01 辻褄合わせ
キュユをしごき過ぎて泣かせてしまった翌朝、キュユはダウンした。
「・・・ごめん。体中が痛い・・・動けない・・・ううっ。・・・今日は、無理」
キュユは寝台の中から、覇気のない情けない声を上げる。
まあ、分からなくもない。マラソン大会の翌日とか俺もそうなっていた覚えがあるので無理は禁物だ。
ステータスを見るまでもなく全身筋肉痛という症状だろう。
「回復薬でも飲むか?」
「・・・良いの? あ・・・え・・・ごめん。やっぱり・・・遠慮して、おきます」
回復薬を服用すれば、瞬く間に筋肉痛を治せるだろう。
キュユが一瞬どもったのは、痛みから逃れる手段があるなら使いたいが、その程度のことで消費する回復薬の値段が脳裏をよぎり、あまりに高額であるために断念したのだろう。ハネイノを狩りに行って、全て売り払って現金化しても銀貨数枚程度の利益にしかならない。ハネイノ1匹を全て現金化して銀貨3枚になったと仮定しても、10匹以上売り払ってようやく金貨1枚分の価値になる。そんな高額なものを気軽に使えるわけがない。なにせイルクークの街で稼いだ金額は、俺たち二人分を合わせても金貨1枚分もないのだから。
キュユの体はまだ若いから一日で治るかもしれないし、少し長引いても数日あれば完治する。それを金貨数十枚はする回復薬を消費して、即座に直すというのは無駄遣いが過ぎる。
むしろ回復薬を売り飛ばしてでも、現金化させた方が喜ぶかもしれないな。
骨折のように治癒に時間がかかるものや、野盗の時のように即座に命にかかわるような緊急の場合でもない限り使かうべきではないのかもしれない。
ただの筋肉痛なら放って置くのが一番いい。
そして念のためを思い、ステータスを確認したら・・・。
「うえあ!?」
「何、レイニーゴ・・・変な声出して」
俺は驚きを抑えきれなかった。
昨日までは【戦士】4レベルだったキュユが、今朝には7レベルに上昇していたのだ。
昨日のアレ・・・しっかり結果が出てるじゃないか。魔物を倒さなくても【職業】に準じた訓練などをすればレベルを上げられる。キュユを強化できる。
「いや、何でもない。とりあえず今日は一日寝ていて良いから、体の痛みが取れないうちは無理をするな」
「レイニーゴは今日、どうするの?」
「どうしようか・・・とりあえず街の外に一回出て、昨日のハネイノを今日狩ってきたことにするか。解体してないんじゃ食うこともできないし」
街からいったん外へ出なければ、どうやって街の中に持ち込んだのか不審がられてしまう。それこそ“三本目の腕”がバレて面倒事に巻き込まれる危険性を考慮すれば、少しくらい回りくどくても正規の手段で持ち込んだ方が良い。
だが1匹分の肉を食い尽くすのにも随分と時間がかかる。成獣1匹から取れる過食部位は、多分30kgぐらい。そうなると2匹分で60kg。宿の主人に半身分けても・・・、俺たち二人で30kgもの肉は2週間食い続けてようやくなくなるくらいの量だ。
正直に言って既にだぶついている状態だ。
これは肉を卸せる環境がないと、狩に行っても余らせてしまう結果になるな。
まあ枝肉にして俺のストレージ内で眠らせておけばいいか。
「キュユ、今日の昼飯はどうするつもりだ?」
「適当に何か食べておくわ。それくらいのお金は持ってるし」
「じゃあちょっと行ってくる。常識的に考えて・・・夕方くらいに戻るつもりだ」
ここでいう常識的とは、標準的な成人男性が可能な仕事量という意味だ。ステータス的には、ハネイノを2匹担いで森から馬並みの速度で走って帰るとかできると思うが、常識的にそんな人間は存在しないということだ。
「・・・分かった。行ってらっしゃいレイニーゴ」
疑われない様に、それなりの時間をかけて移動しなければ目立ってしまうからな・・・。
今朝はのんびりとしていたので、もう日が昇っており辺りは十分明るくなっていた。森へ続く南の城門へ近付くと、浮浪児が一人近寄ってくるのが分かった、ルセだ。
俺に用事があるようで、迷わずに向かってくる。
「どうした?」
「・・・・・・あの、おかーさんが、ただはダメ・・・だって」
先日の黒パン強奪の事を言っているのだろうか。
あれはタダで貰うとかいう次元の話ではなく、強盗なのだが。体裁上、ルセを犯罪者にしないために、袋を拾ってくれたお礼ということにしただけに過ぎない。恐らくそれを母親に見抜かれて、怒られたのだろうか。
