10 ハネイノ
辺りに潜んでいるかもしれない伏兵を警戒しつつ、矢の付き立ったハネイノを見る。
鏃が脳を破壊したのか、しばらくは痙攣するようにのたうっていたが動かなくなった。ハネイノに仲間はいないか、いたとしても逃げた様子だ・・・そして、ハネイノを狙う肉食動物の存在もいない。
俺はキュユと頷きあうと、ハネイノに警戒しながら近付く。死んだ振りをしているわけでもなさそうなので、内心「良し」と勝鬨を上げる。
やはり弓士は武器そのもので攻撃の上限を定められるので、やり過ぎにはならないように制御するのは容易だった。
「結構大物ね。これは食いで・・・あ、いえ。んんっ! 初めての獲物がこの大物だと幸先いいわね」
仕留めたハネイノは体長1メートルほどで、体重は70キログラムくらいだろうか。イノシシと比べれば小型だが、ハネイノの中では大き目な成獣と言ったところらしい。オスであるようで、恐らくだが普段の住処から人間の領域へ近い方へ、エサを探して出てきたのだろう。ヤシの実のような大きくて硬い木の実を齧っていた。
「人間も頭を齧られたらイチコロだな・・・怖」
そのお陰か確かに食いではありそうだ。
「レイニーゴ。その木の辺りに穴を掘って」
「おうさ。深さは?」
「適当」
「高い難易度だな・・・」
ハネイノを仕留めたことで一定の満足感を得てしまった俺は、どうやらぼんやりとしていたようだ。キュユの言葉で現実に呼び戻され、荷物から小型のスコップを取り出して穴を掘る。
キュユはロープを取り出して、ハネイノの足を縛り上げ、丈夫そうな木の枝に引っ掛けると、体重をかけハネイノを宙吊りにしてしまった。手際の良さから生まれの村で、狩りと血抜き経験があるのだろう。畜産か人工合成された肉しか食ったことないような日本人には縁遠い事だが、この世界では狩猟した肉を普通に食料として消費しているようだ。確かに日本でもジビエなどがあったが、衛生面や輸送面で結局の所、牧場で育てられた肉の方が安くて旨いという事態になっていたな。
俺の掘った穴の上にハネイノを吊るすとキュユがナイフで首を切り裂いた。
血抜きである。
ちゃんとやっておかないと血生臭い肉になり、食えたものではなくなる。
でも血のソーセージとかあるけど、あれって生臭くないのかな?
「内臓はどうする? ちゃんと処理すれば美味しく食べられるけど・・・失敗したわね。もっと水辺に近い場所で狩るべきだったわ」
獲物を見つけ隙だらけだったから速攻で狩ったが、それが間違いであるとキュユは気付いたらしい。
「手持ちの水が少ないから、捨ててしまった方が良いと思うけど」
「そうか。じゃあそうしよう。無理をして肉を傷ませる意味はないからな」
俺は代案もないし、慣れているキュユに意見に賛同する。
内臓は・・・特に腸などの消化器官は、その内容物を丁寧に洗浄しなければ食えるようなものではない。腹を割って内臓を取り出す際に、腸や胃袋、膀胱と言った部位を破損させてしまうと、肉が汚染され食べられなくなってしまう。
ありていに言って、糞尿塗れの肉なんて食いたくないわな。
肝臓などをいわゆるレバーとして食べることもあるのだが、野生は寄生虫が多いために生では食べない方が無難なのだとか。食べるにしても火を通さないと当たってしまう上に、鮮度の低下が速いので、結局はあまり食べられるという事が知られていない部位らしい。
キュユが言うには、内臓を捨てる一番の理由は、肉の温度を下げるためらしい。
「池があれば沈めてしまうのも一つの手よ。川があれば洗い流せるし、冬場で雪が積もっていれば埋めて冷やすという手もあるわね」
そのため水辺でないここは、狩りには適さない場所であったらしい。
内臓が残ったままだと体温が下がり辛く、また消化器官の内容物が腐敗して熱を出すため、手っ取り早く冷やす方法がないなら取り除いてしまうのが良いそうだ。肉が温かいままだと、傷むのが速いからな。
「・・・なんでそんなに詳しいんだ?」
ハネイノの血の抜き方や捌き方を知っているのは、もともと村娘であり、日頃から携わってきたと言われれば納得はできる。
だが、反対にイルクークでの酒場の仕事や、スラムの情報など、知っていることが不自然に感じられる情報もかなり持っている。
「わたしはお父さんが、冒険者でって話はしたよね? だからかな、お父さんの持っていた知識はかなり教えてもらえたし、自分でも調べられることは調べたのよ。お父さんみたいな冒険者に成ろうと思ったら将来絶対に必要な知識だから」
