25 シェアグラフィスの杯
「“シェアグラフィスの杯”と言う魔道具は、城壁のないような田舎の村娘や女旅人には必須と言われている貞操帯のような物です」
いきなりとんでもない言葉が、エナ修道士の口から飛び出してきたな。いやまあ、修道女ならば宗教上の理由で必要な物かもしれないな。例えば男性との淫行が戒律で禁止され、純潔を守れるように貞操帯を付けなければならないのかもしれない。
面喰い過ぎたせいで、表情が崩れそうになるのを必死に抑える。
「何故そんなものが必須なんでしょうか?」
「ちょっとレイニーゴ・・・。私と初めて会った時のこと覚えてる?」
キュユと初めて会った時と言われれば、野盗に絡まれて・・・押し倒されそうになっていたな。
自分の失態を思いだして、顔面が熱くなるがそれは捨て置く。キュユも俺に釣られて赤面していた。先ほどのケロケロといい影響受けやすいのか、律義に付き合ってくれているのか、いじらしいと思う。
「そうなった時のための・・・お守りみたいなものよ」
「なるほど・・・でもそれがどう死人返りとつながる?」
「シェアグラフィスの杯はそういう女性的な不幸に見舞われたとき、心と体が壊れないように守ってくれる効果があります。そして本来、各々の体質や保有している魔力、才能などに応じて処方された専用の物を使用するのですが、まれに自身の体質に合わないものを使ってしまう人がいます」
言いながらエナ修道士が自身の下腹部を撫でる。
ああ、そこに入っているのか?
・・・やばい、想像するとバカ息子がハッスルしそうだ。
「すると、魔道具の魔力に侵食され、逆に淫魔に変異してしまう危険が高まるのです」
「ちょっと待ってくれ。なんで淫魔なんぞになる? その・・・性的なお守りなんだろ?」
俺の投げかけた疑問に、女二人は視線だけで示し合わせたかのように嘆息し肩をすくめる。仲良いな、くそ。
「田舎や旅人が魔物に襲われる危険性って結構高いのよ」
「戦って追い払えるのであればいいのですけれど・・・」
それは分かる。城壁もなければ外部から危険な獣や魔物が来放題だからだ。
生涯の内の戦闘の機会が増えれば、当然負けてしまう確率も上がる。
「で、そいつらに負けた場合・・・どうなると思う?」
「人の娘をかどわかして仔を成す魔物、妖魔などもいるのですよ。自力での逃走が不可能であり、抵抗が無意味であるなら、極力環境に順応して外部から助けが来るまで耐えるしかありません。そのための魔道具です」
随分と濃厚な18禁要素だな、負ければ苗床にされてしまうなんて・・・ああ、思い出した。テン・タレント時代にも比率的に圧倒的に少ない女性プレイヤー優遇措置として、自身のキャラクターを強化できる女性専用の体内スロットと呼ばれる装備欄があったな。
・・・それのようなものか。
「噛み砕いていえば、淫魔の因子を限定的に取り入れ、女性を淫魔よりの存在にするのです」
「なぜそんなことをするんですか?」
「生還した娘が、後に幸せを望んでいけないとでも仰るのですか?」
「滅相もございません。幸せを望んで手に入れられるのであれば、その手段が人を不幸にしないのであれば、幸せになるべきだと思います」
つまり・・・ええと、整理するとだな。
通常なら魔物に襲われて廃人コースが確定するのを、キャンセルできるようなものか? 心と体が壊れないようにと言うのは、廃人化を防いで生殖機能が損なわれないようにするということだろうか。PTSD(心的外傷後ストレス障害)も軽減できるのであれば、傷者にはなってしまうが旦那がそれを受け入れられれば、まあ円満な家庭を目指せるだろう。
これらのことはシェアグラフィスの杯を使うことで、淫魔の因子を限定的に取り入れて、いわば人体改造によってなされるわけだが、自分に合わないものを使うことで逆に淫魔に取り込まれてしまう・・・と。
「・・・でもさ、そこまでして生きていたいものなのか?」
「どういう意味でしょう?」
「魔物に襲われて組み敷かれてさ・・・そこまでされたなら、もう死んでしまいたいって思うんじゃないかなって・・・」
俺もいきなり掘られたら死にたくなる。うん、それだけは絶対に確信持てる。
「確かにそうかもしれません。ですが全ての女性がそう悲観するわけでもないのですよ。それに・・・それで死んで欲しいと思う家族も多くはないと思うのです」
