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ポケットの中のビスケット  作者: 葦原葛西
天使は名前を棄てる
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4

 私は深くヒジャブを被り、中央アジアの大地を踏み締めていた。

 注意深く周囲を見渡しながら。ゆっくりと目標地点に向けて進む。今日は男の姿は近くにない。男は別件でヨーロッパに向かっていた。どうしても外せない商談があると言っていた。いつもであれば部下に任せる案件ではあるのだが、問題が起こったとも。

 なので、今回は私一人である。男の下で学んで一年経っていて、「初めてのおつかい」ぐらいはこなせる、と男が判断したのだ。最低限、身を守れるぐらいにはなっていると。とはいえ、今回のおつかいはここに潜伏している反政府勢力に接触するために駐在している男の部下に会う、というものだ。託されたUSBを渡せば私のおつかいは終わる。あとは男が合流するのをその部下が借りているアパートメントで待つだけだ。

 待つだけだったのだが、結論から言って私のおつかいは失敗してしまった。

 男の部下は殺されていた。酷く暴行を受けたようで顔は腫れ上がっていて、体中に打撲痕があり、腹と手足、それと致命傷になったであろう眉間に銃弾が撃ち込まれていた。室内には荒らされた、というよりは抵抗した形跡があって、散々に荒れてしまっている。情報を探られたのか、それともただの物取りなのか判別はつかない状態で、私は一瞬呆けてしまっていた。

 ドアを閉め、踵を返す。慌てた様子は見せないようにしながら、その場を去る。・・・・・つもりだった。私の立ち位置はひどく微妙だ。これが政府側の仕業であったなら、男の部下に接触しようとした私は子供といえど何がしかの情報を持っていると考えられるはずだ。捕らえられたらまずい。実際、私は情報を持たされてしまっている。これがただの物盗りであったのなら私の危険度は低い、と考えていい。あの様子ならば犯人はすでに逃走してしまっている。

 舌打ちをして、家屋の前に置いてある水瓶の中にUSBを放り込む。とりあえず懸念材料はこれで一つなくなったわけだ。ポシェットの中にある拳銃も取り出して、適当な路地裏に放り込む。私は、子供だ。何も持っていないほうが警戒されない。が、苦渋の決断だった。まるで裸で獣のいる外に放り出されたような気分だ。いや、実際放り出されたのだ、今この瞬間。人間の欲望という獣が徘徊する世界に。

 大通りを歩き続けるか、それとも路地裏に入るか迷って、私は路地裏に入った。

 男が立っていた。

 顔だち格好で地元民ではない、ということは解った。だが、そこまでだった。後ろから羽交い絞めにされた。強烈な力で持ち上げられ、足が地面から離れる。体を揺すってみたがびくともしない。やられた。私はどこから尾行されていたのだろう。あのアパートからか? 追跡可能性を潰すのを忘れていたのだ。重大なミスを私は犯してしまっていた。

 がっくりと項垂れて、私は全身から力を抜いた。余計なことをして体を傷つけるわけにはいかない。それは次点の策の選択肢の幅を一挙に狭めてしまう暴挙だ。力を温存して、次に備える。

 私は入ってきた場所に止まった幌付きのトラックの中に放り投げられた。改造されているのか、後部座席には何もなかった。正確には私と同じような子供と女、それと武装した大人が一人いた。すすり泣く子供たちの間に私は転がされた。剥き出しのフレームに頭が擦れ、皮膚が切れて血が流れた。手足に捻挫はなさそうだ。

 私は呻きながら体を起こして、そっと周囲を見渡すふりをして、武装する男を見た。正確にはその武器。AK47・・・・・くそ、私にはまだ重すぎる。拳銃を携行している様子はない。

 子供たちは怯えて、一塊になって震えている。女は泣き腫らした目を床に向けていた。手足をタイラップで締め上げられていて逃げられそうになく、暴れたくともそのノウハウを持っていないだろう。ぶっちゃけ手足が自由でも、暴れられたとしても、最初の混乱は期待できるが戦果は期待できない。人間一人ぶち倒せないだろう。子供は言わずもがな。・・・・・・大人しくするべきなのだろう。私は子供のグループに混ざることなく、一人で壁に背中を預けて、立てた膝に顔を埋めた。どうなるかは、神のみぞ知る。が、私は神を信じていないので、どうなるか考え続けることにした。


