【第05話】悲しみを乗り越えて
「ギメラウィルスって、なんですか?」
会議室の張り詰めた空気感から、なんとなくヤバイ話をしてるのを察することはできるが……。
『我らの星系に住む、およそ一割の尊い命を奪い。治療が間に合わなかった我が種族の三割を、コールドスリープに追い込んだ……。忌まわしき機械共の生み出した殺人ウィルス……生物兵器だ』
そう発言した少尉の口からギシリと、歯ぎしりをする小さな音が聞こえた。
『サデラ科学班長……。遺伝子が陽性にも関わらず、君に慌てた素振りが無い理由は。彼が発症する可能性を、ゼロと判断したからか?』
『そうです、ギャミン少尉……。世代としては初期型ですが。それにも関わらず、彼の肉体は見事なまでの免疫力によって、完全にギメラウィルスを死滅させることに成功しています』
DNAをイメージしたような螺旋状の青白いホログラム映像が、サデラの立つ教壇に浮かび上がる。
『彼の部屋から入手した医療薬を調べましたが。私達の星系より遥かに低い水準でした。比較例を挙げるとすれば、滅亡した旧ジグマ星系レベルですかね……。しかし地球人は旧文明基準にも関わず、見事に種族滅亡の危機を回避しました……。生身の我々が乗り越えられなかった。初期型ギメラウィルスを克服したことは、称賛に値します……』
『逆に言えば。そこが奴らに狙われた原因か?』
『その可能性は……高いですね』
伏し目がちの言いにくそうな態度で、サデラが俺の方をチラリと見た。
『進化の芽を潰すために、そこまでするとはな……。ここ数年、我が星系での動向が妙におかしいと。戦略班が首を傾げていた理由が、ここにあったか……。複数の星系を飛び越え、こんな遥か遠方の星に。しかも宇宙技術も未発達な星に、徹底的な殲滅戦を仕掛ける意味を理解できなかったが。これでいろいろと辻褄が』
『ギャミン少尉……』
『ん?』
険しい顔で腕を組んだサデラが、無言で顎先を動かす。
ギメラウィルスの話が始まってから急に一言も喋らなくなった女性へ、つい俺の視線も移る。
メアリーが己を抱きしめるようにして、今にも泣きそうな顔で俯いていた。
『あー。そうだな……。今のは私が悪かった……。すまない』
ギャミン少尉が一つ咳ばらいをし、居住まいを正す。
『誤解を招いてはいかんし、我らの種族の名誉を守るためにも。トウマには一つ言っておくぞ……。我々が君の星に関わっても関わらなくても。地球はいつかギメラの目に留まり滅ぼされていた。それが少し早まっただけだ……』
『少尉の言い方は少しアレですが、おおむね少尉の言う通りよ、トウマ君……。自らを機械生命体と呼称するギメラは。自らに害を与える可能性がある知的生命体を、全て滅ぼすようプログラムされた。恐ろしい機械達なの』
『ノア。ギメラの頭身図を出してくれ』
ホログラム映像が切り替わる。
本物がそこにいるような、リアルな姿で映し出されたソイツは、異様な姿をしていた。
人間と同じくらいの身長はあり、腰から下は太くて長い蛇みたいな下半身が伸びている。
胸元だけは人型なのか二本の細長い機械の腕が伸び、肩口からは銃口らしきモノが生えていた。
肌は一目見て機械と分かる、ダークグリーンのメタリックな装甲で覆われている。
コブラの頭を生やしたような機械の頭部には、単眼の赤い光が灯っていた。
本物ではなく映像と分かっても、生理的に近付きたくない不気味さ。
嫌いな虫を間近で見た時のような背筋がゾワっとする忌避感。
それに近いとても嫌な感覚を、ソレを見た瞬間に感じた。
『コイツが、君達の星を滅ぼした。……元凶だ』
まるでSF映画のストーリーみたいな話を聞かされて。
俺は酷く戸惑いながらも……。
地球を滅ぼした原因と教えられた機械生物を、無言で見つめ続けた。
* * *
『ここが、トウマの部屋よ……』
メアリーに住居区を案内されて、開いた扉の先にあったのは簡素な部屋だった。
風呂とトイレはあるが、キッチンはない……。
ビジネスホテルを思い出す部屋の作りだけど、作業船だからスタッフルームみたいな感じだろうか?
