『真夜中での遭遇』
ヒューズ・スカーレットという名前には覚えは無い。
だがしかし、そのスカーレットという姓には見覚えはあった。
今住んでいる屋敷で匿っている少女の名にも、スカーレットという姓が書かれていた。
依頼主の要求はこうだ。……ヒューズ・スカーレットを止めてくれ、という依頼内容だ。
「止めるって何?息の根で良いの?」
「君は平然と酷い事を言うね。まぁ間違っては居ないと思うんだけどね。少しばかり、問題があるんだよ。この依頼には」
「問題?」
彼が難しい表情を浮かべながら、そんな事を言った。
彼がそんな表情を浮かべる時は、本当に困ってる事がある時だけだ。
非常に珍しい状態だ。
「……うん。このヒューズって人、もう死んでるはずなんだ。この前のニュースと僕が話した事件の事を覚えているかい?あの被害者がスカーレット宅……つまりはヒューズ・スカーレットとその家族の事なんだ。いくら僕らでも、死人を殺すなんて事は不可能だ」
「ふーん……じゃあ辞める?この依頼」
「まさか。ただ相手を見つけない限りは、僕らは動けないと思うよ。でも見つけた時は……」
「そう。なら良いんじゃないかしら」
夜道を歩きながら、彼と私はゆっくりと街の中を進んでいく。
もう街灯の灯りが点いており、その時間は霧に包まれて人通りも少ない。
ここでもし残虐な殺人鬼に遭遇でもしたら、土地勘が無ければ逃げるのは難しいだろう。
まぁそもそもの話、その辺に居る殺人鬼に負ける気はしないが……念には念を。
「……?」
「キリカ、どうしたんだい?」
足を止めた私に間を空けずに問い掛け、彼もつられて足を止めてこちらへ振り返る。
少し前に居る彼の姿を見た視界に、私は違和感を覚えた。揺れているのだ、微かに……。
視界にあるあらゆる物が微かに揺れ、身体の特に足元や彼の姿が遠く見えるのだ。
蜃気楼か何かだと思ったが、太陽も出ていない真っ暗な闇。それは有り得ないだろう。
「ううん、なんでもない」
少し違和感を感じたが、やがてその症状も消え失せていった。
私はそれで納得したのだろう。この時の私は、そのまま暗い夜道をまた進むのだった。
◆◆◆
空になったカップを眺め、私は一人で屋敷の中を歩く。
この屋敷は広い。あの人が一人で暮らすには、贅沢過ぎるくらいに。
そんな贅沢は、私も味わった事が無い。
だからこそ、この屋敷の中を調べたいという探究心を抑える事が出来ない。
どういう部屋があって、どんな仕組みがあるのか。それが気になるのである。
「……えっと、こっちが上?いや下だったかな?」
密かに書き進めてきたこの屋敷の見取り図を見て、私は明かりも点けずに歩き続ける。
当てもなく、ただの好奇心だけを胸に抱いたまま。……そして私は、ある部屋を見つけた。
そこには不器用に造られた文字で、『キリカ』と書かれた扉があった。
私はその扉をゆっくり開け、部屋の中身を見た。
「……あれ?」
私はその部屋を見て、思わず目を疑ってしまった。
真っ暗な部屋には月明かりが差し込み、その中身が肉眼で簡単に確認出来る程明るかった。
でも明るい理由は、他にもあったのだ。部屋の中には何も……何も無かったのである。
『あら?こんな所で何をしてるのかしら、お嬢ちゃん?』
「――っ!?」
◆◆◆
夜道を歩いてしばらくした頃、私と彼の目の前に人影が現れた。
「ねぇキリカ」
「何?」
「あれって、何だと思う?人間かな?それとも僕らと同じ同業者かな?」
「知らない。斬って聞いてみた方が早い」
「斬って聞くって、死んだら話なんて出来ないじゃないか。生きる屍でも無い限り、それは有り得な……っ」
突然の事だった。その人影は、私たちを方へと走ってきた。
少し遠かった間合いが詰められ、その人影の正体が露わになっていく。
深い霧の中から現れたのは、さっき見たばかりの顔だった事を……私は良く覚えている。




