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メルへニカリーグベースボール創成期

【アマチュアリーグ乱立時代】


 建国歴9869年、戦争続きだったメルへニカ王国に平和が訪れると、全国中で人気を博していたベースボールに注目が集まり、全国の市町村にアマチュアリーグが乱立した。元々は軍事訓練の一環で建国歴9500年頃から広まったベースボールだが、戦争が終結すると、今度は競技としての側面が光った。


 ベースボールの需要が高まると、用具店が急激に増加し、この流れを読んでいたウィトゲンシュタイン本家は用具店や工場を量産するべく、ベースボールのグループ企業を立ち上げて莫大な利益を得た。当初は10種類以上のリーグで全国共通ルールを定め、100以上のクラブチームがアマチュア球団として参加した。


 ベースボールには初期費用から道具の経費など、資金を要することがすぐに判明した。アマチュア球団があまりにも多く増えすぎてしまい、運営資金を確保できなかったアマチュアリーグ及びアマチュア球団はすぐに潰れていき、選手としての適性は問われなかったが、レベルの低い選手たちは徐々に姿を消していった。


 そこで多くのリーグをまとめようと、建国歴9876年、メルリーグの前身であるメルへニカアマチュアベースボールアソシエーションが創設され、全国各地でリーグ戦が行われることとなった。当初はルールを覚えたての選手ばかりで溢れていたが、次第に打撃、投球、守備、走塁の効率化を図るようになっていった。


【メルへニカアマチュアベースボールアソシエーション】


 このアソシエーションを運営するアマチュアリーグ機構ができ、生き残れなかった者たちは、本業の傍らクラブチームに加入し、それらは社会人ベースボールチームと呼ばれるようになっていく。選手たちの住み分けが進むと、アマチュアリーグの中に強い者が現れ、優勝希望のチームが契約形式を取り入れるようになった。そのため裕福な球団に有望選手が集中する事態となり、球団同士の格差が広がっていった。


 このことを問題視した各球団はアマチュアリーグ機構に直訴した。弱小球団は決められた予算内でしか選手と契約を結んではならないとしたが、強豪球団がこれを断固拒否し、断続的なストライキを引き起こす結果となった。試合中に魔法を使うことを禁止する規定はあったものの、薬物使用を規制する規定はなかったため、建国歴9900年以降にステロイドやテストステロンなどの薬物が流行した。


 薬物はすぐに禁止の対象となったが、しばらくはその名残が続いた。試合時間を短縮するべく、建国歴9931年にはファウルストライクルールが導入された。当時は延長戦を無限に行うルールであり、試合数は年間80試合程度であり、試合日程もバラバラであった。これは当時の選手たちが安価で雇われていたこと、兼業を行う者が多数派であったこと、プロとしての自覚を持った者が少なかったからである。


 テレビでは放映されていたが、観客席がなかったため、近くで見てもらおうと観客席を設けたことでホームランゾーンが誕生し、ランニングホームラン以外でホームランを打つことが可能となった。スタンドインが段々と増えていく一方で、ランニングホームランはその数を減らした。次第にプロリーグ化を志す風潮になっていくと、兼業からベースボールに絞る者が次第に増えていった。


【2人の執政官】


 建国歴9976年、惑星ガイアースのベースボール史上初となるプロの選手のみで構成されたチーム、アウグスト・ジャイアンツが誕生した。球団のオーナーはウィトゲンシュタイン本家の当主候補にして、メルへニカ王国執政官の1人であったカエサリウス・アウグスト・ウィトゲンシュタインであった。かねてからベースボールの人気向上に着目していた彼が出資をして実力ある選手のみを入団させた。


 この動きに対応しようと、もう1人の執政官であるオーガスタス・アウグスト・ウィトゲンシュタインの働きにより、建国歴9978年、アウグスト・マンキースが誕生した。その後も彼らは自分の派閥にいるオーナーたちを動かしながら、プロの選手のみで構成されたチームを次々と誕生させていった。この動きによって、建国歴9992年までに合計8チームのプロ球団が誕生した。


