太陽が隠れた日の事
夏空に燦々と太陽が昇り、今日も蒸し暑い一日が始まった。
連日続く猛暑に気が滅入りそうだ。まあ、曇り空のジメジメとした夏の日でも気が滅入るし、ザアザアと雨の降る日も当然気が滅入る。ちょっと贅沢な話のように聞こえるけれど、人間文句を言う事に長けている。どんな天候でも文句を言える自信が俺にはあった。
そんな文句すら吹き飛ばせるような、雲一つ無い見事な空だ。
まあ、それでも俺は文句を言う。眩しいとか、憂鬱な気分には似合わないとか、気が滅入るとか。
それはさておき、空というものは不思議で溢れている。
例えば、青空をしているのはなぜか。雲が浮いているのはなぜか。風がそよぐのはなぜか。夜の帳が下りるのはなぜか。
全部、科学で説明できる事象だけれども、説明を聞いてもなお、不思議に感じる。
そんな不思議な空にまつわる思い出を一つ、思い出した。
あれは今から何年も前のこと。まだ背丈がうんと低くて、声変わりもまだだった幼い日のこと。
小学生だった俺はある日、日食というとても珍しい現象が近々起きるとテレビで知った。
月が太陽と重なる事で起きるとても珍しい現象。
宇宙のスケールの大きさをこの大地から体験できるのだ。
もうそれを聞いただけでワクワクした。早く誰かに伝えたくて仕方なかった。
けれど、もう既にインターネットが当たり前になって久しい時代に生まれた同級生は、俺が日食について話題を振ると興味こそ示しても、スマホで簡単に調べて動画を見せて来る。
十何年も前に撮影された少し荒い映像では太陽に月が重なって、辺りが暗くなったと思うと、影の淵から金環が姿を現す。
とても綺麗だった。これをナマで見られる、と言うだけでとてもドキドキする。なんて伝えても「あっそ」で済ませられる。ちょっと味気の無い世界になったものだ、なんて過去も体験してないのにボヤいてみたくなった。
それはそうと、その日から日食について調べてみた。
ただ、文字ばかりのサイトは読みにくい文章でイマイチ分からない。短めで手軽な動画だと仕組みしか分からない。
結局、古い本に頼って情報を集めた。何だか自由研究みたいだ。
その古い本によると今回の日食は部分日食、太陽が全部月で覆われる訳じゃなくてちょっとだけ隠れるだけだそうだ。動画で見たような綺麗な日食が見られるのは五年後の事らしい。
ちょっぴり残念。
それはそうとして、こんな珍しい現象を見逃す訳にはいかない。早速、俺は行動に移った。
早速通販で天体観測用のグラスを買った。安物だけど、直接太陽を見るわけにはいかないから。
けれど、ここで問題が一つ。
これ、二個セット。
一個グラスを買うともう一個付いて来る。
もったいない話だ。でも使い道が……。
と、ここでいい解決策を当時の俺は思いついた。
そうだ、誘おう。野埼を。
野埼彩。
有り体に言えば俺の幼馴染で初恋の相手。
その割には揶揄ったり、バカにしたりで多分嫌われてる。
仕方ないだろ。その、なんだ。適切な距離感ってのがイマイチ分からなくてだな。
幼稚園の頃からの仲なんだ。おしめが取れる前の事なんて覚えてないけど、記憶が残っている頃には既に一緒に遊んでいた。それぐらいの、まあ、うん。
まあ、そんな相手に一緒に日食見ようぜ!なんて誘ったのだ。
よくやった!小学生の俺!
無鉄砲に断られるなんて一ミリも考えていなかった事だろう。
「ふぅん?アンタらしくないわね。ま、いいけど」
事は小学生の俺が願った通りに進み、許諾は直ぐにもらえた。
そんなこんなで迎えた日食当日。
その日の午前中は雨だった。午後になって梅雨特有のジメジメとした風が温風を運ぶようになり、状況は良くないけど日食が見られないなんてことは無くなった。
学校が終わって。
俺と野埼の二人は高台へ向かった。日食を観測しに。
どうせなら高い所が良い。と言い張る野埼に負けて俺は何段もある石畳の階段を昇る。野埼はというと、軽やかに二つに結んだ髪を靡かせながら同じ階段を駆け上がる。
小学生というのは体力の塊である。まあ、俺は違ったけど……。
ヒイヒイ言いながら階段を昇って。
辿り着くは高台の展望台。まあ、厳密には展望台と称する広場だけど。
普段は散歩のご老人や犬を連れたご婦人、サボりの背広がベンチで憩うのんびりとした空気の流れる場所だが、今は誰もが太陽観測用の黒いグラスを持って今か今かと空を見つめていた。
完全に日食ブームである。
「おっ、暗くなってきた」
「えっ?あっ、ホントだ」
しばらくベンチで座って待っていると、辺りが段々と暗くなっていく。
雲のせいでも地球の自転のせいでもなく、月が太陽を隠し始めた。
「段々と……」
月が太陽の輪郭を隠し始めた。
ぽっかりと月の影が真っ黒に染まる。
「おぉ」
じわりじわりと進む日食に野埼は手に汗握って夢中になる。もちろん、俺もそれは同じ。
グラス越しでも眩しい太陽に綺麗に真丸な影が生まれるのだ。
夢中になって当然の事。
そしていよいよ、太陽は月を完全に覆う――
ことは無かった。そう、今回の日食は部分日食。
月が完全に太陽を隠す皆既日食でも、月の間から太陽の後光が眩しく煌めく金環日食もない、一部だけ隠れる部分日食だった。
しばらくすると辺りは段々と明るくなり、いつの間にか空は夕焼けに染まり始めていた。
「ちょっとアンタッ!まさか騙した訳じゃないわよね!」
グラスから手を離し、隣に立つ野埼の顔色を伺おうと顔を合わせると、間髪入れずに野埼は俺の襟元を掴むと激しい剣幕で巻きたてる。
「日食って!こんなショボく終わるなんて聞いてないわよっ!」
「いや、日食としか俺言ってねぇし」
「知らないわよ!……ぅう」
ただ太陽が隠れるとしか言っていない訳で。野埼は俺の言い訳に力なく立ち尽くした。
それが悪かった。
「ねえ見てあれ」「あら。騙されたのかしら?最近の子は女の子を泣かすのも早いわねぇ」「将来が怖いわねぇ~」「よく見たら駒橋さんのお子さんじゃない」
なんて調子に一緒に日食を観察されていた近所のご婦人方から後ろ指を指される。
何だか無性に責められているような気がした。
「野埼。やっぱり皆既日食じゃないと不満?」
「……」
駄目だ。完全に耳を閉ざしていやがる。
よほど楽しみにしていたみたい。悪い事をしてしまった。ええと、どうしよう。
「そう遠くない内に日本でも皆既日食が見られるらしいからさ、その時に一緒に見に行こう。な、約束」
俺はまあ、機嫌を取るためにそんな情報を流す。
そうすれば、ずっと一緒に居られる。そんな気がしたから。
「……本当?」
「本で読んだ。それに約束、ちゃんと守るから」
「信用できないわ。……ま、騙されてあげる。アタシの方がお姉さんだしね」
野埼は仕方ない人と言わんばかりに呆れ顔をすると、俺の小指に小指を絡ませる。
それにちょっとドキっとしてしまう俺。
けれど、平然を装って頷いた。
こうして小学校時代の美しい思い出の一つは幕を閉じた。
環境が変わって、世間や世界が揺れ動いて、時代が幾らか流れていったのに、この想いだけは変わらず、ずっと――