『少女は、本性を曝す』
曇り空の所為で、肌寒い風が頬を掠める。
高く聳え立つビル街の間を通り、進む先には小さい店の看板が見えてくる。
『BAR』と書いてある看板が揺れて、その扉を開けると鈴の音が響いてくる。
『いらっしゃいませ』
グラスを拭きながら、こちらを向かずに目を瞑って店主が言う。
背の高い外国人風の老人。というのも、それほど年老いている訳ではない。
程よく黒髪の中に白髪が混じっている容姿だ。若いようで、老いている。そんな感じだ。
『本日は、何をお飲みに?』
「ごめんなさいね。私は今日、客ではないの。『彼』は来ているかしら?」
『彼……あぁ、お話は伺っております』
店主は目を瞑ったまま、カウンターから出てきた。
そして胸ポケットから鍵を取り出し、奥にある一つの扉に差し込んで開けた。
『――お待たせしました。ではこちらへお入り下さい』
「ありがとう。今度来た時には、お酒を頂くわ」
『お待ちしています。では』
店主は一礼をしたまま、扉を閉める。
彼女が進んでいく背中が見えなくなるまで、店主は頭を上げる事はなかった。
◇◇◇
「やぁ、遅かったね」
「急に呼び出したのはそっち。私はこれでも忙しいのよ。それで?」
「……何の用?と言い出す時は、それ程忙しくはない時だ。ボクの経験上、さほど忙しくないにしても、忙しい振りをするのは悪い癖だと思うよ。特にこういうのは、汚い大人に多い」
手を振りながら、ソファに寝転がってヘラヘラと話す少年。
良く見れば、見た事のある制服を着ている。だがそれは女物のデザインで、彼が着るものではない。
「――その様子だと、霧華と接触したのかしら?」
「接触したし、君の伝言を伝えといたよ。主人である君が彼女を利用するように、ボクは君の言葉をボクのために利用する。お互いに任務が達成出来て、WINWINな関係だと思わないかい?」
「私の言葉?そんな事を頼んだ覚えも、言った覚えもないのだけど。いったい何を霧華に伝えたのかしら?」
「もう忘れたよ。知りたいなら先週に戻って、内容を確認しに行けば?過ぎた出来事を探ろうだなんて、そんな無駄な時間を過ごす程、君は愚かではないでしょ。――さて、無駄話をしてしまったね。そろそろ本題に入ろう。何の為に呼び出したのか?とその顔は聞きたいのだろう?」
寝転がった体勢を直し、クルクルと銃を回しながら言った。
ニヤニヤしたその表情が、腹の虫をイラつかせる。
一言余計な性格も、昔からこの少年は変わっていない。
「呼び出した理由がくだらなかった瞬間、明日の陽の光は浴びられないと思いなさい」
「そこは安心していい。それにボクは夜行性な部分があるから、太陽なんて浴びる必要は皆無だよ」
「…………」
「んじゃ、本題に入ろう。今回の標的、現在進行形で彼女が関わっている件に進展があった。彼の件だが――」
その話は長々しく、聞いた内容は至って平凡な話だった。
だが彼の言う事の一部だけ、聞いている内容の中で気になった部分。
標的の移動情報とその日時。スケジュールと企業の繋がり。その内容は様々だ。
だけれど彼は、その情報を何処から手に入れたのか。――それが一番、気になるのだった。
◇◇◇
雨が降りそうな空。灰色。鼠色。
その曇っている空を見上げながら、私は今日の事を考える。
自分の唇に指を添えて、先ほどの出来事が脳裏にフラッシュバックする。
「(霧華さん、どうしてあんな事を……~~っ!)」
触れた部分に残った微かな感覚で、自分の身体が熱を帯びた事を自覚する。
彼女はどうしてあんな事を?という事だけが、頭の中をぐるぐると回り続ける。
そんな事を考えていると、スカートから微かに振動が伝わってくる。
どうやら携帯のバイブレーションのようだ。私は取り出して、画面に表示された名前を見る。
来ていたのはメールで、差出人は――父と表示されている。
「お父様?どうしたのかしら?」
小さくそう呟いて、私はそのメールの蓋を開ける。
「なんですの、これ……」
その内容は、一枚の写真とたった一言だけ。
だけどそれだけで、私はその意味と内容を把握出来てしまった。
混乱した頭でも、それが分からないほど馬鹿ではない。
『シルヴィアさん、迎えに来ましたよ』
「――っ!?き、霧華、さん?」
『え?シルヴィアさん?どうしたのです?』
廊下から見えた彼女。だけどそれは幻で、同じクラスメイトの女生徒だった。
『大丈夫?』と聞かれるが、私は焦ったように教室を抜け出す。
そのまま学園から出て、一人の少女が時計塔の下で待っているのに気づいた。
そこは街中でも、待ち合わせ場所に使われる事が最も多い場所。
その場所に、その少女は立っていた。
「き、霧華さん」
「あ、シルヴィアさん。待ってたよ。放課後になったから、此処を通るかなと思って待ってたんだ。今日は特別な日だから、楽しみましょう?」
少女は楽しそうな声色だけど、表情は一切変わらない。
口角は笑ってても、その瞳までは笑ってない。
私は混乱した頭のまま、自分の携帯を差し出した。
「――これは、貴女なのかしら。霧華さん」
さっき届いた一通のメール。
それには一枚の写真と一言だけが記されていた。
『この子に近づくな。この子は危険だ』という言葉。そして目の前にいる彼女の写真なのだ。
「……シルヴィアさん、それは何かな?」
「何って……これは貴女、ですわよね!お父様が何の意味もなく、こんなメールを送ってくるはずがありません!どういう事か、説明して下さいっ!この真っ赤に染まっているのは、貴女ですか?」
私は写真を突き出し、彼女の肩を掴む。
肩を掴んだ私を見て驚いたのか、彼女は目を見開いてこちらを見ていた。
やがて彼女は口を開き、ただ一言だけを口にした。
「――正解。でも、残念だな」
「っ!?……んんっ……ん?!」
その一言を聞いた瞬間、彼女は無造作に唇を押し付けてきた。
腰に手を回され、舌を奥まで入れられる。
何かに掻き回される様な感覚が、頭の中をぐるぐると這い回る。
「んんっ……んん!……うっ」
顎に指を添えられ、頭だけを上に向けさせられる。
そのまま何か温かいモノが、私の喉を通っていくのが分かった。
やがて唇は離されて、微かな笑みを浮かべた彼女の表情が近くにある。
その表情は徐々に霞んでいき、私の視界にモヤが掛かっていく。
そして私は、その場で気絶するように意識を失ったのだった――。