 しかしながら、プロリーグ化するには1つの問題があった。各チームの選手たちが選手会を立ち上げ、プロであるならば高額な報酬があってしかるべきと訴えた。プロとは言えど給料はアマチュアリーグの時と同様に安いままであることを選手たちは指摘した、しばらくはアマチュアリーグに混ざって試合が行われたが、建国歴9994年には全国中を巻き込んだストライキが発生し、シーズンが途中で中断された。


 ストライキは翌年の建国歴9995年まで続き、シーズンも前半までが中止された。これによってアマチュアリーグの信用が失墜した。このままではベースボール人気に陰りが見えることを多くの関係者が危惧した。カエサリウスとオーガスタスは犬猿の中であったが、ベースボールの危機を前に手を組んだ。2人はプロリーグの創設に尽力し、全国から全世界へと捜索範囲を広げ、世界各地から有望選手を集めた。


 カエサリウスとオーガスタスは共通の祖父を持ついとこ同士であり、出会った当初は仲が良かった。しかし建国歴9975年、メルへニカを発展させたことで歴代最高の第一人者と評され、2人にとっては共通の伯父でもあったアレクサンド・アウグスト・ウィトゲンシュタインが死去すると、すぐさま遺言状が公開された。そこには最強の者が第一人者の称号を継承せよという一文が書かれているのみであった。


 これは次期第一人者候補であったカエサリウスとオーガスタスの対決を示唆していた。何としてでも第一人者の称号を手にすることを熱望していた2人は、どちらが後継者に相応しいかで争いとなり、急速に不仲となっていった。平和主義が蔓延していた元首制のメルへニカでは、内乱が法律で固く禁じられ、2人は戦争以外の手段で決着をつける必要に迫られた。そこで注目されたのがベースボールであった。


【2つのリーグ】


 2人の意見が一致することはほとんどなかった。保守派であるカエサリウスは伝統に則り、投手も打撃に参加するDH制なしのルールを希望したが、革新派であるオーガスタスが真っ向から反発した。オーガスタスは投手の負担が重くなることを考慮し、建国歴9973年からはDH制ありの試合をアマチュアリーグ傘下のチーム同士の試合で試験導入していた。2人の話し合いはしばらくの間、平行線を辿った。


 アントニオス・アグリッポスが2人の仲立ちに入った。2人にとって共通の部下である彼は一晩考え抜いた末、1つの提案を出した。提案の内容はルールの異なる2つのリーグを設けることであった。このままでは埒が明かないと考えていた2人は渋々アントニオスの提案に応じ、オーガスタスはDH制ありのハートリーグを、カエサリウスはDH制なしのスペードリーグを、それぞれ建国歴9996年に創設した。


 決着がつくまでの間、カエサリウスとオーガスタスは共同統治者として王国の第一人者となったが、ストライキの件でアマチュアリーグの人気は下降の一途を辿った。カエサリウスとオーガスタスがアマチュアリーグを進化させたプロリーグを創設することを発表し、建国歴10000年、史上初のプロフェッショナル・ベースボールリーグ、メルへニカリーグベースボール機構、通称メルリーグ機構が誕生し、アントニオスはメルリーグ機構初代コミッショナーに就任した。


 以降2つのリーグのみが正式なメルリーグと認められ、メルへニカの象徴女王となっていたアリス16世自らもメルリーグに出資することを発表し、建国歴10000年、メルリーグを国技とする法律が制定された。建国歴10001年4月1日、メルリーグ最初の公式戦が行われた。この頃には2つのリーグに10チーム、合計20チームが揃っていたが、選手の多くはアマチュアリーグ出身の選手であった。監督もアマチュアリーグ出身であったが、当時はあまり監督が重要視されていなかった。


【メルへニカリーグベースボール】


 惑星ガイアース史上初となるプロのベースボールリーグが開幕し、プロの選手のみで構成されたチーム同士の高いレベルの試合に観戦チケットは売れに売れ、シーズン開始前から1ヵ月先までのチケットが全てなくなるほどであった。各球場は連日超満員となり、メルリーグの選手はメルリーガーと呼ばれた。アマチュアリーグの歴史が長かったこともあり、この頃には現代の選手と対戦しても互角の勝負になると言われるほど、選手たちのレベルは高かった。


