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メルへニカリーグベースボールの歴史

【メルへニカリーグベースボールの歴史】


 メルへニカ王国でベースボールが発祥したのは建国歴8000年頃とされ、子供たちが棒状の物でボールを打つことに夢中になったことから生まれた球技である。やがて大人たちもこの球技をスポーツとして取り入れることとなり、時間をかけて全国へと広がっていった。


 ベースを1周することで得点が入ることから、ベースボールと呼ばれるようになる。全国的に人気のスポーツとなり、何度かプロリーグ化を考案されたが、当初はルールを把握している選手自体が少数派であったことから、競技化されるまでにかなりの時間を要した。


 当時は海外との戦争もあり、ベースボールは兵士の運動不足を解消するための訓練と趣味を兼ねたものでしかなかった。更には地域差が激しく、それぞれの地域で全くルールの違うローカルルールを用いたベースボールが行われていたこともあり、プロリーグ化は困難を極めた。


 地域毎のローカルルールは実に多種多様であり、地域が変わればルールが変わるとさえ言われた。建国歴9500年頃にはクラブチームの数が1000を超え、平和な時代を迎えてからは国内のスポーツに目を向けることができるようになり、全国共通ルールが導入された。


【建国歴10000年以前のベースボール】


 建国歴9900年頃になると、全国共通ルールが普及し、ローカルルールを用いる者は次第に数を減らしていった。この頃にはベースボールが国技として定着し、全国でいくつかのアマチュアリーグが誕生していったが、リーグの数が多く、入団や年俸などのルールが不明瞭のままであった。


 しばらくは収集がつかなかったが、ウィトゲンシュタイン家の中でも無類のベースボール好きであったカエサリウスとオーガスタスの2人が現在まで続くスペードリーグとハートリーグを設立し、球団を次々と設立していったが、DH制を導入するかどうかで揉めた。


 ハートリーグはDH制を導入し、スペードリーグは導入しないことで落ち着いた。最終的には資金難を理由にこの2つのリーグが残った。建国歴10000年を迎えると、ベースボール好きなメルへニカ女王であるアリス16世の援助もあり、メルリーグ機構が成立した。


 更にはアリス16世を慕っていた元老院までもがベースボールのプロリーグ化を後押しすると、惑星ガイアース史上初のプロフェッショナルベースボールリーグ、メルへニカリーグベースボールが誕生した。略称としてメルリーグと呼ばれ、所属選手はメルリーガーと呼ばれるようになった。


【建国歴10001年~10500年前半『創成期時代』】


 プロリーグ化に時間がかかったこともあり、当初から現在のメルリーグに引けを取らないほど選手たちのレベルは高く、ルールも現在とあまり変わっていない。建国歴10001年、メルリーグ最初のシーズンが行われ、当初からスタジアムに大勢の観客が詰めかけていた。


 最初はスペードリーグ10球団、ハートリーグ10球団、合計20球団で始まった。この2つのリーグのみをメルリーグとし、これらの球団の傘下となるチームはボトムリーグベースボール、略してボトムリーグと呼ばれ、所属選手はボトムリーガーと呼ばれるようになった。


 15歳の若さでデビューしたキング・サルダール・ハルトマン、彼と同い年のサイ・クロンなどの新人選手の圧倒的な活躍により、瞬く間に全国で不動の人気ナンバーワンスポーツとなり、視聴率は毎年のように50%を超え、テレビで連日欠かさず報道されるほどであった。


 当初から長くプレイし続ける選手と、すぐに引退する選手の実力差が顕著に表れ、これを危惧したメルリーグ機構は建国歴10028年、メルリーガーは実働30年までしかプレイできないというルールを導入し、新人選手が幾分か昇格しやすくなった。


【建国歴10001年~10500年後半『ビッグボール時代』】


 絶大な人気を誇っていたキング・サルダール・ハルトマンが実働30年目にして通算本塁打1268本を記録し、通算542勝を記録したサイ・クロンと共に引退した。メルリーグの人気に陰りが出ることが懸念されたが、次々と輩出される凄腕の選手たちによって一蹴された。


