08 なにもない
こうしてまず、俺の社畜人生は終わりをつげた。
死ぬこと、死が間近に迫ることへの絶望は無かった。
あるのは徒労感。
今までの人生が、結局なんにもならなかった事への虚しさだけを感じていた。
そして虚無感。
何も成せず、何も残せないと知った、空虚な気持ちだけが心を占めて行った。
普通は取り乱したりするものだと担当医が零したが、単に取り乱すほどの何かを醸成していなかっただけだ。
家族が居るなら見守られて逝くのもありだったかもしれない。
旅行や観光が趣味なら、最期の思い出作りも良かっただろう。
だが、俺にそんな物は無く、医者もそんな我儘に付き合えるほど余裕がある訳でもなく。死にかけの人間を、介護者もなく家に帰せるはずもなく、入院が決定した。
「・・・楽に逝ける方法はありませんか? 苦しいだけの残りの人生は・・・・・・嫌です」
既に未来が無いことは分かっているのだから、せめてこれ以上苦しみ続けたくない。そんな藁に縋るような思い、自分の人生の終止符を打つ術となる楽になれる方法を聞くが、それは人道的に却下された。
癌が発見される前なら、自殺と言う選択肢も取り得ただろうが、もうそんな行動能力は無い。
「残念ですが、日本では安楽死は認可されていないんですよ」
医者も治らない事は承知しているが、患者の感情を優先してしまえば、良くて自殺幇助、悪ければ殺人の罪に問われる。
楽に解放されることを望んでいると告白する前なら、隙を見て病院の窓から飛び降りると言う機会もワンチャンあったかもしれないが、自分でその機会を不意にしてしまった。院内では看護師の監視が着き、そんな隙を与えてはくれないだろう。管理不行き届き、業務上過失として法律的に裁かれてしまうため、患者の動向はしっかりと管理される。
介錯は無い。
黙認も無い。
「ですが、苦痛を和らげ延命する技術は、ここ数年で格段に進歩しています。ご安心ください」
・・・何にだ?
残される家族も、残す財産もないのに。
担当医も自分の言が欺瞞であると分かっているのか、頬に張り付いた笑顔が微妙にぎこちない。
「冷凍睡眠装置にて、未来の医療技術に賭けると言う案と・・・」
「・・・そんな事をして意味がありますか?」
まだ俺が若ければ。
十代とまでは言わないが、二十代のまだ自分の人生の未来に夢と希望を抱いていた年齢なら、それに縋っていたかもしれない。寝て起きて、もう一度か二度くらいは、成功するチャンスを掴めるかもしれないと。
だが冷凍睡眠装置には重大な欠点が多数存在することを、知らないとでも思っているのだろうか?
確かに苦痛なく未来に賭けると言う事は魅力的だが、その魅力を灰燼に帰すほどの致命的欠点が存在するのだ。
睡眠中の機械事故に遭う可能性や、事故は無くても目覚めなくなる可能性があるのは、まあ仕方のない容認すべきリスクだ。
本題はそこではない。
運良く未来で治療されたとしても、そこまでの冷凍睡眠装置の運用と保全の代金。未来で治療を受けるのであれば、その治療費も当然発生する。十年二十年と寝かされた先ならともかく、百年二百年と寝かされた先では、今ある僅かな貯蓄も物価の上昇に対応は出来まい。
恐らく何億円にもなろうという借金を、病み上がりの四十代が背負って払い切れるのだろうか。いや、払えない事は織り込み済みでも、そこまでして生き延びたいと思うか?