 カエサリウスとオーガスタスの2人が苦心したのは傘下となるチームであった。建国歴10000年、全国各地にメルリーグ球団の傘下となる球団として、ボトムリーグベースボール、通称ボトムリーグが全国各地に設置され、世界各地にもリトルリーグが設置された。メルリーガーの多くがアマチュアリーグで鍛錬と実績を積んだ選手ばかりであったが、メルリーグ機構創設と同時に、全てのアマチュアリーグがボトムリーグや社会人が中心のワーカーズリーグへと分岐していった。


 アマチュアリーグに所属していた選手の多くが行く末を危ぶまれた。2人はアマチュアリーグに所属していたチームを全て買収し、メルリーグ球団傘下のボトムリーグとした。そこにはボトムリーグを創設することで、実力に優れたメルリーガーを継続的に輩出するための養成機関とし、実力を発揮できなければ降格もあるという危機感をメルリーガーたちに植えつける狙いがあった。


 アマチュアリーグの経験がなく、最初のシーズンにメルリーグデビューを果たした者を新人王の選考対象とする決定を皮切りに、現在まで続くタイトルや表彰が次々と誕生した。更にはメルリーグ最初のシーズンで新人王を獲得したキング・サルダール・ハルトマンやサイ・クロンなどのスーパースターが歴史的な活躍を収めるという幸運に恵まれ、メルリーグの人気は決定的なものとなった。


【オールスターゲームとインターリーグ】


 メルリーグ最初のシーズンが始まると、カエサリウスとオーガスタスは決戦の約束を交わした。両リーグで優勝したチーム同士の対戦形式を決めるべく、メルリーグ機構の幹部たちを交えて会議が行われた。休憩中にカエサリウスとオーガスタスは酒の勢いのまま諍いが続いた。更にはお互いのリーグに所属する選手の自慢話を始めてしまい、カエサリウスの挑発に乗ったオーガスタスが総力戦を宣言した。


 20試合で1コマとし、シーズンを通して8コマをこなすことは既に決まっていたが、オーガスタスは4コマ目が終了してから5コマ目が始まるまで1週間の休暇期間を設け、各チームの主力を集めた上でオールスターゲームを行うことを提案した。カエサリウスは珍しくオーガスタスに同意し、休暇期間から後半戦にかけてのスケジュールが変更され、後日公表されることとなった。


 オールスターゲームの選手選抜では、カエサリウスは各球団の監督が主力を選抜して送り出す方式を主張したが、オーガスタスはファン投票で決める方式を主張した。仲立ちに入ったアントニオスの意向により、スターティングメンバーをファン投票で集め、控え選手は監督が選抜する方向で落ち着いた。オールスターゲームは選手の出場機会を増やしつつ、公平を期すためにDH制の導入は偶数年のみとなった。


 ポストシーズンと同様に専用のスタジアムを作るべきであるとカエサリウスが提案を出し、カーナード属州にダイヤモンド・スタジアムが作られた。両リーグで優勝したチーム同士の決戦における先攻後攻はオールスターゲームで決定することとなったが、今度はオールスターゲームの先攻後攻で揉めた。そこでアントニオスの考えた案が、インターリーグという両リーグの交流戦であった。


 当初はインターリーグを行う予定はなく、同じリーグのチーム同士のみで試合が行われるはずであった。同じ地区の4チームと25試合、異なる地区5チームと12試合の合計160試合が行われる予定だったが、オールスターゲームの前に交流戦を行い、勝ち越したリーグがオールスター戦の後攻となり、勝利数が同じ場合はインターリーグ最終試合で勝った方のリーグを後攻とする方針が決定した。


 予定変更に追われたアントニオスはスケジュールの調整に追われた。インターリーグは当時のスター同士が公式戦で対戦できる数少ない機会であることもあり、多くのベースボールファンから歓迎されたが、選手の間では反対の声が上がった。多くのチームと対戦を行えば移動も多くなるため、体に負担がかかることを多くの選手が懸念し、一時はこの件でストライキが行われるという噂まで流れたほどであった。


 しかし蓋を開けてみれば、全国各地で初めて行われたインターリーグは瞬く間に熱狂の渦に包まれた。インターリーグのチケットは即日完売となり、いつの間にか反対する者もいなくなっていた。注目選手同士の対戦カードが伝統の一戦として報じられ、160試合中の20試合をインターリーグに割き、同じ地区の4チームとの試合を25試合から20試合に減らし、異なるリーグの10チームと2試合ずつ、合計20試合を行うこととした。


