29 淫魔
蹴破った扉の中は、簡素な椅子と机以外になく、閉塞感から被疑者を追い詰めるのに適しているような作りだった。
部屋が地下に埋設されているため全面が石造りであり窓などはなく、照明は持ち込まれる燭台などで、換気に関しては高めの天井に換気口がなければ、空気は籠り淀むだけに見える。
気持ちが悪くなるくらいの、息の臭いが溢れ出し、それに交じって汗と男女の性的な臭いが漂ってきた。
その匂いの発生源は明白で、何名かの憲兵と思われる男性が、局部を丸出しで力尽きていた。蹲ったり寝転がったりと各々が気ままな姿勢で、休息を取っているように見えるが、ステータスには【呪術の被害者】の項目が見て取れる。
「これはまだ助けられるんじゃないのか」と思う反面「女をいたぶって憂さを晴らすような屑は死ねばいい」と言う思いもある。
まあ、順当に裁くのであれば、助け出して法の下で厳罰を下すべきなのだが・・・。そんなに公正な裁きはないよな。
「あっれ~? どうやって破ったんスか・・・その扉? 一応勝手に入れないようにしておいたはずなんスけど」
部屋の中から暢気な女の声。
メパトと言う少女の姿をしていた、淫魔の声が届く。その声色がとても心地良く感じられたと思ったら、案内させた若い憲兵と扉番が虚ろな笑みを浮かべ、メパトに向かって歩みだした。
その歩みの先、ムクリと男どもの折り重なった中から上体を起こしたそれは、美しい女性の裸身だった。
「・・・ゴ・・・っ!」
服の上からでも十分な巨大さを誇示していた果実が露わになり、少し少年味を帯びていた顔の造形が淫靡な年上の女性のような雰囲気を醸し出す。
「なるほど御同業が二人もいるんスか、通りで結界を破れた訳っスね・・・」
そう言いながらも余裕のある笑みを浮かべる。
それは包容力を持ち、包み込んでくるような優しい瞳が俺の目を覗き込んできた。
あれ、メパトは移動してないはずだが?
その疑問符が脳裏に浮かんだ拍子に、襟首を掴まれ後ろに引っ張られ、服によって首が絞められたことで、後ろに引き倒された。
「馬鹿! 何真正面から淫魔の目を見てんのよ! 取り込まれるわよ!」
キュユが倒れた俺を見下ろして怒鳴る。
・・・あれ、俺なんで部屋の中にいるんだ? 扉を蹴らぶった後・・・あれ? 記憶が・・・。
「相当こなれた淫魔ですね。レイニーゴさん、殿方には分が悪いので下がっていてただいて宜しいですか?」
エナがそう言って、キュユと二人で俺の体を引きずって部屋の外に運び出した。
メパトに名残惜しそうに視線を向ければ、新しい男が二人、その腕の中に囚われて行った。
男の顔に理性はなく、盛った犬のようにだらしなく舌を出して、メパトの情けを欲している。
「魅了されてしまえば、彼方も敵として対処しなければなりませんから・・・」
魅了された? ・・・俺は操られたのか?
扉を蹴破った後、気が付けば部屋の中ほどにいた・・・その間の記憶が飛んでいる。
これが淫魔の能力なのか? だとすれば想像以上にやばい能力だ。俺のレベルや抵抗力でもレジストしきれないなんて・・・クエストの強制イベントかよ!