 しばらくはノーラン・ケーシー・ドクトル、クラッチ・パックマンといった、現在でもメルリーグ記録が残る選手たちがこの時代のメルリーグを牽引する活躍をした。この2人の影響から、投手は奪三振が、打者は打点が重視されるようになり、メルリーグ全体で長打と三振が増えた。


 1つでも多くの三振を奪うためにただでさえ種類の多かった変化球が更に多様化し、1打点でも多く取ろうと一発長打が増え、多くのスラッガーが台頭するようになると、観客は打撃戦を熱烈に支持した。メルリーグはビッグボール時代を迎え、盗塁や小技は軽視された。


 特にDHがいることで、打線に切れ目がなくなっていたハートリーグの人気が急速に高まっていったこともあり、結果的にはオーガスタスの提案が勝ることとなった。これに対してスペードリーグは中盤以降に打順の回った投手に強打者を代打として送ることで対抗した。


【建国歴10501年~11000年前半『球団拡張時代』】


 建国歴10482年、エクスパンション制度が導入されたことで、定期的にメルリーグ球団を増やすことが決まり、建国歴10501年、新たに4つの球団が誕生した。両リーグ合わせて24球団となり、元からあった地区制度の層が増し、東部地区と西部地区に6チームずつ分かれることとなる。


 球団を増やす際、FAとなった名選手の多くが新球団へと移籍した。新旧対決は伝統あるチームが制したが、新球団は入れ替えで地区最下位が常態化した。ラマー・ウィリアムズやアルバート・シュタイナーが新球団に入団すると、途端にワールドシリーズを制覇する奇跡が起きた。


 この頃にはメルリーグが全世界で中継されるようになり、世界中でベースボールが人気ナンバーワンスポーツとなっていた。その影響で外国人選手の割合も増加した。メルリーグは創成期から外国人選手が1割程度存在したが、この頃には3割に到達するようになった。


 世界中の国と地域でベースボールが流行すると、メルリーグはメルへニカドリームと称され、貧困から脱出する手段として脚光を浴びた。競争がますます激しくなる一方で、シーズンで優位に立つことや投手の健康を考え、投手の投球に制限をつけるようになっていった。


【建国歴10501年~11000年後半『スモールボール時代』】


 建国歴10801年、エクスパンション制度により、両リーグ合わせて28球団へと増加したが、両リーグの平均打率は下がり、ヘンドリクス・オスターミューラーやステラ・クッキーなどの名投手が活躍し、リリーフやクローザーの地位が向上し、投手の分業化が進んだ。


 その一方で投手戦が多くなり、延長戦を迎える試合も少なくなかったが、延長戦用のタイブレークのルールが功を奏した。その一方で打撃戦の試合が割合を減らし、結果的に平均試合時間は長くなっていった。アベレージヒッターが多くいたが、数少ないスラッガーが重宝された。


 先発投手の完投が減ったことでリリーフの層が増し、最優秀投手にリリーフが選ばれやすくなると、先発ローテーションから外れることを恐れた先発投手たちが、今まで以上に全力投球を心掛けるようになったことで、投手全体のレベルが大幅に向上した。


 投手が強化され、相対的に野手全体の平均打力が下がったことで、何度かスペードリーグにもDH制導入の話が舞い込んできたが、ハートリーグとの差別化を図るべく、最終的にスラッガーや代打要員の補強を徹底し、伝統が覆る懸念自体が消滅した。


【建国歴11001年~11500年前半『打者天国時代』】


 DH制のルールが変更され、建国歴11001年以降は投手を含む全てのポジションに対してDHを起用できるようになった。このルール変更により、打力のある投手を打撃に参加させながら、守備固めに起用されていた選手を先発起用することが可能となった。


 守備力は高いが投手よりも打力の劣る捕手などを守備に専念させ、投手には代打を送ることで対応するチームが次々と現れ、戦略の幅が広がった。だが依然として投手に対するDH起用を行うチームが多数派で影響は小さかったが、規定打席未到達でゴールドグラブ賞を受賞する選手が現れた。


 主に打力の劣るセンターラインの選手に対してDHが起用され、守備専門の野手が生き残りやすくなったことが数少ない恩恵であった。スラッガーの年俸を上げたことで、課題であった打力不足が解消され、両リーグの平均打率が向上し、打撃戦の試合が増えた。


