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第四十二話 ちはやぶる~エキセントリックな人間には勝てません~


「しかし、時の将軍の御前で絵を披露するとはな」

 曲亭馬琴が一人ごちる。そう、葛飾北斎が浅草の伝法院でパフォーマンスをすることになったのだ。

「心配か、信乃」

「もちろん」

 あの自信家で奇想天外な男がやることは想像がつかない。それに何か嫌な予感がするのだ。

「絶対悪だくみをしているよ」

「心配しても仕方ない」

 その辺はドライな口調でバッサリ切り落とされる。仕方ないけど、あの葛飾北斎の中身はかなり子供のガキ大将だ。

 女性からは少年のようで素敵なんてほめられるが、そばにいる人間からすると勘弁してくれと言いたくなる。

「信乃、鶏を一羽連れていく」

 コケコケと騒ぐ鳥を抱えながら、葛飾北斎は去っていく。鶏を使うアートなんてあるのだろうか。

 不安がよぎる。また、トラブルに発展しなければいいが。

 曲亭馬琴も葛飾北斎もなかなかの問題児なのだった。


「しかし、大丈夫なのかな」

「信乃がおるから心配ご無用なのじゃ」

 のじゃロリさまこと、溶姫さまがぐっと拳を握る。ファイトっと伝えたいらしい。

「葛飾北斎はなんだか、信乃のことを信頼しているようじゃ」

「それはいいんだけど」

 火消役を担うのは俺、という認識でいいのか。俺は保護者かと突っ込みたくなるが、言っても仕方ない。

「信乃のほすぴてりてぃ精神とやらは素晴らしいのじゃ」

「俺は普通のゲストなら迎えたいけど」

 相手は傲岸不遜な男、そして時の権力者。命がいくつあっても足りない。

「父上の顔を拝見するのはいつぶりかのう」

「そうか、お上は溶姫さまのお父さんだもんね」

 少しだけ明るい声で彼女は笑う。今までが苦労の連続だったから、溶姫さまにいいことがあると嬉しい。

 母親とは確執があると聞いていた。だからこそ父を慕っていたのだろう。

「派手な父じゃが、相撲や酒が大好きじゃった。楽しい人なのじゃ」

 浪費家として有名だが、溶姫さまにとってはたった一人の父親だ。

 素直に喜ぶ彼女が可愛らしくて俺にも少し笑みがこぼれる。

「溶姫さまはお父さんが好きなんだね」

 俺は普通の家庭に生まれたから、家族って面倒だなくらいしか思わない。近い距離だと大切さに気付かないことも多い。

 だけど溶姫さまにとっては久しぶりの家族に会えるのが楽しみなのだろう。

「会えるといいね」

「かたじけないのじゃ、信乃」

 嬉しそうに微笑む彼女を見て、なおのこと葛飾北斎の席画を成功させようという気持ちに力が入る。

「俺も陰で頑張らないと」

 応援とフォローを見えないところですることになるはずだ。溶姫さまのためだ。当然だ。

 夜が更け、席画の時間が迫る。

 夜明けを知らせる鶏の声が静かなのが気になった。


「これより、谷文晁たにぶんちょうが絵を披露する」

 浅草の伝法院では鷹狩りを終えた、将軍一同が待ち構えていた。招待された絵師たちが固唾をのんで見守り、一人目の発表が始まる。

 そんな中唯一余裕のある男がいた。葛飾北斎だ。

「大丈夫かな」

 俺が独り言ちても相手には伝わらない。しかもなぜか俺の腕の中には鶏がいて。

「葛飾北斎もなぜ、俺に訳の分からない頼みごとをするかな」

 コケっと元気よく鶏が鳴く。静かにしないと見つかってしまう。

「信乃、父上の顔がよく見えないのじゃ」

 少し寂しそうな溶姫さまを肩に乗せて、暴れる鳥を抱きしめる。なかなかシュールな光景だ。

「ちょっと待ってて」

 俺は松の木によじ登り、上から将軍一行の姿がはっきりと見える場所に移る。なんだか俺っていつも無茶していないか。

「信乃、父上が見えたのじゃ」

 ちらりとお上の表情が和らいだ。片手には酒。そして絵師の前で笑っている。

