『少女は、目を輝かせる』
灰色の空は、憂鬱を誘う。
誰かがそんな言葉を口にしたのを思い出して、私は不意に空を眺める。
今にも降り出しそうな空は、誰かの心情を表しているようでとても暗い。
……なるほど。
確かに曇りの日に気分が悪くなるのは、憂鬱というものを誘っているのだろう。
確証はなくても、思う所はある。
それにしても、今日は何の日なのだろうか?
そう思いながら、私は手元にある携帯へと視線を動かす。
メールの差出人の欄には、最近仲良くなったと思う友人の名が表示されている。
『こんにちは、シルヴィアさん。急なのだけど、今日は特別な日だから。放課後、遊びに行きませんか?私は所要で夕方になってしまいますが、学園で待ち合わせを致しましょう。それでは』
この文面から察するに、何か予定があるという事は明白である。
だけども……だからこそ、この『特別な日』というのは何なのか気になる。
断る理由は無いにしても、彼女からの誘いとは珍しい日だ。
「霧華さん――いったい、何の用なのでしょう?」
灰色の空へ再び視線を戻し、私はそう呟いた。
だが不思議と私の足取りからは、憂鬱という気配が薄くなっていたのだった――。
◇◇◇
ガリ、ガリ――。
雨が降りそうな空だ。自然と上を向いてそう思った。
いつものように木陰に寝転がり、私は近いようで遠い景色に手を伸ばす。
雲に隠れてしまったそれは、灰色の向こう側で光り輝いている。
まるで、闇の向こうに咲く一輪の花のようだ。
「…………」
ガリ、ガリ――。
上を見上げるのに飽きた私は、胸ポケットから一枚の写真を取り出す。
その写真はどのように撮ったのか、という疑問を浮かばせる写真だ。
明らかに盗撮なのだが、標的に向かって『貴方を狙いたいので、写真を撮らせてください』などと言う阿呆は居ないだろう。
居たら居たで、会ってみたいと思う。……いや、やっぱり止めておこう。
そういう人間は、頭のネジや思想がややズレている存在だと相場が決まっている。
ガッ、ガッ……。
「――あ」
気が付けば、私は木の根を削り続けていたのだろう。
無自覚にナイフを持ち、無意識に周囲のモノを削っていたようだ。
私自身、この衝動に逆らった事がない。意識はあっても、それを否定するつもりもない。
既に諦めているし、無駄な事だと言う事を教えられている。
「……そろそろ、行かないと」
起き上がる為に、思い切りナイフを突き刺す。腕力だけで起き上がってから、手の平の上でナイフを遊ばせる。
そして西部劇に出て来るガンマンのように、私はスカートの下にそれを忍ばせる。
そういえば、と思って立ち止まる。ガンマンといえば、私の同期に銃使いがいるけれど、彼女は今何をしているのだろう?
「……まぁ、いいかな」
考えるのを止め、再び歩き出す。
私は歩きながら、放課後に向けてのメールを彼女に送ろうと作成する。
――これは、招待状だ。闇への片道切符。
「楽しみ」
私はまだ感じた事のない感情を口にして、その場から離れて行く。
これが喜怒哀楽の感情というのなら、私は何に当てはまるのだろうか。
こういう事は昔のうちに、マスターから教わっておけば良かった。
分からない事をそのままにするな、という事も教えられている。
「……ふふ」
階段を昇っていたら、踊り場の鏡と目が合う。
そこに映っている自分の姿は、とても物騒な表情をしている。
マスターにも言われた事があるけれど、私は一定の高揚感を満たされると雰囲気が変わるらしい。
「あら、随分とテンションの高いようだね?」
「……?」
鏡の前で声を掛けられ、私は背後を振り返る。
そこに居るのは、見た目がボーイッシュな生徒だ。
笑みを浮かべている様子が腹立たしく、それだけで私はそれが誰なのか理解した。
「どうして、ここに居るの?」
「お、いきなり不機嫌になった。表情は変わらないけれど、声色が変わるのは相変わらずだね。まぁでも、彼女に拾われた当初よりはだいぶ正直になった方か。いやいや人間、成長する生き物で関心してしまうよ」
「お喋りが長い。……質問に答えて」
「そう言うなって、標的周辺の情報を持って来たんだ。暗殺の心得としては、情報は命そのもの。ご主人様からの命令だけは言う事聞くお前にとっては、とても大事なものだと思うが?」
「…………」
私は目を細めて、目の前の人物の様子を伺う。
攻撃の意志は無いにしても、この者を『警戒しない』なんて日は一度もない。
今までも、そしてこれからも……。
「そう警戒すんなって。そんな事より用事を済ませようかね。ご主人様から伝言だ。『――標的の行動は制限されたから、貴女は貴女の考える綺麗な方法で魅せなさい?私はそれを望んでいます』だとよ」
「……それ、マスターの真似?もしそうなら――っ?!」
私は体勢を低くして、スカートの下にあるナイフに触れる。
その様子が伝わったのか、笑みを浮かべて少し距離を開けられる。
だけどそれは一瞬で、気が付いた時には頬に手を添えられていた。
「もしそうなら、どうしたってんだ?俺様を殺そうもんなら、もう少し殺気を仕舞った方が良い。お前は見た目が人間でも、その本質は人形と変わらないんだから。というか人形か、お前は。俺様とした事が、それすら忘れてしまっていたよ。いやいや、本当に、全く以って。さて、俺様はさっさと退散するさ。このままここに居たら、目の前の化け物に喰われそうだしな。んじゃ、どろん」
「……」
気配が周囲から消えた。いつもいつも、あれが現れると気分が乗らなくなる。
でもあのままここに居ようものなら、私はきっとこれを使っていただろう。
校舎内でこれを使うのは危険な行為だし、とても迂闊な行動でしかない。
私の問題ではなく、その周囲の者の品格が疑われてしまう。
「あら?霧華さん?」
そう考え込んでいると、例の彼女の姿が視界に入る。
ドクン、と脈が鼓動を一つ打つ。その瞬間に、私の中で一枚のガラスが割れる音が聞こえる。
私は私の中で眠り続けているそれは、感情の高ぶりを私の血の一滴まで伝えてくる。
「き、霧華さん?体調でも崩しているのですか?顔が真っ赤ですわよ!?」
「……シルヴィアさん、放課後、楽しみにしていますね」
その慌てた様子を視界の端に、私はゆっくりとそう呟く。
だけど彼女がそうやって無防備に近づくから、それは抑える事がほぼ不可能になってしまう。
彼女の近づいた顔に両手を添えて、私は半ば強引に私も顔を近づけるのだった。
「んんっ?!き、霧華、さん?何をっ」
「……ん、ちゅ……じっとして」
数秒間が経過した辺りで、私は彼女から少し離れる。
彼女は固まったまま、放心状態となっている様子で口をパクパクとしている。
私はその様子を覗き、一言だけ囁いてその場を後にしたのだった――。
「――これは、放課後の前払い。ではまた後で」