【第03話】宇宙ワンコ
「ウーッ!」
茶色の大きな垂れ耳が特徴的な、ビーグルによく似た犬頭が白い牙を剥き出して、俺を威嚇する。
翻訳機を外しても、半透明の壁向こうにいる小柄な相手が、俺に対して怒ってるのは理解できた。
これが四足歩行の俺が知る犬なら、なんとか撫でまわすことはできないかと頭を悩ますところだが……。
相手は二本足でしっかりと立っていて、犬の着ぐるみに子供でも入ってるのかと誤認するような姿をしており、違う意味で俺の頭を悩ませた。
「宇宙に出ると、犬も二足歩行で歩くんだな」
「ワンワン!」
「わっ。びっくりした……」
いきなり大声で吠えられて、おもわず驚いて後ろにさがる。
すると、マイク越しでケラケラと笑う女性の声が室内に響いた。
コンコンと拳で叩く音がして、俺が横に振り向く。
モニター室のような場所から覗く、二人と目が遭った。
『この半透明板は、強化されてるヤツですから。ルト族がどんなに暴れても、割れません。安心して下さい』
俺を指差して楽しそうに笑うニッグの隣で、テザーが親切に教えてくれる。
俺達がいる部屋を真ん中で区切った半透明の板を、爪を立てて興奮した宇宙ワンコが引っ掻いたり、噛みつこうとしてるが。
強化されたアクリル板のような物らしく、簡単には壊れないらしい。
おっかなビックリで様子見してる感じでは、たしかに丈夫で割れそうな気はしないけど……。
『トウマ。落ちる準備は、できたー?』
「いちおう……」
事前の説明通りに、用意された濡れても良い海パンに着替えさせられた俺は、水中ゴーグルを目元に装着する。
モニター室から観察する二人に、俺は手を上げて合図した。
『ほーい。消毒プールへ二名様、ごあんなーい』
『口と鼻は閉じて下さいね』
天井近くにあるオレンジ色のランプが点滅する。
ノアの声に似た、機械的な警告アナウンスも流れ始めた。
急に室内が騒がしくなり、宇宙ワンコがキョトンとした顔で、犬頭を左右にキョロキョロと動かした。
うおっと……。
床が滑り台になるとか、どんなアトラクションだよ。
斜めに傾きだした床に合わせて、転倒しないよう腰を落とす。
壁に開いた無数の小さな穴から液体が流れ出し、ウォーターパークの滑り台の気分で、重力に任せてツルツルと滑っていく。
消毒液でも入ってるのか、緑色の液体プールに身体が一気に沈んだ。
「ぷはーっ」
水深一メートルくらいなので、立ち上がると腰当たりまでの深さだ。
俺の隣へツルツルちゃぽんと、もう一つの生き物が滑り落ちて来た。
「キャン! キャン!」
ルト族と呼ばれる犬頭の宇宙ワンコが、悲鳴混じりの鳴き声を漏らしながら、水中でジタバタともがいてる。
どうやら犬掻きで泳ぐことはできないらしい。
もしかしたら、一度も水に入ったことがないのだろうか?
水深一メートルでも小柄なルト族とやらは、ちょうど犬頭まで沈むらしい。
俺は背後から手を伸ばし、爪で引っ掻かれる前に背中から抱きかかえ、素早く足場のある所へ移してあげた。
頭の出せる足場があると気づくや、すぐに足まで濡れない場所へよじ登る。
「ちょっ、おまっ」
やはり犬だからか。
全身をブルブルと激しく震わせて、弾いた水を俺の方へ飛ばしてきた。
近くにあった薄暗い通路へ、逃げるように駆けて行く。
『乾燥室に入ったら。扉閉めてねー』
「うぃーっす……」
モニター室から見てるのか、言われた通りに近くのスイッチパネルを押した。
怒り狂った宇宙ワンコと素手の喧嘩をしたくないので、通路に繋がる扉を素直に閉める。
事前に消毒プールの見える一階モニター室から、二階建ての構造を見ておかないと、誰だって初見はパニックになるよな……。
全身をビショビショにして二階に上がり、傾いてた床が元に戻ったのを確認すると、再び指定された場所に立つ。
『全部で三十いたから。あと二十九回するよー。頑張れー』
「りょ、了解です……」
働かざる者食うべからず。
行き場所を無くした俺が宇宙船に乗せてもらうために、働かないといけないのは分かるが。
宇宙に出ても楽な仕事は無いですな……。
半ば諦めに近い気持ちで、半透明板の向こうで威嚇する二体目の宇宙ワンコと見つめ合う。
今度はドーベルマンによく似たさっきよりも更にいかつい顔をした、二足歩行のできる宇宙ワンコだった。
「俺に近づけば、きさまの喉元を食い千切ってやる」と言わんばかりに、怒り顔で俺を睨み上げている。
宇宙海賊達はこのワンコ達を運んで、どうするつもりだったんだろう……。
モニター室の二人に合図を出して、再び滑り台のアトラクションが始まった。
スイーッと滑り台を先に降りて、ドーベルマンタイプの宇宙ワンコを下で待ち構える。
水に濡れるのが大嫌いなのか、消毒液が垂れ流されて滑りやすくなった床へ、爪を立てようと必死にもがいているが……。
まるで潰れたカエルのように、宇宙ワンコが床に貼りついている。
お尻をこちらに向けて、抵抗むなしくズルズルと滑り落ちてきた。
「キャン! キャン!」
やっぱりコイツも犬かきはできないのか……。
息を吸おうと水面から鼻先を出して、必死に水中で飛び跳ねている。
「はいはい。暴れるな。大丈夫だから!」
パニック状態になった宇宙ワンコを背中から抱きかかえ、足場のあるエリアへ素早く移す。
全身をブルブルと激しく震わせ、嫌がらせのように水しぶきを俺に浴びせた後、ドーベルマンの頭が俺を睨む。
「今日のところは、このくらいで勘弁しておいてやる」とでも、言いたいのだろうか。
とても悲し気に潤んだ瞳で俺を見つめた後、乾燥室へ繋がる通路へ駆けて行った。
水中にいる俺へ飛び掛かる勇気は、さすがに無かったらしい……。
『トウマくーん。次、行くよー。早く上がってきてー』
『野生のルト族は毛の中にいる虫だけでなく、病原菌を持ってる可能性もあります……。消毒が終わらない限り、船内には入れられない決まりなので。頑張って下さい』
「へーい……」
あと、二十八回か……。
* * *
『お疲れさまー。ワンコの御飯は用意しといたから。あとはよろしくねー』
「はい……。どうもです」
作業服に着替え終わった俺を、台車を押しながら通路を移動するニッグが出迎えた。
何段にも重なった、コンテナバスケットの一番上を覗いてみる。
キューブ型にカッティングされた、一口サイズの色とりどりな固形物が、箱の中へ大量に入ってた。
宇宙版のドッグフードなのかな?