 トラックは数時間ほど走って、動きを止めた。私は、トラックに乗り込んできた男に乱暴に外に投げ捨てられた。地面に肩を強打し、痛みに呻きながら唇を噛み締めた。他の子たちは盛大に泣き叫んで、男たちに殴られ、強制的に黙らされた。女の扱いは微妙に丁寧だった。・・・・・・もしかしたら、こいつら奴隷商人かもしれない。

 女は慰み者として、子供は労働力として売れる。たまに子供を性処理に使うものもいる。もちろん高く売れる。ここら辺ではよくあるビジネスだが・・・・・・あそこまで堂々と拉致をするのも珍しい。

 移動しろと言われて、私は大人しく従った。その間に今何人いるのか確認しておく。五人。全員武装している。一人だけ拳銃を持っているが、あれがボスだろうか。私は両手をタイラップで縛られて女たちがいる部屋に押し込まれた。男の子たちは別の部屋に連れていかれたようだ。まぁ、男女で価値は違う。あと、個別に連れていかれた子供が二人いる。おそらく裕福な家の子で、あれらは身代金目的に誘拐されたんじゃないだろうか。

 部屋はそんなに広くない。子供は私を含めて六名。女は最初からいたのが五名ほど。私と一緒に連れてこられた女は三名。子供はすすり泣いたまま、部屋の中央にへたり込んだ。最初からいた女のうち四名は死んだよう目で虚空を見つめ、壁にもたれかかっている。一人だけ、思考を巡らせているような顔で、ドアを睨んでいる。

 私は、その女に近付くことに決めた。


「教えてほしいんだけど」

「・・・・・え?」


 女は金髪で、この辺りの人間じゃなかった。格好も違う。活動しやすそうなパンツ姿だ。


「ここ、どこかわかる?」

『えっと・・・・・・ごめんなさい、あんまりあなたたちの言葉は解らないの』

「・・・・・・英語はできる?」


 私は現地の言葉から英語に切り替えた。この一年であの男に教わったから、それなりに喋れる。女が喋っているのは英語じゃないから、これも通じないかもしれないと思った。


「ええ、それは。・・・・・・あなた、英語喋れるの」

「うん、少しだけ。ここ、どこ?」

「ごめんなさい。私も解らないの。どこかの工場なのは解るんだけど、詳しい場所は」

「・・・・・・そっか。じゃあ、なんでこんなところにいるの? どこの人?」

「私は、フランスから来たの。NGOでね。・・・・・・フランスがどこかは解る?」

「ヨーロッパだよね。ここからずっと西に行ったところの国」


 そういえば、あの男もヨーロッパに向かっていたはずだ。


「そう。物知りね」

「ちょっとだけ勉強したから。・・・・・・あの男たちは何か解る?」

「犯罪者ってことぐらいしか」

「・・・・・・ってことは、奴隷商人で間違いないね」


 ふぅ、と安堵のため息を漏らす。政府の人間がこんなところを根城にするわけもなし。とりあえず、余計な心配をすることはなくなった。さすがに現行政府と戦うのは辛い。


「・・・・・・あなた怖くないの?」

「・・・・・・?」

「ふつうはああいう風に泣いちゃうものなんだと思うけど」

「泣いたってなにも解決しないよ。泣く体力があるなら、もっと他のことを考えた方がいい」

「ふつうはそんな風に切り替えられないと思うわ」

「ふつうって何?」

「・・・・・・・」

「・・・・・・人生は選択の連続で、選択をしなければ死ぬだけだって、私は教わった」


 私はその選択を一度間違ってしまったが、巻き返すチャンスを与えられた。生き残れるならば、そこに全精力をつぎ込むべきだ。この女だってそうしようとしていたのではないだろうか。諦めず、泣かず、どうにかしようと思っていたから、ドアを睨みつけていたはずだ。残念ながら、その方法を思いつけないだけで。

 さてどうしようか。前手で緊縛されているから、何もできないわけじゃない。

 その思考がまとまる前に、ドアが開いた。顔をマスクで覆った若そうな男が私を見て、身を強張らせた。眉を歪ませながら、若い男は私に近付いて私の腕を取った。来い、ということなのかもしれない。私は大人しく立ち上がったが、同時に私の隣にいた女も立ち上がった。


