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2 裸の王様の伝説

「また始まるな」

「ああ、そうだな」

「いい加減うんざりだな」

「ああ、うんざりだ」

「あの野郎はまるでわかっちゃいない。こうして道のそばで待たされているのも苦痛だっていうのに、その上、俺たちの血と汗の結果が、あんなふうに浪費されているのを見せつけられるわけだから、見ているこっちはむかついてしょうがないんだってことが、あの野郎にはまるで通じないんだ」

「ああ、その通り。お偉いあの男には、俺たち下々の連中の苦労なんて、これっぽっちもわからんだろうな」

「おっと、始まるみたいだ。口を閉じよう。みんな静かに。あの野郎が出て来る。国王陛下のお出ましだ!」




 ラッパの音が鳴り響くとともに、城門がゆっくりと開かれた。

 陽光が、門から出て来た男の頭上の冠を輝かせる。風が、よく手入れのされた黒い頭髪をそよがせる。

 男の出で立ちは極めて豪奢だ。右手には、鷲の彫刻を施した杖を持ち、身には、金色の糸で獅子の刺繍を施した重たげな緋色のマントをまとっている。着ている服も上等だ。

 男は、この装いの華やかさを見せつけるようにして、ゆっくりと道を進んで行く。

 城下の大通りにずらりと並んだ国民が、投げやりな感じで歓声を上げる。

 こうして、この王国の恒例行事、王の行進は開始された。

 護衛の兵士たち――やはりどこか投げやりな表情だ――を引き連れながら、国王は行進を続けた。その顔には満足げな笑みが浮かんでいる。国王は、国民たちに目の保養を与えているつもりでいた。せっかく莫大な国費を注ぎ込んで作らせた衣装を、国王一人が居室の鏡の前で楽しむというのではもったいないと、国王はそう考えていた。国王にとって、この月に一度の行進というのは、国民に対する娯楽の提供という意味があった。

 だが、しかし、

「皆の者、楽しんでおるかー!」

 という国王の呼びかけに対して返って来るのは、沿道の国民たちのまばらな拍手だけであった。

 ところが、国王はそんなことなどお構いなしで、やはり満足げにうなずくと、例の見せつけるようなゆっくりとした足取りで、行進を続けて行くのであった。

 王の行進はまだまだ続く。




「まったく、下らん見世物だな」

 城壁の上で、城下の行進を眺めながら、一人の貴族がつぶやいた。声をかけられたもう一人の貴族が答える。

「ハッ、殿下のおっしゃる通りでございます」

 城壁の上には、この二人しかいない。先につぶやいた貴族は、いかにもうんざりした様子で言葉を続けた。

「まったくもって、下らん行事だ。あの男、今は国王と呼んでやるが、国王一人が楽しむばかり。自らの衣装のコレクションを国民どもに見せつけて、一人で悦に入っている。実に下らん、たわけた茶番だ」

「ハッ、殿下のおっしゃる通りでございます」

「しかも、その衣装はどれも国民どもから徴収した税金を無駄にして作ったものばかり。それを見せつけられる国民どもの顔には呆れが浮かんでいる。しかし、国王は、あの阿呆はまるで気付かぬのだ。これほどマヌケな話もあるまい」

「ハッ、殿下のおっしゃる通りでございます」

「しかし、あの男が王なのだ! あれほど王にふさわしくない男が。ただ俺よりも先に生まれたという理由で、本来なら俺が座るべき玉座に腰を落ち着けている。俺はといえば、王の弟とは名ばかりの存在。はばかりながら、この名ばかり王弟殿下がご挨拶申し上げる、と、そういうわけだ。どうだ? 笑えるだろう?」

「……プフッ」

「む、貴様、今、笑ったな?」

「ハッ、殿下!」

「お前ほどの男から笑いをかすめ取ることができるとは、俺の洒落の冴えもなかなか捨てたものではないということか。しかし、貴様、俺の側近、俺の右腕。これからやろうとしていることは、笑いごとではないぞ。これから始まるのは王位の簒奪劇。筋書きはすべて俺が書いた。あの目障りな国王を罠にかけ、さんざん恥をかかせた上で、命を奪い葬ってやる。そのための手はずとして、俺は今から例の殺し屋に会って来る。お前は計画の準備をしておいてくれ。頼んだぞ」

