人はそれを(ある意味)運命と呼ぶ
よろしくお願いします。
とある国の、貴族が通う学園。その広い敷地の中にある東屋で、一人の女生徒が紅茶を飲んでふわりと微笑んだ。
「美味しいわあ。ヴィンスも飲んでみて、クッキーとも合うのよ」
少女の名はディアナ・ローレンツ。侯爵令嬢であり、この国の第三王子の婚約者だ。ピンクベージュの髪と蜂蜜色の瞳から『春の妖精』と呼ばれ、男女共に広く人気を得てている。
そんなディアナの微笑みを正面から受け止めた男子生徒は、彼女に苦笑を返した。白銀の髪にアイスブルーの瞳が作り物めいた彼だが、雰囲気は柔らかい。
「知ってるよ、そう思って用意したんだから。それにしてもディアちゃんのお菓子は相変わらず旨いね。貴族を辞めることがあったら店を出すといいよ」
ディアナが「もう!」と頬を膨らますのを可笑しそうに眺める彼の名はヴィンセント・バーンズ。バーンズ侯爵家の嫡男で、ディアナの幼馴染。
ヴィンセントはディアナから視線を外し自分の隣をちらと見ると、困ったように眉を寄せた。
「……で、ディアちゃん。今度は何で喧嘩したの?」
「あら? 喧嘩なんて一切していないわ。ただわたくしが『小さな子供のように聞き分けなく』一方的に『拗ねている』だけよ?」
「あー、そう。今回はそういう感じね」
ヴィンセントは全て理解したと頷いて自分の隣、一言も発することなく陰鬱な視線をこちらに向ける男子生徒に身体ごと向き直った。
「早く謝った方がいいですよ、第三王子殿下」
「そんなことは言われなくてもわかっている!」
美しい金髪を掻き毟って声を上げた第三王子ロナルドは、エメラルドの瞳に憎しみを込めてヴィンセントを睨みつけた。いつものことなのでヴィンセントにはまったく堪えていないのだが。
「まあ……ヴィンス、そこに誰かいるの? 残念ながらわたくしにはまっっったく見えないのだけれど?」
威圧感たっぷりの笑顔でこてんと首を傾げたディアナにロナルドが「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げる。そんな第三王子の情けない姿を白けた目で一瞥したヴィンセントは、一つ溜息を吐いて笑顔を形作った。
「いいや? さっきまでいたんだけど、もう帰ってしまったみたいだよ」
わかりやすい『とっとと帰れ』を察したロナルドは、こそこそと東屋を後にした。残った二人が同時に溜息を吐く。
「見栄を張るくらい許してもいいんじゃないか?」
「不特定多数の女の前で言っていたら腹が立つでしょう?」
「馬鹿王子だな」
「そうよ」
面倒臭そうに髪をかきあげて乱暴な手つきで紅茶を飲み干したヴィンセントが、心底嫌そうにディアナを見た。
「痴話喧嘩に俺を巻き込まないでほしいな。ローズマリア様に少しでも不安な思いをさせたくないんだ」
「ローズ様には報告済みよ。ヴィンスを信頼しているらしいわ。いいわねえ、素敵な関係で」
「八つ当たりするなよ」
「あら、本気で褒めているのよ?」
ツンと澄ました顔でカップを傾けたディアナは、幼馴染同様に乱暴に飲み干して、三枚重ねて持ったクッキーを二口で食べ切った。淑女らしさが皆無の彼女に、ヴィンセントがハンカチを差し出す。
「『春の妖精』は随分と食い気に溢れていらっしゃる。……クッキーの欠片が口元に」
「ありがとう『氷の貴公子』様。今からでも貴方の婚約者を狙おうかしら?」
幼い頃両家の親たちが盛り上がってそんな話が出ていたのだ。二人して冗談じゃないと嫌がったのは十にも満たない頃。その時を思い出して、ヴィンセントはフッと笑った。
「君のことは好きだよ。かけがえのない幼馴染で、友達だ。一緒にいると楽しいし、結婚したらいい夫婦にもなれると思う。……ただ恐ろしいくらい夜を共にしたいと思えない、お断りだ」
きっぱりと断られたことに、ディアナはころころと笑った。幼い頃から何百回と繰り返されるやり取りに毎回きちんと返してくれるのは彼の良い所。発言の内容に怒りが湧かないのは、ディアナもまったく同じ気持ちをヴィンセントに抱いているからだ。
「わたくしも、貴方にすべてを曝け出すのは絶対にお断りだわ」
「王子殿下にはいいのかい?」
「馬鹿ね、褥で全てを曝け出すのはあちらの方よ?」
「厄介な好かれ方してるなあ、あの方も」
ヴィンセントは盛大な溜息を吐いて、澄み渡る空を見上げた。
❈❊❈