ルセはそう言いながらちっちゃな手をそろえて差し出すと、そこには黄味がかった透明や、薄い紫色をした、小指の爪くらいの大きさの石英が5粒ほど収まっていた。
「たいせつなパンだから、ルセのたいせつな、キレイな石・・・こうか・・・ん? あげる!」
物の価値で言ったら比べるべきもないものだが、これがルセの精一杯の誠意なのだろう。
大人から見たらガラクタでも子供にとっては宝物というものが多々ある。奇麗な石というものは俺も小さいころ良く集めていた覚えがあった。ルセのように小さな子が、宝物を差し出すべきだと判断したのだ、その小さな石英に大人の尺度だけでは測れない価値があるように感じられた。
何よりルセの母親という女性の高潔さというものを感じ取れて、心が洗われたような気分になる。
「この前のパンは、お母さんにも分けてあげられたか?」
「うん」
「じゃあ奇麗な石を沢山くれたから、その分のパンを上げよう」
正直に言えば、小汚い浮浪児がどうなろうと知ったことではない。
ルセも俺の視界の外で野垂れ死ぬのなら、それはそれで構わない。関知しなければ心も痛まないからだ。俺は勇者ではないし英雄になる気もない。全ての弱者は救えないどころか、俺の伴侶になっても良いと言ってくれた少女すら守れないかもしれないのだ。
だが、ルセの母親には報いなければならないと思えた。
どういう経緯があったかは分からないが、好感の持てる道徳心を持っている女性のようだ。そのような女性がしっかりと育てられるなら、ルセもまっとうな心根に育ってくれるのではと、期待してしまう。
そしてまっとうに生きていれば、幸せを掴むチャンスがきっと訪れるだろう。
どうせ食わない黒パンは、まだたくさんあるのだ。俺も偽善活動をして、少しばかり罪科を洗い流しておいた方が色々と都合がいい。
俺は腰の袋から、黒パンを2個ルセに渡し、石英を受け取る。
ルセの顔に華のような笑顔が浮かぶ。
とても儚くも曇りのない笑顔だ。欲しいものが手に入った喜びだけではなく、今日という日を生き延びれると歓喜しているようにも見えた。
「あ・・・ありが、とう?」
「ああ、じゃあな」
「うん、ありがとう!」
そう言って黒パンを大事そうに抱えかけていくルセの背中を目線で負い、無事に母親の元へたどり着けるように祈っておく。
妙に清々しい気分で城門を潜れたが、そもそも俺は偽装工作のために街を出ることを思い出し、陰鬱な気分が混じってくる。
いやでも、悪いことをしに行くわけじゃないしな・・・。
ただひっそりとした日常生活を送るための辻褄合わせなだけだし・・・悪いことじゃないよな?
森に少しの間は滞在しないといけないため、どうせならと森の奥へ足を向ける。
幸いにして、俺一人なら迷うこともないと思うし、迷ってもどうにかなると思うので、少し気ままに探索をしてみる。地形を把握することは、今後の狩りの手助けになるはずだ。危険な地形とか、危険な毒草とか、危険な獣とか、そういうものの情報を少しでも得ていた方が良い。
そういう下準備を怠って、キュユを危険に晒すわけにはいかないからな。
入念に辺りの地形を1時間ほど探索して、俺は飽きが来たので区切りを着けて街へ帰る。
街では門番が大荷物――ハネイノ2匹――を担いだ俺を見て、ぎょっと驚いたくらいですんなりと通してはもらえたが、狩りにかかった時間が少し短くないかと怪しまれもした。
とりあえず今日は、幸運だったということでゴリ押す。昨日の成果がなかったことが、いい方向に作用して事なきを得た。
ふう危ない危ない、狩れるからといって狩れるだけ狩ったら怪しまれるのか。
それはそれで面倒だな。やはり狩りは毎日しない方が良いな。
俺が内心冷や汗を拭っていると、一人の女性に声をかけられた。
ケモノのような耳を持った、少しおっとりとした感じの女性だ。
ボロを纏い、どうにか身綺麗にしようとした努力の跡は伺えたが、水で体を洗った程度では落ちない汚れで、浮浪者であるということはすぐに分かった。髪は脂で固まって、肌の艶も悪く、皮下脂肪も薄くなり、骨の形が分かってしまうくらいに痩せていた。
標準的な体脂肪がついていれば、結構な美人なのではないだろうか。
「初めまして、冒険者の方。ルセの母、ノイルと申します」
しっとりと丁寧に発音された声だった。