「ハッ、王弟殿下の仰せのままに」

「よし、そうと決まれば、あとは行動だ。陰謀が俺をけしかける! 玉座も王冠もすべて手に入れてやる!」

 二人の貴族はその場を去った。




 薄暗い室内に、ハサミが布を裁つ音だけが聞こえている。

 銀色のハサミの刃が鈍く光る。

 男は、切れ味の鋭い裁ちバサミで、一心に布を裁断している。迷いのない手つきだ。一流の芸術家は、素材の中に、その素材がなりたがっている形を見出すと言うが、この男も同様なのか、布は男のハサミの動きにつれて、みるみる形を成していくようだ。男は一流の職人に違いなかった。

 この部屋のドアが、音もなく、少しだけ開かれた。その瞬間、男の手から、ハサミが消えた。ハサミは少しだけ開かれたドアに突き刺さっている。

「聞きしに勝る腕前だな」

 ドアが開かれる。フードをかぶり、マントを羽織った人物が、ゆっくりと室内に入って来る。職人の視線はそのフードの人物にじっと注がれている。フードが外される。現れたのは、王の弟だった。

 王の弟はニッと笑った。

「一流の仕立屋であると同時に、一流の殺し屋でもある。

請け負った服は必ず仕上げ、狙った獲物は必ず仕留める。

もっとも、仕立てた死体の数は、仕立てた服の数よりはるかに多いそうだな」

「世辞はいい。要件を話せ」

 仕立屋が冷ややかな声で応じた。王の弟は懐から重たげな袋を取り出すと、その中身を近くの卓にぶちまけた。中身は何枚もの金貨である。

「貴様に仕事を頼みたい。仕立ててほしいものがある」

 王の弟が言う。その言葉に、仕立屋の視線は一層鋭くなる。

「仕事……何を仕立てる? 服か死体か?」

 王の弟が再び笑みを浮かべる。凶悪な笑みとともにこう言った。

「無論、死体だ!」




 数日後。王の弟は、城の奥にある謁見の間に通された。

 扉が開かれた時、王の弟は、その目に飛び込んできた物体のあまりのすさまじさに、ハッと息を呑んだ。

 その日も、国王は自らのコレクションである衣装を着用していたのだが、その日の衣装はいつもと少し違っていた。

 真っ黒なローブに身を包み、首にはいくつもの水晶のドクロが怪しく輝きながら下げられており、右手には杖――何か得体の知れない生き物の爪が先端に取り付けられている――が握られていて、いつも通りの金色の冠が頭に載せられていなかったら、何者かわからない有様だった。

 王が言うところの上級者向けの衣装、上級者のみがその良さを理解できるというその上級者向けの衣装が、今、王の弟の目の前で異彩を放っていた。

(お前はいったいどこの呪術師だ!)

 という叫びが、王の弟の腹の底からせり上がりかけたが、王の弟はそれを飲み込み、

「実に美しい!」

 と叫んだ。

「うむ」

 と王がうなずく。

「それに華々しい!」

「うむ」

「それに絢爛だ!」

「うむ」

「それに、それから」

「エレガントでもある?」

「まさにそれ!」

 わかっておるではないか、と王が笑みを浮かべる。わかっておりますとも、と王の弟も笑みを返した。

 王が言う。

「さすがはわしの弟だけあって、目が肥えておるな。この衣装の良さがわかる者は、王国広しと言えども数えるほどしかおるまい」

「ハッ(数えるほどもクソもあるか。その衣装の良さなどお前にしかわからんわ!)」

「そのお前が、献上したい衣装があると言うのだから、わしは今日までずっとわくわくして待っておったのだ。お前ほどの審美眼の持ち主が、わしほどの男に選んだ衣装だというのだから、それはよほど美しく華やかな衣装に違いあるまいな」

