05 早朝模擬戦
俺の拳は、絶妙な捻りが加わった状況でイザトの腹にめり込んだ。
砂袋を叩いたような重い衝撃音を奏で、体がくの字に折れ曲がりそのまま頭から倒れ込み、苦悶なのか怨嗟なのか微妙に判断の付かない声を上げて、藻掻き苦しんでいた。
早朝だったのが幸いし、朝食を食べていなかったようで惨事には至らなかったが、思っていた以上の苦しみ方に思わず心配になる。
「あ、すまん。やり過ぎたか?」
「て・・・めぇ、どんな・・・ズルを、しやがった・・・。拳が・・・消えた・・・ぞ」
今にも意識が途切れそうな霞んだ目で、睨みつけてくるイザトの顔は、涙と涎で大変なことになっていた。
最初は顎先を狙うように放った拳を、急遽変更して腹を狙いに行ったのだが、どうもその速度にイザトは反応できなかったようだ。
だが残念ながら、イザトに敗北をしっかりと理解させるという目的は達せられていない様だ。こいつはどうにも、自分にとって都合の良い、もしくは納得のできる状況しか、脳が認めないような構造をしているらしい。
こんなことなら迷わず顎を狙って昏倒させた方が良かったな。意識がなければ恨み言を聞かされることもないだろうし。
一日に二度も連続して意識を狩り取る様な脳震盪を与えれば脳が損傷するかもしれないが、そこは勇者だ何とかなるだろう。
「どんな・・・魔法を、使った?」
魔法など使っていない。
最初に着けた狙いを、強引に変更しただけで、フェイントですらない。それを魔法と勘違いするとは・・・。俺の異常に高い素早さのステータスのお陰で、魔法と見紛う速度で動けるということか・・・。いや単にイザトのレベルが低いため、見落としたと見るべきだろう。
「なんも使っちゃいねーよ」
「そうね、あの程度、目で追うこともできない様じゃ勇者は廃業した方が良いわ」
キュユの声に宿る負の感情。それはイザトに対する憎悪というよりは、弱い自分に対する自虐のようにも聞こえた。
訓練で随分追い込んでしまったからな・・・、もう少し手加減した方が良いのか?
でもな、手を抜いたせいでキュユのレベルが上がらずに、突発的に巻き込まれた事件であと一レベル上がっていれば乗り越えられたなどというような目に会わないとも限らない。普通に生活するのに100レベルまで上げる必要はないのかもしれないが、40から50くらいのレベルにしておいた方が、降りかかる火の粉を安全に払い除けられるだろう。
鞭を打つ手を緩められないのであれば、甘露を用意して釣り合いを取るしかない。
「なっ、キュユちゃん? なんでこいつの味方するんだ? 嘘だろ?」
至近距離で死角のあるイザトには見えなくても、端から見ていれば随分と見やすいのは事実だ。
それに、味方するのは当然だろう。婚約者云々を避けておいても、俺とキュユは敵対しているわけではなく、旅の上での協力者むしろ相棒と言っても良いくらいの相手だ。依怙贔屓する必要はないが、公正に判断してくれなくては困る。
でなければ、俺は世間知らずの馬鹿のままだ。それほどにキュユの知識に冒険者として依存している。
「まあ、お前よりもキュユの方が強いからな」
「はあ? そんなわけあるかよ? 俺は勇者だぞ! キュユちゃんが俺より強いなんて!」
「じゃ試してみれば良いじゃないか・・・実力的にはそんなに差はないだろ? 模擬戦でもやってみれば良い。本気の訓練には丁度いい相手だと思うんだが?」
レベル的にはキュユの方が【戦士】15レベルでイザトが【剣士】11レベルだった。レベル自体はキュユの方が若干高いが、本人の持って生まれた肉体的な特徴はイザトの方が、身長も体格も勝っているので、実質的な差は殆どないはずだ。
装備で差がつかないのであれば、そんなにひどい結果・・・片方が一方的に片方を叩きのめすような状況にはならないだろう。
「試す理由がないし、わたしより弱いなら訓練にならない」
「じゃあこうしよう。勝ったら旨いもん食わせてやる」
「よし分かった」
キュユは俺の提示した飴を思い浮かべたのか、数瞬前までの疲労して気だるげな雰囲気を蹴散らし、目がギラリと鈍く光る。
