『月夜の下で』
「……しぶとい、さっさと死んだら?」
私の攻撃を避けるだけなら良いけど、この男の動きには無駄が多い。
なのに仕留め切れない。マスターが見てるのに、どうして!
『お前じゃダメだよ』
「――っ!?」
『私に身を任せてみろ。お前のしたい事を叶えてやる。もっと、もっと深くだ。さぁ、私に委ねろ』
頭の中で響く声だけじゃない。本当に引き摺り込まれるみたいに視界が悪い。
霧の所為じゃない。これは多分、何か別の……マリが持ってるのは、何?注射器?
『目を背けるな。お前は私だが、お前では殺しきれない。早く身を委ねるんだ。衝動のままに』
「……うるさい、さっさと死ねっ」
振り払うように短剣を振っても、相手に掠りもしない。このままでは飲み込まれる。
いやでも、マスターに拾われたのは私だ。お前じゃない。私が、霧華だ――!
◆◆◆
「……キリカ、殺りなさい」
「――――」
聞こえてきたその声は、霧華の身体に見えない糸が張り巡らせられる。
それは呪縛のようなもの。ジェシカ・レーラという彼女が、霧華に生めた幻想である。
自分の身体の自由が失われ、代わりの自分が殻を破る瞬間でもある。
その幻想は、マリアが作った薬品によって強化されたのである。偶然の産物。
男は動きの止まった彼女に近づき、落とした短剣を彼女に差し向ける。
その様子を見たマリアは声よりも先に足が動き、ジェシカはそれを見送るように口角を上げた。
彼女ならそうするだろうと、まるで分かっていたように。ジェシカは笑った。
男。ヒューズ・スカーレットの前には、両手を広げるマリアが立ち塞がる。
退くんだと言っても退かなかったマリアは、半ば無理矢理に突き飛ばされて地面に倒れた。
だが、それを無意識下になっていた霧華は、その一部始終を見逃す事は無かった。のだが……。
「マリアは良い子だね。うん、実に良い子だと私は思う。けれど甘過ぎる。そう思わないかな?ヒューズ・スカーレットさん――ッ!」
霧華はそう言って、ヒューズの懐に飛び込んだ。
反撃をしようとしたヒューズだったが、短剣を持った手元を蹴られてしまう。
手元から短剣が離れるのを確認した一瞬、その目線は霧華から外れるのも自然だ。
その行動が、もはや彼の命取りな行動だった。
マリアは一瞬だったが、奇跡的にその動きが全てスローモーションに見えた。
死ぬ寸前に走馬灯が流れるように、視界に居る霧華を見る目には輝きがあったのである。
「ふんっ!」
霧華はヒューズの腕を掴み、背負い投げの要領で地面へ叩きつける。
そして短剣を拾い、地面へ叩きつけた彼に突き刺した。刺した短剣を最後に彼女は……。
「ぐぅ、ああああああ!……あああああああっ!」
地面にも突き刺そうという勢いで、二度三度と力強く突き刺したのだった。
動かなくなった彼を見る目を細め、頬に跳ねた返り血を舐めて彼女は呟いた。
「……私はキリカ。マスターの為に命を捧げた、愚かな人形の一人だ」
そして彼女は、電源が切れたようにマリアを見て倒れていくのだった。
◆◆◆
一方その頃、同時刻の街中。
そこはかつて警察や街の人々で、注目を浴びていた場所。
マリア・スカーレットが暮らしていた家でもあり、今朝にあった事件の被害者宅である。
その建物の中で、手袋を身に着けた人影があった。
「……やぁ、こんな夜中に泥棒とは仕事熱心だね」
『…………』
「でも正直、ボクは情報とかを盗むのは好きだけどさ。人を騙すのは嫌いなんだよね」
『……どうしたんだい、ボク。勘違いをしているようだけど、ボクはこの場所の取調べを任されていてね?お仕事でここに来ているんだよ。泥棒なんかじゃないんだ』
「下手な芝居はやめなよ。おじさん。声色を変えたって、他の人は騙せても僕は騙せないよ」
少年はニヤリと笑みを浮かべて、懐から銃を取り出した。
人影はそれを見据えて、仕事という建前を続けるように動き出した。
『何を言ってるのかは分からないが、もう夜も遅いんだ。君はそろそろお家に帰りなさい。お巡りさんが――』
そう言い掛けた瞬間、建物内で乾いた音が鳴り響く。
人影は自分が何をされたか分からないまま、その場に倒れていった。
少年はその倒れた男に近付いて、手元でそれを遊ばせながら呟く。
「人間誰しもさ、自分の手を汚さずに幸せになろうとする奴も居るよね。あんたみたいなの、僕は結構嫌いなんだよね。ジェシカにはちゃんと、成仏したよって伝えておいてあげるよ。ね、ルクメールさん」
少年はそう言って、建物の外へと出た。
見上げたそれには大きな月があり、それを見て少年は静かに笑うのだった。
――綺麗だなぁ、と。
◆◆◆
「ん、んん……」
「あ、起きた!おはようございます、霧華お姉さま♪」
「???」
翌日。起きた霧華の前で、そんな挨拶をするマリアの姿があったのだった――。




