太陽が隠れるずっと前から 3話
翌朝。今日は朝から雨模様でジメジメとした空気が肌に張り付く。お世辞にも過ごしやすい一日とは言い難い。
通学路に出来た水たまりにぽつりぽつりと雫が垂れる。時折通り抜ける車が勢いよく水たまりを踏み抜き、しぶきが舞う。
傘を開いて一人、通学路を進む。
単調な道を歩きながら昨日の当てにならないアドバイスを思い出してみる。
――もう当たって砕けろ。それが青春だ。な、まだ道は長いからな!ガハハ!
まったく当てにならない。これだから脳筋は。
――仮に告白失敗で初恋パァになって残り一年半微妙な空気が漂ってもそれも青春さ。
なんとも性格悪い奴だ。これだから友達も少ないし、彼女の一人も出来ないんだぞ。
傘を差しながらため息を一つ吐く。それは天気のせいか、それとも……。
そんな憂鬱さを吹き飛ばすかのように。
「ふん」
今日も野埼は不機嫌そうに俺の元へと来た。
不機嫌なら来なければいいのに。まあ、恋焦がれる相手と話せるなら俺は構わないけど。
「どうした?野埼」
「アンタ、何かアタシに言う事があるんじゃないの?」
何か……ああ、そうだ。
「今日雨だし“リリー”のケーキ半額だから奢るけど食べる?」
「行くわ。じゃ、な・く・てッ!」
「ほへ?ほぇ~あっ、数学の宿題?写すなら貸すけど」
「……なんでもないわ」
「分かったから、ほら。授業までに返してくれ」
妙なところで日和見してしまった。けれど反応を見る限りは日和見しなくても同じ結果だっただろう。悲しい事に。
俺は野埼にノートを投げ渡すと、どっと机に伏した。野埼は興味を無くしたのか、スタスタとどこかへと消えていく。
はぁ……。結局、日食の事は言いそびれた。
朝だから時間が無いのが悪い。だからこれは仕方ない事なのだ。
そう、自分に言い聞かせた。
「お前ら本当に付き合ってないのか?」
そんな様子を見ていた間宮と箕面の二人は昼休みに首を傾げながら俺に聞くのだが、そんな事俺に聞かれても分からん。
だってねえ、恋人的な意味で付き合ってはないから。いや、でも、まあ好きだけど。
なのでただの幼馴染だと説明した。
そう説明してもただ首を傾げるだけだった。傾げた首は360度回って理解不能と二人は感じたのか、デート頑張れと俺の肩を叩く。
いやデートじゃないが?
「勝機がありそうなのが癪に障るね。僕には、うん」
「性格悪いな、箕面」
「まあコイツはそのせいで友達少ねぇからな。多めに見てやれ」
「そうだそうだ。口は災いの元だぞ箕面」
「この話の流れで僕が被弾するとは。いいじゃないか正直で。美徳だぞ、美徳」
「ハイハイ。ま、大人になれってコトよ」
「そうだそうだ」
いつの間にか話は箕面に向いていた。身から出た錆である。
ちょっとはお灸を添えてやらねば。俺も話に加勢する。
そんな事をしている内に昼休みは終わり、授業も終わって。
そして迎えた放課後。
「それで。どうして誘ったのよ?」
「どうして?いや、何でだろ。機嫌取り?」
「……ふん」
坂を下り、街へと向かう途中。ぽつぽつと雨が降る中、野埼はくるりと体を翻すと俺に尋ねた。
聞かれても。まあ、本当の事は言えないもので。俺は小手先の誤魔化しで切り抜ける。
けれど。やっぱり不審な姿に見えるのか。疑うように野埼の視線が刺さる。
俺はそれを無視して坂を下る。図星だと彼女も分かったのだろう。
それ以上、何も言わずに付いてきた。
坂を下ればどこにでもあるような郊外の駅前。商店街はシャッターの下がった店もぽつぽつ見受けれるが、ボチボチ繁盛している。
そんな商店街も最近はチェーン店が増えてきた。そんな事を言い始めて早30年。
そんな商店街で俺達が生まれて来るよりもずっと前からやっているケーキ屋兼、喫茶店。
この店は雨の日になると客足が遠のくから。それを理由に何十年も前から雨の日だけケーキが半額なのだ。そのお陰か、今日も店内はいつも通りに混んでいた。
運よく二席空いているとのことなので、俺達はポンと席に着く。
「ちょっとは加減してくれよ?」
「奢りなのに?」
「高校生の懐事情なんてたかが知れてるだろ、な?」
本当は言わない方がカッコいいけれど、俺は野埼に配慮を促す。
やれやれ。そう言わんばかりに彼女は首を振ると、メニューを指さす。
「秋味モンブラン。それとコーヒーね。アンタは?」
「イチゴのショートケーキ。飲み物は抹茶ラテ」
「いつもその組み合わせね、アンタ」
「好きなんだよ。ショートケーキが」
肘を付いて。彼女はまたいつもの、と呟いた。
変わらないものは変わらない。好みなんてその最たるもの。
ちょっとだけ睨むと、ハァと一つ息を吐いて野埼は外を見る。
しばらくして店員がやってきて注文を取った。サクサクと慣れた手つきで伝票を書くと、複写を席に置いた。手に取って金額を見ると、二人で〆て1200円程。まあ何とかなる金額だ。
……この程度の出費が続くなら、ちょっとはバイトのシフトを見直さないといけないが。
「それで誘っておいて『実は何もない』とかそんなオチはないわよね?」
「……まあ、あのさ……」
「何よ?」
「あっ。まあ、うん。何でもない」
「ふぅん?」
頼んだケーキがやってきて。コーヒーと一緒に紫色のモンブランを堪能していた野埼がふと俺に尋ねる。
俺は日食について言おうとして――日和見をする。疑うように見る野埼に怖気づいて。
今更、怖気づくも事も無いけれど。やっぱり怖いものは怖い。野埼が、ではなくて。この関係が崩れるのが。
そんな俺を野埼は一瞥すると、天井の照明を見ながらぽつりと告げた。
「じゃ。一つ昔話をさせて頂戴」
「昔話?」
「そ。アンタがまだはなたれ小僧だった頃――それは今もね」
「オイコラ」
「冗談よ。幼稚園ぐらいの頃ね」
野崎が俺の事をどう思っているかを俺は知った。
まあ、そんなもんだろう。ガキはいつまで経ってもガキなのだ。
それはさておき、小学生以前の話なんて殆ど覚えていない。
少しだけ興味が湧いた。
「アンタが幼稚園の砂場で同じ組の女の子に砂かけてた。で、アタシが止めた」
「酷いクソガキだな」
「アンタの事よ……ま、その娘がアンタのシャベルを取り上げた事が発端なのだけど」
「ようやった。俺」
「そうはならないでしょ。ま、アタシが二人を叩いて仲直りさせたわ」
「お前が一番野蛮じゃねぇか」
「うっ、煩いわ!」
そんな話、一ミリも覚えていなかった。やっぱり自分の記憶なんて当てにならない。
笑いながら。俺は少しだけ心細くなった。けれど、抹茶が全てを流し、イチゴのショートケーキがささやかな幸せを運ぶ。
結局、楽しくお茶して終わり。何の進展も無かった。
そのまま課題は持ち越しとなり、そこから三週間は課題を棚上げして。
いつの間にか月は変わり、夏休みは目前に迫っていた。