第三話 すてきな入れ替わり~葬式のときに出会う知らない親戚との会話ってどうするの~
坊さんの読経と木魚がぽくぽくいっているのが聞こえる。
しかし足腰は座りすぎで痛いし、何言っているのかわからないしで葬式って全然楽しくないよね。
しかも肝心の興邦くんは消えてしまったし。
俺は代役でおとなしく参列するだけだ。
この中でわかったことは彼らが早くに父を亡くしており、家族関係が複雑なこと、金に困っていることくらいか。
「興邦がいないことは周囲には隠しておけ。外聞が悪い」
そう注意してきたのは長兄の興旨だ。今回の喪主も務め、気が気でない様子だ。
彼は父を亡くし、家督を継いだが俸禄を半分にされ、その地位を弟の興邦に譲り、自身は戸田家に仕えたと話していた。
母親と暮らしていたのも彼で一番責任を感じているようだ。
別の家に養子に出ていた次兄の興春も慌てて駆けつけ、二人とも弟の興邦には手を焼いているようだ。
「興邦に家督を譲ったとき、あやつはまだ十歳。まだ子供だった。しかも主君との折り合いも悪く、せいぜいが松平家の孫の遊び相手。そんな立場に嫌気がさして逃げていった」
長兄は苦々しい顔でそう語る。俺に家族関係を話しているのはこの葬儀でへまをしないようにとの注意のつもりだろうか。
「奉公先ではすぐに失敗してやめてを繰り返し、今度ばかりは怒るつもりだったんだがな」
一緒に暮らしていたこともあったはずだが興邦の気位の高さには困り果てていたようだ。
「母がなくなり、一族が揃うことも少なくなるはずだ。特に興邦はな」
文化を愛し、俳諧を嗜んだ弟に何も言えないのは長兄自身もまた文化に理解があったからだ。
「結局叔父の元で勝手に元服して、仕えている戸田家の仕事も紹介もしたが、すぐに辞めてしまった」
心配もしているし愛情がないわけではない。ただ生きるためには金がいる。そんな事実が彼らを苦しめていた。
興邦くん一家の複雑な家族事情は分かった。
だけどこれ俺に関係なくない?
少し無責任にもそう思ってしまった。
「こら、信乃。おぬし大事なことを忘れているのじゃ」
可憐な少女の声が脳内に鳴り響く。
ってのじゃロリさま?
いなくなったんじゃなかったの。
「冠婚葬祭の時の礼儀作法くらい身に着けるのじゃ。見ていて見苦しい」
待ってくれよ。俺葬式なんて小さいころに一回行ったきりで全然わからないし。
お香典っていくら包めばいいんだっけ?
袱紗とか持っていないんだけど。
だってさっきまで全裸だったからな。
「お焼香のあげかたがわからないのならば、前もってほかの人のあげ方を観察するのじゃ。宗派によって違うからのう」
彼女の指示は尤もだったがもっと実用的なことを聞けると期待していると。
「ほら信乃の番じゃ。落ち着いてやるのじゃ」
一応励ましてもらえたが心もとない。
江戸時代は仏教以外の宗教が厳しく制限された時代でもあった。
それは戦国の時代にキリシタンからもたらされた武器や文化の力も大きかった。
よく葬式仏教とか言われるがこれも江戸時代の檀家制度の影響ともいえる。
っておやじがよく言ってたっけと思い出す。
酒の肴に歴史を語る父親を少しだけ懐かしく思いながらお焼香を上げる。
現代のお葬式と違うのは黒い喪服ではなく白い装束で死を悼むところだろうか。
ほかの参列者もお焼香をあげ終わったところ。
お金がないので引導は渡さず読経だけで葬儀を済ませたらしい。
長兄と次兄が棺を担ぎ、墓へと向かう。
さめざめと涙を流しながら身内だけで行われる静かな葬儀だった。
「でも本当にいいのかな」
興邦くんだって実の母親が亡くなったんだ。悲しくないわけないだろう。
「心配なら承諾せねばよかったのじゃ」
「うるさいなあのじゃロリさま」
一人突っ込むと白い目で見られる。
くそ。これは脳内彼女なので周囲にはわからないのだ。
そして埋葬の時がきた。
今では火葬が当たり前だが、少し前まで日本では土葬が基本的だった。
そして土まんじゅうというこんもりとした山を作る。
「母は生前興邦のことをいたく気にかけておってな」
そう語るのは次兄の興春だった。
「私なぞは養子に出されたが興邦は手元で大事に育て、家督も兄から譲り受けたときは心配していた」
本当に当主としてやっていけるかどうかを。
「そして一人にしたことを悔いていた」
それは長兄とともに戸田家で生活を始めたことだった。
「興邦のことは母の思い残しでもある。だから……」
涙を堪えながら、粛々と作業を進めていたその時だった。
「葬儀がなかなか終わらないので戻ってきた」
感情の読めない顔で興邦くんが現れる。
やっぱり気になっていたんだな。自分だけ一人さぼるつもりだったわけではないだろう。
着流し姿で周囲は非難の目を向ける。
武士の正装ですらなく、袴も穿いていない。
だけど彼なりの決意だったのだろう。
「焼香は上げなかったが、母上との別れをしないのもけじめというものがつかない」
そして素手で土をかぶせていく。
「ずっと兄や母を恨んできた。私一人残して去っていたことを」
だから反発もして、仕事が長続きしないのもそのせいにしてきた。
「けれど母は私を愛してくれていたのだな」
次兄の話が聞こえていたのか、先ほどの偏屈そうな様子はなく淡々と埋葬を進める。
「亡くなった後にいうのもおかしな話だが。感謝すべきなのだろうな」
そしてぽつりと呟くと俺を一瞥する。
「信乃とやら、感謝申し上げる。おぬしがいなかったら私も後悔すらすることもなかっただろう」
母を思う気持ちは変わらないのか長兄と次兄もじっと話に耳を傾けていた。
「おぬしには形だけでも礼がいいたい」
そして瀧澤家の墓という石を立ておき、俺の手を握る。
「何が欲しい? 金はないから大したことはできないが」
「俺より、兄上たちに美味しいものでも食わせてやれよ。みんな心配しているみたいだから」
彼らの複雑な関係、貧しい生活に俺が口をはさむことはできない。
だが、繋がりが消えることもないだろう。
瀧澤家一族の思いがなくなることもないはずだ。
一度掛け違えた釦を戻すのは難しいけど。
互いを思いあう気持ちがあれば、きっと大丈夫だろう。