第一話:払いたまえ!(1)
続きです、よろしくお願いいたします。
「それじゃあ、ママ、コラキ、行ってくるですよ!」
「ほぅ……。コラキだけズルいの……」
「良いんだよ……。お前も来年はこうなんだぞ?」
時刻は朝八時。
『幻想商店街』の片隅にひっそりと存在する木造二階建ての古アパート――『二鷹荘』。その二階奥、二〇三号室の玄関ではいま、見送る者と見送られる者が見合っていた。
見送られているのはふたり――
「うぅ……。早く三年生になりたいの……」
ひとりは目をグシグシとこすり、白髪ふわふわのショートボブと、柔らかで巨大な胸を揺らす、たれ目の少女――『天鳥ペリ』。
「あぁ……もう。早くしないと遅刻ですよ、ペリ?」
もうひとりはペリの襟首をつかみ、ツンっと茶色いポニーテールを逆立てている、陸上部が似合いそうなスレンダー体型の三白眼少女――『天鳥イグル』。
「んん……? あら~、お出かけかしら~? お土産お願いね~……」
そんなふわツン対照的な少女ふたりを見送るのは、腰まで伸びた赤色のストレートヘアの女性――『天鳥スプリギティス』。少女たちの母である。
そして――
「一応、車には気をつけてな? 俺は事務所にいるから、なんかあったら連絡しろ?」
母スプリギティスと同じく。少女たちを見送るのは、寝起きで元から悪い目つきをさらに鋭くしたツリ目に褐色肌の少年――『天鳥コラキ』である。
ここ数日の間。コラキたちは『冒険者』としての活動で日本を離れていた。
その間、学校が休みになるわけもなく。気が付けばコラキたち三年生は自由登校の期間へと突入していた。
そのため、コラキは帰国後、担任に報告をした時以降。特に登校するでもなく。ここ数日はこうして妹たちを見送っては、事務所に向かうと言う生活を行っていた。
「ふぁ……。お、玲人からだ」
コラキは前述の国外での活動で同行し、一足お先に帰国していた親友――『梧桐玲人』からの遊びのお誘いメールを見ると、適当に返事を返す。
「――母さん、ご飯が良い? それともパン?」
「ん……ぁ? じゃあ、ゴパンで……」
「……どっちだよ……」
そして食卓でゴロゴロとする母とともに朝食を食べると、仕事着へと着替える。
「あらあら~。コラキちゃんもお出かけかしら~? ママ、さびしい……」
「さっきも言ったけど、仕事ですよ。なにかあったら、そこのボタンを押してください。母さん用に『ファルマ』のひとたちが作ってくれた緊急用ブザーです」
白いワイシャツに黒でそろえたジャケット、スラックス、ウェストコートを玄関先の姿見で確認し、赤いネクタイをキュッと結びながら。コラキはスプリギティスの眼前に置かれた半径三十センチほどの丸いボタンを指さす。
「あらあら~。なんだか悪いわね~? あとでお弁当持っていくから、一緒に食べましょうね~?」
スプリギティスは『さびしかったら押せ!』と書かれたボタンをひとなですると、玄関で靴を履き始めたコラキにヒラヒラと手を振り、こたつへと進入していく。
「んじゃ、行ってきます!」
ここ十年近く。母に見送られると言う経験をしていなかったコラキは、どこかむずがゆい感覚を覚えながら、軽い足取りで『幻想商店街』を駆けていく。
道中すれ違う八百屋のおばちゃんや、駆け回る見知った幼稚園児たちとあいさつを交わしながら進むこと五分程。
コラキは『幻想商店街』の一画に建てられた。三階建ての古ぼけたベージュ色のビル前に立っていた。
「うーん。そろそろ見た目だけでも整えるか……?」
ビルを見上げたコラキは、その目に映る二階窓ガラスを見ながらつぶやく。
――『天鳥探偵事務所』。
白いテープで窓ガラスに張り付けられた文字を見る度。コラキはもう少し宣伝効果を上げる努力をすべきかと頭を抱えて悩む。
「まあ、卒業してから考えるか……」
コラキは卒業すれば仕事に専念できるから、事務所の改装や宣伝についてはそれからだと考え、ビルへと入り、階段を上がっていく。
事務所へと入ったコラキはまず窓を開けて空気を入れ替える。
そしてぬるめのお茶を入れると、事務所の奥に設置されたこげ茶色のオフィスデスクに腰かける。
「あ~……。今日は客……。来ると良いなぁ……」
そして誰に聞かせるでもなく。そんなことを口走ると、机の上に足を上げて事務所で契約している新聞に目を通し始める。
そんなここ最近の日課を行っていると、事務所の呼び鈴がチリンっと鳴り始めた。
「――客かっ!」
驚くコラキは、オフィスデスクから飛び上がり、玄関まで一足飛びに駆け付ける。
「やっほぉ? コラキちゃん、元気?」
「――なんだ……ひっこかぁ……」
しかし、扉を開けた先に立っていたのは、コラキの同級生にして最近『Sランク『冒険者』』となった少女――『皇雛子』であった。
「えぇ~……? なにそれ、ひっどいなぁ……」
雛子はシクシクと泣きまねをしながら。ツインアップに結った髪をゆらゆらと振り。そのまま事務所へと上がり込む。
「あぁ、悪い。客の入りが悪くってさ……」
オフィスデスク前に、ガラステーブルをはさむように据え付けられたふたつのえんじ色のソファ。そのひとつに腰かけた雛子に向けて、コラキは手を合わせて頭を下げる。
