『憧れを抱き始めて』
『本当の彼女』そんな事を言われたら、私は見たくないとは言えない。
彼女は私の事を拾い、何も否定する事なく家に招いてくれた。命を救われた。
そんな命の恩人の本当の姿……それはいったいどんなものだろうと思いながら歩く。
彼女の主人である、目の前の背中に私は着いて行くのだった。
◆◆◆
ずっと……嫌いなものがあったのを覚えている。
だがそれはもう薄れていて、逆に好きなものが目に入ると気分が高揚する。
今ではもう、それは私の衝動となって身体を動かしていく。
「ぐぅ……わ、私の腕がっ……」
「歩く死体。そう思ったのは私の間違いだった。これ、ただの人間だ」
目の前で蹲るそれは、写真に写っていた男だ。
名前は『ヒューズ・スカーレット』といい、彼女の実の父親だ。
ニュースでは死んだと思っていたけれど、恐らく現場から移動したのだろう。
あの時ブルーシートに巻かれていたのは、誰だかは知らないが……。
「お、お前は誰だ。マリアは?私のマリアはどこに……っ!」
そう言った途端、動きを止めて私を見てくる。
いや違う。この視線は私に向けられたものではない。その奥に何が……。
あぁ、なるほど。その『マリア』が来たからか。
「ほら、マリア。帰ろう……私たちの家に……さぁ、マリア」
「い、いや、来ないで下さい」
元々彼女は家出をしてきた少女で、その理由がどうであれ親の元に返すべきだ。
私は保護者ではないし、そもそも人一人の人生を左右する事なんて出来ない。
横を通るヒューズは彼女に手を伸ばし、彼女はマスターの後ろへと隠れる。
「――その汚い手で、ジェシカに近寄らないで欲しいな」
「っ!?……私はただ、自分の娘を」
「僕にはそんな事関係ない。ただその子はジェシカを求めたし、その子もあんたの元へは戻らない様子じゃないか。なら僕は、ジェシカが決めた事を遵守するだけだ」
あんな彼の目は、今まで見た事なかった。
いつもニコニコとしている表情ではなく、全てを殺しそうな圧力を持った瞳。
だからマスターは、近付かれても動かなかったのだろう。彼が動くと知っているから。
「マリア・スカーレット?ここで選択しなさい。貴方が私の元で働くか、また彼の居る生活に戻るのか。二つに一つしか、生きる道はありません。キリカ……」
「はい」
「――これを飲んで、戦ってみなさい」
「……っ」
マスターが私に出したのは、二粒の錠剤。
その錠剤を目にした瞬間、マリアの表情が強張るのが一瞬見えた。
だがそれはどうでもいい。マスターが飲めと言ったのだ。私は飲むだけだ。
「分かりました。マスター……ゴクッ」
「……っ」
「では行って来ます。貴方は退いて、私に殺らしてくれるんでしょ?」
「はいはい。僕は元々戦う気なんてないよ。だけどキリカ、次は無い。近づけさせたら、君であろうと殺すから。そのつもりで」
「分かった」
言われなくても……それは分かっている。
私はただ、マリアがどう思っているのかを見たかっただけだ。
行きたくないと言うなら、保護するというなら私はそれに従うだけ。
そう思いながら、私は再び短剣を構えて標的を見据えるのだった。
◆◆◆
深い霧が出てきた夜道の中で、少女はその手に持つ凶器を振るう。
片腕を失った標的は、ただひたすら避けて逃げ惑うのみ。
その二人の様子を見る少女、マリア・スカーレットは目を見開く。
霧華と呼ばれるその名の少女の姿は、彼女の視界の中で赤い華を咲かせている。
マリアはそれに魅了されていき、心の中で彼女がこう呼んだ。
『お姉さま』と――。
「……ジェシカ、僕はそろそろ君の頼まれた依頼を終わらせてくるよ」
「ええ、お願いね。標的は分かっているの?」
「あぁ、それなら大丈夫。標的と僕、顔見知りだから」
「そう。なら頼んだわ」
そんな憧れを抱き始めた少女の横で、小さく交わされた言葉。
少女には届かなかったが、少年はその姿を霧の中へと消していく。
ジェシカは口角を上げて少女へ手を伸ばし、今度は彼女に聞こえるように呟くのだった。
「――そろそろかしらね」