残念ながら、俺はそうは思わない。
生き延びたとして、生涯において払えきれない借金を背負わされる。
まだ若く才覚に溢れる人間なら、一発逆転の人生もあるかもしれない。だが年老いた凡夫に、何が出来るのか。何もできずに、負わされた借金の重さに潰される未来しか見えない。
一生、永遠に金を反し続けるだけの人生。
今苦しんで死ぬのと、未来に支払いを先延ばしにするのと、どちらがマシか。
確かに死ぬのは怖い。
だが、これは生きていると言えるのだろうか。
冷凍睡眠装置による延命案を蹴ってしまえば、残されている手段は、病院で医療ポッドと言う・・・噛み砕いて言えば看護師付きの高級医療ベッドで、命が尽きるまで入院すると言う選択肢しかなかった。
この処遇すら分不相応と思うが、これ以下は法律が許してくれない。
――今なら自殺の名所へわざわざ出向いて死にたがる奴の気持ちも・・・分かる訳ないか・・・。
ポッドに横たわると、身体に多数の管を取りつけられる。
身体を生かすための栄養素を投与する管に、抗生物質を投与する管、排泄物を回収する管などだ。肉体はこのポッドの延命機能によって、強制的に生かされることになる。
これで時機を待ち、運良く治療技術の向上が間に合えばよい。
そうでなくても、苦痛を代償に奇跡を望まなければならないらしい。
――全く冗談じゃないぜ。
ハッキリ言って宝くじに十回連続で当たるような確立だ。
奇跡を容易く望む性根が、逆に神様に疎まれそうだ。少なくとも俺が祈りを捧げられる立場なら、こんな成功率の低い可能性に賭ける馬鹿を見かけたら、逆に切れて制裁を加える。間違いなく。
そして俺の意識は、肉体が感じる苦痛から切り離さすために、電脳世界へ隔離される。もともと没入型のVRゲームは、この医療ポッドからの派生技術で作られたものであるらしいと初めて知ることになった。
こうして俺は肉体の苦痛から解放される反面、電脳世界から帰還できないと言う代償を払うことになった。
まあ、全く帰れない訳じゃないけど、意識を身体に戻せば気絶する苦痛を味わい強制ブラックアウトして、さらに激痛で強制的に覚醒させられて、蒙昧とした意識のオンオフを延々と繰り返される。・・・そう言う地獄を味わうことになる。
だったら現実世界に還る必要はないんじゃないかと言う話だ。
市販の没入型VRマシンには、没入深度が浅く現実世界の身体への痛みなど、生命の危機的状況に置いて身体が放つ信号により、意識が戻るようになっている。医療ポッドの没入型VRシステムは、没入深度が深く身体の刺激では意識が戻らないように作られていた。
そして、こうなってしまうと俺は暇を持て余してしまった。
あくせくと生活費を稼ぐため労働に勤しむ必要もない。肉体的苦痛を感じなくなったわけだから、それから逃れる必要もない。かと言って、暴飲暴食や姦淫と言った生存本能に根差した欲望を叶えることも出来ない。
過度なストレスは存在しないが、ストレスを発散させる術もない。
人生の残り時間に何かをしようかと考え出した結論が、結局ゲーム・・・テン・タレントの続きをすることだった。他にやるべき趣味でもあればよかったのだが。
――まさにダメ人間の見本だわ。
こうして俺は、社会的に落伍してゲーム廃人への道へ進んだ。
因みにだが、この医療ポッドの利用料は国からの補助金で借金は発生しないように担当医が調整したらしい。持っていた僅かな貯蓄や財産は弁護士を通じてすべて処分してお金にして貰った。・・・ポッドの利用料でほとんど消滅したが。
基本的にもう無一文でも問題ないのだが、生きている内は最低限の文化的な生活を送る人権が保障されているので、毎月国から補助金が支払われる。これも殆どはポッドの利用料に充てられるのだが、電脳世界でも有料コンテンツが有る為に、幾らかが使える現金として振り込まれた。これを病院側が全取りすると、発覚した際にバツになるらしい。
電脳世界から帰還できないとはいえ、オンラインで各省庁に繋がることも出来るのだ、逆に肉体的な制限が無い分タレこみはやり易いだろうな。そういう病院側にも配慮しなければならない事情があり、俺の手元にも毎月お小遣いが転がり込むことになった。
この全てをテン・タレントの課金要素につぎ込む当たり、俺も大概だ。
――出来ればこんな生活は、健康な内にしたかったな・・・。
今はもう望むべくもない可能性だが、叶わないと分かっているから望んでみた。