「ハッ、もちろんです、兄上、いえ、国王陛下。陛下にぴったりの衣装をご用意しました(そうとも、お前にはふさわしい死に装束だ!)」

「それで、その衣装というのはどこにある?」

「ハッ、この箱の中に」

「フフフッ。楽しみだな。さあ、早くその箱を開けて、衣装を見せてくれ」

「ハッ、陛下。しかし、この衣装をお見せする前に、一つ陛下に申し上げておかなくてはならないことがあります」

「何だ?」

「実はこの衣装……」

「ふむ」

「バカには見えません!」

「何?」

 王の弟は素早く箱のふたを開けると、何かを取り出す動作をした。何かを広げるような手の動きをして、王に言った。

「世界一美しく、世界一華やかな衣装! しかし、バカには見ることができない! どうです? 美しい衣装でしょう? 陛下が着るのにぴったりだ!」

 王の弟はじっと王の顔をうかがった。国王はしばし呆然と王の弟を見つめたのち、

「ふむ、実にすばらしい衣装だな」

 と答えた。王の弟は、

(かかった! 虚栄にまみれたマヌケな豚め! お前を素っ裸で行進させて恥をかかせ、そこをあの殺し屋に殺させるという俺の策略とも知らずに! バカには見えない衣装などあるか! バカにしか見えない衣装ならあるがな!)

 と、内心快哉を叫びつつ、

「さすがは国王陛下! 美の何たるかを理解しておられる。いかがです? 一月後の行進で、この衣装をお召しになっては?」

「ふむ。よかろう。今度の行進ではその衣装を着て歩こう。なあ、大臣、お前も素晴らしい衣装だとは思わんか?」

 国王は玉座の横に控えていた大臣に話を振った。すると大臣は、

「……」

 少し間を置き、そして、

「そうですな。大変よろしい衣装かと」

 と答えた。それを聞き、王の弟は、

(クックックッ、ハーッハッハッ! 大臣、いいぞ、大臣! 俺が思った通りの反応だ。貴様は俺がそこの阿呆に恥をかかせるつもりだということぐらいとっくに見抜いているだろうが、だが、だからこそ、そう来ると思った! 常日頃、そこの阿呆の浪費を苦々しく思っている貴様からすれば、王が恥をかくことはいい薬ぐらいに思っているのだろう? それで、王が浪費をやめればいいぐらいに思っているのだろう? まったくもって、たいした忠臣ぶりだ! まさか俺が国王を殺すつもりとまでは思っていまい? いいぞ、大臣! その忠義立てがそこの阿呆の命取りだ!)

 王の弟は城を後にした。




 街道を馬車が突っ走る。御者の席には、なんと、あの王の弟の側近が座り、たくみに四頭の馬を操っている。

車の中には、王の弟と仕立屋が座り、しきりに何か話している。いや、話しているのは一人だけだ。

「ふふふっ、まったくもって傑作だな」

「……」

「一国の王ともあろう者が、まんまと俺の策略にかかり、素っ裸で国民の前を行進するのだからな」

「……」

「実に愉快! 実に愉快だ! これで長年の鬱憤が晴らせる! まったくもって愉快な話だ! ハッハッハッ!」

「……」

「どうだ? 貴様もそうは思わんか?」

「……」

(チイッ、つまらん奴め!)

 王の弟は内心舌打ちする。

(どいつもこいつもつまらん奴らだ。『ハッ、殿下のおっしゃる通りでございます』としか言わない奴がいるかと思えば、雇い主である俺に対して、まるで機嫌を取ろうともせず、むっつりと黙り込む強情っ張りもいる。まるでレンガだ。まったくつまらん男だ、こいつは)

 王の弟は眉をひそめ、その後、不意に笑みを浮かべた。

(だが、腕は確かだ。きっとこいつならやりおおせるだろう。万に一つも仕損じることはあるまい。あの阿呆の最後が目に浮かぶようだ)

 王の弟はアゴに手を当てた。

(その瞬間、その場にいられないのが残念だが、さて、あの阿呆を始末した後はどうするか。

王位についた後、真っ先に手を付けるべき事業が何かという話だが、はてさて、どうしたものか……)

 王の弟はしばし考え込み、ぽんと手を打った。

(そうだ! 記念碑だ! 記念碑を建てよう! 村という村、町という町に、俺をたたえる記念碑を建てるのだ! どうしてすぐに思い着かなかったのだ? これ以外に選択しなどないではないか? ハーッハッハッ! 記念碑だ! もうすぐ王国は俺のものだ!)

