『忠告無視』
キリカ・レイフォードという偽名は、いつも私が使っている仮の姿だ。
世を凌ぐ仮の名前であり、その存在には意味を見出す事の出来ない存在だった。
だがそれはある日突然、私の前にその姿を現していた。
初めて人を殺したい程に憎んだあの日で、私の人生は大きく変化した事を理解している。
でもそれは結果だけで言えば、何も無い日常からの脱却を意味しているという部分もある。
「……嫌ですよ。お姉さま」
だがそんな事を考えつつも、今は目の前の事に真剣にならなければならない。
それがどんな仕事であっても、どんなに嫌な仕事であっても人間がやり遂げようとするように。
私も今、ジト目をこちらへ向けながら渋っているマリアと交渉していたのであった。
「なんで?」
「何で?と聞かれましても、私はお姉さまと過ごす放課後は大好きです。ですが、標的である柊美久を部屋へ入れるのは反対です。正体が知られれば、あの方からの依頼が失敗となります。それでも良いのですか?」
「……それは困る」
誰も居ない、誰も通らないという場所を借りての交渉。
他人の目を気にせずに話したいと言った時は、かなり上機嫌のように見えたのだが……。
柊美久との話を戻した瞬間、マリアは何が気に入らないのか不機嫌になってしまった。
彼女が何を考えているのかは分からないが、柊美久との約束は断るしか方法は無いのだろう。
「はぁ……分かった。美久には約束は中止って言っておく」
「お、お姉さま?!い、今、なんと?」
「何って……約束は中止って言っておくって言っただけだけど?」
「そこでは無いです。今お姉さま、標的を呼び捨てにしていませんでしたか!?」
「ん?ダメだった?」
「……はぁ~」
何だろうか。ヤケに落ち込んだような溜息を吐かれてしまった。
そして無償にムカッとするのは、私の感覚がオカシイのだろうか。
思わず隠し持っているナイフで刺しそうになったが、ギリギリの所で踏み止まる。
次ムカッとしたら、投げ技ぐらいはしても良いという事にしておこう。
そんな自己暗示をしている間に、マリアは悩んでいるような表情を浮かべて言った。
「お、お姉さま?柊美久は、標的。つまりは今回のターゲットという事は理解してますか?」
「馬鹿にしないで。それくらいは分かってる。だから任務の事も私の正体もバレてない」
「そこは大丈夫だと信じています。ですが、その標的と仲良く行動するのは命取りな行動です。一歩でも間違えれば、お姉さまの正体がバレてしまいます」
「その時点で、殺してしまえば良い。問題は無いでしょ?」
「……ここは日本なのですよ?色々と用意が出来る海外では無いですし、隠蔽工作もまだ済んでません。今は標的の行動と周辺の情報収集が優先ではありませんか?」
「……」
「な、何ですか?その目は」
「別に。……とりあえず部屋へ来る約束は無し。それは分かった」
「ホ……それは良かったです。ではお姉さま、また放課後に」
「うん」
休憩時間を終える寸前、マリアは手を振りながら自分のクラスへと戻って行った。
私も戻ろうとしながら、制服のポケットから携帯電話を取り出して画面を開く。
何だかムシャクシャしたので、そのままの気分で文章を打つ事に決めたのだった――。
「『放課後、大丈夫みたい』……送信」