コンテナバスケットの側面には、可愛らしい犬のイラストシールが貼られている。
宇宙人にも遊び心と言うのはちゃんとあるらしく、こういうのを見ると妙に親近感が湧くよな。
『餌やりを指導してくれる子を、テザーが呼びに行ったから。あとは、その子に教えてもらってね。僕はこれから、整備の続きをしないといけないからさ』
「了解です……。ここで、待っていればいいんですよね?」
『そうだよー。じゃあねー』
手をヒラヒラと振りながら、ニッグが立ち去っていく。
『あっ。翻訳機の誤訳じゃなければ、敬語はやめてねー。僕もテザーも。少尉と違って、そんなにえらくないからねー』
「了解で……。分かった」
口笛を吹きながら、本来の職場へ戻るニッグの背中を見送る。
数分くらい待っていたが、次の指導員がやって来る様子が無かったので、手持ち無沙汰になった。
「あれ? インカム、どこやったっけ?」
作業着のポケットに、ふと手を突っ込んでから気づく。
……あ。
もしかしたら、更衣室に忘れてきたかも?
通路を慌てて戻ると、更衣室の扉を見つけた。
そういえば消毒プールに入る直前に言われて、濡れないように外して……。
小走りで駆け寄ったドアが、横へスライドした。
ロッカーじゃなくて近くにあったカゴに入れ、て……。
驚きで足を止めた俺の目に飛び込んだのは、スラリと伸びた色白の長い脚だ。
両手の指先を引っかけて左右に伸ばされた、ピンク色のフリルが付いた可愛らしい女性下着が、膝上の位置でピタリと止まる。
前屈みになった体勢で、肌色が百パーセントの胸元が目に入り、二つの巨峰を脳が認識した瞬間――。
「す、すみませんでしたッ!」
脱兎の如く外に飛び出し、背中と頭を通路の壁にぶつけた。
……いてて。
後頭部をぶつけた痛みで涙目になる。
だが、それ以上にビックリし過ぎて心臓が激しく脈動していた。
マジかよ……。
もちろん覗き見などするつもりはなかったが、タイミングが最悪だ。
これから死刑宣告を受ける囚人の如く、そこから地獄のような時間が流れる。
俺は言い訳を一生懸命に考えながら、着替えの終わった女性が出て来るのを大人しく待ち続けた。
ふいに更衣室の扉が、スライドして開く音が耳に入る。
即座に背筋がピンと伸び、直立不動になった。
再びドキドキと鼓動が速くなり、横から強い視線を感じる扉の方へ、恐る恐る目を向ける。
黒ぶち眼鏡をかけた女性が顔半分だけを出して、半目を閉じたジト目で俺を見ていた。
「……えっち」
「すみません!」
俺の物と思われるインカムを指で摘まみ、どこかで見覚えのあるメイド服を着た女性が、更衣室から全身を出した。
「スケベ地球人」
「いやホント、覗くつもりはなくて」
平謝りを繰り返す俺の前へ、眉を吊り上げた女性が怒った顔で歩み寄って来た。
裸を覗かれて女性が怒るのは、もちろん当然のことで……。
「ていうか、誰かいると思わなくて……」
……あれ?
ほっぺを膨らまして下から覗き込む彼女の顔を間近で見た時、俺は妙な違和感を覚える。
耳元をよく見れば、皆が必ず着けてる翻訳機が内蔵されたインカムが、彼女のエルフ耳には装着されてなかった。
「えっと……。もしかして、なんですけど……。俺の言葉が……」
「コトバ?」
黒ぶちメガネの奥にある緑色の瞳が、何かを考えるような仕草で宙を彷徨う。
「テラン、コトバ……。チョットだけ。分かるデス」
私は怒ってますの顔だった女性が、両手にのせたインカムを俺の前へ差し出し、ニコリと微笑んだ。