第一話妄想彼女と清澄白河デート
白河の清きに魚も棲みかねて
もとの濁りの田沼恋しき
俺はワナビ歴三年の中堅ウェブ作家。篠崎信乃。
なんでも名前は里見八犬伝の主人公からとってきたらしい。
おやじが酒を飲むと必ず自慢してくる。
俺がおやじからもらった遺伝子の中で一番良かった点は身長がやたらと高いことだ。
185センチ以上あり、運動部からスカウトが来るも、あまりの運動神経のなさに呆れと同情の目を向けられること多数。
だからバスケとバレーは嫌なんだ。
嫌というか人に期待の目を向けられるのが苦手だ。
つまり俺は絵にかいたようなド文系の小説好き。
無頼漢や武士道とは縁を感じないどころか逃げさせていただきたいレベルなのだ。
そして今日も今日とて恋愛小説の取材に清澄白河駅にやってきた。
この辺りはおしゃれで歴史のあるいい街だ。
駅前には回遊式庭園として名高いかの有名なお庭があるし、立派な力士たちを輩出する相撲部屋もある。
女の子とデートをするならここ!と雑誌にも書いてある穴場スポットだ。
そして俺はおしゃれな健康食品やら雑貨やらのお店をちらりと一瞥してから佃煮をお土産に買う。
俺の家はごくごく平凡でハイソな生活とは程遠いので、意識高い系よりは古き良き日本の素朴な味を楽しむだろうと信じ母の好みに従う。
今日もデート()と称してお小遣いをもらったので致し方ない。
妄想の世界では可愛い彼女とデートなのだからいいだろう。
ちょっとそこの君。むなしいとか可哀そうとか言わない。
俺にだって自覚はあるんだから。
そうこうしているとお寺が目に入る。
なんでも松平定信のお墓があるらしい。
歴史好きとしては興味がそそられる。
まあ歴史に詳しくはないので全部親の受け売りだけど。
偉い人には媚は売っていくがポリシーなので手を合わせて拝んでおく。
深川の街は昔は水路交通の上にあって、船宿や橋があり人の行き来が多かった。
木場では昔から木材の加工や運搬も盛んで、江戸時代は栄えたらしい。
これは俺の見えない脳内彼女に向かってのうんちくだけど。
こういうと詳しそうに見えるけど全部資料館の説明を読み込んでかいつまんで説明できるように努力したからだ。
これも全部ラブコメ作家になるための涙ぐましい努力だ。
最近のリア充作家たちに一矢報いたいというか一泡吹かせてやる精神で俺はラブコメのなんたるかを勉強していた。
例えば朝は遅刻しそうになって食パンを口に駆け出すとか。
そのあと生徒手帳を落とすとか。
そんな定番が好きなのだ。
その時間帯に一緒にいるなら遅刻確定で、生徒手帳を拾う余裕ないんじゃないだとか。
食パンはトーストしないと食べづらいとか野暮な突っ込みは要らないんだよ。
そして俺のイマジナリー大和なでしこ彼女はおそらく和風の世界が好きだから、この清澄白河の地で売られている高級食パンを口にしているだろうという果てしない妄想をしているととあるものに気が付く。
曲亭馬琴生誕の地。
あの忌まわしき南総里見八犬伝の作者じゃないか。
いっておくが俺はあの儒教的な価値観で、漢学大好き、ついでに水滸伝のノリを引きずっている八犬伝が好きじゃない。
というか親が語るので自然と敬遠するようになっていた。
話も途中まで読んだがくそ長い。
よくこれ生きているうちに完結させたよなと感心はするが尊敬はしない。
しかも曲亭馬琴って結構気難しくて家庭崩壊起こしかけの人だから作家というのは人間性に問題があるやつが多いという定説通りなのだ。
信乃という名前で女の子みたいだと笑われた過去への恨みも無きにしも非ずだけど。
いかんいかん。
ここは脳内彼女に自慢するところだった。
「俺の名前って南総里見八犬伝の主人公の信乃からとってきてるの、かっこいいだろう」
「ほう面白いやつだ」
ん?口調がおかしいぞ。
最近はやりののじゃロリってやつか。
まあ嫌いじゃないけどちょっと現実味のない世界観だよね。
「南総里見八犬伝について知っていることを教えてみよ」
なんか上からだけど高飛車ヒロインも嫌いじゃないので素直に答える。
「ええと作者はあの曲亭馬琴、一応時代は室町時代の結城合戦を題材にとってきているけど、正直かなりファンタジーが入っているよね。八つの玉とかド●ゴンボールかよ」
正確には曲亭馬琴の時代の方が昔なので向こうがパクった可能性はゼロなんだけど。
と恨み節になってしまうのはかつて俺自身が歴史ものを書いていたからだ。
ラブコメ作家を目指しているとはいえ過去にはいろいろあったのだ。
例えば平安時代の源為朝伝説を題材に書こうとしたら、曲亭馬琴が先に書いていたし。
今回の結城合戦も書く人いないから俺が、と思ったらすでにいたというオチ。
マジ許すまじ。曲亭馬琴。
と個人的な恨みはともかく語るだけ語ったらなんか満足してしまった。
「そなたにはいいものを見せてやるのじゃ」
そして妄想彼女よりも不思議な、目に見えないのじゃロリ高飛車ヒロインは俺に語りかける。
「時は寛政、文化の灯が消えようとしているその最中、自ら文化で世を救おうとした男たちの戦い、とくとご覧あれ」
「ほへ? 」
アスファルトの地面が揺れ始め。
目を覚ますと土埃が舞う、いかにも時代劇のセットな街並みに瞠目する。
「なんじゃこりゃあああああ」
松田●作風に叫ぶのだった。