俺は茫然として、二人の少女の背を見送る。
「キュユさん。私が露払いをいたしますから、止めを宜しくお願いしますね」
「・・・無茶ぶりするわね、あんた」
エナが足を踏み出すと、それを阻もうとするように憲兵たちがノソリと起き上がる。連中は局部が丸出しなため、見たくもない物が視界内に移り込むので、俺は目を細めることで視界の外に放り出す。
キュユは直視すれば目が腐るんじゃないかと言わんばかりに目を背けていたが、エナは逆に一切気に留めていない。柔らかい笑みを浮かべたまま、存在しないかのような振る舞いだった。
憲兵だった彼らは虚ろな目で半分開いた口から涎を垂らして、エナを捕らえようと両手を突き出して襲い掛かる。
「人の命を弄びましたね?」
今更確認を取るかのようにエナが怒気を込めて問いかけると、彼女の拳から青い焔のような光が溢れ出し、突き出された憲兵の腕を掻い潜りエナの正拳が憲兵の顎に突き刺さる。ゴッと盛大な音を立て、折れた歯をまき散らして吹き飛んだ。
足を滑らすような足運びで打倒した憲兵を避けると、体勢を戻すついでにもう一人を沈黙させる。
「さあ淫魔、彼方を断罪いたします」
エナの拳の青い焔の正体は、テン・タレント時代に見た記憶がある。信仰系の【職業】が習得できるスキルで、【聖属性付与】の魔法だ。確かアンデット系のモンスターに特効が付く付与魔法の一種で、通常は人体に付与はできずに武器に付与させるはずなのだが。拳闘士の拳は武器だと言われてしまえばお終いな気もするが・・・。
言葉を交わしながらも繰り出したエナの拳が、憲兵の頭を捉え、頭蓋骨を砕きながら頸骨ごと粉砕し首を引き千切る。
そこからまき散らされるものは鮮血ではなく、黒く濁った不快な臭いを放つ血だった。
「あれれ? いいんスか? 修道士が人間を殺しちゃって? ククク、人助けが殺すことなんて、そんなんでいいんスか?」
「・・・さすがは淫魔ですね。頭まで腐っているようですね。手加減はしています。健常な人間なら顎の骨を折る程度で済む力加減ですよ。首が捥げてしまうのは既に死人返りになっている者だけですよ」
よって人殺しにはならない、というのがエナの主張だった。
死人返りは、未だに現世で動き回っていても分類上はアンデットモンスターになるため、速やかな退治が最大の供養となる。
死人返りにはならずに済んだものの淫魔に操られている人間は、エナが回復魔法を使えるのため顎の骨折程度完治させられるという前提条件があるなら、戦闘不能に追い込んでおいて後で治療さえ行ってやれれば、結果的に効率よく助けられるような気もする。顎の骨を砕かれた痛みは罰だとして受け入れされば完璧だな、生存者には恨まれないで済みそうだ。
俺のようにステータスで確認できない以上、この微妙な力加減の攻撃が次善策なのだろう。
「詭弁ッスね、それ」
「人は怪我ならば癒せますが、一度死んだ人は生き返ることはできません。いくら生前の姿形のままであったとしても、それはもう人ではないのです。それは貴方も同じでしょう? 淫魔に堕ちれば、人間に戻ることは不可能です」
「でもここの人達は、自分を人間の女・・・都合よくやれる娼婦替わりには扱ってくれたッスよ? あ~あ、酷いッスね。そんな良い人たちを殺して回るなんて・・・」
「何を馬鹿なことを言っているのかしら? 殺したのは淫魔、彼方です。私はその後始末をしているだけに過ぎません。自分のしでかしたことの責を人に擦り付けてこないで下さい」
エナは襲い来る操られた憲兵と死人返りになってしまった憲兵を、区別することなく打倒していく。
その拳に、躊躇いはない。
覆いかぶさるように襲ってくる、エナに食らいつこうとする死人返りの頭部に、真正面から打ち砕く。
動きを封じるためか足に掴みかかる死人返りには、容赦なく頭部を踏み砕いて一撃で動かなくさせる。
元々そんなに人数のいなかった取調室では、エナとメパトの間を阻む存在は殆どなくなった。最後に残っているのは新入りの二人だ。
「さてもう手駒は尽きたようですね?」
もしもあの時、キュユに引き戻されなければ、俺もその傍らに立っていたのだと思うと背筋がぞっとする。
「やっぱり死人返り程度では、修道士を止められないッスか」
人間を死人返りに作り替える儀式として、メパトとの性交が不可欠な要素であるなら、一応あの二人は助けられるだろう。エナが殴ったところで、数か所の骨折による重傷で済むのだ、もしもエナが回復魔法を使えなくても、俺の保有するポーションを使用すれば致命傷でも死なさずに済む。
「しょうがないッスね。本当はこんな手段は使いたくないんスけれど、修道士に追い詰められたから仕方ないッスよね」
「一々彼方の悪行を私のせいであるかのように口にしないで頂きたいですね。それはすごく不愉快です」
「だってしょうがないじゃないッスか。自分まだ死ぬのはいやなんスよ」
新入りの二人、年若い憲兵と扉番はメパトの傍らに立ち恍惚の表情を浮かべていたが、みるみるとその肉が痩せていき肌も艶を失い血色も浅黒く変化していく。骨に皮が張り付いただけの姿になると、流石にこと切れたのかカタンとやたらに軽い音を立てて床に転がった。
恐らくは淫魔の吸精行為だろうが、効果がえげつない。
「でもやっぱりいい人たちっすよ? ここまでされても自分を守ってくれるんスから」
そしてメパトが口早に何かを唱え手をかざすと、エナの足元に魔法陣が瞬くように現れ、そこから這い出すように伸ばされた無数の亡者の腕によって体を拘束されてしまった。
「これで終い・・・」




