【第11話】小さな生命《いのち》
『頑張れ、頑張れ……』
壁に埋め込まれた巨大スクリーンを、画面に貼りつく勢いで見守るメアリーが、両手を握り締めながら真剣な眼差しで応援していた。
興奮し過ぎて画面の一部を占拠するメイド服の背中をぼんやりと観察しながら、何度目になるか分からない欠伸を噛みしめる。
対面に座る女医のネロに伝染したのか、欠伸を噛みしめる彼女と目が遭った。
『おかわりはいりますか?』
手元にあったマグカップを覗き込むと空だった。
「お願いします」
地球のアニメで人気だったエルフの女騎士が、側面に描かれたマグカップを差し出す。
長期戦を予想してか、わざわざ持って来たコーヒーポットを手に持ち、傾けたドクターネロが注いでくれた。
「ありがとうございます」
礼を言いながら眠気覚ましのコーヒーを口に含むと、扉のスライドする音が耳に入った。
ルト族の居住区に隣接するスタッフルームに、科学者らしい白衣を着た四人目が顔を出す。
マグカップを手に持ったサデラが、俺達がいるテーブルまでやって来ると椅子に腰を下ろした。
『どんな感じ?』
『五人目がもうすぐ産まれそうです』
『メアリーから連絡が入ってたのが、四時半くらいだったけど……。五つ子となれば、やっぱり時間が掛かるわね』
テラリウム内を撮影するカメラと繋いだモニター画面の端に目を移し、地球語で時刻表示された『7:25』を確認する。
地球に住んでた時の御近所さんも妊娠した犬が一度に五匹も産んでたし、宇宙ワンコも似たくらいの数が産まれるのかな?
『トウマ、産まれたわ! 産まれたわよ!』
メアリーが嬉しそうに、ピョンピョンと飛び跳ねながら報告する。
ズームされた画面には確かに五つの小さな身体があり、母親のパピヨが産まれたばかりの赤子をペロペロと舐めて綺麗にしている。
『トウマ、早く行きましょ!』
「え? ちょっ、待っ」
コーヒーもまだ呑みかけなのに、興奮したメアリーに腕を掴まれて、強制的に立ち上がらされた。
メアリーに朝早くから叩き起こされ、ここに連れて来られた理由を思い出して苦笑する。
『いってらっしゃい』
大人二人はモニター越しに雑談でも興じるのか、笑顔で手を振るサデラに見送られた。
一分一秒でも待ちきれないと、メアリーにグイグイと引きずられてルト族の居住区に向かう。
テラリウムの扉がスライドすると、朝御飯の時間かと勘違いした犬頭が、丸まった毛玉の中から顔を出した。
「ごめんな。朝御飯は後で持ってくるから」
俺が断りを入れると、顔を出した犬頭が再び毛玉の中に潜る。
『トウマ、お願い』
「はいはい。分かりましたよ」
大きな胸が俺の腕に当たるのも気にした様子もなく、俺に完全密着したメアリーが小声で耳元に囁く。
本来は絶対に近づけない、出産用のプライベートを尊重したサークルの一つに歩み寄る。
「お疲れ様、パピヨ。チャビー」
事前に産まれたら見せてくれと頼んでおいたからか、心配そうに見守っていた父親のチャビーが俺を見上げた後、一安心した顔で場所を譲ってくれた。
『あ~。可愛い~』
サークルの中を覗き込んだメアリーが、おもわず感極まった声を漏らす。
初めてじゃないとはいえ、五つ子の出産は流石に堪えたのか疲労困憊の様子で、ぐでーんと横に寝転んだパピヨのお腹に小さな赤ちゃん達が群がっている。
産まれたばかりの赤ちゃんなので毛は薄く、ピンク色の肌が目立つ小さな兄弟達が押し合いながら、元気良く母乳の争奪戦をしていた。
三兄弟が占領したせいで下の段が空いてないからと、目もまだ空いてない子が上の段によじ登ろうとしたが、可愛らしくコテンとひっくり返る。
『きゃぁん!』
それを目撃した隣の女性が、謎の奇声を漏らした。
『ねぇねぇ、トウマ』
「はいはい」
掴んだ俺の腕をグイグイと引っ張られて、メアリーのお願いを叶えるためにパピヨへ声を掛ける。
「ごめんな、お疲れのところ」
寝ていたパピヨが犬頭を持ち上げ、お腹を出してジタバタと転がる子を鼻先で押した。
母親の許可が出たので、俺はゆっくりと手を伸ばして優しく両手で包み込んだ。
「落とさないようにね」
『うん……』
片手で収まる程の小さな生命を受け取り、メガネの奥にある緑の瞳をキラキラと輝かせたメアリーが覗き込む。
『あっ……。見てトウマ。目が開いてきた』
「……え?」
いやいや産まれたばかりの赤ちゃんは、まだ目は開かないだろうと覗き込んだが……。
しっかりと閉じていた瞼が、ゆっくりと開き始める。
お母さんによく似た、クリクリとした黒い瞳が開いて……。
『はーい。お母さんですよー』
おい……。
いきなり嘘をつくんじゃないよ。
そもそも君の目は、緑色だろ。
メアリーの大きな顔にビックリしたようで、更に目を大きく見開いた赤ちゃんが後ろに仰け反った。
目が見えたら巨大な顔がいきなり遭ったらさ、そりゃ誰だってビックリするよな。
「キュゥ、キュゥ」
とても悲しそうな声を漏らして、女性の掌に収まる程の小さな赤ちゃんワンコが、キョロキョロと本物の母親を探し始める。
「違うって」
『あれー?』
あれーじゃないよ。
可愛らしく小首を傾げても駄目です。
「もともと鼻が良いから、匂いでバレてるぞ」
『あ、そっか……』
孵化した鳥の刷り込みじゃあるまいし。
もしかして、ワンチャンいけるとか思ってないよね?
