召喚の儀
血が出たりします。苦手な方は気を付けてください。
大国で名をはせているミネルヴァ帝国には悪い噂が絶えなかった。
その絶大な軍事力の前に屈服した小国は数知れず、恐れの対象として君臨し、同時に絶対的な存在から崇められてもいた。
国を陰で操っていると言われる魔術師・シキは、その力の強さと残忍な人格から、国内外に問わず多くの人物に畏怖の念を抱かれていた。
ひと際異彩を放つ城にあって、高い城壁に守られた城内にはシキ専用の執務室のようなものが設けられていた。
彼女はそこで内政に携わるでもなく、もちろん執務をおこなうわけでもなく、客将たらんと武芸に勤しむでもなく、ただ持参した魔術書を読み耽っていた。
こんこん、と申し訳程度の扉の音に振り返る。
開け放たれた金細工の施された異様に華美な扉から、一人の男が顔を覗かせる。
彼は筋骨隆々で大木のような体躯を折り曲げて、一回りも年下であろう少女・シキへ慇懃に声をかけた。
「シキ様、かの者が目覚めました」
「シキ様はおやめなさいと言ったでしょう? ルーファス。私と貴方の仲ですもの」
ルーファスと呼ばれた大男はその姿に似合わず、首を垂れると至誠を尽くして反論した。
「そうはいきません。今や貴女はこの国になくてはならない方。わたしはお傍にいるだけで良いのです」
「妙なところで謹厳なのだから、仕様のない」
妖艶な笑みを向けられ、彼は身じろいだ。
久々に面と向かって話をする彼女は、齢十六の少女にしては凄艶で恐ろしく端麗な姿をしている。
清らかな肌は雪花のごとく白く潤い、額にかかる金糸が輝くエメラルドの瞳を一層美しく煌めかせ、この世のものとは思えないほど華麗だった。
その濃厚な翠が、ルーファスへと注がれる。
彼女はさらに淫靡に微笑んだ。
「それで、その者は今も地下にいるのかしら」
シキは、彼女が国王へ嘆願した六つの施設のうち、地下を一番気に入っていた。
研究も実験も誰にも気兼ねなく行えるその場所には、めったに人は寄り付かないし、何より、その静謐とした雰囲気と肌寒い絶望感が何にも代えがたいほど彼女をときめかせる。
そんな彼女に比べ、付き従うルーファスは無感情に徹していた。
自分は自由意志で動ける駒。なにも考えず、なににも感情を揺らさない。
そう自らを律するのを常としていた。
重厚な鉄のドアが押し開かれる。
耳に煩い開閉音を聞きつけた人物が、彼女を見とめ、ほうっと嘆息したようだった。
部屋の隅に薄く灯る蝋の火と、ルーファスの持つ角灯のみの光においても、やはりその美しさは枯れないのだろう。
「気分はどうかしら」
鈴のなるような声音に、いよいよ顔を赤らめた人物、おそらくルーファスと同じくらいの年齢だろう男は、自分なりに考えたここにいる理由を喋りだす。
「なんというかとても信じられないが、君を見てはっきり分かった。ここは異世界で、俺は凄い力が備わっているのだろう? 勇者にでもなれっていうのか? 俺も異世界転生できるなんて!」
早口でまくし立てるように言われ、シキは肩を落とす。
――――また違ったわ。
それからまだ話したりないと言わんばかりに忙しく動く彼の口に、そっと白魚のような指を押し当てた。
「貴方はなにができるのかしら? 健康そうな人間をやすやすと殺してしまっては、国王陛下にまた雷を落とされてしまうわ。それは私も困るのよ」
まるで、紅茶に砂糖を入れるかどうかを聞くように流麗に紡がれた言葉に、男は唖然とし、そして顔面を蒼白させた。
「でも、何もできない人間を飼いならすのは、とても難しいわ」
唇に押し当てていた指をそっと外し、妖艶な姿に目を離せない男に、彼女は少女のように可憐な笑顔を見せた。
「だから、次の召喚の役に立ってもらいましょう」
「え?」
彼女は向きを変え、入ってきたドアに手をかけた、と同時にルーファスが動く。
腰に差していた剣を抜いたかと思うと、ほとんど無音で、男の首を刎ねた。
一瞬のうちに首を失った体は、力なく床に落ち、血の悲鳴を上げる。
絶命の恨み言をいうこともなく転がった男の首に見向きもせず、彼女はルーファスを振り仰いだ。
「ルーファス、貴方に殺してほしいなんて言っていないわ」
「はい。わたしの判断です」
ルーファスは彼女の服にかかった赤の飛沫を見つけ、血の海に跪いた。
シキはそれを見下ろし、いつものように妖しく微笑んだ。
「もういいわ、ルーファス。でも、私は次の召喚に備えるから、この汚いもの片づけておいて貰えないかしら」
「承知いたしました。陛下へもわたしからことの次第をお伝えいたしましょうか?」
「驕奢を恣にするしか能のないあれの首こそ、貴方に刎ねてほしいものだわ」
ルーファスははっと顔を上げる。
シキはそれを笑顔で受け流し、重い扉を開けて地上に戻っていった。
あとに残されたルーファスは、シキの深い緑の瞳、日の光のような笑顔、花の綻ぶような香りを思い出すように目を閉じると、部屋の中央に向かって歩みを進めた。