言われてみれば、全員が全員絶望し死を望むとは言い切れない。中には報復を心に誓う者もいるだろう。
親ならば子が酷い目にあったとしても、生きていて欲しいと望むことも、失ってしまうことよりは良いと思うこともあるだろう。
「元々はまだ冒険者が、ちゃんと冒険者をしていた昔に、駆け出しの女冒険者の生還率の低さを嘆いて開発されたものだと記録に残っております。特に魔法を操ると言った才能を、使い潰していくことを惜しまれたのではないでしょうか? ですから淫魔の因子を取り入れるという邪法にすら手を出したのだと思います」
「要は、個人的な感傷は要らない。魔法を使う才能だけは死守する必要があった、追い詰められた状況だったんでしょ。勇者に付き添えるような才能がなくても、小さな村の一つくらいは守れる力だったかもしれないし」
それは個人の才能を・・・むしろ人生をただの道具としか見ていない様で、飲み込み難く感じてしまう歴史なんだが・・・それは俺のメンタルが日本人だからなのだろう。現に、当人たちはそれが当たり前のことであると受け入れているように見える。
極端な物言いをすればキュユ自身も“故郷で子を生む道具にはなりたくない”から、危険はあるが“魔物たちを切り殺す殺戮人形”になることを望んだともいえる。
俺は喉に刺さった魚の小骨のような違和感を飲み込む。
「で、そうまでして手に入れた淫魔の因子が、どうして悪さをするんだ?」
話を聞く限りシェアグラフィスの杯開発の黎明期はとっくに過ぎている、初期的な不具合は解消されているはずだ。実験的だった魔道具も過渡期を経て安定したものになっていっているハズなんだ。
「・・・まあ、なんていうか。・・・お貴族様がね」
「ええ・・・本当に、暇と金を持て余した権力者と言うものは余計なことしかしません」
またお貴族様か・・・。
「シェアグラフィスの杯の利点と欠点は先ほど話した通りですが、副作用と言うか、付随する利点があったのです。淫魔の因子を取り込むため・・・その、殿方を惑わす能力が高まることが分かったのです」
「地方の貧乏貴族・・・農民と変わらないような生活をしていた貴族の娘が、他の貴族の娘を押し退けて、上級貴族に娶られたという話がでたのよ。あまりの美しさ故にね」
・・・つまり、一日の殆どを野良作業したりして食い繋いでいるスキンケアすらしていない娘が、親の金にかまけて美を追求して毎日エステに通っているような娘を曇らせてしまうほど、美しい娘に育ったということか?
となれば『シェアグラフィスの杯』>『日頃の努力』という公式が成り立つということか。
言い換えればどんなに美容に気を使って食事制限や運動、優雅な仕草やマナーを習得しても、整形手術に敗北したような物か。
それは、目も当てられんな。
「お貴族様の間で、流行ったってことか・・・」
「そう、それでより効果の高い物とか、こういう方面に特化した物とか胡散臭い魔道具が出始めて」
「模造品や粗悪品、そればかりか劣悪な詐称品まで出回ってしまったのです」
ファッション感覚で自身の改造をしまくって、混沌とした世界が形成されるわけだ。
もしかして、比較的容姿がまとまっている女性が多い理由って、それが原因なのだろうか。
「そして、その出回った余剰品が色々な女性、美を求める貴族でもなく、命を守る必要のある田舎者でもない女性の手にまで行き渡ってしまった結果、自分に合わない魔道具を使用して淫魔に堕ちてしまう女性が出てしまったのです」
「で、今回の騒動の大本、衛兵を殺したのはそいつなんじゃないかって話よ」
旅をする必要があって、整った容姿をして、男を惑わす武器を持っていて、南門の衛兵に酷い目に会わされた女性・・・思い当たる人物がいる。
もしも、彼女が犯人であるなら、一貫しなかった不自然な行動が、尋問と称して乱暴されるように振舞うための物であるなら・・・。
「あ・・・そうだ。一つ質問があるんだけど」
「何でしょうか?」
「その、男にはないのか? そういう身を守るための魔道具って・・・」
「あら、残念ですが有りませんよ。殿方が魔物に敗北した後に辿る道はそんなに多くありませんから」
「そうね、せいぜい頭から齧られるか、腸から貪られるかの違いくらいしかないわ」
魔物にとって、人間の男は食料でしかないのね・・・。