「……」

 仕立屋は依然黙っている。




 大きな姿見の置かれた部屋である。

 王はその姿見に自らの姿を映していた。王は衣装をまとっている。王の弟が持って来た、あのバカには見えない衣装だ!

「……」

 何度見ても、鏡に映っているのは、パンツ一丁の己の姿にしか見えなかった。色白で、ぜい肉のついた、だらしのない裸体。それがすべてだった。

「これがわし……」

 王はそうつぶやくと、よろよろと座り込んだ。両手を床に着く。そしておもむろに、腕立て伏せを始めた。




 そして、一月の時間が流れる。




 ラッパの吹奏が鳴り響き、城門が開かれる。沿道にずらりと国民たちが並ぶ。そして、その男が現れる。あの『バカには見えない衣装』をまとった王が。パンツ一丁の無様な姿で。そうなるはずだった。

王の弟の計画では。だが、そうはならなかった。伝説はこの日、始まったのだ。

 城門が開かれる。そして、気だるげな国民たちの前に現れたのは、一人の偉丈夫だった。

 なるほど、彼は衣服をまとっていない。黒い革製の逆三角の下履きを身につけている他は、王冠もいただいていなかった。だが、しかし、その鍛え上げられた小麦色の肉体は、なぜか三十センチほども丈が伸びたその頑健な肉体は、彼が何者であるかを雄弁に語っていた。

 最初、国民たちはあっけに取られて黙り込むばかりであった。口を開けて驚く者、目を大きく見開く者、それぞれがそれぞれの反応を示して、ただただ事態を見守るばかりであった。だが、彼が不思議な微笑とともに、その輝かしい右上腕二頭筋を折り曲げて力こぶを作って見せた時、国民たちにどよめきが起こった。彼が何者かは明らかだった。

 行進が開始される。栄光へと続く一歩一歩を、彼は惜しむようにして歩いた。あるいはその大胸筋の厚みを、あるいはその広背筋の盛り上がりを、国民一人一人の目に焼き付けつつ、巧みにポーズを決め、黙々と歩いた。国民たちから、ため息が漏れる。

 いったいどれほどの苦心、どれほどの鍛錬、どれほどの血涙が、この肉体を作り上げたというのだろうか。おそらくこうだ、あまりにも激しい収縮運動に、筋肉たちが悲鳴を上げる。もう限界だ、これ以上は無理だ、と。しかし、そのたびに、不屈の魂が筋肉たちを叱りつける。まだまだだ、まだまだ続けろ、と。そうして、いわば、筋肉と魂との激しいせめぎ合いが、この芸術品とも言える肉体を築き上げたのだ。

「うおおおおおおおっ! 王者ああああああああっ!」

 ついにこらえきれなくなった一人の国民が叫びを上げる。そして、その叫びが合図となった。

「王者! 王者! 王者! 王者!」

「王者! 王者! 王者! 王者!」

「王者! 王者! 王者! 王者!」

「王者! 王者! 王者! 王者!」

 王者、王者の大喚声が上がる。まるで喚声の大波だ。国王はその喚声の波に乗るようにして、少しだけ歩く速度を上げて、群衆の目の前を通り過ぎて行く。何と美しい船だ!

 その輝かしい航海は続き、国民たちの熱狂もしだいに頂点へと向かって行く。拳を突き上げて叫ぶ者がいる。涙にむせぶ者がいる。その場にいた誰もが、王国に現れた真の王者の降臨に喜んでいた。

 国王が不意に立ち止まり、その輝かしくもたくましい右腕でまっすぐ前方を指し示すようなポーズを決めた。国王は何を指しているのか? そこにあるのは栄光そのものに他あるまい。

 と、その時だった。一人の少年が、人垣の中から顔を出してこう叫んだ。

「王様は裸だ!」

 たちまち、それまで歓喜にむせび泣き、王者王者の大喚声を送っていた群衆がどよめいた。しかし、国王は、

「静まれい!」

 の一声で群衆を沈黙させると、ゆっくりと少年の目の前まで歩み寄った。少年が国王を見上げる。国王はニッと笑った。

「小僧、おぬしには、わしが裸に見えるのか?」

「うん、だって裸じゃないか」

「おぬしには――」

 国王はあの輝かしい上腕二頭筋を曲げて力こぶを作った。

「わしのまとっているものが見えぬか?」

「王様がまとっているもの?」

 少年が目をぱちくりさせる。そして、じっと国王の肉体を観察した。それはあたかも、一個の美術的彫像と、それを眺める熱心な美術学生といった様子だった。

 ――確かに、見事な肉体だけど、いったい何をまとっているというのだろう?