「待ちなさい! その子はまだ子供よ!」

「・・・・・・」


 若い男はそれを無視して、私を引っ張る。タイラップが皮膚に食い込んで痛んだ。行こうとする私の前に割り込むように立って、女は若い男を睨みつけた。背丈が同じぐらいだから、正面で睨み合うような形になる。若い男はそれでも女を無視して私を引っ張った。・・・・・・やめてほしい。引っ張らなくても私はついていくし、痛い思いはしたくないので、女には黙っていてほしいのだが、女は強情に私の前に立っている。


「あなたはっ!」

「・・・・・・・っ!」


 痺れを切らした若い男が女を殴ろうと手を振り上げたので、私は女の膝裏を蹴った。体勢を崩して女は倒れこみ、若い男の手は空を切った。


「大丈夫だから、黙ってて。・・・・・・商品を傷つけちゃだめだよ。お兄さん」

「待って、ダメ!」

「大丈夫。だから、黙れ。手が痛いんだ」


 女を睨みつけて、私は若い男の太ももを肩で軽く押した。その意思表示に意味が伝わったのか、若い男はため息をついて、女を一瞥した後、私の手を引いて部屋の外に出た。


「待って、ダメ・・・・・・」

「慣れてる」


 部屋を出る前に聞こえた女の声にそう答えて、私は若い男を見た。どこか苦悶に歪んだ表情を浮かべて、私を見下ろしていた。

 若い男は仲間たちの目を避けるように、私をベッドだけがある狭い部屋に連れて行った。壁にAKが立てかけてある。それを横目で確認したところで、若い男は私からヒジャブを取り上げた。誇り臭い空気が私の顔を撫でていく。


「やっぱり・・・・・・くそ。何やってんだ、お前は・・・・・・!」

「? 何言ってるの」

「お前、俺のこと忘れたのか?」

「顔見えない。わからないよ」


 若い男は小さくため息をついて、マスクを取った。見知った顔が、そこにあった。


「お兄ちゃん?」

「なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか・・・・・・」


 音信不通になっていた一番上の兄がそこにいた。

 兄は私にベッドに座るように促して、それから私に家族のことを聞いてきたので、正直に全部話した。家族のことだけを。


「・・・・・そうか。母さん、死んだのか・・・・・・お前、どうやって生きてきたんだ」

「それを、聞くの」

「いや・・・・・・すまない。苦労したんだろ。ごめんな」

「・・・・・・ねぇ、どうして連絡をくれなかったの?」

「連絡はしていた。仕送りもしていたさ! 母さんが受け取ってくれなくなったんだ」

「・・・・・・ふぅん。まぁ、でも、生きてて良かった。もう会えないと思ってた」

「ああ・・・・・・・あ、すまん。いま、楽にしてやる」


 そう言って、兄は私の手首からタイラップを取り去った。ようやく自由になった手首をさする。タイラップの跡が残っているが、すぐに消えるだろう。

 ため息をついて兄を見る。母が兄の仕送りを拒んだ理由は簡単だ。奴隷商人の汚い金など受け取る気にもならない、といったつまらない理由だろう。金は金だ。どんな方法で稼いだとしても。人殺しで稼いだ金と奴隷商人の金に優劣などない。金は金だ。そこで区別するから貧困に喘ぐことになるのだ。どうせまっとうな方法では金は稼げないのだから。


「お兄ちゃん、これから私をどうするの?」

「・・・・・・このまま行けばどこぞの誰かに売られることになるだろう」

「そっか。しょうがないね。捕まった私が間抜けだっただけだから、気にしないで」

「待て、待ってくれ! 何とかする。何とかして見せるから、諦めないでくれ!」

「私をかばったら、お兄ちゃんの立場はなくなるよ。それは、いけない。商人は信頼が大事だし、商品に情を移しちゃ、ダメ」

「けど、お前は俺の妹だ!」

「そうだね。でも、それだけだよ。・・・・・・・私、汚れてるし、もう、まっとうには生きていけないから。そんなに気にしないで」

「・・・・・・それは」


 泣く泣く家族を売るなんて、結構当たり前にあることだ。まさか自分がそんなことになるとは考えたこともないのだろう。そもそも、私が現れなかったから葛藤することもなかったはずだ。知らない家族から、子供を娘や妻や、売れるものを奪い取っていったはずだ。だから。そんなこと葛藤していい理由などないのだけど、兄はそれがわからないらしい。

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