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売春都市の特性上、メインストリートにあたる部分には、ナイトクラブや風俗店がひしめくことになる。そこに申し訳程度に酒屋などの飲食店、銀行もここにある。服飾店、雑貨や日用品を扱っている店は必然的にメインストリートから離れた場所に店を構えることになる。
夜はメインストリートが賑やかだが、昼間の日が高いうちは閑古鳥が鳴くことになり、逆に裏道は大いに栄えることになる。とはいえ、昼間からここを闊歩する人間がいないわけではない。麻薬の売人などは既に堂々と店を開いているぐらいだ。大体が決まった場所で煙草をふかして携帯片手にぼうっとしているだけだが。この都市の外ならすぐにでも捕まってしまうだろうが、ここではそんな心配もない。警察機構は存在していないし、麻薬を禁止するルールもないからだ。だが、たった一つ、ルールに抵触する行動がある。麻薬を強制した・・・・・・特に子供相手にした場合だ。そうなれば、この都市の免疫機構が動き出すことになる。ばれた瞬間に、射殺が確定する。それを執行するのは、私の所属する警備部の仕事になるわけだ。他にも暴力や、暴力を背景にした代金に踏み倒しなんかも処罰対象になるから、ここで暴力系の問題が起こることはほとんどない。やらかすのは新参者ぐらいだ。
何せここには穏当な逮捕なんて行動は存在しない。警備部は軍事組織だし、その制裁は単純明快で苛烈だ。治外法権ではあるが、ルールがないわけじゃない。ただ、最低限のルールさえ守っていれば、すべての欲望は肯定される。むろん、金があればであるが。
私は周囲をそれとなく見回しながら、レイチェルに手を引かれるままに歩いていた。
ここには、様々な人種が集まっている。アジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系、ラテン系なんかもいる。それぞれがそれぞれの理由を抱えてここに集まっている。大半は女子供だ。その中に混じる男は女のヒモか兵隊か男娼だろう。トランスジェンダーの姿もある。ここは性別で誰かを判断することはない。もちろん、年齢でも。
ある意味ここは、人種の坩堝で、あまりにも平等だ。
路地で紫煙を吐き出していた少年が、レイチェルの姿を認めて近付いてきた。
「レイチェル! 今日は仕事じゃねぇのか?」
「今日はお休みをもらったの。・・・・・・あ、シッタちゃん、彼はカシム。昼は売人で夜は街娼をしたり男の人に女の子を紹介したりしてるの。この子はシッタちゃん。昨日この街に来たのよ」
「ふぅん・・・・・・」
カシムと呼ばれた少年は私の姿を上から下まで嘗め回すように見た。僅かに不快感を覚える視線で、私の眉尻が自然に一度ほど上がったのを自覚する。
「貧相だなぁ。・・・・・おい、幾らだ?」
「・・・・・・六十ドルでいいよ」
「お、安いな」
「え、シッタちゃん? 意味わかってる?」
「解ってる。こいつ私の商品を買いたいんでしょ? 少し離れて」
レイチェルを下がらせて、カシムに笑みを向ける。カシムはにやにやと笑いながら六十ドルを私に手渡してきた。私をそれを受け取ってレイチェルに渡す。それを見届けて、カシムは馴れ馴れしく私の肩に手を回してきた。
「じゃあ行こうぜ」
「その必要はないよ。ここで充分だ」
「は?」
疑問符を浮かべるカシムの手首を捻りあげ、体勢を崩してやり腹に膝蹴りをぶち込む。げぼ、と反吐を吐いてカシムは道路に蹲った。
「聞け、カス。私の商品は暴力。いま見せた。気持ち良くしてやるから、早く立て。まだ一分も経ってないぞ。六十ドル分、しっかり遊んでやる」
「てめぇ、このガキ・・・・・・」
「得物も自由だから、遠慮しないでいい」
「言ったな・・・・・・後悔すんなよ!」
懐からナイフを抜いて、カシムが吠えた。その顔は小さな女に辱められた羞恥で赤く染まっている。無論、怒りもあるのだろうけど。
カシムはぶん、と大きく腕を振り上げて切り付けてきた。私は引かずに一歩踏み込んで、頭上に片腕を掲げ、空いた腕で腹部に体重を乗せた肘をねじり込み、そのままさらに一歩を踏み込む。途端にカシムはバランスを崩して、地面に倒れ込んだ。ナイフを持った腕を捩じりあげ、ナイフを奪い取り、間合いを取る。
「ぐぅ、げぇ・・・・・・」
「まだまだ。ほら、返す」
ナイフをカシムの目前に向けて投げ捨てる。痛みでうつろな瞳のままカシムはナイフを手に取った。そのままよろよろと立ち上がる。
不用意に近付けばまた同じことになると悟ったのだろう。ナイフを前に突き出しながら、じりじりと私の周囲を円を描くように動く。