右手で軽く木剣を構え、左手で口元を拭っていた。
「ほら、構えて。不意打ちだ、ズルだとは言われたくないから」
「じゃあ俺が勝ったら何をくれるんだ?」
「なんでお前に物をやらなければならん?」
「それじゃ俺だけ損じゃねーか! 俺にもその旨いもんとやらを食わせろよ!」
イザトの提案に一瞬考えるが、答えを詮索するまでもなかった。
イザトの言う旨いもんはせいぜいこのローランで冒険者が買うことのできる最高級の食い物という程度の代物だ。そんなものはどんなに高くても銀貨数枚程度の価値で、金貨一枚を出せば飽きるほど食べられるだろう。
対してキュユが連想した旨いもんは、一度だけ食べさせたことのあるテン・タレント時代の食い物の塩ラーメンである可能性が高い。この世界では再現不能で、プルピール金貨300枚の価値のある食べ物だ。
「そういう話じゃないんだがな・・・。キュユと一緒に冒険したいんなら、相手の強さを正確に把握する機会だとは思わないのか?」
少なくともダンジョン攻略にでもなれば、パーティーメンバーの能力を把握しておくのは必要だろう。誰が何を得意としているか不得意としているか、それが分からなければパーティー内での役割分担もできない。
そして男としては、惚れた女に無様を晒すことになる。
「悪いがキュユは、自分の背中を預けられるような男以外について行くことはないと思うぞ」
「・・・確かに」
「強いところを見せてやってくれ」
キュユが心変わりをしてイザトについて行くことを想定しているというよりは、イザトに共感し同行した他の人間が無駄に死なない様にして欲しいという親心みたいなものだ。
こいつが勝手に野垂れ死ぬのは構わないが、こいつのせいで不幸になる人間は増やしてはいけない。
「その上で勝てたならな、良いだろう。お前が勝ったら好きなものを食わせてやる」
「よっしゃ、嘘つくんじゃねーぞ!」
「その代わりお前が負けたら、こっちの要求を呑んでもらう。そうだな、代わりにお前が負けたなら飯を奢ってもらおうか。そうじゃなければ平等じゃないしな」
イザトが舌打ちをして「わかったよ」と声を荒げ、ようやく立ち上がったので訓練用の木剣を渡してやる。
ここで鉄剣を抜かれては、万が一の事態に陥りやすいからな。二人が剣を構えて対峙したところで俺はノイルさんに声をかけた。
「ノイルさん。スクワットを止めて二人の模擬戦を見ましょう」
「良いんですか?」
「見るのも勉強になりますし、俺も両方に注意を割くのは大変ですから」
といってノイルさんとルセを休憩所へ下げておく。
こうしておけば、剣がはじかれて飛んで来ても、どうにか対応できるはずだ。
「キュユちゃん! 悪いが勝たせてもらう!」
イザトからはあわよくば惚れ直させるという意気込みが溢れている。
キュユは、食欲に目が曇っていた・・・完全に。
「ぐふふふっ・・・じゅるり」
――あ、これはキュユの負けかもな。
しかし二人の模擬戦が始まると、最初の数撃はイザトが押しているように見えた。
体格に恵まれた攻撃に、キュユが些か手こずったようだ。しかし、その後、体格の差を完全に見極めたのかキュユの剣が、イザトを翻弄しだす。
キュユの剣戟は正確性と鋭さを増し、イザトを追い詰めていった。
――キュユがイザトの攻撃をいなし、自分のペースに引き込んだのはレベルの差によるものかな。でもイザトも、まだ諦めていないし、何かを企んでいる。キュユの攻撃に疲れが出て隙が生じるのを待っているのか?
イザトの持つ木剣に魔力が流れ込んでいることを感じ、意識を集中して見ればイザトの持つ魔力の大部分が流れ込んでいた。
魔力を木剣に流し込むことで、キュユの攻撃の衝撃から身を守っているのか?
となると、やはり攻勢に出る機会を伺っているな。
そしてイザトの防御を打ち崩せなかったキュユが、仕切り直しと半歩身を引いた時にそれは魔力の干渉による発光現象を起こし繰り出された。
カンッ!
と乾いた音がして・・・キュユの木剣の刀身が切断された。
「へへっ! すげーだろ! 勇者の必殺剣だぜ!」
いや、大人気ないから、それ。




