第五話 貸本屋はつらいよ~お得意さんの好みがわからない~
ということで俺と興邦くんは仲良く貸本屋の門戸を叩いた。といっても基本的に彼らは得意先の好みに合った黄表紙や草双紙を貸し出し、一か月から半年で回収しに行っていた。そして再び客の趣向に合わせた作品を貸すのだった。
つまり今でいう本ソムリエ的な存在だ。己のセンスと信頼が関わってくる。
今と比べ江戸時代には動画やゲームなどの娯楽はない。だから必然的に書物での娯楽が大きな割合を占めていたのだろう。
「それでお武家さんはどうしてあっしらの仕事の見学をしたいと」
案の定疑われている。正真正銘のお武家の興邦くんはともかく、俺の方は完全に身元不明の不審者だ。岡っ引きに連れていかれないか心配だ。
「この信乃が仕事先を探しておってな。図体ばかり立派だが、書が好きなのだ。これは用心棒代わりに使えるのではないか。ぜひとも雇い入れてほしい」
真面目な顔でもっともらしいことをいう興邦くんに俺は開いた口がふさがらない。この人普段は高学歴ニートなのに意外とまともなことを言う。しかも説得力がある。江戸時代の武家の言葉の重みを思い知った。
「しかしですな。あっしらの商売は客商売。信頼を培うのも仕事のうちでして」
まだ新参者に任せるわけにはいかないと言いたげだ。
「しかし草双紙や合巻を担ぐのは骨が折れる。人一人雇うのも悪くなかろう」
段々押しが強くなっていく。これはいけるのではないかと期待が募る。
「致し方ありませんな。承知しました。この男雇いましょう」
「かたじけない」
俺だけ頭を下げ仕事先が決まった。ありがたい。でも興邦くんはいいことをした顔でいるがよく考えると働くの俺だけで彼は奉公先決まってないよね?
そこだけが腑に落ちない。
「では信乃とやら得意先に挨拶に参る。草双紙を運ぶのを手伝っておくれ」
早速仕事の始まりだ。
だが俺には一つ懸念があった。
それは。
「俺この時代の本のこと全然知らないんだよな」
上方だと井原西鶴の好色一代男とかが有名だがこのころの江戸の本って何があっただろう。
「信乃、井原西鶴はかなり昔の作家じゃ。しかも廓話はあまり感心しないのう」
脳内彼女こと、のじゃロリさまが突っ込んでくる。
「武家ものや雨月物語はどうじゃ」
意外とのじゃロリさまは堅いものがお好きなようだ。
「でもラブコメ作家を志す身としては廓話とか惚れた腫れたの話の方が勉強になりそうかな」
「ふむ。古くより伊勢物語や源氏など恋愛は物語の根幹をなしてきたが私はどうも好かないのじゃ」
「なんで? 」
「私は武家の女ゆえ、色恋は面倒くさいのじゃ。特に母が男に懸想して迷惑を被ったからのう」
のじゃロリさまも苦労人らしい。っていうかお母さんいたんだ。
「木の股から生まれたわけではあるまいし驚くことではなかろう」
ますますのじゃロリさまの正体がわからなくなった。
「信乃、着いたぞ」
そして立派な武家屋敷に着き、背負っていた書物を運び出す。
「先月の合巻はお気に召したでしょうか」
「ああ面白うござった。今月も楽しみにしておった。しかしそこの男は何者じゃ」
「信乃でございます」
話を振られたので自己紹介を済ませる。
「この男は荷物運びでして、まだ仕事を始めたばかりで」
「よいよいそなたの好きな作品はなんじゃ」
「井原西鶴の好色一代男でございます」
「おお廓話はよいものじゃ。先日借りた黄表紙もそうだった」
そして取り出したのは江戸生艶気樺焼(えどうまれ うわきの かばやき)と記された本だった。
「この話が面白いのは普通の廓話と違って、全く女に好かれぬ男が何とかして女に焼きもちを焼いてもらおうとするところじゃ」
ん?なんかどっかで聞き覚えがあるぞ。
それって。
「山東京伝ですか」
「おぬし詳しいの」
それはあの興邦くんの憧れの作家だからな。一応名前だけは知っている。タイトルまでは覚えていないけど。
「山東京伝は天才、いや才能の塊じゃの。今後が楽しみだ」
「信乃、これ私の出番がなくなったじゃないか」
お得意さんの好みは恋愛ものだということが分かった。
この時代、岡場所、つまり遊郭の女性は憧れの対象だ。
華やかな世界だがなかなか苦しい世界なのは肉体の門で勉強したよ。
「ではお支払いを」
「来月も楽しみにしておるからな」
お武家さんが銀一匁を出して貸本屋の仕事は一件目が終了した。
「信乃は最近の作家についてはほとんど知らないようだ。もう少し勉強が必要だ」
案の定井原西鶴は古すぎたらしい。のじゃロリさまの心配は的中していた。
「恋川春町はどうだ。金々先生栄華夢はなかなか面白い」
受験勉強で名前は出てくるけど何を書いた人かは全然知らないや。
「草双紙にしては珍しく女子供以外も読める話だ」
なんでもこちらも岡場所がモデルの作品らしい。
「勉強させてもらいます」
未来のラブコメ作家として人の心の機微や恋愛は知っておいて損はないだろう。
貸本屋の仕事結構楽しいかも。
「暮れ六つ、酉の刻までにはすべて回ろう」
時の鐘が鳴る。意外と時間はない。
「今日はあっしもついてきたが来月からは一人で回るんだ」
「へい」
要するに新人貸本屋の俺は江戸時代の営業兼本ソムリエとして働くことになった。
しかし。
文化の繁栄が見られたのもわずかな間だけで、これから先は暗雲が立ち込めることになる。
それは田沼意次がいなくなり、今までの金権政治を清算し、新しく清い政治が始まるからだった。
翌年、時の将軍であった徳川家治が亡くなり時代は厳しい局面へと向かっているのだった。
そしてそれは武家であり作家に憧れている興邦くんとて例外ではなかった。