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ポケットの中のビスケット  作者: 葦原葛西
天使は名前を棄てる
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5

 私は、兄から目をそらした。再び周囲に視線を巡らせ、今度は音にも集中する。薄い扉、そして壁越しから女のすすり泣く声が聞こえる。鼻を引くつかせれば、男女の強烈なにおいが嗅ぎ取れる。商品の品定めをしている連中がいるということだろう。この部屋にもその残り香がある。兄は、どうやらまっとうな商売をする気がないらしい。

 奪うのは別にいい。買い取るのも悪くない。誘拐も別にいいだろう。拉致でもいい。商品をどんなルートで仕入れるかは、その人次第なのだから。それでも商品を傷つけていいわけではない。価値が下がってしまう。それが理解できていないのなら、商人としてはどうしても格下だと言わざるを得ない。こんなんじゃまともに売れたこともないだろう。それは稼げないということ。困窮しているということ。


「・・・・・お兄ちゃん」

「なんだ?」

「ここには何人ぐらいいるの。お兄ちゃんの仲間は」

「今は・・・・・・六人ぐらいだが・・・・・・なんだ、どうしてそんなことを知りたがる」

「ううん。別に。なんとなく気になっただけ」


 六人。私が認識出来ない場所に三人がいる。それは未知の可能性で、私がここを出るときの妨げになる。場所を掌握して、逃げる算段を立てないといけない。武装は、全員が小銃を持っているのは間違いない。兄の小銃に目をやると、所々に錆が浮いている。硝煙のにおいはあまり感じられないから、あまり撃ってはいないし、整備に気を回してもいない。AKは頑丈で優秀な銃だ。多少整備しなくとも使える。けれど、それを使う人間がどの程度なのかは、小銃を見ればわかる。

 素人だ。

 私の目はそう判断した。

 実際、私はもう数度兄を殺せた。

 殺さないのは、ここでやってもメリットがないからだ。だから、私は微笑む。家族に向ける、安堵の笑みを見せつける。私はここでなんとかなると信じたのだと兄が信じるように。

 人間は見たいものしか見ない。私もそうだから、わかる。

 しばらく兄と雑談したあと、私は元の部屋に戻された。金髪女の姿は見えない。・・・・・・ああ、すすり泣いていた女の声の一つはあの女だったか。大人の女--私から見ればだけど――の姿がだいぶ減っている。死んだような眼の女が二名、壁をじっと見つめている。

 私はそれを横目に壁に背中を預けて目を閉じた。泣き声が聞こえないのはいいことだ。ゆっくり眠れる。


 目を覚ますと、女たちが戻ってきていた。泣き声が耳朶を打つ。鬱陶しいと感じながら、私は金髪女のほうに目をやった。さすがにぐったりとしているようだったが、私の視線に気付くと、ゆっくりと近付いてきた。内股を痛そうにしているのが見て取れた。


「痛いところはない?」

「・・・・・・ないよ。あなたは?」

「私は・・・・・・大丈夫」


 自分のことより私のことが心配、と。嬉しい限りだが、今この状況で優しさを見せられても一銭の得にもならない。大丈夫だというならば、話をすることにしよう。


「ねえ、教えてほしいことがあるの」

「・・・・・・何かしら」

「この建物の構造とか、見張りはいた、とか。どこに詰めているの、とか」

「・・・・・・何をする気?」

「説明、できるの。それともできないの? どっち」

「できるわ。出来るけれど、あなたの真意がわからない」

「真意って・・・・・・そりゃあ逃げる算段だよ。いつまでもいつまでも酷い目にあい続けたいのなら別だけど、逃げれるのに逃げないのは、変だよ」

「・・・・・・逃げられると思うの?」

「出来るよ。あなたは・・・・・・・小銃を使える? Akだけど」

「残念ながら撃ったことはないわ」

「ふぅん。わかった。じゃあ、レクチャーする。・・・・・・ああ、そうだ。これを聞かなきゃ。一緒に逃げる気、ある?」


 私はじっと金髪女を見据えた。女の躊躇いがその瞳に見て取れる。けれど、女は頷いた。子供の戯言だとでも思ったのだろうか。とりあえず同意しておこうと。

 ならばそれでいい。私はやるようにやる。

 スカートの中に手を突っ込み、小さなナイフを取り出して、拘束を解く。女の分も周囲に見えないように解いた。金髪女はそれに驚いたような表情を浮かべて、私とナイフを見比べていた。


「まだ拘束されているふりをしていて」


 女の唇に人差し指を置いて、私はナイフを隠すように握って壁に背を預けた。目を閉じる。食器を運ぶ音が廊下から聞こえてくる。私はゆっくりとドアが開くと陰になるような場所に移動して、耳を澄ます。足音は二つ。ばらばらのタイミングで動いている。訓練されていない歩き方。あるいは、油断している歩き方。

