『微笑む彼女は妖艶な』
「キリカ、あれはどうしようか」
「私に聞かないでくれるとありがたい。皮膚が腐りかけてるし、目も血走ってる。正気とは思えない」
「同感だね。ナイフを使う所は人間らしいけど、それ以外は人間さの欠片もないよ」
『……あぁ。どうしてだ。どうして私を……』
血走った目は、まるで獣のように赤く夜道で光っている。
ぐったりとうな垂れたその姿勢には、どこからか不気味な空気を纏っているのが分かる。
初めて死体を見た記憶を思い出し、得体の知れない嫌悪感に襲われる。
「どうしたんだい、キリカ。震えてるかい?もしかして怖い?」
「……うるさい。あれを殺すのは私。余計な事はしないで」
「はいはい。仰せのままに、お嬢様」
スカートの裾に隠した短剣を構え、姿勢を低くしたまま対象へと走る。
首元に狙いを定めて、霧華は思い切り短剣を突き刺そうとする。だが……。
「避けられた?反射神経が高いのか、単純に反応が早いのか」
「おやぁ、キリカ。避けられちゃってるじゃないか。どうするんだい?」
「茶々を入れないで。今、考える」
短剣を構えたまま、もう一度狙いを定めていく。
頭から首、腕や足の関節へと順に視線を動かしていく。
視線を一つ一つ動かしていく霧華は、ただ一つの場所に狙いを絞った。
「(どうやら、終わるかな)キリカ、僕は先に依頼主の元へ行くからね」
「分かった。でもその必要は無いよ。すぐにおわ……?」
足を前に出した瞬間だった。
視界が左右に揺れて、標的の姿が一瞬霞んでしまう。
片手で顔を覆う霧華は、何で?と思いながら思考を働かせる。
『あぁ我が娘、マリアはどこへ……。おぉ、マリア、そこに居たんだね。さぁ、こっちへ』
「……っ!?しまっ。ぐっ!?」
目が霞んでしまい、スキが出来てしまった霧華。
足元の自由が利かなくなってしまい、いとも容易く男に首を絞められる。
「やれやれ。キリカ、手助けが必要なら言ってくれないかな?僕はまだ『手を出すな』と言われているからね。勝手な事はしないようにとしているんだけど」
「……ぐっ、う、るさいっ……」
「でもそのままじゃ、君――死ぬよ?」
「(死ぬ……私が?)」
目を細めた彼の言葉。
それは心臓を貫く刃のように、霧華の内部に突き刺さる。
ドクンドクンと脈を打ち、目の前で首を絞める相手の姿が変化していく。
黒く濃く、禍々しいく闇が蠢いている。それは『死』の恐怖。
かつて味わった事のある過去の出来事が、彼女の深層意識を侵食していく。
「――私は呪う。世界の狭間へと堕とされた時から」
『……マリア、私のマリ、ア……』
シャキン、と響く金属音。ボタッと何かが地面に落ちた音。
それが順に聞こえたのは、彼女のその呟きが聞こえた後の事だった。
地面へと降りる彼女の瞳は、闇の向こう側のように真っ暗な瞳をしていた。
「私は呟く。この世界を壊す事を夢見て……ふふふ」
『ぐぅあぁぁぁぁああああっ、私の、腕がぁ』
落ちた物は、彼の腕。
首を絞めていた片腕が落ち、泣き叫ぶように彼の声が夜道に響く。
◆◆◆
一方その頃、何も無い部屋へ来たマリは彼女に会っていた。
霧華の主人である彼女の主人である、ジェシカ・レーラは目を細めてマリを見つめる。
「あ、貴方は……?」
「私はジェシカ。貴方の話は聞いていますよ、マリア・スカーレット」
「どうして私の名前を」
「どうして?貴方の話はある者から聞いているのですよ。その者は霧華の身の回りの状況の報告という役割を持っています。その情報は、私に全て報告するようになっています。だから貴方の事も、貴方の家の事も全て知っています」
「私の……家……。私の家は普通のっ」
マリが、自分の家を『普通の家』と言おうとした時だった。
口角を上げて、ジェシカは笑みを溢す。
「それよりも貴方、私の下で働く気は無い?この薬物、良く出来ているわ。うふふ」
「そ、それはっ!」
「手癖が悪いのは謝るわ。けれどこれがあれば、恐らくは霧華の力を最大限の引き出せるはずだわ。貴方も見たくは無い?あの無表情でぶっきらぼうな彼女の本当の姿を」
「あの人の、本当の姿?」
「うふふ、着いてらっしゃい」
ジェシカは面白そうな玩具を見つけた子供のように微笑み、外へと出て行った。
マリは外に出る事を躊躇ったが、背後を振り返る彼女に魅せられ足が動く。
これがマリの人生を大きく変えた歯車でもあった。
「あ、あれは……」
「見て御覧なさい。あれが本当の霧華よ」