 最初、少年の顔には疑問の色だけが浮かんでいた。しかし、やがて、その目に気付きの光が灯り、そして、賛嘆が輝いた。

「見えた! 見えたよ! 王様! あなたがまとっているものがオイラにも見えた!」

「それでこそ、わしの国民だ!」

 群衆から歓声が上がる。

 魂が放つ輝きは、魂の目で、見るしかない。




「何やら騒がしいな」

 薄暗い路地裏に身を潜めつつ、仕立屋がつぶやいた。

「すでに始まったということか」

 王の弟の予定では、今頃、国王がパンツ一丁で、城下の通りを行進しているはずである。そして、無様な恥さらしの王を、彼がその手で始末する手はずになっていた。

「くだらん計画だ。卑劣で権力欲に取り憑かれた陰険なクズが次の王とは、この王国も長くはもつまい」

 仕立屋はそう言って口をつぐんだ。柄にもなく、少ししゃべりすぎたようだった。

 無論、仕事は完遂する。どんな依頼主、どんな殺しであれ、請け負った仕事を投げ出したことはない。彼には死の職人としての矜持があった。

 今は手を動かすべき時だ。おしゃべりの時間ではない。彼は黒い覆面を懐から取り出すと、頭からかぶり、そしてやはり懐から取り出したソーイングセットで瞬く間にその覆面と襟を縫い止めた。神のような早業だ。

「さあ、仕事の時間だ」

 両袖の中から、一振りずつナイフが飛び出し、左右の手に握られた。

愛用の裁ちバサミを分解した二振りのナイフは、銀色に妖しく光りながら、獲物の血を吸う瞬間を今か今かと待っている。

 仕立屋が駆け出した。路地を駆け抜け、人垣の背後に到着し、人垣の頭上を躍り越え、空中で二度回転し、大地に降り立ち、そして――

「ぐわああああああっ! まぶしい!」

 その両目を雷が直撃した。




「国王陛下、万歳!」

 仕立屋はひれ伏して、こう叫んだ。二振りのナイフは地面に落ちている。気付いた群衆が口々に、

「何事だ?」「殺し屋だ!」「王を守れ!」「殺し屋を殺せ!」

 と騒ぎ出す。しかし、国王は、

「静まれい!」

 の一言で、群衆の騒ぎをたちまち収めた。そびえ立つ神像のような国王に見下ろされながら、仕立屋はすべてを洗いざらい語った。誰が、何のために、己を差し向けたかを、涙ながらに語った。そして許しを乞うた。ここにいるのが真の王者とも知らず、己はその王者に刃を向けたと。王はこの仕立屋を許した。それどころか、慈悲と威厳に満ちた笑みを仕立屋の前で浮かべて見せた。仕立屋はさらに涙を流した。

