35 変化した日常
淫魔メパトの騒動により俺の生活は随分と様相を変えた。
南門は衛兵の死人返り化の被害を真っ先に受けた場所であり、数日間非番だった者以外死亡し壊滅状態に陥った。
現在は欠員の補充を予備役・・・要するに年齢的に引退した老兵を叩き起こしてどうにか入出管理を維持しているような状況になり、無期限の外出規制をかけられることになってしまった。南門の外に農地を持つ農民と、その畑を守るための狩人以外の通行は一切認められなくなった。人手不足により通過を望む人間の身辺検査が事実上不可能になったからだった。
当然、俺たちの狩りは当面打ち止めになった。
「ですがドンボなどが出没した場合に限り、ギルドから討伐依頼と言う形で応援を要請することになるかもしれません・・・」
冒険者ギルドではそのような説明を受けたが、俺たちは乗り気にはなれなかった。
そんな場当たり的な、対抗手段としてのみ当てにされたのでは割に合わない。他の仕事をしているときに呼び出される可能性もあるわけだし、俺は性分的に下見を行って自分の有利なフィールドで戦いたい派の人間だ。いきなり見知らぬ場所で強力な魔物を倒せと言われるのは辞退させていただきたい案件である。
「拒否権はありますか?」
「拒否・・・権ですか? 依頼を断るという形ですよね? レイニーゴさんはドンボなら討伐実績がありますし、今後もお互いの良い関係のために、その・・・出来るだけ引き受けて頂きたいです」
いつもの受け答え窓口になってくれている青年職員が、ほとほと困り果てた顔で告げてくる。
それで経営的な力学に疎い俺でも察することができた。何となくだが、上からかなり強く言われているのだろう。断れば今後仕事は回さない、暗にそう言って脅すように指示されていると受け取れた。
「こちらの条件を飲んでくれるなら構わないわ。ドンボみたいな強力な魔物と戦うにはそれなりの下調べや準備がいるのは分かるでしょう? それが前もって行えるような許可が欲しいの。強い魔物相手なら罠の一つや二つ仕掛けないとこちらの身が持たないもの」
キュユが拒否できないなら特権を寄越せと交渉する。
下調べの重要性は事実だし、何らかの前兆を発見できれば対策などの手の打ちようもある。
ギルドの提示した条件は、必要経費は当該依頼のみの限定になり、事前準備などの費用は含まれない。冒険者が出せるものは全部出させて、自分たちの支払いは出し渋るという強権を笠に着た横暴な取り決めだった。
俺たちは、罠を仕掛ける費用や装備なども自前で準備するので、そのついでに行う自分たちの狩りや採取を妨げるなと言う要求をした。装備の破損の補填や、負傷のリスクに対する保証もないのだこの程度の要求を呑んでくれないのであれば、引き受けるつもりはない。
「じゃあ俺からも一つ要求があります。できれば幾つか腕に覚えのある連中にも声をかけて下さい。俺たちだけで全てを見て回ることは不可能ですし、新参の俺たちではなく、先達たちの方がより効果的に行えるでしょう」
「・・・分かりました。即答はできませんが上に掛け合ってみます」
キュユは少し“自分たちだけの特権”を欲している節があったが、俺としてはそんなものは要らない。変に悪目立ちするだけで、俺たち以外にも活動している冒険者などの仕事は奪いたくない。全て仕事が一極集中すれば、確かに自分たちだけが利益を享受できるが、負担と反感も集中させてしまう。俺が欲しているのは平穏な生活であって、南門の先の森の王者になる事ではない。
最悪の場合休む暇もなく駆り出され、家に帰れば逆恨みから休むこともできないという、前も後ろも両方地獄と言う事態にはなりたくないのだ。
他には、憲兵たちの動きも活発になり、取り締まりも厳しくなったようだ。
詰所を一つ壊滅させられ、人的被害も南門の衛兵の2~3倍といったところだろう。それだけの犠牲者を出した上に、犯人の情報が一切分からなくなったようだ。接触した憲兵は皆死人返りにされているため、情報が得られていないのだろう。
そして、憲兵に関しては俺たちの預かりの知らぬところで、更に悪い方へ事態が変化してしまった。
憲兵たちが崩壊した詰所を調べて、犯人の痕跡を探ろうとしていたのは理解出来た行動だが、初夏の季節であることと、普段から横暴な態度で市民に接していたため溜まっていた憎悪が、爆発してしまったのだ。憲兵たちは必死に崩壊した詰所の解体作業を行っていたが、情報漏洩を嫌い外部の人間に協力を頼まなかったので、作業は遅々として進まなかった。