 最初のインターリーグは400戦262勝でスペードリーグが勝ち越し、最初のオールスターゲームでもスペードリーグが9対2で勝利した。ハートリーグが最初にインターリーグで勝ち越すことになるのは最初のシーズンから4年後であり、オールスターゲーム初勝利に至っては9年後まで待つこととなる。ここにハートリーグとスペードリーグの戦力差が如実に表れており、この時点ではスペードリーグに所属するチームが、両リーグで優勝したチーム同士による決戦で優勝を果たすのが大方の予想であった。


【ワールドシリーズ】


 オールスターゲームの2日前からは余興としてイベントが行われ、多くのホームランを見ることを希望したオーガスタス、全力疾走する選手を見ることを希望したカエサリウスの意向により、ホームランダービーとハンドレッドランニングがここに誕生した。だが肝心の決戦については、まだ決戦の名前すら決まっていないという体たらくであり、アントニオスたちは日程の発表すらできず、いくつかの草案をまとめながら頭を抱えていた。


 建国歴10001年9月28日、初めてのレギュラーシーズンが無事に終了したが、今度は両リーグで優勝したチームをどう戦わせるかが再び話題となった。ポストシーズンではどちらかのチームの地元で開催されることはなく、新築したばかりのクローバー・フィールドで試合を行うことが決まっていた。地元開催権を巡って各チームが揉めたため、オールスターゲームと同様、両チームに対して中立的な球場で試合を行うものとした。


 当初は2人の執政官による後継者争いであることから、両リーグで優勝したチーム同士の決戦をコンスルシリーズとして発表する予定だった。だがアントニオスはベースボールに政治介入があってはならないという考えを持っており、このことをベースボールファンたちが知れば、批判の的になることは必至であった。アントニオスはメルリーグが2人の後継者争いの場であることを隠すため、外国のベースボール事情を入念に調べ上げた。


 大規模なベースボールリーグがメルリーグのみであることを確認したアントニオスは、無断で決戦の名称をワールドシリーズと公表し、人々の間にその名が定着した。アントニオスはメルリーグが世界最高峰のベースボールリーグであることを、建前上の理由としてカエサリウスとオーガスタスに告げた。納得がいかなかった2人はワールドシリーズのことをコンスルシリーズと呼んだが、既に定着した名称を変えることは不可能であった。


 観念した2人は数日後、決戦の名称をワールドシリーズと認めた。最初のワールドシリーズはアウグスト・マンキースとアウグスト・ジャイアンツの2チームが戦った。選手たちはこの戦いが2人の執政官の後継者争いとは知らず、連日連夜死闘を繰り広げた。意外にもマンキースが4勝1敗と圧倒的な戦力差で初優勝を飾ったが、これはオーガスタスが貸与トレードで多くの有望選手を下位チームから獲得していたためであった。


 ハートリーグとスペードリーグには大きな力の差があった。インターリーグとオールスターゲームではスペードリーグが押していたものの、ワールドシリーズではレギュラーシーズン中のトレードを駆使し、1つのチームに精鋭を集めたオーガスタス率いるハートリーグに軍配が上がった。初年度の優勝争いに勝った方を次の第一人者とする戦いは、知略を用いたオーガスタスが勝利を収めた。


 12月を迎えると、カエサリウスは年内限りで執政官を辞任し、第一人者の座をオーガスタスに譲り、隠居することを告げたが、カエサリウスの内政能力を惜しんだオーガスタスはこれを拒否。2人は遂に和解を果たした。カエサリウスは執政官に留まり、死去するまでオーガスタスを支えた。2人メルリーグ公式戦を観戦しに行くほどの仲となり、ベースボールを通じて無二の親友となった。


 建国歴10002年を迎えると、カエサリウスとオーガスタスはメルリーグ機構と2つのリーグの所有権をあっさりアントニオスに譲った。以降は政治の仕事に戻り、メルリーグと関わることはほとんどなくなってしまった。2人の代理戦争の手段として生まれたメルリーグは、その後もメルへニカ王国を代表する夢の舞台であり続けた。これをきっかけに、ベースボールが世界的人気を博すほどのスポーツとなったことを2人は最後まで知らなかったのであった。

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