 殺しの職人はもうどこにもいない。そこにいるのは、新たに生まれ変わった忠実な家臣のみであった。

 王が満足げに、あの輝かしい上腕二頭筋を曲げると、辺りに金色の光が広がった。

「あっぱれ! 国王陛下、万歳!」

「国王陛下、万歳!」

 群衆が口々に叫ぶ。その群衆に向かって、王は宣言した。

「これより弟の屋敷へ向かう!」




 二人の貴族が、部屋の中でグラスを傾けている。王の弟とその側近だ。グラスには真紅のぶどう酒が注がれ、二つのグラスがチンと打ち合わされた。

 野心が流血によって成し遂げられるなら、その達成は血のように赤いワインで祝うしかない。

「今頃は、あおの阿呆が始末されている頃だな」

「ハッ」

「恥辱にまみれてあの世行きだ」

「ハッ」

「これで王国は俺のものだな」

「ハッ」

「ハッハッハッ!」

「ハッハッハッ!」

 その時、突如、地響きが。ワインがこぼれ、絨毯に赤いシミを作った。

「なんだ? 地震か?」

「殿下、あれを!」

 窓に駆け寄った側近が外を指し示す。王の弟は驚愕した。

「なんだと、群衆がこの屋敷を包囲している」

 いったい何が起きているというのか。いくつもの疑問が、王の弟の頭を駆けめぐる。だが、その思考は突然破られた。部屋のドアが、一人の兵士によって開けられたのだ。

 何だ、勝手に開けてよいと誰が言った。その言葉を、王の弟は飲み込んだ。兵士が「陛下、こちらです!」と叫び、それと同時に、一人の偉丈夫が、部屋の中へと入って来たからだ。まばゆい金色の光が室内に満ちた。王の弟は目をくらまされながら、心の中でつぶやいた。どうしてお前がここにいるのだ太陽?

 そう、その人は、太陽そのものだった。黒い革製とおぼしきパンツを履いたきりで、身には何もまとっていないが、その小麦色に日焼けした隆々たる筋肉に覆われた体は、金色の輝きを放っていた。魂が放つ王者の威厳、そういうものがあるとしたら、今、この人が放っているこの輝きこそ、そう呼ばれるにふさわしい。王の弟は瞠目した。

「誰だ、貴様は?」

 王の弟の声は震えていた。本当は、王の弟もわかっていたのだ。目の前に現れた存在が何者であるかを内心では理解していた。だが、王の弟はその理解を拒んでいた。それを認めることは、自らの敗北を認めることに他ならなかった。

「ぬぅん」

 偉丈夫が、体の前で両腕に力をみなぎらせた。その瞬間、一層強い金色の輝きが放出され、王の弟に迫った。王の弟は呆然としてなすすべもない。このままでは、この金色の光に王の弟は飲み込まれてしまうだろう。だが、そうはならなかった。王の弟の前に立ちはだかる者がいた。

「危ない! 殿下! ぐわあああああああっ! 国王陛下、万歳!」

 王の弟の身代わりとなって光を浴びた側近は、全身を激しく痙攣させた後、ひれ伏して万歳を唱えた。

「馬鹿な! たかが筋肉の輝き一つで、人間がこんなふうに洗脳されるというのか? 馬鹿な! そんな馬鹿な!」

 王の弟が叫ぶ。

「やめろ! 俺に近付くな!」

「ぬぅん」

「ぐわあああああああっ!」

 偉丈夫が大胸筋を強調した瞬間、再びあの金色の光が放出された。もはや身を呈して身代わりとなる者のいない王の弟はその光をもろに喰らった。王の弟が激しく痙攣する。だが、王の弟は耐えた。踏みとどまった。堕ちそうになるのをどうにかこらえた。

「ぬぁんの、これしきいいっ! 王国は俺のものだ! 貴様なんぞに負けてたまるか!」

 こめかみに血管が浮き、大粒の汗が滴り落ちる。偉丈夫はさらにポーズを変え、大胸筋を、広背筋を、シックスパックを、上腕二頭筋を強調し、そのたびにさらに強い金色の光が王の弟を容赦なく襲った。

「よせぇっ! やめろっ! そんなふうに光るのはよせえええええっ!」

「ぬぅん」

 偉丈夫が不敵な笑みを浮かべ、腰に手を当てて全身の筋肉に力をみなぎらせた。今までで最も強い輝きが放出され、その金色の光の奔流が王の弟を襲った。

「ぐああああああああっ!」

 そして決壊の瞬間が訪れた。王の弟はしばし白目をむき、そしてよろよろとひれ伏して、

「……国王陛下、万歳!」

 ついにそう叫んだ。




 かくして、王の弟の野望は潰えた。

 いったい誰が予想できただろう。王を辱め殺害するための策略が、王に眠っていた真の王者としての資質を覚醒させるはめになろうとは。

 真の王者が君臨した王国は、その後、史上最大の繁栄を迎えることとなる。

 人々は後にこの時代を――『裸の黄金時代』と呼んだ!

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