10 金貨の価値
結局、宿代についての交渉は俺が折れるしかなかった。
間違っても連れ込み宿を使う訳にはいかないし、融通が利きそうなのは以前利用した実績があったこの宿だけだと思えたからだ。
鍵を受け取り、部屋に入る。ベッドが二つあり、一人部屋と比べればかなり広い。まあ、今からやることにそんなに部屋の広さは必要ないんだが、キュユを引き連れて部屋に入るには仕方のない選択だった。ちなみに広さだけなら一人部屋でも事足りると思ったが、それはそれで宿屋の主人に不審がられそうだからやめた。
「さて、それじゃあ・・・」
後ろをとことことついてきたキュユを振り返ってみれば、暗く影を落とした顔を引きつらせて、どうにか笑顔の形を維持していた。
何をしているんだこいつ?
「ここで?」
「ん? 他の場所だと森の中とかしかないからな。今から行くのは面倒だし」
キュユは諦めたような深いため息をついて、震える手で外套を外し、備え付けの棚に放り投げる。少し勢いが弱かったのか、半分も乗らず、後は自重に引かれてずるずると床に落ちて行った。革製の肩当てに小手、胸当て、コルセット状の腰巻など、旅での使い勝手と、それなりの防御力を求められて作られた革鎧も外していく。そして一呼吸、意を決してブラウスのボタンをはずしだす。
「いや、服脱がなくてもいいから」
「・・・脱がずにするの?」
飯食うだけなのにか?
汁跳ねなんかを気にするなら、脱いでしまった方が早いか。ナプキンなんて小洒落た物は、この部屋にはない。
「・・・ああ、すまん一張羅で汚したくないっていうなら脱いでくれ」
「・・・うん。やっぱりあんた・・・あなたは貴族様なの?」
「ん? なんでだ?」
「物腰が普通の人とは違うし、その、髪も服もいつも奇麗だし」
貴族・・・か? 俺が? 笑うところか? 貴族どころか社畜だった身だぞ?
支配者階級、社会を回す側に飼われていた最下層の労働力だったんだぞ?
いや、確かにゲーム時代ならクエスト報酬で爵位貰ったり、勲章もあほみたいに収集したが、それってこの世界でも通用するものなのか?
「いや、ここじゃ何の後ろ盾もない一介の冒険者だよ」
「ふうん」
さて、この状況になった経緯は、まあ簡単だ。俺のコミュ障というかリサーチ不足が原因だな。
巧い飯を奢ることを了承したはいいが、そんなものを食わせてくれる店を俺は知らない。この街で一般的に食べられている食べ物は、ことごとく口に合わなかったのだ。硬いかゲル状か、味がしないか塩辛いか、それぐらいしか食感と味の幅がなく、食欲は一瞬で消え失せた。
だから俺は、日持ちするという理由で黒パンを買い、個室に籠って食べているという体を装っていた。まあ、実際に一回は齧っていたし、何回か食べれば味と食感に慣れるかもしれないと、食べる練習をしていた。ま、ダメだったん・・・いいや、まだ練習中なのだが。
その食べきれなかった分は、手提げ袋に入れて置いたり、入りきらない分はストレージにしまい込んだりしてある。
それで日々の食事は、ゲーム時代に大量に買い込んだ食料系の回復アイテムで賄っていた。
まあ、調味料と食の多様性に塗れた、現代日本人向けにアレンジされている逸品であるので、俺からすれば慣れ親しんだ味付けだ。
そういうことで、俺がエスコートできないので、この娘・・・キュユ嬢にお勧めの店や、食べたいものを聞いてみたのだ。
「私もこの街に入るのは初めてだし・・・、何が美味しいかよく分かんないから、お任せで」
と、戦力にならないと告白されてしまった。
お任せ、つまり何でもいいという事なので、ゲーム時代の飯なら旨いだろうと思ったのだが、これを食わせてやるにもいろいろ厄介だ。
まず、類似する食料品が全く見当たらないため、人目に付く場所では食べられないし、人目につかない場所というのも今一どこか分からない。ネットカフェみたいな個室があればいいんだが、この街のそういう店は知らないんだよな。俺が宿の借りた部屋でこっそり食べていて騒ぎにはなっていないので、雰囲気は今一だがそこで食べればいいかと思い至る。
次は宿の選定だが、今使っている安宿は、年頃の娘を招くには狭すぎる。ベッドが一つあって、後は着替えるためのスペースくらいしかないんだし、そこに連れ込めば面倒になることは分かっている。
かといって、他の宿に伝手があるわけでもなく、結局最初に泊まった宿を選定したんだ。
実際、宿にまではキュユも笑顔でついてきたし、問題はないように思えたんだが。
「・・・で、何で肌着になっているんだ?」
「だって、体で払えってことでしょ?」
「何をだよ」