医務室でドリンクの差し入れがあった場面を思い出して、俺の部屋にもあるかと尋ねてみる。
『あの部屋は、滅菌対策をしてる特別な医療室だから、感染対策用の受け渡し通路が隣の部屋にあるのよ……。ドリンクが欲しいのなら、さっきいた食堂から持ってくるしかないわね。冷蔵庫は、ここにあるから……』
メアリーが部屋にある設備の使い方を、簡単に説明してくれる。
先ほどのやり取りがあったせいか、元気が無いのは傍目から見て分かった。
クローゼットがあったので中を開いたが、俺の部屋着は一つもなく。
用意した物と思われるスウェットみたいな衣服ばかりが並んでいた。
とりあえずベッドに腰かけてみる。
ここが、これから俺の部屋になるのか……。
すぐに退室しようとせず、ドアの前で手持ち無沙汰にしてた彼女と目が遭った。
『隣りに……座っても良い?』
「う、うん」
ベッドに腰かけた俺の隣に、メイド服を着たメアリーが座った。
自分の部屋に異性と二人きり。
これが友人以上恋人未満の関係なら、ドキドキするようなイベントの始まりだが……。
昼間とは別人のようにメアリーが全く喋ろうとしないから、なかなか会話も始まらず、妙な気まずさがあった……。
『ギャミン少尉は私のことを気遣って。あんな言い方をしたけど……。悪いのは私達なの』
「……え?」
『私達が、あなたの星に関わらなければ……。トウマが独りぼっちになることも、なかったと思う……』
ベッドに置いた手でシーツをギュッと強く握りしめ、メアリーがやっとの想いで吐き出すように、震える声で俺にそう告げた。
『古代記録に遺された座標を辿って。数多の星系のどこかにある、地球と呼ばれた星を私達の探査艇が、発見したのがおよそ五十年前……。忌まわしき機械達との接触を切っ掛けに、星系戦争が始まった騒乱の最中だったと。私が読んだ研究所のログには記載されていたわ……』
俺がどう言葉にして良いか分からず戸惑っていると、ポツリポツリとメアリーが語り始めた。
『よくある調査報告の一つとして。生命体が住む星があることが、ひっそりと研究所に知らされた……。宇宙文明も未発達だったから。その時はあまり注目はされなかったみたいなの……。むしろ、この星系の端にある。宇宙文明の進んだ星のことばかりが注目されていたわ』
……え?
それって太陽系に、俺達以外の種族が住んでる惑星が存在してたってことか?
太陽系外縁にあるかもしれないとか噂に聞く、幻の惑星Xのことかと少し気になった。
ただ今は、口を挟むタイミングでもなさそうなので、静かにメアリーの語りに耳を傾ける。
『十年前、私はサデラの働く研究所で。継続調査をしていた探査艇が持ち帰った、映像記録を見せてもらったの……。そのログに映る光景は。テラリウム育ちの私には、とても眩しく見えたわ……。陽の光を浴び、大自然の中で様々な動物達と共に生きる人々。私達に近い容姿をしてるのに、私達とは異なる進化を遂げた種族がいたことに驚いたわ……。いつか私も仮想空間や人工植物ではなく、地球人が住む星で。同じような生活をしてみたいと、夢にまで見たこともあった……。テラリウム越しにルト族を覗くみたいに。あなたの住んでいた場所を、窓から眺める光景をね……』
眼前に窓が存在するような仕草で、目を細めたメアリーが手を伸ばした。
『情勢が大きく変わったのが、五年前……。この星系にギメラの生物兵器が、ばら撒かれた痕跡が見つかったの』
「……え?」
五年前って……。
結局は発生源が特定できなかった、世界的に流行したウィルスの記憶が脳裏によぎる。
『そのあと私の星系では、いろんなことがあってね……。距離の問題と優先度の関係から見送られていた、遠征隊が組まれることになったの。ギメラに襲われても、大丈夫な軍隊と武装を整えて。あなた達を歓迎する船も用意して。ようやく夢にまで見た地球へと辿り着いた……。それなのに』
メアリーの膝に置かれた手が、痛いぐらいに拳を握り締めた。
『私達の想像を遥かに超えたギメラの大軍勢が、あなたの星を襲ったわ……。私達はもっと早く気づくべきだったの……。私達がギメラウィルスと戦う、地球人の動向に注目して。多くの記録調査艇を送ったことが切っ掛けで……。遥か遠い場所にある星が、脅威的な進化を遂げた事実に、ギメラの目が向いてしまったことを……』
ポタリと、彼女の手に一滴の涙が落ちる。
『私達は自分の身を守るので精いっぱいだった……。あなたの星が……。多くの命が失われる瞬間を、目に焼き付けながらも。立ち去ることしかできなかったの……。本当に、ごめんなさい……』
大切な人の死を悲しむように。
涙を流し始めた彼女を見て、俺に湧いた気持ちは……。
不思議な感情だった。
どうして会ったこともない異種族のために、こんなにも彼女は泣いてくれるのだろうか?
