『その感情の行き先は?』
カチカチ、カチカチ……。
真っ暗な闇に染まった部屋で、少女はただぬいぐるみを眺める。
虚ろに、空虚に、空っぽに……。
足元に転がるぬいぐるみは、中身の綿が出てきて、無様な姿になっている。
少女はただそれを眺める。
カチカチと音を立てて、糸が切れて項垂れている人形のように佇む。
「…………」
そして次の瞬間、少女は持っていたカッターを逆手に振り下ろす。
真っ直ぐに、迷いも無く……。
ただの一言も口にせず、ただただ振り下ろすのだ。
その人形に付いていたネームプレートが、衝撃に耐え切れずに外れる。
そこに記されていた名前には、『マリア・スカーレット』と書かれていたのだった。
◆◆◆
「何でこんなボロボロに?」
「外に出てみたら、転んじゃって。お姉ちゃん、直せる?」
陽の光が差し込む屋敷の中で、朝早くから起きた私はそんな事を頼まれていた。
それはボロボロになったぬいぐるみの修理が出来るか否か、という事だった。
裁縫はあまり得意ではないが、ひと通りの手作業はあの人に学んでいる。
だから出来なくは無いが……。
「不恰好になってもいいの?あまり裁縫は得意ではないのだけど」
否定させてこの場を断るつもりだったが、それは甘い考えだったようだ。
彼女は何も迷わずに頷いてしまった。
この場を流す為の方便だったが、どうやら彼女には通用しないようだ。
ここは観念して、このぬいぐるみを直すとしよう。
「裁縫道具を持って来るから、貴女は朝食でも済ませて?多分、時間が掛かるから」
「はい!ありがとう、お姉ちゃん!」
彼女はぱあっと明るくそう言った。
今まで死んだ魚のような瞳をしていたのに、それを感じさせない笑顔だ。
「何か手伝う?」
「大丈夫。貴女は朝食を片付けてくれる?――今日は帰って来るから」
「ん?」
彼女に聞こえない呟きで、私は今夜の楽しみを口にする。
喜怒哀楽の表現が疎くても、それを感じる事は出来るようにはなった。
昔の私では、恐らくはこうなる事は無かっただろう。
これもあの人の教育のおかげだ。
「どう直そう。随分と派手に破けてる。中身も出ちゃってる……?」
ぬいぐるみを持ち上げてみると、微かな重みを感じるのだが……違和感がある。
人形にしては、重みがあるように感じる。
中身がほとんど出ているのに、ここまでの重量感は違和感が強すぎる。
まるで、鉄球でも持っているようだ。
「…………」
修理の様子を見ているのだろうか?
背中に視線を感じるが、手元に集中しなければ怪我をするだろう。
このまま私は、作業を続ける事にした。
◆◆◆
霧華が感じた視線の通り、少女は彼女の様子を眺める。
手元に集中している姿を眺めているが、その瞳は虚ろで細い目をしていた。
「…………(この人は、恩人だ。だけど、危ない匂いがする。――パパとも、ママとも匂いが違うけれど。でも、危ない匂い)」
マリは、自分の服の袖から出る物に視線を移す。
朝食を片付けている途中だが、これを飲み物に混ぜたら、彼女はどうなるだろう。
そうマリは考えていた。
「――出来たよ。マリ」
「っ!?あ、ありがとうっ」
咄嗟に掛けられた声に驚き、取ろうとしていた行動を中断する。
霧華はマリの隠した動作には気付かず、気にせずにぬいぐるみを差し出した。
マリはそれを受け取り、綺麗になった状態のそれを見て声を失った。
呆気に取られたと言ってもいい。
「どう?前の方が良かった?」
マリは小さく首を左右に振り、綺麗になった人形を強く抱き締めた。
嬉しさの中で、少女はそれを抱きながら奥歯を噛み締めるのだった――。