地下室には死人返りにされてしまった憲兵たちの遺体の部位が散乱していたはずだ。それが日に日に高まっていく気温で腐敗し、辺り一帯に悪臭をまき散らす事態になってしまった。
そして、普段から憲兵に対して反感を持っていた市民の一部が、放火と言う暴挙に出てしまった。
腐った肉による病原菌の増殖、そして伝染病の拡散を恐れたための焼却と言う建前と、日頃から威張り腐る割には、当事者になった途端何もできなかった憲兵への嘲りも含み、日頃の抑圧に対する報復と言う形で火は放たれた。
その怨嗟の火は詰所を完全に灰にしてしまい、痕跡も何もかも燃え尽きてしまった。
憲兵の詰所の捜査が無意味なものに成り、結果的に証拠隠滅を協力してしまった市民は逮捕された。
俺たちが報告して作成された調書も、灰になってしまった可能性が高い。
そして、事件の犯人である淫魔メパトは姿を暗ましたようで、あの日以降見かけることはなかったし、手掛かりになりそうなものも一切見当たらなかった。
イルクークにまだ潜んでいるのか、とうに街から逃げ出し他の街へ向かったのかも分からない。一切尻尾がつかめないので、討伐はほぼ不可能になっている。
そしてもう一つ、討伐を不可能と判断している要素は、俺にやる気がないからだ。
死人返りにされた犠牲者は、自身の欲望に身を任せた結果であるため、自業自得な印象がぬぐえず相応の報いを受けただけだと思えてならない。そして淫魔メパトと接触した人間が衛兵にも憲兵にも生き残っていないことから、捉えて犯人だと突き出したところで証明する手立てがないのだ。例え加害者が名乗り出たとしても、被害者と被害状況の物的証拠がない状況では犯罪として成立しない。俺たちが持っている情報はせいぜい淫魔メパトの人相くらいのものでしかない上に、俺たちの言い分が正しいと証明する手立ても無かったりする。
つまり垂れ込んだところで、一般人を陥れようとしていると判断される危険もある。
そしてやはり、俺自身がメパトにそこまで悪感情を抱いていないのもある意味で最大の問題だろう。なにせ個人的な恨みはないし、「淫魔は殺す」みたいな思考回路を持っているわけではない。怪我をしたり巻き込まれたりもしたが、取り返しのつかない事態には成らなかったので、もうこれ以上俺に迷惑が掛からないように無関係でいてくれるならそれでいいのだ。
他には、身の回りの人間関係に変化があった。
まずはキュユに剣の訓練と言うか鍛錬の時間を倍にして欲しいと、土下座されたので、可能な限りキュユの要望が叶えられるように付き合うことに成った。実質狩りに行けなくなったので、ストレス発散のための運動と言う側面が強まり、仕事が休みの日などは一日中訓練することに成った。
憲兵避けのお守りとして側にいるとエナに宣言され、かなりべったりと付きまとわれ、街を出歩く時などには必ずついてくるようになった。
石運びの仕事中は流石に付きまとわない程度の常識を持っておいでだったが、きっちり送迎をされると周りの人から奇異の目で見られ、すごく居心地が悪かった。
「なんだレイニーゴ。結婚したのか?」
「え? 違いますよ。この前ちょっと事件があったでしょう? それで知り合って・・・」
「仲良くなって、お熱い所を見せつけているわけだっ!」
「別にそう言うのじゃ・・・大体彼女は修道士ですよ?」
「それがどうかしたのか? あんな美人さんにかかりゃそんなことどうでも良いだろ!」
と言った感じで、周りの同僚からはやっかみながらも祝福の言葉を贈られ、エナは押し掛け女房的な立ち位置に嵌っていた。
結果として石運びの職場では、完全に俺の嫁として扱われるようになっている。訂正しようにも周りは聞き耳を持ってくれなかった。
そして最後に、エーベ氏が本当に旅に出てしまった。
俺が売却を依頼したガラス皿の仲介料が懐に入ったことが決心の一因にもなったようで、わざわざ挨拶に来てくれた辺り、人格的にはまともな人だなと思う。
「じゃあね愛しのレイちゃん・・・」
「いや、いろいろ余計な言葉付け足さないでくださいよ」
「これを私だと思って大事にしてね」
そう言って長さ3メートルの鉄塊を置いていく。
店を辞めると伝えたところ、邪魔だから処分するように言われたのだとか。
「じゃあね。また何処かで会いましょう!」
「おいちょっと待てこら! これ只の廃品の押し付けだろうが!」
あんな距離感の怪しい人物だったが、半分同性ということで友情を感じていたので、旅に出ると挨拶されたときには、やはりこう・・・寂しいよりもホッとしてしまった。正直にうざったい絡みがなくなったことを喜んだが・・・何日か経った時に不意にもの悲しい寂寥感に包まれた。