地球が滅び、俺以外の地球人がいなくなったと聞かされても、どうして俺は涙を流せないのだろう……。
もしかして俺は仲の良かった家族以外の死では、涙を流せない人間だったのだろうか?
映画やドラマ、アニメでも感動したシーンでは涙を流せたのに……。
『私も一度で良いから。あなたの星に降りて、大地を踏みしめて。あの美しい自然を、あなたと一緒に自分の目で見たかった……』
ベッドの上に置いた俺の手に、メアリーが涙で濡れた手を乗せた。
『こうやって、あなたと触れたように……。沢山の地球人と出会い。滅びの危機にある私達に、力を貸して欲しかった……。もしできることなら……友人と呼べる関係に、なりたかった……』
重なったメアリーの手が、俺の指先を強く握りしめる。
『政治なんて大っ嫌いです……。自分の星にウィルスを持ち込まれるのが、結局は怖いだけで。それを理由に、あなた達との接触を先延ばしにして……。そのせいで、友人になれたかもしれない大勢の地球人を、助けるチャンスを……』
涙声で想いを吐露する彼女の言葉に、ようやく俺の感情が動く。
俺の頬から流れ落ちた雫が、彼女の重ねた手の甲に落ちた。
ああ、そっか……。
今まで涙を流せなかった理由が、やっと分かった……。
自分の身に起きた悲劇を、俺が悲しむことができなかったのは。
その瞬間を俺が見てないからだ……。
だから映画によくある悲劇のストーリーを、他人事のように聞くみたいに。
今まで強い感傷を抱かず冷静にいられたんだ……。
でも彼女は違う。
俺が深く眠ってしまい、宇宙船へと運ばれてる間に……。
何十億という人種が、地球に生息する全ての生命が、星と共に滅びゆくのを彼女は見たのだ。
目が覚めてから船内を歩いてる間に、気づいたことを思い出す。
大切な友人を失ったように、彼女がこんなにも悲しんでくれる理由を……。
船内の目につくところに、地球人好みなアニメのイラストを描き、シールも貼って。
地球人と対面した時に困らないよう、インカムなどの機械にわざわざ翻訳機能を付けたり。
機械のディスプレイに表示される文字も、地球語に切り替えれるよう設計して。
わざわざメイド服を着て、俺を出迎えてくれたり。
翻訳機がなくても、異種族の……俺の国の言葉が片言でも喋れるまで、きっと沢山の勉強をして。
地球人を歓迎するたくさんの工夫を船内に用意した彼らが、俺に害を成すような敵対種族で無いことは、すごく伝わっていた。
俺や大勢の地球人と友達になれる日を、まだ会ったこともない遠い宇宙の果てに住む人達が、どれだけ楽しみにしてたのかもよく分かった……。
友人になれるはずだった人達のために悲しみ、泣き続ける彼女の姿を通して。
ようやく俺にも、現実感が追いつく。
だからこそ俺は……。
彼女に、言わなければいけない。
「俺を助けてくれて、ありがとう」
大粒の涙をボロボロと流す彼女が、潤んだ緑色の瞳で俺をじっと見つめる。
『お願いです……。どうか生きて下さい』
俺の手を持ち上げ、彼女が両手で握り締めた。
彼女の優しい温もりが、俺の手に伝わる。
『あなたが生き続ける限り、地球人は滅びません……。あなたが種族を繁栄する努力を、諦めない限り。私は……あなたを支え続けると、約束します……』
これは彼女が望んだ、出会いじゃなかったのかもしれない。
俺は独りぼっちの地球人に、なったのかもしれないけど……。
『まずは。お友達から、始めましょう?』
いっぱい不安はある。
……でも。
優しい彼女達と、一緒の旅なら……。
もう少しだけ頑張って、生きていけそうな気がした。
「よろしく、おねがいします……」
両手で握り締めた俺の手を、濡れた頬に優しく当てた彼女と一緒に、俺は涙が枯れるまで泣き続けた。