34.5 失策の採点
レイニーゴ不在の第三者視点に成ります。
「ちょっとあんた・・・何時までで寝たふりをしているわけ?」
レイニーゴが憲兵の詰所を確認すると言って出ていくのを見送り、少しだけ時間をおいてからキュユは声を荒げて問い質した。すると、気を失ったまま意識を取り戻していないはずのエナが瞼を開ける。
「・・・仕方ないではありませんか。娘として大事な場所を晒した状態で、どうやって気まずくせずに起きれば良いのですか?」
確かのあの状況下で目を覚ませば、恥じらうにしても、隠すにしても話はややこしくなりそうだとキュユも同意できる。
一応は負傷の治療を優先していたわけだから「見るな」と言うのも失礼な気がするし、見られるのを我慢できるなら事を荒立てないように沈黙するのが良い選択なのかもしれない。
何故寝たふりをせざるを得なかったかと言えば、実はエナは意識を失っていたわけではなかった。
淫魔の拘束魔法により重傷を負い、更に渾身の一撃をくらわすために無茶をして傷口を自分で開く結果になってしまった。皮膚は剥がれ、肉は裂け、腱が千切れた。骨すら外気に晒すほどの損傷を受け、そしてその足が発する痛みから精神が摩耗しないように、自身の痛覚を遮断する形で心を守っていたのだ。
だがそのせいで、外部の情報は朧気ながら得られたが、受け答えは出来なくなってしまい、結果としてレイニーゴには「気絶して意識がない」と判断されてしまった。
「ところでキュユさん。どうして私はここにいるのでしょうか?」
「私は詰所から脱出する前に気を失っていたから知らないわ」
「思ったより役に立ちませんね・・・。私には詰所ではレイニーゴさんに手をかざされた辺りまでは記憶があるのです。そして次の瞬間にはここ寝台に寝かされていました・・・この記憶の断絶はなぜ起こったのでしょうか?」
「知らないわよ。単純に気を失って記憶が飛んだんじゃないの?」
「・・・それはあり得ません。戦場で気を失えば死に直結しますから、そんな初歩的な失敗はいたしません。そのために痛みを遠ざけ、傷を癒すために回復の御業の準備をしていたので意識が途切れることはあり得ないのです」
クリット教やトンタスロ教の修道士や神官は、自分たちの扱える超常の力を“魔法”とは呼ばず“御業”と呼ぶ習わしがあった。便宜上及び魔法分類学上“神聖魔法”という扱いで呼ばれることもあるが、当人たちは必ず“御業”と呼んでいた。
彼らは皆、主の御業の地上代行者なのだ。決して神聖魔法の使い手ではない。
要するに、痛覚を遮断して自分の怪我を癒す回復魔法の準備をしていたのだ、淫魔から追撃を受けたのであれば気絶していたという線も考えられるが、あの時は戦闘が終了し、詰所が崩壊しそうで早く逃げないといけないという状況だった。
崩壊が始まり、瓦礫が当たったというのであれば、気絶し生き埋めに成り力尽きていたはずで、ここにいられないのだ。
「・・・可能性があるなら“三本目の腕”ですか。しかし私を丸ごと格納できる容量を持っているなんて・・・」
冒険者が“三本目の腕”が使えるというのは理解できる。
容量を考慮しないのであれば、そこまで珍しい能力でもなく、財布代わりに使っている冒険者はいるものだ。
そして常識がある冒険者ならば“三本目の腕”の能力そのものと、その性能と言えばいいのか、収納できる容量などは特秘事項になるため、緊急事態までエナには秘密にしていたと言われても、納得はできる言い分だ。
能力を隠されていたことは問題視していない。
問題なのはその容量である。
しかし普通に考えれば、レイニーゴ程身なりを整えている冒険者なら“三本目の腕”の中に着替えなど、身綺麗にするための道具を収納しているはずなのだ。そうでなければ、冒険者があれだけの身綺麗さを維持することは不可能だからだ。着替えや体や衣服を清める道具などを沢山持ったいると推測できる。
一般的な“三本目の腕”の容量と言われているのはズタ袋一つ分。その大小に個人差があるため正確な容量は本人でなければ分からないが、容量の殆どは使われていなければ理にかなわない。
その上で、成人女性を収納できるというのは明らかに異常な容量である。
エナの呟きに、キュユの顔色が悪くなった。
それを見てエナはレイニーゴが確実に“三本目の腕”が使えるのだと確信する。それもかなりの大容量。ズタ袋で換算すれば10袋や20袋ではきかないかもしれない。これは非常に利用価値が高いと、エナは薄く笑みを作った。