「メアリーが赤ちゃんを泣かしたから、お母さんが睨んでるぞ」
『あっ、ごめんなさい』
半目を閉じて、ジト目で見つめるパピヨの視線に気づいたのか、申し訳なさそうな顔でメアリーが赤ちゃんを戻す。
「キュゥ、キュゥ」
甲高い声で鳴きながら、這いずるようにして母親の顔に近付く赤ちゃん。
パピヨも鼻先を近付けると、赤ちゃんが黒い犬鼻に抱き着いた。
顔を上下にパピヨが揺らしても、絶対に離さないと言わんばかりに小さな身体でしがみついている。
でも力が弱いのか、やっぱりコテンとお腹を出して転がり落ちた。
『あんっ、もう! キャワイィ~!』
両手を頬に当てたメアリーが今にもとろけそうな笑みを浮かべて、いやんいやんと上半身をクネクネと動かす謎ダンスを躍る。
『この子、面白いワン』
「……あ」
『んー? どしたの~?』
「いや……。パピヨの声がはっきりと、聞こえるようになったからさ」
いつも一緒にいるチャビーが野良育ちの一番目にくると予想してたけど、母親の方が先に言語化を習得したらしい。
『ここにはよくハナコが来て、お母さん達とお喋りしてるからねー。みんな何を言ってるか分かんないけど、ハナコもお喋り友達が増えて嬉しかったんじゃなーい? あー、可愛い~』
俺の予想話をしたら、口元が緩くなり過ぎてニヤニヤしっぱなしのメアリーが、俺が見えない場所でのやり取りを教えてくれた。
なるほど……きっかけは、ハナコか?
そういえばポチとタマは俺達の訓練によく顔を出すけど、ハナコが顔を出すことはほとんどないよな……。
でも、パピヨが言語化を習得し始めたということは、そのうち他のオス達にも広がる可能性もありそうだ。
『ねぇ、トウマ~。もう一回、もう一回。ねぇ、おねが~い』
「はいはい」
こっちの女性は赤ちゃんの可愛さに脳がやられたのか、逆に言語化が怪しくなってきた気もするが……。
研究所でも産まれたばかりの赤ちゃんは抱いたことが無いと言ってたから、ルト族大好きのメアリーが赤ちゃんワンコに触れられて大喜びになるのはちょっと理解できるけども。
メアリーをじっと見ていた母親に再びお願いをすると、母乳を呑んで満足したのかお腹を出して口元に白いミルクのついた子を、パピヨが鼻先で押した。
両手で優しく赤ちゃんをすくい上げて、メアリーに渡そうとしたが……。
『どうしたのよトウマ、早く早くぅ!』
「メアリー。顔が怖いよ……」
ギラギラした眼で「ハァ、ハァ」と息を荒くして、涎が零れ落ちそうな程のだらしない笑みを浮かべ、両手をワキワキと開閉する残念美人に、少しばかり渡すのを躊躇してしまった。
『フヒヒヒ。食べちゃいたいくらいに可愛いわね~』
おいこら、宇宙人エルフ。
大切なお子さんを渡した瞬間に、恐ろしいことを言うんじゃないよ。
またパピヨに、不審者を見る目で観察されてるぞ……。
身の危険を察知したのか、閉じていた赤ちゃんの目がパッチリと開く。
巨大な残念美人顔に近寄られて、赤ちゃんワンコが小っちゃい手を伸ばして、メアリーの鼻先を押しのけようとする。
「キュゥ、キュゥ」
苦虫を噛み潰したような顔をしており、いやいやと本気で嫌がってるのがよく分かる。
産まれたばかりなのに、感情表現が豊かだな……。
『やぁん、可愛いでちゅねー。私がお母さんでちゅよー』
だから、なぜすぐバレる嘘をつくの?
さっきの反省はどこへやら。
掌の中で本物の母親を探して這い回る赤ちゃんワンコに、メアリーが人差し指を伸ばして毛の薄いピンク色の背中をコチョコチョと擦る。
『やんっ。見てトウマぁ。私の指が噛まれてるぅ~』
産まれながらにオスの戦士なのか、ちっちゃな口で反撃されたらしい。
まだ歯が生えてないから、噛まれてると言うよりは吸われてる感じだが……。
『この子、大丈夫ワン?』
何をされても終始ニヤケっぱなしのメアリーを、母親のパピヨが呆れを通り越して心配顔で見ていた。
「悪い子じゃないんだよ? ちょっと、ルト族が好き過ぎるだけで……」
一応のフォローはしてみたけど。
これはお医者さんに診てもらっても、治療の余地無しと匙を投げられそうですね……。
犬頭を持ち上げてメアリーをじっと見ていたパピヨが、再びゴロリと寝転がる。
『寝るワン……』
「おやすみ」
良いことなのか悪いことなのか……。
最初は感じていたパピヨからのメアリーに対する警戒心が、今は全く感じ取れなくなっていた。




