚えてますか?」

「あ、はい」

「そこに行って店主に杖を選んでもらうといいですよ。あの店長は郵便魔法は下手ですが、杖を選ぶことに関しては右に出る者はいません」


わたしは頭の中で先程のお店の名前を急いで忘れないように復唱する。


「もし相性のいい杖が見つかれば、君に眠る血が呼び起こされて魔法が使えるようになるかも」

「…!」


夢のような話にわたしは思わず目を見開く。


「まぁたとえ魔法が使えなくても、相性が良い杖は君を守ってくれるはずです」


わたしはやや興奮しながら湯呑の中のお茶を一気にあおった。


「い、行ってみます!」


わたしを見て、魔法使いさんはおかしそうに微笑んで、片目を閉じた。


「ぜひ」


そしてあまり長居をするのも悪いので、わたしはそろそろお暇をすると魔法使いさんに言う。


「ああ、そうですね。では最後によろしければ名刺交換でも」

「い、いいんですか?」

「ええ、もちろん。君も立派な取引先になり得る方の一人ですから」


念のため名刺入れを持ってきていてよかった。わたしは緊張しつつ、社内研修でやった名刺交換の作法を思い出しながらぎくしゃくと名刺を差し出した。


「頂戴いたします」


魔法使いさんはなめらかな所作でわたしの名刺を受け取ってくれ、魔法使いさんの名刺を差し出してくれた。


「ありがとうございます!」

「いえ、こちらこそ」


わたしはもらった名刺をまじまじと眺める。実は新社会人になってもらった、初めての名刺だった。


「では、エレベーターまで」

「はっはい」


その後魔法使いさんにエレベーターホールまで見送られた。わたしたちが出てきたあと、魔法使いさんの会社の扉はまた消えてただの壁になった。


「では今後ともよろしくお願いします」

「はいっ!よろしくお願いします」


エレベーターの扉が閉じて、魔法使いさんが見えなくなる。わたしはエレベーターの中の壁に持たれて、深く息をついた。名刺を胸に抱えて、高揚感のままふふと漏れる笑みを抑えられなかった。



それから。



「おはようございます」

「おはようございます!」


わたしと魔法使いさんは会えば毎日挨拶を交わすようになった。魔法使いさんの鞄には今日も杖が顔を覗かせている。


次に気になるのはわたしが魔法が使えるかどうかだ。次の休みには教えてもらった囲炉裏商店に行ってみようと思っている。


もしかしたらわたしにも魔法使いの血が流れているのがわかってしまうかもしれない。


なんだかそれを思うだけで、一日が少し楽しくなるのだ。




おしまい

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