“光の啓示板”の文字が読め“非常識な容量の三本目の腕”が使える人材。知ってしまえば利用しない手はないのだ。
途端にキュユの殺気が膨れ上がり飛び掛かかってくる。
「なるほど。自分の連れ合いが(三本目の腕を)使える事実は知られたくないのですね・・・」
しかしエナは余裕のある動きで、キュユの腕を掴み取ると、体を反転させ蹴り捨てる。通常であれば掴んだ腕を離さずに脱臼を狙う攻撃だが、そこには情けをかけて不必要に怪我をしないように加減しておいた。
キュユは床をゴロゴロと転がり、腹を襲った衝撃に呼吸を乱す。
「武器のない剣士が、修道士に勝てるとでも?」
「げほっ・・・がはっ・・・」
「ですがこれでハッキリしたことが一つだけあります。・・・私は彼の物になったということですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ?」
エナの発言に、キュユの思考能力は停止した。
「だって彼の腕の中に仕舞われてしまったのですよ? 腕の中に囲われてしまったのです! ならば、もう彼を愛する以外道がないではありませんか? 身も心も全てを捧げたいと・・・いいえ、もう彼に全て奪われてしまったのですもの! 私、もうレイニーゴさんなしで生きてはいけません!」
「よし分かった死ね」
再び襲い掛かるが、再び蹴り捨てられる。
「ぐっ・・・げほがほっ・・・うごっ」
「やめて下さいね? あなたを殺めれば私がレイニーゴさんに嫌われてしまうかもしれないではないですか・・・。それとも死なばもろともとでも思っていますか?」
「げほっ・・・あんた、あんたが必要だと言って貰えると思ってるの?」
「勿論です」
「淫魔相手に死にかけたくせに・・・」
「それは仕方ないことですよ。私一人であるならあの淫魔を討ち滅ぼすことはできたはずです。レイニーゴさんが対淫魔戦の戦法をご存じなかったのが今回の課題ですね」
「いや、無理でしょ?」
淫魔の拘束魔法にかかって重傷を負ったのだ。キュユにはそれが、無駄に高い自尊心を持つ女の虚言に聞こえた。
しかしエナは過去に、あの淫魔と同程度の相手を打ち滅ぼした経験があり、それを根拠に述べていた。
「こういうことはあまり言いたくはないのですが、戦法も知らず場を引っ掻き回したのは事実です。ですから私が盾となって淫魔の視線と魔力がレイニーゴさんに届かないように立ち振る舞っていたではありませんか。・・・申し訳ないですが、もう少し広い場所でレイニーゴさんを遠ざけられたのであれば、私一人で勝てていた勝負です」
レイニーゴが無知故に、自分の首を絞め要らぬ苦労が増え、全滅しかけたと言われれば頭にくる。
「じゃあ見捨てればよかったじゃない! 他の憲兵たちを見殺しにしたように!」
「それも仕方ないことですよ。そもそも普通の人間が淫魔に見つめられれば抵抗できずに支配されてしまいます。淫魔の魅了に抵抗するためには、同系統の力であるシェアグラフィスの杯を宿しているか、勇者様のように破魔の加護がなければ難しいものですから。それらなくして淫魔に支配されずにどうにか持ちこたえることができたレイニーゴさんが規格外の方なのです。ならば守らなければなりません」
キュユの認識ではレイニーゴがいたからどうにか勝てたというものだったが、エナからすれば散々引っ掻き回してしまったお荷物と言う評価だ。
強いて言うのであれば、レイニーゴの功績は最初の扉を問答無用で蹴破ったことぐらいだ。エナ一人であれば、扉番を説得か脅迫して開けてもらうしかなかったが、それが省略できたことは評価できる。欲を言えば直後に横に飛びのいて、室内を見ないようにしてもらえれば、もっと楽に戦えたのだ。
結果から見れば、戦闘中の不手際が多く、何とか勝ちを拾えたという採点になる。
そして逆からあの戦闘を解析すれば、レイニーゴが正しい戦法、つまり正攻法を熟知していれば、もっと楽に、そして確実に淫魔を打ち滅ぼすことができるようになる。
是非にそれは学んでほしい事柄だった。
「逆に言えば、私たちでは彼が暴走した場合に止める手立てがないということになります。それは非常に危険なことなのですよ」
エナは身命を賭して、レイニーゴを止める手立てを見つけなければならなくなったと呟いた。