「本当は金貨が6枚だったって、私5枚しか・・・金貨1枚分のお金なんて持ってないし。それにお貴族様は気に入った娘を買うときの相場が、最低でも金貨だっていうし」
「いや、金については本当にどうでもいいんだ、だから服を着てください。って買うってなんだよ!」
「娼婦の価格。一回のお相手で金貨を稼げるようになれば上級娼婦として、娼婦仲間から尊敬されるって聞いてるから。だいたいあなただって知ってて私を連れてきたんでしょ? 冒険者になるような娘の末路なんて、野盗や妖魔の慰み者になるか、早々に娼婦に転向するかくらいしかないんだって。冒険者のまま活躍できるのは極一部、一握りの天才が運よく覇道を歩めれば英雄になれる。適当な男を見繕って結婚して引退ってのが一番幸せかもしんないって話」
「冒険者を目指さなければ?」
「人それぞれだよ? その方が幸せになれるかもしんない。私の場合は、自分の父親よりも年上のおっさんと結婚させられてその人の子供産むくらいしか、村に残る方法がなかった。だから若くてお金持ってるあなたの女になるのは悪くないと思う」
・・・そこに恋愛感情がないんですが。いや俺だって、キュユの父親よりたぶん年上だぞ。
レイニーゴの肉体年齢は確か16歳だが、俺の本来の年齢は定年間近だ。まあ晩年は十年くらいゲームしかやってなかったし年の割にはガキ臭いとは思うし、レイニーゴの体に釣られて若返ったような気分はあるけど・・・。正直に言えば女性の好みは30歳より上じゃないとガキにしか見えなくて反応しないんだよな。
「金持ってるって言ってもな、あの金貨・・・プルピール金貨はここじゃ悪目立ちするから使えないぞ。でなきゃ日銭稼ぐ必要もないからな」
「この街で仕事は何してたの?」
「ん? 草毟りして、今は石運びやってるぞ」
「へーじゃあんまり稼ぎないんだね」
「おう。だから当てにされても金はない。まあ所持がバレてるあの5枚くらいは派手に使った方が良いかもしれないけどな」
「ふーん(やっぱりお貴族様じゃないの。所持のバレていない金貨は一体何枚お持ちなのかしら。少なくともあと30枚は持ってるはずなのよね。このままどうにか既成事実作ってしまった方がいいのかも。あ、でもお貴族様って趣味が倒錯してるって言うから分の悪い賭けなんだよね)・・・でも、全く反応されないのもムカつく」
「何にだよ?」
「これでも結構体に自信あったのに、自分で言うのも何だけど肉付きもいいし、顔も母さん譲りで美人だってみんな褒めてくれたし」
「・・・ああ、そっちか。まあ、悪くないんじゃないか?」
まあ、なんだ。顔つきも西洋人風の東洋人というか、あまり彫が深くない造形なので、気合入れてコスプレした日本人ような印象はある。栗色の髪も、少し日焼けした健康的な肌も、魅力の一つだろう。手足もしなやかに長く、出る所もそれなりあるので正当に自己評価できていると思う。でもどうせ誘われるなら、そのお母さんに誘われたかったな。
仕事漬けでやりたい盛りを通り過ぎて、逆に女の黒いところ――職場じゃ浮気だ不倫だ慰謝料だと喚く連中が多かった。ブランド品買い漁って金遣いが異常だったり、夫の貯金の半分は自分のものだからと勝手に浮気相手に貢いだり、そのくせ男の趣味には狭量で同僚の愚痴ばかり聞いていたからな、ああ営業の女で結構美人だと思ってた娘が自分の連絡ミスで仕事が進んでいなかったとき、目の前で地団駄踏みやがった時は、ぶん殴ってやろうかと思ったりもしたな――ばかり知っちゃうとな、枯れちゃうんだぜ。
「可愛い可愛いから。うん、あまり人前に晒すと価値が下がるからしまっとけ」
「あんた・・・同性愛者?」
「違うわ!」
頭を小突いてやりたかったが、少し力加減間違えると殺しちゃうステータスだからな。突っ込みすら難しい。
ゲーム時代の物品を出すのは目立つと自覚しているのだが、この娘なら俺がゲーム時代の飯をご馳走しても、それを吹聴しても多分影響はないという、もう一つの理由というか安心材料があった。食べきってしまえば証拠は残らないし、村で問題児扱いされている娘なら、オオカミ少年と一緒で本気にされないから大丈夫だろうという打算だ。
こちらとしては約束通りに食べ物を振舞うつもりだったのだが、ついのこのことついてきて逃げ場がない状況でこんな部屋に連れ込まれたら、貞操を差し出すしかないと判断したんだろうな。
野盗に負け押し倒された自分と、その野盗を文字通り吹き飛ばした俺とを比べてしまえば、逆らえば死くらいに思い詰めていたのかもしれない。
言葉で宥めるのは骨が折れるな、もう強引にでも進めよう。
俺はストレージから塩ラーメンを取り出す。キュユの分と自分の分だ。
「ほら、これを食わせたかったんだ」