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第六話 春よ来い~この世の冬の始まり~

 公方様が亡くなり、新たに徳川御三卿の出である徳川家斉が継ぐこととなった。その際、田沼意次の失脚もあり、世の中は変わりつつあった。

 そして瀧澤家にも悲しい出来事が起きる。

 養子に出ていた次兄の興春が亡くなったのだ。貧しい生活の中、いつも弟の身を案じていた彼が亡くなり、興邦君は塞ぎがちになり引きこもるようになった。

 母を亡くし、そして兄まで。苦しい出来事は続く。

 将軍の代替わりとともに世間では奢侈な生活は批判されるようになり、娯楽を楽しむ余裕などなくなりつつあった。

 それは作家を目指す俺と興邦くんの中では大きな問題だった。仮に作家となることができても、それは倹約や節制を大義とした政治の前では非難の対象となるからだった。

「信乃まで落ち込むとは何事じゃ」

 脳内彼女ことのじゃロリさまが語りかける。

「もう時代は変わったのじゃ。今までの政治のように豪奢なものが尊ばれなくなる時代に来たのじゃ」

「でものじゃロリさま、俺たち作家を目指している身としては困り果てているというか」

 正直貸本屋も厳しい局面に立たされていた。表立って検閲などがあるわけではないが、社会を風刺したり、派手な生活を描いた作品を読んだりするのが非難されるようになった。

 時代が変われば仕方ないのかもしれないがやるせなかった。

「申し訳ないのう。私の父が不甲斐ないばかりに」

 のじゃロリさまが殊勝にも謝ってくる。って彼女が責任感じることではない気がするのだが。

「のじゃロリさまって老中首座の松平定信の娘なのか」

「いや、父はもっと偉いのじゃ」

 ふうん。ってことは誰だろう。

「父は将軍じゃ」

 ええ。じゃああの徳川家斉なのか。でも彼はまだ若い。そうするとのじゃロリさまってまだ生まれていないんじゃないのか。

「私にもわからんのじゃ。信乃から見ると過去の人間じゃがこの時代から見ると未来から来た存在ということになる」

 魂だけの存在だが、と彼女は笑う。

「信乃、今は戦う時なのじゃ。我慢だけが人間にできることではない」

 その言葉が胸に響いた。

 俺にもできること何かあるのかな。

 この時代に呼ばれた理由。のじゃロリさまは時の将軍の娘だからということだけど。

 俺は普通の高校生だ。

 でも興邦くんの家族のためになることなら力になりたい。

 そう思うのだ。

 普段は気難しい彼が落ち込んで描いた未来も見えなくなっている。

 だったら。

 励ますことだって必要だろう。

「ありがとうのじゃロリさま」

「私のことをそう呼ぶのは信乃だけじゃ」

 少し照れくさそうな彼女が意外で俺は笑う。

 そういえば彼女は時の将軍の娘と聞いたが。

 徳川家斉って子だくさんで有名だから誰とまでは特定できなかった。


「そうだ、岡場所の見学に誘おう」

 深川仲町や両国回向院などは華やかな場所で男が遊ぶのに持ってこいの場所だった。幸い貸本屋で稼ぎ貯めた一両がある。

 俺は興邦君の牙城である六畳一間に入り食事の差し入れと称して誘う。

「最近落ち込んでいるからさ、こういう時こそぱーっとやろうよ」

「信乃、かたじけない」

 あまり気乗りしていないようだったがこういうのは楽しんだもの勝ちだ。

「人とは死ぬものだ。そう理解していたつもりだが、こうも続くとな」

 落ち込んでいるところを見られたくないらしく彼はうつむきがちにそうこぼす。

「しかし暗い顔ばかりもしていられない。せっかく誘ってもらったのだから今日は楽しくやりたいものだな」

 まあ全部俺の奢りだから安心してくれ。貧乏生活が板についた瀧澤家ではめったにできないイベントだ。楽しんでもらいたい。

 女性とのやり取りに不慣れな興邦くんだからうまくやれるかは謎だったが。

「興邦のことを頼んだぞ」

 長兄の興旨にも声を掛けられる。彼も母と弟を失って悲しいはずだ。そしていつまでも仕事が続かない興邦くんのことを心配しているのだ。

「弟は気難しくて不器用だが繊細な男なのだ。私より年の近い信乃が励ましてやってくれ」

 長兄にそう頼まれたら否とは言えない。

 それに俺自身、暗いこの世の中をこの先ずっと生きていけるのか不安だったから。

 不安や悲しみに満ちた世の中で少しでも明るい気持ちになれたら。

 それだけが望みだった。


「よっ旦那寄っていきやせんか」

 深川の町は木場の材木商を相手に商売をしていた華やかな場所だった。多くの人でごった返し、楽しげだった。

 岡場所は政府公認の吉原と違い、芸妓が上で娼妓は下に見られていた。

 彼女らは辰巳芸者と呼ばれ、芸を売りにしているのだった。

「今日は一両持ってきているから、ちょっとお高い深川でも遊べるさ」

 高校生の俺には刺激が強い場所だが、興邦くんはいつもの冷静な表情であたりを見渡す。

「石場に来たのは初めてだ。まずは船頭に聞かないとな」

 茶屋では船頭や仲居さんが忙しそうに客の要望を聞いている。彼らは札を見て遊女に客が付いているか確認したのだった。

「旦那、今日はどんな遊びがお目当てですかい」

「芸事がみたいのだ」

 芸術に理解がある瀧澤家の一員だから当然だろうという顔をする。この人女に興味なさそうだしね。

「そうでしたらこちらのおはるはどうですかい。三味線の腕はピカイチ、唄も踊りも江戸一ですぜ」

 特に三味線がうまいというところを自信ありげに語る。

「では札を見て参るのでしばしお待ちを」

 船頭のおすすめだからといって必ずしも指名できるとは限らない。ほかに指名が入っていれば、別の芸者になることもある。

「まったく芸者遊びに来たというのにあの人はいつも奢ってくれないなあ・いつも均等に支払う羽目になる」

「まあまあ、あれが天下の京伝勘定というやつだよ」

 俺たちが手持無沙汰で人の話に聞き耳を立てていると男たちが帰ってくるところだった。

「彼はああ見えて木場の質屋のせがれだからな。商売上手なわけだよ」

 男たちは不満を言いつつも楽しげだった。

「あれだけ人気の絵師で、作家なのだから多少おこぼれにあずかりたいというのが本音だがなあ」

「地元に来たのだからせめていい恰好してほしいと思うのが人間ってものよ」

 どうやら割り勘にされたのが腑に落ちないらしい。

 そういうところはきっちりしている人間の方が好感が持てるけどね。

「噂話か。感心しないな」

 噂をすれば何とやらで男が背後から割って入る。

「これはこれは山東京伝ともあろう方に文句など言いますまい」

「よく言うわい」

 その一言で興邦くんと俺は顔を見合わせる。

 まさかまさかの。

 憧れの山東京伝と出会えるなんて思いもしなかった。

「旦那、おはるの指名ありがとうございやした」

 船頭が案内してくれるのを無視して。

 俺たちは山東京伝の後をつけるのだった。

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