英雄譚に語られるような冒険者を目指して旅をするなら、獲物を狩って食い繋ぐ程度のことはできなければならないから旅の基礎知識として学び、街のあり方や情勢なんかも面倒ごとを避けるために、知識として身に着ける必要があったそうだ。
この様子じゃ、STR極振りの筋肉バカは冒険者に成っても大成できないようだな。
騙されて良い様に扱われるか、嵌められて奴隷落ちするか、そんな状況に陥りそうではある。
言いながら今度はハネイノの腹を割ると、こぼれ出た内臓をそのまま引きずり出して分割し、俺がこさえた穴に捨てる。
「肝臓は生が美味しいんだけどね・・・お腹痛くなっても損だし、捨てちゃうわね」
繋がっている膜や筋を断ち切って取り外すと、ぼちゃりと穴へ落ちた。
うん、グロい。
このまま放置しても、森の肉食獣が食べてしまうらしいが、偶に食べ尽くされず腐敗してしまうこともあるのだとか。そうなれば今度は伝染病の発生源になる可能性も出てくるし、最低でも腐敗臭を発生させる。
それを回避するために埋めてしまえば、地中の虫や微生物と言った分解者が片づけて土へ帰る。
エコだよね。
内臓を取り除き、血も粗方出切ったハネイノの肉をズタ袋に入れ担ぐ。重いが・・・いや、重みを感じるが、行動が制限されるような負荷ではないか。
「さすがに石運びやってただけあって、軽々と持つのね?」
「まあ、これぐらいは任せてくれ」
「・・・腹を割る時に腰が引けてたのは?」
ぐっ。バレてる。
店で売ってるパック詰めされた肉以外で見たことのある生の肉と言うと、車に轢かれて死んだ犬猫の死骸くらいしかないんだ。いきなり捌きだされてもどう反応していいか分からないし、そもそも血を見慣れていないのだ・・・若干気分も悪くなっていた。
今日はもう肉を見たくない、食事はパンだけでいい気分なのだ。
「しょうがないだろ? 仕留めたのも血抜きを見たのも初めてなんだし」
テン・タレント時代ではゲームと言う制約上、趣旨から離れた部分は簡略化されていく。その距離が開くほど、重要性が下がるほど、簡易簡略化されていく傾向になるのは仕方ない事だと思う。
モンスターを仕留めた後に素材の剥ぎ取りや回収は行っていたが、コマンドアイコンがポンと表示されOKを選択するだけだったのだ。それだけでモンスターの牙や角を採取し、肉は枝肉へ解体され、運が良ければレアアイテムがドロップする。血が出るのもエフェクトでしかなく、当然匂いなんてものもない、死骸は残らず奇麗さっぱり消え失せる。
そんな経験しかしたことのない人間が、いきなり解体作業をやれと言われて二の足踏んでも仕方ないと思うのだが。
「これだからお貴族様は・・・」
キュユのボヤキが嫌味と言うか皮肉なのは良く分かった。
実地の経験がないため、そんな経験を必要としない生活を送ってきた貴族の様だと揶揄されているのだ。
逆に捉えれば、田舎の村ではこの程度のことはまさに日常茶飯事で、できない方がどうかしているような常識的な行為なのだろう。
が不思議とそんなに腹は立たない。
「・・・まあ回数を熟せば嫌でも慣れるさ」
キュユの言葉の端々には蔑む様な響きが含まれていないからだろう。まるで手のかかる弟分を相手にするような、包容力のあるお節介な呟きだったせいだ。
「とりあえず今日の成果は十分だろ? それともまだ狩るか?」
「肉は十分だけど、折角森へ来たんだから他の物も何か採取したいわ」
キュユはそう言って森を見渡す。
狩りの日は、少なくともイルクークの街で日雇いの仕事に就くことはできず、その分の収入がなくなるために見合った成果は欲しい。
今の季節は初夏あたりだろうか。あまり暑さは感じないが、これぐらいの季節だと若葉なんかが大きく育ち、食べられたり、薬草として使えたりする物が多い。反対に木の実や果実はまだ未熟で、今の季節にわざわざ収穫する意味はあまりない。
確かに色々と有用なものが、ありそうなので幾らか採取しようと思う。
幸い毒キノコや毒草もしっかりと見分けできるので、採取に関しては怖いものなしだ。
と言うか毒キノコや毒草もこっそり採取して、間違って食べてしまわない様に直接ストレージの中に放り込んでおく。スキルで毒薬を作るのに使えるし、毒薬があればその解毒薬も作れるからだ。
「お、この葉っぱは・・・スパイスになるのか。採取採取」
俺は【鑑定】スキルが“利用価値がある”と表示するのに従い、ホクホクと・・・殆ど思考停止状態で手当たり次第にストレージに格納していった。