東屋から撤退したロナルドは、生徒会室で一人どんよりと膝を抱えて小さくなっていた。
婚約者を怒らせるのは何度目だろうか、考えてみるが数え切れなくなって「ゔぅ……」と呻いた。
二人の婚約は政略……などではなく、ロナルドの一目惚れ。幼馴染と楽しげに話すディアナを好きになり、その幼馴染と婚約するのではと噂が流れて焦って国王である父親に駄々を捏ねた。婚約が結ばれて、すべてが上手くいくと思っていた。それなのに。
「ヴィンセントのクソ野郎め……!」
未だに自分は彼女を怒らせてばかり。その度に「ヴィンスの婚約者になろうかしら?」と可愛く首を傾げるディアナを黙って見ていることしか出来ず、ロナルドは歯痒い思いをしていた。
そもそも彼自身がディアナを怒らせなければいい話なのだが、そのことはまるっと棚に上げている。
「あらまあ、誰の幼馴染がクソ野郎なのですか?」
聞き馴染んだ声に肩がビクリと揺れる。恐る恐る顔を上げれば、そこには微笑みながらロナルドを見下ろすディアナの姿。にこにこと楽しそうなその顔を見上げながら、ロナルドは可愛いと怖いは共存するものだと知った。
「ディアナ……」
「はい、第三王子殿下?」
当然だが未だ怒りは収まらないらしい。優しく微笑んでしゃがみ込むディアナを絶望感に満ちた目で見つめながら、ロナルドはぽろりと零した。
「やはり、ヴィンセントの方がいいのか……?」
「そうですわねえ……ろくに謝ることも知らない婚約者よりは、幼馴染の方がまだ良いかも知れません」
笑みを崩さずそう言ったディアナに、ロナルドの目にはとうとう涙の膜が張った。宝石の様に輝くその瞳は、ディアナを縋るように見つめている。
「……は、反省している」
「今更そんなことを言われましても……。わたくしよりその他大勢の淑女にちやほやされる方がよろしいのでしょう?」
「そんな……っ! そんなことはない、その、彼女たちに話していたのは私の理想で……」
「理想?」
きょとんとした顔でディアナが復唱した。ようやく表情が変わった婚約者の手に、ロナルドが指の先でちょんと触れる。
「り、理想なんだ……私はディアナにわがままを言われたい。私が少しでもよそ見をすれば、子供のように拗ねてほしい。一生君の願いを叶えたい。君に振り回されて、束縛されて生きたいんだ!」
「あら、まあ……」
ディアナは言葉を詰まらせ、そしてほう……と溜息を吐いた。しかしそれは失望や落胆から来るものではない。とくとくと高鳴る胸の鼓動を、にやけそうになるその顔を隠すためのものだった。端的に言えば、ディアナはこの状況に歓喜していた。
ディアナがロナルドと初めて顔を合わせたのは婚約締結後であった。大勢の大人たちの前で、ディアナの前で、派手な音を立てて転んだこの国の第三王子。ゆっくりと立ち上がったその顔は羞恥と痛みで赤らんで、目には涙が浮かんでいた。その瞬間、彼女は恋に落ちると同時に厄介な扉を開いてしまったのだ。
それからディアナはロナルドが度を過ぎた言動を取る度に大袈裟に怒ってみせて、彼に教えこみ、わからせてきた。全ては可愛らしい婚約者に、こう言わせる為。
「ディアナに、私のことをめちゃくちゃにしてほしい……」
興奮のあまりのたうち回りそうになった。しかしそれをおくびにも出さず、彼女は聖母のような微笑みを浮かべる。
「仕方のない人……」
「ディアナ……」
「わたくしに虐めてほしいのなら、他の女に尻尾を振らずにそう仰ったら良いのですよ?」
「……ごめん」
このまま有耶無耶になりそうな空気を察知して、ロナルドがしおらしく頭を下げる。ディアナは彼の目に自らが映らないのをいいことに、美しく、そして残酷な笑みを浮かべた。
「許してほしいですか?」
「えっ」
「あらあら、わたくしはまだ許したなんて言っておりませんわよ?」
「ゆ、許してほしい! 君に許される為ならなんだってする!」
ロナルドの軽率な言葉に、ディアナは心底楽しそうに声を上げて笑った。
❈❊❈
その後『春の妖精』は『変態王子』の性癖を優しくも受け入れる寛大な心を持つ淑女だと好感度が更に跳ね上がり、『氷の貴公子』は溜息と共に呟くのだった。
「本当、お似合いの二人だよ……」
性癖がぴったりくるのも運命かなーと思います。
二人ともソフトなので痛いこととかはせず、きっとずっと幸せにいちゃいちゃ(理解されにくい)してるんじゃないかな。