私はあくびを漏らして、全身から力を抜いた。背後から地面を蹴り上げる音が響く、私は後方に一歩踏み込みながら一気にしゃがみ込んだ。私の背中をカシムが回転してすっ飛んでいく。無様に地面を転がるカシムの手を蹴りつけ、ナイフを弾き飛ばし、そのまま顎につま先を食い込ませる。がくんと白目を剥いて、カシムの全身から力が抜けた。
腕を掴んで抱え起こし、鳩尾に拳を叩き込む。
「げはっ!」
「まだまだ。ほら、もっと」
・・・・・・やはり同年代ぐらいでは相手にもならないか。まぁもうしばらくストレス発散に付き合ってもらうことにしよう。二度と、なめた口をきけないように教育しつつ、だが。
しばらく・・・・・・実際には三十分ほど甚振ってやったところでレイチェルからストップがかかった。ぐすぐすと無様に泣き崩れて体を震わせているカシムを慰めているレイチェルを横目に、いつの間にか集まっていたギャラリーから頂いた未開封の水のペットボトルに口をつける。
「なん・・・・・・」
「ん?」
「なんなんだよ、お前!」
「私は・・・・・・・別に何でもないと思うけど」
私は孤児である。何の能もなく、生きることだけで精一杯の孤児だ。そのくせ凶暴で、手が付けられず、暴力を振るう手段を身に着けた厄介者だ。
「ただの孤児だよ、孤児」
「俺は喧嘩で負けたことなんかない! お前みたいなちっこい奴なんかに!」
「あー・・・・・・それ。・・・・・・私はもうだいぶ殺してきたから。数えてないけど、もう十何人ぐらいは殺してると思う。私の仕事はね、さっきも言ったけど、暴力を使うことだから。分からず屋を黙らせたり、必要ないやつを始末したり、守ってほしいって言ってきたのを守ってやる仕事。そうだねぇ、場数が違うんだよ、場数が」
私が相手にしてきたのは大人ばかりで、その中で必死に我武者羅にやってきたのだから、そこら辺の喧嘩しかしたことがない輩に負けるわけがない。とはいえ、それも絶対じゃないことを私は知っている。ほんの少しの油断、小さな不調で、誰であれ殺し合いの中で死んでいくのだ。私は誰よりも小さくて弱かったので他の人ととは比べ物にならないくらい死にやすかった。今でもそうだけど。
「でもまぁ・・・・・今日は少しやりすぎた。ごめんね」
「くそぉ!」
「もうシッタちゃん! 挑発しないの! まったく、カシムも! こんな小さな子を買おうだなんてバカなの!? ぶっ飛ばすよ!」
「もうぶっ飛ばされてるじゃねぇか! 冗談だよ、冗談! ちょっと脅かして揶揄おうと思っただけだよ!」
「お金まで渡しておいて・・・・・・?」
「だってよ、そうしないと真実味がないだろ・・・・・・」
レイチェルは額に手を当てて、本当にバカなの、と小さく呟いた。
「たちの悪いいたずらをしないの。もう・・・・・・」
「すまん・・・・・・」
「ごめんね、シッタちゃん。許してあげて、バカなの、こいつ」
「・・・・・・別にいいよ。指導の代金は貰ったし」
「え、返してくれねぇの・・・・・・?」
「は? 返してほしいのか?」
「・・・・・いえ」
刷り込まれた恐怖と痛みは、人を従順にする。
いつかそれを凌駕することができる時まで。
いや、返してほしいと主張すれば返してやってもいいのだが。それは、今の彼には難しいだろうから、結局返さないのだけど。
とにかく、とレイチェルは仕切り直すように言って、カシムを引っ張って立たせた。
「こいつに案内させるから。私は男の子みたいな恰好をしたことがないから、お店解らないし」
「え。俺仕事中・・・・・・」
「どうせ街路に立ってぼーっとしてるだけでしょ。あんたの仕事は、夜が本番でしょうが」
「や、クスリさえ売れれば夜立たなくてもいいんだけど・・・・・・それに散財しちゃったし・・・・・」
「困るなら余計なことしない!」
「・・・・・はい」
二人の姉と弟のような会話を横目に眺める。あんな風に振る舞えたことがあったか考える。私は末っ子だったが、あんな風に怒られたことも怒ったこともない。私たち兄姉妹はそんな風に振る舞う余裕なんてなかった。生きるのに必死で、何とか食べてきていた。無駄なことをする余裕なんてなかった・・・・・ああ、それは今もか。
茶番を見ているのも飽きた。
「早く行くぞ」
「あ、ごめんね、シッタちゃん」
「・・・・・俺も行くの?」
「好きにしろ。・・・・・・・今なら商売も出来るかもね」
周囲をまださっきの騒ぎの際に集まった人間がうろついている。何かを売りつけようと思ったら、売れるかもしれない。
「ああ、あいつらは金ないからダメだ。・・・・・・いいよ、どうせここにいてももう商売出来ない。諦めて夜立つよ」
「すぐに決められるのはいいことだな」
そうかぁ、と呟いてカシムはのろのろと歩き始めた。私たちはその背中を追うようにして地面を踏んだ。