 建国歴11101年、両リーグ合わせて32球団へと増加し、更に選手層が厚くなったことで地区制度が変更され、東部地区と西部地区に5チーム、中部地区に6チームが配置されることとなり、プレーオフ進出枠を偶数とするため、ワイルドカードが導入された。


【建国歴11001年~11500年後半『投手分業時代』】


 その後は投手力と打力の力関係が交互に勝る時代が続いたが、ブービ・ルースやショー・ヘイミッシュなどの打力が高い投手が台頭し、前代未聞の二刀流ブームが到来した。更には課題であった強打の捕手が増えたため、セカンドやショートにDHを起用するチームが大幅に増えた。


 最終的にブービ・ルースのみが本格派二刀流選手として生き残り、他の打力ある投手たちはチーム状況に応じて投手か野手へと分業化していった。投手の細分化が更に進み、ワンポイントリリーフやオープナーを専業とする投手も次第に定着していった。


 完封どころか完投すら珍しくなり、先発5人以上のローテーションが確立されたため、サイ・クロンの通算最多勝利記録を超えることが事実上不可能となった。更には守備職人とリリーフを兼任するユーティリティーピッチャーなどが起用され、投手全体の負担が減少した。


 建国歴11401年、両リーグ36球団にまで増加すると、あらゆるタイプの選手が飽和していく一方で、今度は経済力のあるチームとそうでないチームの格差が問題となった。以後この課題に多くの資産家が挑むこととなり、最終的に贅沢税を導入することで落ち着いた。


【建国歴11501年~12000年前半『リードオフマン時代』】


 ウィッチ・ロウやロング・アイランドといったジャポニア系メルへニカ人が活躍した。投手人気が高まるにつれ、スラッガーになりえる選手たちがほぼ全員投手となったために打力不足に陥り、再びスモールボールが見直される時代となったことも、リードオフマン時代を迎えた要因の1つであった。


 ほとんどのチームが最も優れた打者を1番に置き、打順を多く回すことを目的とした1番打者最強理論がメルリーグを席巻した。打力以上に走力が重視され、守備側の対策として、打力は劣るが守備力の高い強肩捕手の起用が目立ったが、盗塁ブームが収まることはなかった。


 この時代は球史に残るリードオフマンが数多く輩出された。安打に拘り、打率と安打数を稼ぐスタイルのウィッチ・ロウ、出塁に拘り、得点と盗塁数を稼ぐスタイルのヘンリー・ヘンダーソンがスポットを浴び、全くタイプの異なるリードオフマンのMVP争いに全世界が注目した。


 建国歴11701年、両リーグ合わせて現在の40球団に増加すると、4つの地区に5チームずつ分けられ、ワイルドカードと合わせた10球団がプレーオフ進出の対象となった。ボトムリーグやリトルリーグでスラッガー枠募集が義務化されたことで打力不足が解消され、リードオフマン時代は幕を閉じた。


【建国歴11501年~12000年後半『レボリューション時代』】


 経営破綻による球団の売買が相次ぐ中、走攻守に優れたファイブツールプレイヤーが重要視され、ルーシー・ゲーリッグやアリス・ロドリゲスなどがその代表格となった。ブービ・ルース以来、約1000年ぶりとなる本格派二刀流選手たちのメルリーグデビューも注目された。


 今まで以上に様々な記録が生まれた時代であることから、後世の人々からはレボリューション時代と称された。椎名葵が史上初となる11年連続トリプルスリーを記録し、ラマー・ウィリアムズの10年連続トリプルスリーの記録を塗り替える活躍を見せた。


 アルビノ初のメルリーガー、アイリーン・ルーズベルトの登場は世間に衝撃を与え、全国メディアの話題を独占する事態となった。チーム内外からの反発や罵詈雑言の中で黙々と結果を残し続け、チームメイトやファンから徐々に受け入れられていった。


 この前例により、メルリーグでの選手経験のないワーカーズリーグの元選手がメルリーグの監督やコーチを務める機会が増えていくきっかけとなり、今までのメルリーグにはなかった2番最強打者理論などが注目され、常識に縛られない采配を取り入れた。

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