 扉が開く。入ってきたのは、足音ひとつ。

 私はドアを閉めて、その背中に飛びかかった。

 腎臓に一撃。抜いてさらにもう一回念のためにぶち込む。ナイフを抜いて、膝裏を切り付ける。男はあまりの痛みに声も出せずに床にどぅと倒れこんだ。背中に飛び乗り、頸部の肉を切り取る。びゅーびゅーと心臓の鼓動に合わせて血が壁を真っ赤に染め上げた。


「騒ぐな、黙れ、殺すぞ」


 悲鳴を上げそうにしていた子供と女どもを威圧する。


「・・・・・黙ってたら、助けてあげるから。いいね? わかったね? わからないやつは殺すよ。私の言うことを聞けないやつも、殺す」


 ぐっと悲鳴を抑え、子供と女どもは黙り込んだ。金髪女も唖然としている。私をそれを横目に、そっとドアを開けた。もう一人の姿はない。足音も聞こえない。


「そのまま大人しくしてて。もう一人を始末してくるから」

「待ってっ」


 金髪女を睨み付ける。私が言ったことを理解出来ていないのだろうか。そんなに死にたいのだろうか。この建物を掌握している金髪女がいないと私も困るが、それはちょっと苦労が増えるだけでしかない。だから、金髪女は殺してもいい。

 優しくしてくれたから、拘束を解いただけに過ぎないのだ。


「黙って、待ってて。話はあとで聞くから」


 私はドアの外に出る。同じタイミングで男が隣の部屋から出てきた。私は駆け出して、男は硬直していた。それが命取りになるとも知らずに。間合いを一気に詰めて、男の太ももを切り裂き、そこで方向変換し、膝裏を回し蹴りで打ち抜く。子供の力でも傷と場所を間違えなければ大人を崩すことはできる。崩れた背中に飛び乗り、喉をナイフで突く。抜いて鎖骨に突き立てる。抜いてわき腹を刺す。抜いて、傷口を抑えようとする手を切り裂いて、背中から飛び降りた。びくびくと痙攣する男を見下ろし、息を吐きだしながら、部屋に戻る。

 金髪女に命じて、男の死体を部屋に投げ込んだ。


「・・・・・・あなた、なにしたかわかってる?」

「逃げるための必要な犠牲を出した。それだけだよ」


 私はそれ以上の説明を必要だとは思わない。結果はもう出てしまっている。逃げるためには誰かを処理しなければならないし、誰かがそれをやらなければならない。そして、その誰かの役を私が引き受けただけだ。結果的に、だが。

 しかし、相手が訓練を積んだ相手だったらここまでうまくはいかなかっただろうと思う。私はイライラして雑に動いていた。


「・・・・・私は私の命が一番大事。でも、私は私を奪おうとされるのが嫌い。だから、抗う。これはその結果だよ」

「・・・・・・」

「納得できないなら、その部屋にいればいい。私は、出る」


 止めるなら殺す。

 金髪女が何か言おうとした瞬間、からからと何かが廊下を転がってきた。私はそれを見た瞬間に伏せて両耳を抑え、口を開けて、目を閉じた。大音量と光が周囲の空間に満ちた。衝撃が体を打って、私は息をするために喘いだ。金髪女がどうなったとか、そういうことは一切考えず、じっと動かずにいた。地面からは軍靴の音が聞こえてくる。静かに早く、最低限の動作で何かが近付いてくるのがわかった。


「・・・・・・シッタ。起きろ、もういいぞ」

「・・・・・・」


 そろそろと目を開けると、知った顔が煙草に火をつけるところだった。


「エイハブ兄さん・・・・・・どういうこと」

「救出作戦だ。お前のじゃないぞ」

「それは知ってる」


 あの男がそんな手間をかけるとは思えないし、そもそも私が音信不通になってから一日も経っていない。そして、私を救出するためにあの男の持つ最強のカードの一つであるエイハブ兄さんを投入するわけがない。あの男の最初の教え子であるエイハブ兄さんは特殊作戦執行部隊の隊長だ。そのエイハブ兄さんはなぜこんなところにいるのだろうと疑問に思わないわけがない。


「お前が間抜けをこいたのは知ってるし、GPSで居場所も知っていた。が、別に捕まったのはお前のミスじゃないし・・・・・・お前なら自分が来なくても逃げ出せただろう。・・・・・・捕まった状態で二人殺したな。よくやった。上手にできたじゃないか。偉いぞ」


 エイハブ兄さんは精一杯の笑みを作って、私の頭を撫でた。感情がすとんと抜け落ちてしまっているエイハブ兄さんが作り物でも笑おうとするなんて、これは割と本気で褒められているらしい。