 どうやらご満悦のようだ。

「信乃、父上がお元気そうなのじゃ」

 溶姫さまも嬉しそうだ。今日はこれだけでいい一日になった。

 幸せそうな彼女を見ると、俺も苦労した甲斐がある。

 そうこうしているうちに順番が回ってくる。

「続いて、葛飾北斎。御前へ」

 自信満々に花鳥風月、山水画を流麗な筆致で描いていく。その圧倒的な美しさに周囲が感嘆し、皆が息をのんだ。その瞬間だった。

「信乃、出てこい」

 葛飾北斎が俺を見やり、命令する。

 こちらは木の上で、しかも鶏が騒いでいる状況だ。

「何奴。御前を見下ろすなど罰当たりな」

 周囲が騒ぎ始める。俺が上から眺めていたのが不敬に値するそうだ。

 失敗した。俺は溶姫さまが見やすいようにと気を遣ったつもりで、何も考えていなかった。

「いい。こいつは俺が呼んだ」

 そして、葛飾北斎は俺のいる場所まで寄っていき、ニッと笑う。

「天才戯作者の信濃木偶だ」

 俺の正体を明かして、何がしたいのだろう。一般的には知られていないはずだからと高を括っていたら。

「あの、『長政旅行記』の作者か」

「異国について詳細に記していた、あの作品か」

 俺って有名人だったのかと驚いていると。

「どうして幕府の少数しか知らない情報について知っていた」

 大槻玄沢と同じ質問をされる。あの時はうまくはぐらかせたが、今回はまさにピンチだ。

「もしや、この男」

 異人なのではと疑われる。確かに上背はあるが、俺は生粋の日本人。外国文学を少し知っているだけで、英語とか話せないからね。

「異人の仲間がいるとは。葛飾北斎……」

 次第に彼にも疑いの目が向けられる。

 その時。

「コケッ」

 俺の腕から鶏が逃げ出し、お上の近くまで迫っていた。やばい、これはお冠のはずだ。異人の疑いがある俺の逃がした鳥という最悪のコンビだ。

「在原業平をご存じで」

葛飾北斎がおもむろに長い紙を広げ、筆で青い帯を描いた。

「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川

 からくれないに みずくくるとは」

 そう嘯き、鶏が紙の上をトタトタ歩くのを指さす。

「面白いな」

 時の将軍、徳川家斉が笑う。

「これが竜田川の紅葉で御座います」

 ニヤリと葛飾北斎が不敵の笑みを浮かべ、周囲は驚きに湧く。これが粋ということか。

「気に入った。今回のことは不問とする」

 御前にも気後れせず、葛飾北斎は堂々とした佇まいでうなずく。これでこそこの男だ。

 心配していたことが馬鹿らしくなるくらい、清々しい男だった。

「信乃、父上がこちらをご覧になったのじゃ」

 溶姫さまも久しぶりに会えた父親の姿に興奮していた。

 色々騒ぎは大きくなったけど、結果的にはよかったのかもしれない。

 人生塞翁が馬、なんて言葉がある。

 本当は平穏で何事もない人生を送りたいところだけれど。

 たまにはこうした小さな幸せがあるのもいいかもしれない。

 溶姫さまが笑っていて。

 葛飾北斎が得意の絵を披露して。

 どこかで曲亭馬琴が不敵な笑みを浮かべて。


 みんながいるから、人生は楽しく思えるのだ。

 俺はいい仲間に恵まれ、いい人たちに囲まれて、幸せだ。


 そしてまた時代は移ろう。

 変わりゆく世界で、俺たちはもがきながら生きていくのだろう。

 その時までは。

 この幸せな時間を噛みしめたい。

 そう思うのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  曲亭馬琴も葛飾北斎もめちゃめちゃ才能がある一方で、とてもクセの強い方たちなので、なんのかんのと、彼らと上手く付き合っている信乃は凄いと思います(爆)。 〝竜田川の紅葉〟のエピソードからは…
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