3.
死を覚悟し、現実逃避をしたあの時の私は
何度か立ち上がり、周りを見渡して、ため息をついては、座り込んだ。
太陽は、いつの間にか真上にのぼり、ゆらりと蜃気楼を作る。
気付いたのはその時だ。
汗をかかない。喉の渇きを覚えない。そして空腹も、尿意すらだ。
唖然とした。
もし、その様子を誰かがみていたとしたら、随分とまぬけな表情をしていたことだろう。
驚愕は、その内冷め、自分のことを考えはじめる。
私が誰か、過去は、ということではない。
私は何か、どうして生きたいの、かをだった。
あの時の私は、随分と鈍いようで
次の行動に移るまでかなりの時間を要したようだった。
また、砂に埋もれていたのだ。
そして、答えのでない私は、当てもなくさまよいはじめた。
いくつもの夜を越えた、いくつもの朝を迎えた。
それは、まるでおとぎ話が絵が描けた絵本の紙がめくられるように……。
薄い帳をおろし舞台の場面切り替えのように、世界を傍観していた。
当事者であったが、私は、私の内にこもり
あれほど感動した景色を見ることもなくさまよい続けた。
それは、私の中に、1つでも良いから
人間らしい欲求を覚えたいという、不満の表れに違いなかった。
苦痛でもいい、空腹でもいい、なんらかの欲求がほしかった。
今では滑稽な行動であるが、欲求があることが人であることの条件だと
それがあるはずだとを信じたかった。
しかし、いくら歩こうとも、希望すべき欲求は一つも訪れることはなかった。
また、絶望しそうになった。
だが、絶望し、現実逃避をしても砂に埋もれるだけだと、解っていた。
それに、もし……、目覚めた時、完全に砂に埋もれていたとしたら、それこそ絶望的だ。
地中など、視覚的に判別できない時
人の感覚は狂うという。
雪崩で埋まった時、海で溺れた時……。
必死という名のパニックになり、命を手放すような結果となる行動をしてしまう事があるらしい。
だから、私は、ぞっとした。
きっと、普通には死ねないのだろうと、解っていた。
砂の中、それも粒子の細かい砂の中、私は、微動だに出来ず、永遠と埋まっている。
そんな絶望で、目の前が暗くなった。
だから、人間的に生きることはできずとも、生きねばならないことだけは確かで、
私が何ものであるか、どうかより
本当の意味で、生きている事の意味を、その生き方を考えた。
それは、私という存在を作る、次の一歩だったのは間違い無かった。
まだまだ、たんたんと、次から少し物語りが動き始めます。
しかし、寒いので、私は布団の中から動きたくない・・・