 ちょっと嬉しい。


「・・・・・・で、目的は?」

「そこのフランス人の救出だ。ま、暴行は受けているようだが、軽症だ。紛争地帯で誘拐されてレイプで済んだなら安いものだ。どこも欠損してないし」

「ああ、あの男の用事ってそういうこと」

「うん。救出作戦のプレゼンだ。自分たちは彼女が誘拐されてから三日後には訓練を開始していた。GOサインを待っていた状態だな」

「・・・・・・そんな重要な人物なの?」

「いや、ただのNGOの代表だな」

「・・・・・・そんなもの助ける価値が?」

「そんなものでも国民は大事なんだ。たとえ自ら死地に飛び込んだとしても、他者のために尽くす誰かを見捨てることはできないんだよ。愚かだが、仕方ないことだ。それに身代金を払うよりも、国の部隊を動かすよりも自分たちを使ったほうが安価で確実だと思わせることができた」

「ああ、それでプレゼン。仕事増えたね。やったね」

「そうだね。仕事があるのはいいことだ」


 満足そうにエイハブ兄さんは頷いた。私に拳銃を渡しながら、煙草を床に投げ捨てて歩き出す。私はそれについて歩く。誘拐されていた子供と女たちを別の数人が無言のままきびきびと外に連れ出していく。私は背後の音を聞いてそれを知った。彼女たちと生きる道も場所も違う。一緒に行く必要はない。道すがら、私は私の間抜けの理由を説明した。エイハブ兄さんはそれに明らかに不快そうに眉をしかめた。


「なるほど。殺されていたか」

「うん。データは破棄して、念のため私も武装を解除した。その時に誘拐されて、今ここ」

「ナイフ一本で正面から戦うのは無謀だな。よろしい。理解した」

「ところで、どこに行くの?」

「ああ、あと始末だ。クライアントからは、誘拐犯の処分を頼まれている。その証拠を撮影しないといけない」

「ふぅん」


 面倒だな、と思いながら私はエイハブ兄さんに手渡された拳銃を点検する。問題なし、と呟いて腰のベルトに拳銃を差し込んだ。

 エイハブ兄さんは、工場の機械が置かれていたであろう広い空間に足を踏み入れた。四名が拘束されて跪いている。四人は一様に怯えていて、中にはガタガタと震えている者もいた。その様子をハンディカメラで撮影しているのが見えた。エイハブ兄さん以外はみんなバラクラバをすっぽりとかぶっていて顔を見えないようにしている。


「二名は始末されていた。こいつらも処理する」

「了解」


 エイハブ兄さんの冷徹な声に、淡々とした声が重なった。拘束された四名は震えあがり、そのうちの一名の視線が私に突き刺さった。


「た、助けてくれ『●●●●●』!」

「・・・・・・シッタ、知り合いか?」

「ん? さぁ」

「な、なあ、そ、そんな! 兄ちゃんを助けてくれ! 俺だけでいい、一人ぐらい見逃してくれてもいいだろ!」

「・・・・・・エイハブ兄さん」

「ん?」

「私がやっていい?」

「構わない。だが・・・・・・うむ。一人ぐらいなら生かしてやってもいいぞ」

「それは契約違反だよ、エイハブ兄さん」


 私はおもむろに拳銃を抜いて、喚き立てる男を見据え、引き金を絞った。腕にかかる反動、衝撃。がくん、と男の頭が後方に跳ね上がり、そのままどぅと地面に倒れた。そのまま流れるように全員の眉間を一発で撃ち抜いて見せた。


「お見事。良い腕だ」

「ありがとう」


 安全装置をかけて、腰に拳銃を突っ込む。

 その間にほかのメンバーは淡々と死体を集めて、全員の顔をもう一度舐めるようにカメラに捉えていく。エイハブ兄さんはそれを横目で捉えた後、踵を返して歩き始めた。私はそのあとに続いて工場跡から離れていく。


「殺された社員のことだが、調べることになると思う。しばらく事情を聴かれるだろう」

「うん、わかった」

「早急にそれを行った犯人を見つけ出し、処理する。そいつは我々の敵だ」

「うん」


 親しくはないが同僚だった誰かを思い出す。必ず報復は実行されることだろう。私も担ぎ出されるかもしれない。それでもいい。敵は排除しなければならない。私の自由を侵そうとした敵だ。必ず殺して見せる。あと、初めてのお使いを台無しにされてのも気に食わない。

 これではまるで私が出来ない子みたいに思われてしまう。

 絶対に挽回しないといけない。

 ああ、余計な手間ばかり増えていく。億劫だな・・・・・・そう思いながら、私は盛大にため息をついた。

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