第四話 何者~江戸時代にも就職活動があったんだね~
興邦くんはかっこよく俺の願い事を聞いてくれると言っていたが現実はきびしかった。瀧澤家が仕える戸田家だって仕事があるわけではないし、江戸時代の次男以下は基本冷や飯喰らいだったのだから。
そして正体不明の浮浪人こと、俺は最初こそ優しく迎えられたが改めて現実という者を思い知らされる。要は仕事を探せと暗に言われ就職活動を促されるのだった。
「信乃、そなたもそろそろ奉公にいかないか。武士の身分ではないにしろ、武家に仕えるのにふさわしい背格好をしておる。中身はともあれ」
俺、ついこの間まで高校生だったのにもう就職活動なの? あれって大学生があくせくやっているイメージがあるんだけど。
小言を言ってくるのは長兄の興旨だ。今まで弟一人に手を焼いていたのが、もう一人増えたので頭を抱えている。
そして戸田家の徒士として紹介されていた興邦くんも今ではただのプー太郎で、趣味の読書に励んでいる。
我ながらくそだと思う。ただ仕事をするといわれてもピンとこない。
よく親からは金は空から降ってくるもんじゃない、稼いでくるものだと言われた。だが降ってくるものだと信じたかった。
「奉公に出るのだ、信乃、興邦」
「は、はあ」
正体不明の男をずっと置いておけるほど、この家に金はなかった。
だったら養子に出た興春の元で仕事ができないかと紹介もしてくれたが武家の礼儀作法など知る由もない。ものの数日で返されてしまった。
「信乃には向いている仕事があるはずだ。口入れ屋に相談しよう」
「ええ」
武家に仕えるのは俺自身向いていないと感じていた。
昔の人は幼いうちから奉公に出され、苦労していたのは知っている。だが俺は現代っ子なのだ。
「信乃、お主の好きなことを探すのじゃ、いわゆる自己分析というやつじゃ」
久々にのじゃロリさまがいいことを言ってくる。確かに自己分析やら深堀やらやれというのは就職活動の鉄則ともいえるけど。
「武家の生まれの人間と違って信乃は身分に縛られない。だったら町で仕事を探すのも手じゃ。それは瀧澤家の人間にはできないことじゃろう」
珍しくのじゃロリさまが難しいことも言っている。江戸時代は士農工商と言われ武家が頂点。農民や商売人は下に見られていたが、実際には稼いでいたりするしね。
「のじゃロリさまって何者? まさか神様とか」
「どうせなら弁天様あたりがよいのう。そのうちわかるじゃろう。それまでは秘密なのじゃ」
脳内彼女は秘密主義者のようだ。だけど悪い人ではないはずだ。
俺にアドバイスくれるくらいだし。
「信乃、興邦を連れて、松平家に参れ。もうここで生活させるのも限界がある」
「兄上、私は反対だ」
ここまで来るとかつての主を頼るほかないと思ったのか。だが興邦くんは頑なだ。
だったら。
「承知いたしました。俺たち行ってきます」
「信乃、この裏切り者」
高学歴ニートな興邦くんを連れて町に出る。まったくこれだから頭でっかちはと言いたくなったのが言わぬが花だ。
「これ信乃、言っていることとやっていることが違うじゃないか」
少ない小遣いで茶屋に出掛け女の子と喋っていると興邦くんが顔を真っ赤にしていた。
「男が女人と交わって会話など、恥を知れ」
妙に頭が固いのか興邦くんはおかんむりだ。
「ええいいだろう。奉公に行かないなら多少遊んでも」
「見損なったぞ、信乃」
いいじゃん。俺だってせっかく江戸時代に来たんだから色々見たいし。
「信乃、お主に街に出よとは言ったのじゃが……」
のじゃロリさまもあきれ果てている。書を捨て街に出ようという名言だってあるし、引きこもって勉強するだけの生活もクソに代わりない。
「お侍さま、甘味はいかが」
「私はいらぬ」
武士の誇りを大事にしているのか女性相手にも脂下がることはない。つまらないなと思ったが奉公に出たくないのは二人とも同じなので時間を潰す。
「俺、武家に仕えるのは絶対に無理だと思っているんだ」
「珍しく意見が合うな」
追加で団子も頼むと白い目で見られる。
興邦くんの家は俸禄が高いわけでもなく、仕事を探さなければ生活ができないのは明白だ。だが人間には向き不向きがある。
例えば塾を開くとか寺子屋を手伝うとかも考えたが。
プライドばかり高く、人に教えるのは明らかに向いていないので却下した。
ああいうのは人望がある人がやらないと。
のじゃロリさまにも言われた自分の好きなこと。
場所や身分にとらわれないなら。
貸本屋とかどうだろう。
「人間向き不向きはあるけど、したいことをするのが一番だよな」
「それができぬから困っているのだ」
とりあえず松平家に戻るのは本当に嫌なようだ。
「私は子供相手に遊ぶなどということは二度としたくない」
やりたくないことは山ほどあるのに、やりたいことがないのかこいつは。
「しいて言うならば私は、書を読み、山東京伝のような作家になりたいと思っている」
ん? 山東京伝。これまたマニアックな。
「黄表紙を作って江戸一の作家になりたいのだ」
夢を語る興邦くんの目は輝いていた。そうか。彼にも夢があるのか。
いつもニヒルを気取った偏屈ニートだったから忘れていた。
俺と一緒でいつか作家になりたいという夢があるのだ。
「そうか、俺も作家になりたいんだ。同じだな」
「信乃も同じか」
少し驚いた顔をしていたのが子供っぽくて俺は笑っていた。
俺たちは図体ばかり大きいが、中身は子供のままなのかもしれない。
「何も笑うことはないだろう」
「いや、案外似た者同士なんだな俺たちって」
結局茶屋で遊ぶこともなく俺たちは隅田川のほとりで話し合っていた。
「あれは何? 」
「ぼてふりだ」
「あれは? 」
すべてが物珍しくて町にいるだけで楽しかった。
「信乃は本当に何も知らぬのだな」
やれやれと呆れながらも付き合ってくれるのだから興邦くんだって悪い奴ではないだろう。
「ちょっと待って、あの人本持っているよ」
「貸本屋だからな」
彼らは得意先に売り込む営業のようなものなんだろう。
「ねえ借りたいんだけど俺お金持っていないよ。さっきの団子で使い果たしたから」
「私に言われても」
少し困った顔で懐加減を探っていると。
「お武家さん、欲しい書物でもありますかい」
貸本屋が声をかけてくる。俺は喉から手が出るほど欲しかったが興邦くんに止められる。
「くそ、本が読みてえよ」
「だったら金を稼ぐしかあるまい」
さっきまでやる気皆無だった俺たちの魂に火が付く。
働きたくはない。
だけどほしいものはある。
「決めた。俺貸本屋で働く」
のじゃロリさまの言う通り、したいことを仕事にする。
よく生半可な気持ちで決めるな、なんていうけれど俺にはそれが一番に思えた。