「ん? ああ、良いよ良いよ。私んところも、似たような感じだし……」
「あぁ……」
コラキと雛子はふたりして「立地が悪いのかな」と愚痴る。
「ほい、粗茶ですが。――って、なんだひっこ、店は良いのか?」
ソファに座った雛子にお茶を出し。コラキは雛子の格好を見て眉根を寄せる。
「ん? ああ、これ? ちょっと開店準備を手伝ってたんだ。もう終わったし、午前中いっぱいは客入りが少ないから……暇なんだぁ……」
雛子は『皇ツアーズ』と書かれたオーバーオールの肩ひもをパチンと引っ張ると、どこか遠い目をして答える。
「んで、ちょうど作業が終わりかけた時に、コラキちゃんが事務所に入っていくのを見たから……来ちゃった」
「――おぅ……」
小さく舌を出した雛子の顔をなんとなく正視できず。コラキはそっぽを向いて相づちを打つ。
しかし、そのどこか喜色を含んだ表情は――
「でね? 依頼料――徴収しに来たよ!」
次の瞬間には、ピシリと固まってしまった……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ん~……もっふもふだねぇ……」
『そうかぁ……』
雛子が事務所を訪れてから十分後。
雛子は座る場所をオフィスデスクへと移し、コラキへと抱き付いていた。
「いつものコラキちゃんも良い感触だったけど……。これはこれで……良いねぇ……五十五度ぉ」
『………………そうかぁ……』
グリグリと腹部をえぐってくる雛子の顔。コラキはその息づかいを感じながらも、少し不貞腐れているかのように、天井を眺めて虚ろな返事をしていた。
――コラキはいま、『ヒト』の姿をしていなかった。
「むふぅ……」
雛子は『小烏』となっているコラキの体をグッと手元に引き寄せる。そしてその柔らかな腹部の羽毛に再度顔を突っ込むと、満足げにほほ笑む。
『……そうかぁ……』
なぜコラキが雛子の枕となっているのか?
それは先日の『レムリア』での『生態系調査依頼』が原因である。
美空が提示した『可能な範囲で願いをかなえる』と言う報酬に対して、雛子が望んだのは、コラキ、ペリ、イグルに対して『雛子が望んだ時に、『魔獣』形態になって欲しい』と言うモノであった。
当初、コラキたちはその意図がつかめなかったが――
「むっふぅ……」
幸せそうにコラキのおなかをグリグリする雛子を見て「こう言うことか」と合点し、ため息をつく。
「そういえばコラキちゃん。コラキちゃんはやっぱり、卒業したらこっちに専念するの?」
コラキの羽毛をはむはむと口でもみながら。雛子はコラキに問い掛ける。
「まぁな……。昔からの夢だしなぁ……。ひっこは?」
「ん~……。私も実家の手伝いってのは変わらないけど……。実はこの間、美空さんから「報酬がショボイ」からって、もうひとつ――『ギルド大学』の聴講制度を勧められてさ……」
『む。失礼な……』
不機嫌そうな声色のコラキに苦笑しながら。雛子は、美空から勧められたと言う『聴講制度』についてつぶやいていく。
――『ギルド大学』。『冒険者ギルド』が運営するこの大学では、通常の大学と同じように『聴講生制度』を採用している。
その『聴講生』となる条件はいろいろとあるのだが、今回は美空が便宜を図ってくれるとのことだった。
「でさ……。良かったらコラキちゃんも、時間があったら一緒にどう?」
コラキの羽毛に顔をうずめながら。雛子はコラキのくちばしを眺めてつぶやく。
『……それも……良い……なぁ……』
ぽかぽかとした陽気にウトウトしながら。コラキは雛子の意見もありだと答える。
「よぉぃ……。約束……だよ……」
規則的に上下するコラキ枕の暖かさと柔らかさに。雛子もまた、ウトウトしながら。うれしそうに、二へっと笑う。
「あぁ、あと……。レイちゃんたち……が。クラスの皆で……卒業旅行……行こうってさぁ……」
『ぁあ、良いなぁ……』
ふたりはそのまま、ほぼ同時に意識を手放した――
それからどれほどの時間がたったのか。
――ビィィィィィィィイィ!
「――なっ、なに?」
『おぉ、おわ?』
けたたましく鳴り響く事務所の呼び鈴。
いきなりの大音量で鳴り始めたソレに、まず雛子が。続けてコラキが飛び起きる。
「あ、お、お客さん? コラキちゃん、私が出るから、その間に変身して着替えて!」
『ク、クァッ!』
飛び起きたコラキは、雛子に指摘され、自分の現状を確認すると、バタバタと翼をはためかせながら。脱ぎ捨てた衣服のなかへと飛び込んでいった。
「は、はぁい。いま、出ま~す!」
そして雛子が、わずかに乱れた髪を整え、玄関の扉を開けると――
「――遅いですよ。って、あら、ひっこさん? えぇっと……?」
そこにいたのは美空であった。
美空はまず乱れた様子の雛子を見て、そして次に事務所の隅でベルトを締めるコラキを見つける。
「あら……。えぇっと。もしかして、お楽しみでしたか?」
そして顔を真っ赤にしてそう言うと、そわそわと落ち着きなく。雛子とコラキの間で視線をさまよわせる。
コラキと雛子はしばらく、なにを言っているのかと考え込み……。
「ま、まだです!」
「違うからっ!」
――やがて口々に、そう叫んだ。




