訪問者⑤
突然の朗報に訳がわからないといった様子の丁。
彼の代役とばかりに手を上げたカノエは、小首を傾げてみせた。
「どういうことですか?」
天海は大きく深呼吸して椅子に腰掛けると、丁を見ながら話し出した。
「雲類鷲さんは、どうやら無差別異世界召喚の被害者のようです」
聞きなれないワードに反応せざるを得なかった丁は、顔をしかめた。
「なんだよ、その〝無差別異世界召喚〟って」
「最近我々を困らせている大きな事件です。調べによると、カノエくんの転生先の〝世界〟の住人によって行われているようなのです。理由は分かりませんが、異世界から自分の世界に魂を呼び寄せては、結果的に消滅させているようです」
「消滅って、そんな簡単に……」
「簡単ですよ。そして他人事だ。雲類鷲さんの魂が引き寄せられ、けれども呼び寄せるまでには至らなかった、そこため輪廻転生の渦から出された魂は行き場をなくしてここに来た、といったところでしょうか」
あまりに理解の及ばない話に放心状態のようになった丁に、天海は心から同情した。
本来なら来なくていい場所に来て、知らなくていいことを知ったのだ。
ここを飛び出して転生を無事に済ませたら、ここでの記憶は残らないとはいえ、複雑な心境だろう。
「ま、なんかよくわかんないけど、とりあえず異世界行けるってこと? ラッキー!」
俺の神妙な心持を返してほしい。
天海が何の気づかいもせず盛大な溜息を吐ききったところで、喜ぶ丁を横目に何やら考え込んでいた少年が口を開いた。
「でも、天海さん。魂がその〝世界〟に所属していないんじゃ、どっちにしろ行けないんじゃないんですか?」
おずおずとそう切り出したカノエに、天海は感心した。
この少年は、聞いたばかりだというのにこの〝世界〟の仕組みをよく理解しているようだ。
「カノエくん、その通りです。異世界は人の想像の数だけあります。ので、すべてを管理はできません。先ほども話しましたね。我々は我々の管轄、つまり日本における異世界への関与のみ把握しています。その把握している異世界はいずれも魂が飽和状態で、新しいものを入れるとすぐに溢れる状態です。しかし、今回の事件で、本来なら存在できない一つの魂を呼び寄せ、すでにいた一つの魂を消し、その呼び寄せた魂が人として生き〝世界〟に定着する前に殺す、とどうなるか分かりますか?」
「そんなの簡単な引き算じゃねーか、一つ席が空くんだろ」
丁がぶっきらぼうに言ったセリフに、天海は素直に頷いた。
「その席が貴方のものになる、ということです」
喜色満面といった顔を惜しげもなく放出した丁と、同じく嬉しそうなカノエがハイタッチする。
いつの間にそんなに仲が良くなったのだろう。
天海は咳ばらいをひとつすると、異世界転生に必要な書類を丁に渡した。
カノエが書き終えて持ってきたものとほとんど同じ内容が書かれている。
「ひとつだけ。今回の件は前代未聞です。かなり稀なケースです。前例がないので、可能性がある、けれどどうなるか分からない。としか言いようがありません。なので、推奨はできません。魂の定着には個人差があります。魂がその〝世界〟に定着せずに死を迎えると二度と転生はできません。それでも異世界を選びますか?」
丁は渡された書類をざっと見て、思案するそぶりも見せず、規定の位置にサインした。
「さっき最初に応対してくれたお姉さんも言ってたけど、ここでの記憶は残らないんだよな。それなら別になんとも思わない。魂の存在なんて、前の世界では考えもしなかった。つまり、俺にとっては重要じゃないんだよ。定着だかなんだか知らないが、生きればいいんだろ」
丁の目の奥に炎が灯ったような、ギラギラとした熱さが見える。
そんなにも、自分のいた〝世界〟に戻りたくないのか。
天海はひとまず彼の気持ちを尊重することにした。
彼の言った通り、ここでの記憶も、世界の理も、天海のことさえ覚えてはおらず、新しい命を宿して懸命に生きていくのだろう。
天海は、頬が上気し、心なしかウキウキしているようにも見えるカノエ少年を見る。
カノエくんも、前の世界にまるで未練がないようだ。
けれど、それでいいのかもしれない。
天海は異世界転生に意欲的な二人を、なぜかとてつもなく羨ましく思ってしまった。
「でも、僕は、天海さんのこと、忘れたくないなぁ。それに、せっかく丁さんと一緒の世界でも、ここでしか会ってないから、例え会っても絶対に分からないですよね~」
あ~あ、と残念そうに足をぶらぶらさせるカノエに、天海と丁は揃って不器用な笑みを作った。
「ああ、そういえば。雲類鷲さんは記憶の引継ぎはしますか?」
「そんなの、当たり前だろ」
「では、こちらにもサインを」
すでに用意されていた用紙をがするっと出てくる。
それに苦笑した丁は、サインを書きながらカノエの頭を撫でた。
「ま、よく分かんねーけど、なにか感じるものはあるんじゃないか? 俺は今の名前を通り名みたいに使おうと思ってる。お前もそうしろよ。それで、会ったら、なんか、シンパシー? みたいの感じるかも」
それは絶対にあり得ない。
天海は心の中で断言したが、せっかくの友情を無下にする必要はないのだと、黙って二人のやり取りを見ていた。
「そうですね! 丁さん、丁さん、ヒノトさん! 覚えました」
心底嬉しそうな少年につられ、丁も自然と笑顔になる。
サインを書き終え、役所が受理のハンコを押すと、なんの演出も効果もなく、すっと消えぱっと転生することになっている。
天海はそのことを説明し、まずは丁の書類に判を押す。
「いよっしゃ! じゃあお先に! 今行くぞ! ケモ耳美少女ハーレムの異世界!」
丁の叫びが、余韻を残さずぱっと消える。
天海は頬を掻きながら首を捻り、次いで、ぽんっと大げさに手を打つと、カノエにこそっと耳打ちした。
「ケモ耳美少女ハーレムの世界ではないと、言うの忘れてました」
「あ、ははは」
それに、カノエは子どもらしくケラケラと笑った。
少年は、笑いも落ち着いたところで天海に握手をせがんだ。
「ぼく、きっと天海さんのこと忘れません。それと、なにかあったら天海さんが僕の世界に来てくださいね」
「え?」
カノエはするっと天海の手から抜け出すと、自分で自分の書類に押印した。
そして、満面の笑みで手を振る。
「それじゃあ、来世で!」
「は~~~~~~~~」
「天海さん、盛大な溜息ですね。対応ありがとうございました!」
天童は自分が食べていた茶菓子の残りを天海に差し出し、労うために新しいお茶も淹れてきたらしい。
彼は自分のデスクに座るようぐいぐい押され、自席に着くとぐったりと突っ伏した。
カノエの最後の言葉が異様に気なって仕方がない。
理解しているというより、知りすぎているような気さえしたのだ。
あの凡庸に見える少年は、実はとんでもない人物なのではないか。
初めて相対した時の不安が的中しないことを心から願うしかなかった。
面倒ごとはごめんだ。
天海は辟易した心を潤いで満たすかの如く、天童に献上された極上羊羹を頬張った。